「知鉄話」 80系電車の後継として計画された。153系準急電車
当時の東海道本線は、当時の陸上輸送のほぼ全てを受け持っていて、80系10両編成でも輸送力が不足するとして、新たに増備することが画策されて、101系の足回りに80系電車の室内設備を採用した車両を開発することとなり、153系(設計・導入当初は91系)が誕生しました。
ただし、151系の製造時期とも被っていたことから、落成は10月中旬に10両1編成、その後下旬に3両が完成して12両1編成が完成、(1両は予備車)11月1日から東海2号(東京15:05発)にこっそり充当したのが最初だったそうで、151系の華やかな出発式などと比べると非常に地味で、そのまま西下して大垣電車区に到着ということだったようです。
新車を受け取ってそのまま、旅客を乗せてタクシーが営業所に帰った、そんなイメージでしょうか。
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国鉄時代の代表ランナー 165系電車の話
165系電車は昭和38年3月から。上越線・信越本線で運転を開始しました。当初は、山陽本線向けに163系が計画されましたが、将来の転用などの問題もあり、ひとまず増備が急がれていたサロ152に代えてサロ163だけが先行して製造されたものの、最終的には163系電動車ならびに制御車は誕生することはありませんでした。 165系は、信越線も11両編成で通過させる予定でしたが、実際には粘着運転時の問題から碓氷峠の通過には旅客は360tの制約が課せられ、電車は8両編成となりました。これが解消するのは、協調運転用の169系が誕生まで待たねばなりませんでした。 165系の話、少し長いですが、是非ご覧ください。
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日本国有鉄道研究家 加藤好啓が主催する動画チャンネルです。
今回も、交通権学会で発表した内容を元に、内容を修正したものをアップしています。
国鉄は赤字決算を受けて、行動を開始します。
国鉄の中でも最も大きな負担となっていた、地方納付金の減免を自治省に申請しますが、既得権益であるとして減免は認められず。文部省にも同様に、通学定期割引に対する補助を働きかけますがこれも拒否、こうした背景を受けて国鉄は赤字83線として、今後も利用の増加が見込まれない路線の廃止に取り組みますが、引き続き鉄道建設公団への出資という名の建設資金を拠出していました。
道路や港湾が国の予算で行われるのであれば、国鉄の地方開発線木にが責任を負うべきだったと思うのですが、こちらも昭和47年度まで拠出しています。
さらに、CD線と呼ばれた幹線・都市路線などは有償譲渡路線として、国鉄が年賦で支払っているわけで、実質国鉄が拠出したっおかねと言うのは実質的にローカル線建設の費用の一部にまわったと言うことになります。
無償で提供されても、運営のための経費も要るわけで、それ以前に出資金という名目で国鉄が赤字経営の中で負担を続けていたわけです。
更に、こうした事態を受けてさらなる合理化を進め、更には生産性運動を進めようとしますが、国労・動労などは強く反発、結果的には生産性運動は失敗し。国鉄当局自身が当事者能力を喪失して行くこととなります。
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知鉄話 独立採算制の名の下、過剰な負担を強いられる国鉄
今回も、交通権学会で発表した内容を元に、内容を修正したものをアップしています。 国鉄は港湾・道路などは公共インフラとして省庁等が予算を確保して実行するのに対して、地方開発の要とも言える、地方路線建設は国鉄の鉄道建設に委ねるとされていました。その反面、建設予算は国鉄が独立採算制であることを前提として、独自の資金で調達することが求められています。 この背景には、大蔵省として、経済活動を積極的に行いうる眠れるトラを起こしたくないという大蔵省の思惑が見え隠れしています。 結果的に、国鉄が導入した差額運賃制度は、翌年に成立する法令により廃止に追いやられますが、これも国鉄のためと言うよりも大蔵省による国鉄への警戒心の表れとみることも出来ます。 また、国鉄自身も管理所制度を試行しますが、結果からいうと十分な成果を得ることは出来ませんでした。
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鉄道技術昔話 駅ホームに付随した施設の話
国鉄時代の駅舎に見られたユニークな施設をいくつか紹介させていただこうと思います。