国鉄があった時代blog版 鉄道ジャーナリスト加藤好啓

 国鉄当時を知る方に是非思い出話など教えていただければと思っています。
 国会審議議事録を掲載中です。

山陰本線、京都夜行「山陰」物語 第1話【戦前編】

2020-05-04 09:14:41 | 国鉄思いで夜話

はじめに

現在は、寝台列車と呼べるものが殆ど存在せず、僅かにサンライズ出雲・瀬戸がJR各社直通の在来線特急列車として残っています。
国鉄時代には、寝台列車は多数運転されていたわけですが、高速道路の延伸、さらには飛行機運賃の自由化などで、列車の運賃と飛行機の運賃格差が小さくなり、徐々に寝台車の利用者は減少を続けることとなりました。

かつて、鉄道にはブルートレインと呼ばれた寝台特急の他に、夜行列車と呼ばれる普通列車も多数走っており、一部の普通列車は寝台車を連結していた列車もあり、これらの普通列車は昭和50年3月の改正以降は、マルスに寝台券を収納し、全国で発売できるようにしていたため、夏期のような愛称が付けられていきました。

からまつ 小樽~釧路間
南紀   天王寺~名古屋(寝台連結は、天王寺~新宮)
山陰   京都~出雲市
ながさき 門司港~長崎・佐世保

ただし、昭和49年12月の時刻表を参照しますと、「南紀」のみ、12月には愛称が付与されており、比較的寝台車の利用が多かった「南紀」を先行して愛称を付与して試行したと思われます。【この辺は要調査ですが】

また、マルス150の稼働が昭和50年3月ですので、この辺は整合性がとれると思われます。

前回は、南紀号を取り上げましたので、今回は、普通列車「山陰」を中心に、山陰本線・福知山線の列車について取り上げてみたいと思います。

山陰、私の父が鳥取出身で、親戚の叔父は京都行き山陰を京都夜行、だいせんを大阪夜行と言っていましたので、私も「山陰」に関しては無名時代は、「京都夜行」という言い方で統一したいと思います。

山陰のルーツは、戦前まで遡る?

そこで、手元にある古い時刻表度を参照しますと、復刻版の昭和5年10月の時刻表には、京都20:50発出雲市行きという213列車を見つけることが出来ます、恐らく、これが京都夜行のルーツと言えそうです。
終着大社駅には、翌朝の6:32着となっており、2等寝台(現在のA寝台)の連結もあったようで、当然のことながら一般庶民は、座席主体の堅い座席で輸送され、時刻表には、「軽便枕あり」と言う表記が見られます。

当時の資料などを参照してみますと、首枕とでもいうのでしょうか、これを座席で支えるかなり大きな代物で、大正時代に民間会社が行っていたようです、ただ、乗務していたサービス員(軽便枕の販売。設置をする作業員)による、サービスの強要【いわゆる押し売り】等で、評判が悪く。鉄道省が営業許可を取り消すと共に。その装置などを買い取る形で追い出したそうです。しばらくは放置されていましたが、昭和恐慌によるサービス向上と収入増加を狙って、軽便枕サービスが昭和4年に鉄道省直営で復活したそうです。ただし、装置の老朽化も相まって昭和9年には再びサービス自体が終了してしまうことになりました。

ということで、軽便枕に話はこの辺にして、再び、京都夜行【山陰】のお話を続けさせていただこうと思います。

東京からの急行列車を受けて、出発する京都夜行

最初は、昭和5年の時刻表から

東京からの急行列車を受けて出雲市まで走ります。

なお、この東京発の列車はそのまま下関まで走るロングランで列車でした。
時刻表上部の「急9」の文字は、「急行9列車」の意味です。

それと、戦前の時刻表は12時間制を採用しているので、京都発8:50とありますが、これは20:50発と言うことになります。

軽便枕ありの表記に注目してください。【前述】

昭和15年も大きな変更は無し

手元には、これ以外に、昭和15年10月号、昭和19年12月とあるのですが、今度は太平洋戦争【大東亜戦争)開始前、戦前の国鉄黄金期と言える時季の時刻表が以下の通り

時間の若干の修正はあるものの、東京からの急行列車を受ける形で運転されています。

さらに、大阪からの夜行列車が運転されていますが、このパターンは大阪夜行が「急行だいせん」になってからも踏襲されており、私が高校生の頃だったでしょうか、夜の福知山で深夜にも関わらず、立ち食いそばが繁盛していたことを今も思い浮かべることが出来ます。

昭和19年にも出雲市行きは残されていた

昭和19年12月の時刻表でも、この列車は削減されていませんでした。

時刻の繰り下げはあるものの、列車としては残されているのは、出雲大社への輸送需要が大きかったからであったことは容易に想像できます。【東海道線での9列車の所要時間が増えているのは、恐らく貨物輸送が増加して線路容量を圧迫していたことも原因ではないかと思われます。

(貨物列車の速度が遅ければ遅いほど、1時間当りの通過トン数が減るため)

こうして調べていくと色々と話題がありそうなので、次回は戦後編としてアップさせていただきます。

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1 コメント

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マルテンサイト千年グローバル (鉄の道サムライリスペクト)
2024-10-02 17:06:40
最近はChatGPTや生成AI等で人工知能の普及がアルゴリズム革命の衝撃といってブームとなっていますよね。ニュートンやアインシュタイン物理学のような理論駆動型を打ち壊して、データ駆動型の世界を切り開いているという。当然ながらこのアルゴリズム人間の思考を模擬するのだがら、当然哲学にも影響を与えるし、中国の文化大革命のようなイデオロギーにも影響を及ぼす。さらにはこの人工知能にはブラックボックス問題という数学的に分解してもなぜそうなったのか分からないという問題が存在している。そんな中、単純な問題であれば分解できるとした「材料物理数学再武装」というものが以前より脚光を浴びてきた。これは非線形関数の造形方法とはどういうことかという問題を大局的にとらえ、たとえば経済学で主張されている国富論の神の見えざる手というものが2つの関数の結合を行う行為で、関数接合論と呼ばれ、それの高次的状態がニューラルネットワークをはじめとするAI研究の最前線につながっているとするものだ。この関数接合論は経営学ではKPI競合モデルとも呼ばれ、トレードオフ関係の全体最適化に関わる様々な分野へその思想が波及してきている。この新たな科学哲学の胎動は「哲学」だけあってあらゆるものの根本を揺さぶり始めている。こういうのは従来の科学技術の一神教的観点でなく日本らしさとも呼べるような多神教的発想と考えられる。
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