中南米旅日記  若き日の想い出

2016-08-06 14:44:06 | 日記

8月11日                             第13話
昨日はホテルでひと悶着。
フロントにちょっと用足しに行って、戻ってみると誰かが俺の部屋で荷物を物色している。
ヤワなフランス人ですぐとっ捕まえた。何も取られていないが、ガマ口型の針セットが開けられている。
財布と勘違いしたのだろう。何を言っているのかよくわからない。そのままフロントに連れて行って訳を話して引き渡した。
俺には英語を話さなかったのにフロントに来たら英語に変わった。「この野郎!!」
俺は何もしていないと言い張っている。しかし、俺の部屋に入って物色していた事実は変えられない。
彼は即刻ホテルを追い出された。

翌朝9時ホテルを出てまずは両替。Guatemala Banco(銀行) に行った。
TC$40=Q104=¥5200  $1=Q2.6と変わらず。
Turismo(旅行案内所)にも行きたかったのだがグアテマラ銀行の近くにあり、探す手間が省けてラッキーだ。
オアハカもそうだったがここも英語ができる感じのいいおばちゃんがグアテマラの案内をしてくれたの大いに助かった。
今では当たり前かもしれませんが、当時中南米も英語圏ではないヨーロッパでも案内所で英語ができる人は少なかったのです。
一旦ホテルに戻り洗濯物を出しに行った。靴下3、Tシャツ1、短パン1=Q1.5
その後電話局に行きニューヨークまでを頼んだがなかなかつながらず30分以上経過したのであきらめてキャンセル。 
Rit Hotelの近くで朝食。朝食と言ってももう12時だ。
食後SAM(旅行会社)へSan Andres島(コロンビア領)の料金を聞きに行った。$233 Bogoda(コロンビアの首都)までなら$374
そのあと考古学博物館へ。ここはマヤ文明の石碑を多く展示してあった。
明日の予定を考えた。ここからアンティグア方面へ先に行くとPuerto Barrios(プエルト・バリオス)
や Livingston(リビングストン)にはもう一度グアテマラ市に戻って来なければならず面倒なのでここから行くことにした。
プエルト・バリオスとリビングストンへ 「グアテマラ市から北東へ320㎞。」
プエルト・バリオスまでのチケット代Q8.5=$3.26=¥425
今夜もタイペイでチャイニーズ ビール2本、チャーハン、チキン(骨つきでほとんど肉がなく、何故か玉ねぎがいっぱいだ)Q8.05=$3=¥400 
物乞いが入れ代わり立ち代わりで6人も。ゆっくり食べてられない。 ウエイトレスはとても感じ悪い。当然チップなし!!

8月12日 8時30分発が9:00。 2:30着だがどうなることやら。
バスの中で知り合った女性ドウニャが一緒に泊まることになった。「意気投合!?」???
グアテマラに住んでいるのだがここには親戚の家を訪ねてきたらしい。何故一緒に? わかりません。
このころはまだスペイン語も今3くらいであまり理解できていませんでした。辞書を片手に一生懸命会話です。
 そして、ゴルゴ13のごとく常に緊張と云うか警戒しています。
とにかく、Hotel CANADA Q8.5=$3.27=¥425 取りあえずcoke 75センタボ=38円
またまた、チャイニーズで食事(ここはチャイニーズが作っていない)Q5=$1.9=¥250
このホテルは前にディスコがありうるさくて眠れない。最悪だ!!
カギは開け閉めに来て持って帰る。つまり、部屋を借りた人に渡さないのだ。
1991年当時の中国も同じやり方だった。
Banco CAFÉで両替。$1=Q2.5 
1ヶ月で約$560=¥72.800も使ってしまい、予定オーバー。
まだ南米まで到達していない。少し引き締めなくちゃ。

8月13日 日本はお盆だね。
3時のボートでリビングストンへ行く予定なので街をブラブラ散策。目新しい物何もない。
船着き場へ行くと5時発になっている。6:30着。
船着き場から歩いてすぐのHotel Caribe  何故かドウニャが一緒に行くと言う。
ダブルでQ11.70=$4.68=¥608
食事 ビール3本、チキン唐揚げ(ほんの)少ししかなく2皿注文)、コーラ1本、魚フライ
計Q20=$7.69=¥1.000 高い!! 

翌14日 町を散策。町は狭く、汚く何もない。期待していた海も汚く泳げない。ガッカリ!!
食事をして即退散。食事Q⒕=$5.38=¥700。ボート1人80C=¥40
プエルト・バリオスに戻りまた、ホテル探し。
今度はHotel Barios  2人でQ6.5。 シャワー別だが2部屋続きなのでカギをかけなければ出入り
自由。だから片方の部屋にシャワーがあるのでシャワー付きと同じだ。
公園でバスケットの試合をやっているが楽隊付きでドンチャカ、ドンチャカ。女性だけのチーム
も頑張っている。明日はグアテマラ市に戻ろう。この2つの町は何もないということだけわかった。
今はいろいろ整備され観光地としての役割を果たしているのだろうね。
Banco Caféで両替。$20 1$=2.5Q  洗濯 3Q ちょっと高い。

―グアテマラ市からアンティグア・グアテマラに直行―

8月15日 日本は盆真っ盛り。
グアテマラ市に戻り、すぐ旧首都アンティグア・グアテマラへ。 バス95C=49円
「アンティグア・グアテマラ」
取りあえず寝床探し。ホテル名前忘れた。 Q8=$3.2=¥416 

翌16日 レストランZENへ ここは日本人旅行者(バックパッカー)の溜まり場で、オープンから閉店時間までここに行くと必ず誰かがいた。
情報共有の場所だ。


「驚きの再会」
ニューヨークで一緒に仕事した吉田吉蔵と再会。
レストランに入って行くと草ボウボウの手入れされていない庭に何かをしている髪の毛がバサバサの仙人状態の男がいた。
店の様子を聞こうと声をかけると振り向いた顔にビックリ!! 
こちらも驚いたが、彼もまさか来るとは思ってもいない男が立っていたのでかなり驚いた様子。
1年前に彼がグアテマラに行くと言って、友人たちで送別会をしたのだが、忘れもしない。その日はニューヨークがマイナス20℃ととてつもない寒さの日だった。
二次会に行くのにタクシーがつかまらずその場所に着くまで何軒のバーに寄ったことか。その彼が1年経ったのにまだここにいるとは!?
積もる話もそこそこそこに、荷物を預けてまたまたホテル探しに出かけた。
途中出会った日本人に声をかけると、彼は自分が泊まっているところがいいとそこまで連れってってくれた。「ホテル・パサフェ」。
空き部屋がなく取りあえず彼(文平さん)の好意で相部屋させてもらうことになった。
文平さんは紅茶の会社に居たと云うことで詳しい。安い紅茶を美味く飲む方法を教わったのですがすっかり忘れてしまいました。
でもなるほど、さすがだなぁと感心したことは覚えている。
ここに来て驚嘆したのは「シャワー」だ。ニクロム線むき出しでそこから水が伝わり下りてきてお湯となるシステム。
当初感電するのでは気が気でない状態でシャワーを浴びた。しかも水がお湯になるためにゆっくりと伝わり下りてくるのでチョロチョロ。かなりの時間を要する。
地元民の多くは水シャワーとのこと。日中ならともかく、朝夕は寒くて気合がいる。
夜は勿論、ZENで食事。
このレストランは門構えの立派な入口で結構人気がありいつもたくさんの客で賑わっていた。
客のほとんどが外国から来た観光客で締めていた。私が到着した時はオーナーのユキさんは日本に里帰りをしていて不在だったが住み込みの吉田さんともう一人のグアテマラ人で切り盛りしていた。

閑話休題
当時、ユキさんは独身で結構寂しがり屋。そして優しかった。
遅くなると、と言っても毎日ここで飲んでいるので早く帰る日はまれで深夜なのだが、泊まっていけと云う。勿論我々は皆ホテルがあるのを知ってて誘うのだ。
両替もアンティグアではレートが悪いので皆グアテマラ市まで行くのだが彼は市内のレートで両替をしてくれたのだった。
私がニューヨークに帰った後、何年か経って結婚したという噂を耳にし、驚いたが、その後訃報を聞いた時はもっと驚いた。
信じられず、ともかくも驚きで一杯だった。
人づてに聞いたので亡くなった経緯は定かではなく、ここでは記さない。
残念でならない。 合掌

―アンティグア・グアテマラの生活―
さて、
我々は現地人と違って、水は水道水からは飲めないのでいつも店内に置いてある大きなビンの水を利用していたが、飲みが深まるにつれてどうでもよくなり水道水からロン(ラム酒)の水割りを作ったがこの水のせいでお腹を壊したという話は聞いていない。
私も今のところすっかり治っている。

アンティグアに来てから朝食はZENの隣と云うか真向いのDoña Luisa。(ドニャ・ルイサ)
ウエイトレス達とはすっかり馴染みになり、チップも効いて皆愛想がいい。
その二階からはグアテマラ富士(勝手に我々が呼んでいる)が望む。窓を一面に開けて、まるで絵画だ。正式にはVolcán de Agua
ヴォルカン=火山 アグア=水 アグア山は火山で火口には火口湖があったのでアグア山と呼ばれたが1773年の大地震で崩壊し消滅した。
標高は3,760m。ほら、富士山に近いでしょう!?
しかも火山、富士山と同じ休火山だしね。
1階はいろんな本が置いてありヨーロッパ人であふれかえっているが二階はあまり人が来ない。
ここで半日ウエイトレスのあきれ顔を見ながらハエ取りをしたことがあった。馬鹿だねぇ。
あとは御決まりのZENへ。 本日 $1=Q2.75 $100両替

18日は斎藤さん、カメラマンの竹さん(武さん?)とビリヤード。

19日はZENが休みなのでグアテマラへ買い物というか、気晴らしに出かけた。
バスターミナルがありそこから様々な場所に行くことができるが、満員にならないと出発しないので時間がわからない。
しかも満員なのに途中人が手を上げたらバスを停め、押し込むので身動きできない。
しかし、立って乗せてはいけないらしく途中警察が検問している所では無理やり座らせるので、他人の膝にお構いなしに座ってくるのだからたまらない。
町はずれの検問を過ぎるとまた、詰めれるだけ詰めて山道を登るのだから危険極まりない。
しかもそこから車掌役の男が無理やり後部席の一番奥まで料金を回収に来るのだからもうむちゃくちゃだ。想像できないでしょう?
暇なものだから、バスターミナルでよく客の呼び込みの手伝いもした。
右手を大きく上げ、手首と指をひねるように、野球のピッチャーがドロップを投げるようにしながら「グアテ、グアテ、グアテ」と叫ぶのだが、多方面のバスに負けないよう大きな声が必要なのだ。
さて、市内では結局何も買わず帰宅し、ZENで夕方5時半からのパーティの準備に出かけた。
水炊きに餃子。 確か餃子を作ったのは大原さんだ。上手い、美味い。
例のスイス人カップルとアメリカ人も誘った。総勢15人くらいだ。

20日 
毎日狭いアンティグアのセントロ(中心地)を徘徊しているので、会う日本人も同じ。
夜はZENで飲んで帰るだけ。

21日 
Doña Luisaで朝食。10時半ごろ電話局へ。コレクトコールでニューヨークを頼んだが約1時間経過。
「どうなっているんだ?」と声を荒げたらすぐつないだが、遅すぎてN.Yは誰も出ない。
ホテルに戻り洗濯。その後Caféで友人へのハガキ書き、夕方ZENへ。湯漬けと焼き魚、搾菜で一杯。
最高だね。12時半ごろ帰ホテル。

22日
いつもの所で朝食後、ZENへ行って昨日の夕食代を払う。Q3=$1.10=¥142
再度電話局へ。ニューヨークの残してきたアパートと銀行が気になっているのだ。今度は無事終了。
何故銀行かと云いうと、しばらく動かしてないと凍結されるのだ。そうするとまた窓口へ行って手続きをすると云う面倒なシステムだったからだ。

―グアテマラ富士に登る―

23日(日曜日)。きょうは急きょ、Volcán de Aguaに登ることになった。
昨夜、ZENにて山に登る話が出て、カメラマンの竹ちゃんにスニーカーを貸し、俺は彼のビーチサンダルで深夜帰宅。
しかし同居の文ちゃんに話をしたところ行ってみたらと云うことで「よし!!」と決断。
昨夜、深夜帰宅したのでホテルのオヤジを起こしてドアを開けてもらったのに3時間半後に又起こしてドアを開けてくれと頼んだので当たり前だが
「何なんだお前は!?」と非常に不愉快な顔をしていた。
外へ出ると少し肌寒く、いつもの道なのに薄暗い不気味な石畳の道を進むと、ところどころに地元の原住民(インディヘナ)がうずくまって寝ている。
身構えながら聞いていたバス停まで歩いた。
この辺りだろうと見ても誰もいない。近づくと壁から人影が動いた。誰かいるのだ。
ゆっくり、一歩一歩近づくとインディヘナたち。しばらくすると一緒に登る予定の山田夫妻と子供たちも来た。
子供2人を彼らはず~っと抱いたまま登ったのだ。「すごい!!」しかない。
バスは5時出発だが竹ちゃんはやって来なかった。さすがに昨夜遅くまで飲んでたから起きられなかったのだろう。
バスはたくさんの荷物を持った地元の人達で満員状態。途中、途中、人と荷物をこれでもかと押し合い圧し合いしながら乗せ、でこぼこ道を走る。
車内の熱気に臭いが混じり酸欠状態だ。彼らはあまり風呂に入らないし民族衣装も着たまま寝起きするからだろう。
たぶん30分くらいの道のりを1時間かかって6時ごろようやく麓(ふもと)の村についた。
村では早朝から女性たちが水瓶を持って井戸に集まっていた。
そこから山に続く道を少し進むと派手な音楽が聞こえてきた。気になったので中に入ると、トランペットやギターを持った男たちが演奏をしながら歌っている。
見ていいかと尋ねると快く笑顔で手招きをしてくれた。建物の中にも楽器を持った男たちがまた、違う演奏をしている。
建物の中をよく見ると民族衣装を身にまとった「キリスト」だ。何が何だかよくわからないがとても楽しそうだ。
きょうは日曜日なので、これも形を変えた礼拝なのだろう。でも女性は参加していない。違う建物の中で食事を作っているし他の人達は水汲みだ。
しばらくして演奏が終わり朝食が始まった。
バナナの皮に包んだ肉の入ったトウモロコシとパン。そしてコーヒー。
我々にも分けてくれた。こんなところで朝食にありつけるなんてとてもラッキーだったし、登山の活力になる。美味しかったなぁ!!
山を登り始めると噴火後何も手入れをしていないので、岩肌がゴロゴロ。道なき道を進むがビーチサンダルではどうにも足元がおぼつかない。
少し裸足になって歩いたがこれはこれで足が痛い。しかも牛の糞がたくさん落ちているので如何に踏まないよう歩くかが大変だ。
途中何度も山から下りて来る地元の人と出会うのだが、皆長い山刀を片手に大きなカゴ背負っている。荷物は肩で背負ってるのではなく額にかけている。
相当首が強そうだ。しかも結構なスピードで降りて来るから最初は驚いた。彼らに「頂上まであとどれくらい?」と声をかけるとどの場所で会っても「10分」と答える。次の人も「10分」って言うかなと楽しみだったが誰もが「10分」だった。
一緒に登った山田夫妻は相変わらず子供を抱きかかえている。本当に「すごい!!」
相当な時間を費やしたがようやく頂上だ。少し寒い。定かではないが子供の一人が軽い凍傷になった記憶がある。
これから下りるのがまた一苦労だ。膝が悲鳴を上げている。
真っ暗な道をふもとの村まで急いだが、牧田さん(通称ボラッチョマッキー)から借りたヘッドライトが役に立った。結局登って下りてくるまで12時間以上かかった。途中出会ったアメリカ人と一緒だったが彼らが先に行ってバスを待たせてくれたおかげで8時の最終バスに乗ることができた。
「足が痛い!!」「足が痛い!!」「足が痛い!!」
ZENでは帰りが遅いので皆が心配して待っててくれた。
特に靴を貸してもらったのに行かなかった竹ちゃんは俺がビーチサンダルで出かけたと聞いて困っていたようだ。
そして、今夜もZENで一杯。

「スペイン語学校に入学する」

24日(月曜日)、今日から1週間スペイン語学校。Q135=$49=¥6,380

先生たちは教えるための教育を受けてない高校卒業なら誰でもなれる「にわか」の人たちなので、教わる方も大変だ。
授業は午前中だけ。住まいを学校の隣に移ったので朝様子を垣根越しに覗いてから行く。
と云うのもきちんと時間に始まらないからだ。
このファミリアには5人くらい住んでいる。食事付(朝夕)だがシャワーは水、お湯が出ない。
確かではないが学校とファミリアの込々料金がQ135だったような気がする。
ある時、ここにテキサスから来たというアメリカ人が泊まることになった。
私の部屋の外で大声でここの女将としゃべっている。聞いてて笑ってしまったのだが
アメリカ人は英語、女将はスペイン語とお互い自分の言いたいことをしゃべっているのだ。
結局女将が私の部屋に通訳を頼みに来た。
また、ある朝、隣の学校の校長が電話の英語が聞き取れないからと頼みに来たこともあった。
夜はZENへ。

25日(火曜日) 授業は午前中だけなので、午後、グアテマラ市内のイミグレ(移民局の通称)に行こうと思ったが天気が悪く止めてぶらりとZENへ。

26日(水曜日) 午後学校で知り合ったマティナ(イギリス人)を誘ってZENですき焼きパーティー 10時半ごろ帰宅。
27日(木曜日) 午後洗濯、夕食を初めてフアミリアで取る。トルティジャ、フリホォレス(豆)、なんかの練り物。
        その後も何回か食事をしようとしたら俺の分がないことがあった。
         ここで食べてないので仕方ないか。 食後ZENへ、帰宅9時半。
         毎日学校があるので帰宅が早い。

28日(金曜日) 午後グアテマラ市内へ。両替 TC$100 $1=Q2.68
         コップを買う。夜はZEN 11時半帰宅
 
29日(土曜日) 午前中は学校、午後は洗濯 そして来週のフアミリアと学校の支払い
         2週間でQ270=$100=¥13.097

30日(日曜日) 今日は学校が休み。終日マーティナと過ごす。
1週間が過ぎたがほとんど何もしていない。時間があれば本を読むか、ZENに行く時
        わざと回り道をして散策するかくらいだ。

31日 また、新しい週が始まり先生も新しいがレベルが同じなので何も変わらない。
   午後、マティナと過ごし、ZENで森さん、知佳子さんと会う。

9月1日(火曜日) 学校は疲れるが仕方ない。やらないよりはいいだろう。
   ZENでスペイン語を教えると云う先生を紹介され、「週Q50-午後4時間」の約束をし、
   俺に必ずここZENでと何度も念を押されたが、翌日待っても現れず、ふざけた話だ。

2日 午後、吉田さんとメルカド(市場)で買い物。
   彼は買ってきた魚を便所の屋根に干していた。仕方ない、そこが登りやすいからだ。
   おしたし、肉じゃが、胡瓜もみ、と豪華?なつまみで二人で一杯。
   雨になり、帰宅が遅くなった。12時半。
3日 午後グアテマラ市内へ。両替Q2.69 X $20=¥2.600
   知佳子さんと食事、9時帰宅。

4日 学校最終日、全く覚えられずに終わった。
   相変わらず夜はZENへ、帰宅12時半。

5日 朝食 8時 昼食後 ZENへ、帰宅12時。

6日 学校へ、庄司さんと池内(当時慶応の大学院生)を学校とフアミリアを紹介。
   夕方までフアミリアに居てZENへ。

7日 Familiaを出てTurismo(観光旅行会社)へ。
   Quezaltenango(ケサルテナンゴ)へ12時出発。乗り換えながら到着。Q5.3=$1.97=¥256。
ケサルテナンゴ州の州都で人口約10万、周辺の山間部の村から先住民たちが集まる定期市がひらかれるので有名。
グアテマラは基本的に先住民がそれぞれの村特有の刺繍された衣服をまとっており、一目で何族出身とわかるようだ。
民族衣装で学校にも通うし、普通に町中を歩いている。
因みにニューヨーク戻り美容院である部族のシャツを着ていたら、いきなり「あなたは何ナニ族ですね?」と部族を言い当てられたのには驚いた。
Hotel CALIBEで一泊 Q3.3=$1.23=¥160 お湯シャワー付きでお湯がよく出る。
夕食チャイニーズ(BIKINI)翌朝下痢 最悪だ!!
食事に何故チャイニーズが多いかと云うと私はグアテマラ料理があまり好きではありません。
そこで必ず目につくチャイニーズが選ばれるのです。でも今はきっと観光客も多いし、いろんな種類の店があることでしょう。
8日 市内見学 昼前にTotonakapanへ出発。

途中から雨になり、何もない風なのでここでの宿泊をやめてパナハッチェル(Panajachel)へ。

Q3.9 + 50c(乗り換え) + 50c(乗り換え)。小さな車に、雨に濡れたのが押し込まれて来るので、外を歩いてるわけでもないのにびしょ濡れだ。
Hotel Forda sol del Q5.0 + 85c(tax)=$5.9=¥766
食事 チキン唐揚げ Q4.75 もう一つチキンを注文 Q2.0 ビールQ2.0 まずくて高い最悪の店だ。
チキンQ2.0=はありえない。1個約97円はぼったくりだね

9日(水曜日)
3時30分 San pedoro la laguna 行きの便がHotel Tzanjuyu近くの桟橋から出るとのこと、それまで
町をブラブラ。キタロウのヨシさんと変なチャイニーズアメリカン(?)とまた出会う。
サンペドロ 船賃Q2.0 地元民Q1.5
Htel Johanna (船着き場の真ん前) Q20=$7.4=¥967

10日 今日はSan juan la Lagunaへ行く予定だ。
   ホテルはうるさくてよく寝られなかった。仕方なく早起きしコーヒータイム。まずい!!
コーヒーの国でこれはいけません。4時半まで本を読みながらボートを待つ。
昼頃よりまた雨。 6時半着。ボートから見る村は真っ暗。停電なのだ。
暗闇の中、ホテルを探した。 Hotel Forda sol del 10時半には寝た。

11日 まだ電気が点かない。だから水も出ない。
Htel Mario’s Roomに変わる。Q3.3=$1.2=¥159
オートバイで旅行中の貴彩子さんとそこで知り合い、まさかのオートバイを借りてアティトラン周辺へ出かける。最高だ。
オートバイで旅行中なのによく貸してくれたと今でも感謝している。スズキかホンダの確か600ccだったと記憶している。
電気がまだ点かない。夜遅く写真家の武田氏と会う。

12日(土曜日)
アンティグアに帰る予定だが、11時のバスがまだ来ない。12時ごろ出たのだが村を一回りしてまた同じバス停に戻りようやく出発した。
Chimatenango 2:00 → Antegua 2:30 約1週間ぶりのアンティグア。うまい具合に空いていた、
Hotel Rejugio Q4.0=$1.49=¥193   洗濯Q4.5を頼んで5時ごろツリズモへ。

13日(日曜日)
ユキさんにTCを200ドル現金にしてもらった。
夜ZENで飲んで「泊まってけ」と云うことで3人で泊めてもらう。

14日
いつものDoña Luisaで朝食をし、出たとこでユキさんに出合いメルカドで買い物の手伝い。
TCを80ドル、ケツアルと交換。$1=Q2.7
午後、ZENで貴彩子さんと再会。 Hotelをパサフェに変わる。
後に貴彩子さんと再会した時(確か日本で)、俺が彼女のことを日本人旅行者にあれこれ言いふらしたと憤慨していたが、これは誤解であり、誰かが俺を悪者にしたのだ。俺は女性の噂話は友人にでも基本、通り一遍のことしか話さない。ましてや旅の途中で出会った人たちには決してしゃべらない。

15日 
朝はDoña Luisa 午後Jocotenangoへ、ユキさんの車で貴彩子さんと3人で行く。
早く帰ってきたので、公園を散歩。夜は勿論ZENへ。

16日
朝、ユキさん、貴彩子さんと、キャピタルへ。
昼、他の日本人たち、牧田、武田、森環、後藤、徳重洋一と飲茶 
一人Q20=$7.4=¥962
夜はZENで水炊き。牧田、貴彩子、武田  一人Q5=$1.85=¥240
12時過ぎまでどしゃぶり。キャピタルからユキさんいまだ帰らず。

17日
 アカフトラ(Acajutla)― El Salvador(エルサルバドル)へ出発。
 エルサルバドルの南西部 太平洋岸の港湾都市
  9時出発→グアテマラ市11時→アカフトラ夕方5時前着。
 5km(キロシンコ)と云うところで検問を受ける。
 当時は内戦状態で治安は決して良くなく、兵たちも荒んでいるので国境の兵たちにも気を付けるように、つまり何をされても「決して逆らうな」と経験者から注意をされていた。
 「SALVADOR」と云うオリバーストーン監督の映画を観た人なら怖さがわかります。
 マッキー(牧田さん)が兵たちに配ったタバコが効いたのか無事国境を通過した。
 ここまでQ7=$2.9=¥337 キロシンコ 70センタボス。
 グアテマラでQ60 → 120コロン
 2001年まではコロンだったが現在はアメリカドルが通貨になっている。
 夕食は魚の唐揚げ、ビール1本 12コロン(後に魚が6コロンとなった) ビールの相場が2~2.5コロン。

9月18日(金曜日)
 後藤さん、森環さんとアカフトラからエルサルバドルの市内へ。
 9時半ごろ出かけ、約4時間、1時半ごろ到着。さっそく銀行で両替。
 両替$20=109コロン(1$=5.45コロン)
 ビーチサンダル 10コロン 帰りは3時間くらいだった。
 帰りにバスが兵士に止められ、もめた挙句免許を取り上げられ運転手は怒りまくっていたが我々は無事
 経由地Sonsonate(ソンソナテ)に到着。
 そこに来ていた和田氏、外見氏と出会い、20時の最終バスでアカフトラに戻った。

19日
よく眠れない。
最初の日の部屋はガトネグロ(黒猫)と云うバーの奥の部屋、女主人の部屋を開けてもらったのだ。
後藤、武田の3人で一人8コロン。約$1.5=¥190 シャワー付き。
ここにはその店の息子と結婚した女性がいたが当の旦那はいない。
確か名前はジャネットで子供はイサベル。? 
もう一人女性がいてまだ12歳くらい?だったが客をとっていた。
当時は内戦が長引きどこの町へ行っても人々は貧しく、疲弊した状態が人々を苦しめていた。
当たり前のように乞食がいて、当たり前のようにレストランに入ってきて、我々が食べた物残りの骨をしゃぶるのだ。
かわいそうだと新しいのオーダーしたいがきりがない。
戦争は荒んだ町を人をつくってしまう。
ここで自警団と喧嘩して撃たれた日本人がいたし、盗みの犯人とされ兵隊に拷問されかけた日本人もいた。彼らはその金を自分たちの物にするためだ。
運よく現地に長いスペイン語の上手な日本人がいて助かったが、その助けた彼の名前は忘れたが拷問されかかった彼の名前はその後ニューヨークにもしばらくいて一緒によく飲んだし、日本でも一緒に飲んだので忘れません。S君はどうしてるのかなぁ。
午後、パーティのための魚を買いに魚市場と称する場所に出かけた。
近くに政府軍の基地があり、外で警備している兵士を見ていると近づいて来て、「いい銃だろう」
とMK16ようなものを見せちょうど海岸の砂浜に着いた船が何艘かいるにもかかわらず、近くの木をめがけて銃を3発ほど発射した。
そして俺にもやってみろと銃を差し出すのだからマイッタ。
しばらくして砂浜から登ってきた漁師が持ってきた物を吟味して、と言ってもほとんど何もない状態だ。
とにかくカツオを3匹買った。 5コロン=約120円
夜魚パーティ。その後マルタと飲む。

20日(日曜日)
何もしないでただただ呑んで寝る。
キャッシュ10ドルを後藤さんに両替してもらう。

21日
 7時半ごろ起床し、8時過ぎに見送りのゴっちゃんこと後藤さんとメルカード(市場)のバス停へ向かったら吉田吉蔵がと歩いていたので「えっ!?」と二人で顔を見合わせて笑ってしまった。
彼も遅くまで飲んでいたのに、またすることもないのにこんな時間に起きて散歩?散策?
朝のオレンジジュース 飲み、9時前のバスでグアテマラ戻った。
まず、メキシコ行きのバス(エルコンドル社)に乗りグアテマラの途中まで 150コロン=3600円
乗り換えて市内へ 1Q 市内バス(10C)でホテルは以前泊まったトランキリダッド。
今回は17円ほど安くてQ5.3 =$1.97=¥256
シャワーを浴びて旅行社へ行く。コスタリカへのチケット予約だ。
両替$10 $1=Q2.69

22日
チケットを取りに再び旅行社行ったが出来てなく午後再度トライ。
あまり感じのいい旅行社ではなかったがホテルから近いのでそこにしたが、何だか差別的な感じを受けた。
不愉快!!  飛行機料金 Q238=$88=¥11.502
明日の午後にはコスタリカだ。

9月23日(水曜日)13時発で14時:15分着 予定通りだ。



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