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出雲と言えば、サンライズ出雲として、現在も東京~出雲市を結ぶ列車として君臨していますが、その歴史は古く昭和26年から東京と大社を結ぶ列車として運転されていたようです。
手元にあります、昭和28年の時刻表を参照しますと、今と同じ「せと」と併結になっています、ただし、岡山で分離ではなく、大阪駅で分離、「いずも」は福知山線経由で大社を目指す列車となっていました。
昭和28年当時交通公社時刻表から引用したいと思います。
当時の時刻は、東京 22:00発、大阪9:06 福知山11:49 鳥取14:55 出雲今市(現・出雲市)17:54 大社 18:05ということで、東京から約20時間の道のりでした。現在では東京を22:00に出発して翌朝の09:57で約12時間の道のりです。
東京22:00発 「せと」に併結されて大阪まで運転
沼津~岐阜間の運転
岐阜~岡山間 大阪駅で大社行き編成を切り離し
大阪~福知山間
福知山~米子間
米子~出雲今市(現・出雲市)間
逆にいえば、当時の列車で当時の「急行いずも」の宝塚到着で9:55であり、列車が宝塚に到着した頃、現在のサンライズ出雲は、目的地である出雲市に到着していたことになります。
大阪始発だった頃の準急 名称はありません。昭和26年の交通公社の時刻表参照
単純に時間だけ言われるとピンときませんが、そうして比べてみるといかに当時の速度がゆっくりだったか・・・。
もちろん、新幹線を使えばもっと8時間前後で移動できるわけですからね。
さて、当時の編成はちょっと調べてみたのですが、申し訳ありませんがわかりませんでした。
ご存じの方がおられましたら是非ご教示願います。
少しだけ昔のお話ということで、私が生まれる前のお話でした。
出雲と言えば、サンライズ出雲として、現在も東京~出雲市を結ぶ列車として君臨していますが、その歴史は古く昭和26年から東京と大社を結ぶ列車として運転されていたようです。
手元にあります、昭和28年の時刻表を参照しますと、今と同じ「せと」と併結になっています、ただし、岡山で分離ではなく、大阪駅で分離、「いずも」は福知山線経由で大社を目指す列車となっていました。
昭和28年当時交通公社時刻表から引用したいと思います。
当時の時刻は、東京 22:00発、大阪9:06 福知山11:49 鳥取14:55 出雲今市(現・出雲市)17:54 大社 18:05ということで、東京から約20時間の道のりでした。現在では東京を22:00に出発して翌朝の09:57で約12時間の道のりです。
東京22:00発 「せと」に併結されて大阪まで運転
沼津~岐阜間の運転
岐阜~岡山間 大阪駅で大社行き編成を切り離し
大阪~福知山間
福知山~米子間
米子~出雲今市(現・出雲市)間
逆にいえば、当時の列車で当時の「急行いずも」の宝塚到着で9:55であり、列車が宝塚に到着した頃、現在のサンライズ出雲は、目的地である出雲市に到着していたことになります。
大阪始発だった頃の準急 名称はありません。昭和26年の交通公社の時刻表参照
単純に時間だけ言われるとピンときませんが、そうして比べてみるといかに当時の速度がゆっくりだったか・・・。
もちろん、新幹線を使えばもっと8時間前後で移動できるわけですからね。
さて、当時の編成はちょっと調べてみたのですが、申し訳ありませんがわかりませんでした。
ご存じの方がおられましたら是非ご教示願います。
少しだけ昔のお話ということで、私が生まれる前のお話でした。
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こちらは各列車の編成資料が充実しています。
http://cyuouline.la.coocan.jp/page298.html