O'kashira

うだうだ

HALL AND OATES

2011-03-03 21:33:19 | 横浜の空の下
 ひょんなことからコンサートへ行くことになった。それも往年の人気デュオ、ホールアンドオーツのだ。そういえば、むかしカーステレオでよく聞いていたし、レコードケースを調べたらライナーノーツもない古くさい(実際に古い匂いがした)レコードが出てきた。
 しかしこれは見本盤とあり、僕の意思で買ったものではない。きっと雑誌の仕事をしていた頃、用済みになったものをもらってきたのだろう。
 何年ぶりかで来日したDARYL HALL and JOHN OATESコンサートの楽屋へ来いと、ジョンからの伝言があった。と言っても、僕に直接連絡が来た訳ではなく、友人に連絡が来て僕はそのおともだ。
 会場入り口は入場を待つ人であふれかえっていた。


 関係者受付で専用パスと、招待券をもらい脇の鉄扉から入るのだが、扉ごとに番兵がいてなかなかスムースには入れない。いちいち事情を説明し、本部へ問い合わせようやく扉が開く。これを何度か繰り返しようやく楽屋入り口へ。最後の番兵はこのステッカーではこれ以上は入ってはならぬとストップ。
 ここは楽屋入り口だが、スタッフのケータリングサービスのコーナーにもなっていていい香りがする。日本のコンサートはスタート時間が早く、夕食をすませてくるわけにはいかず、ここでのおいしそうな香りは胃に毒だった。
 ようやくジョンに連絡がつき彼が出てきた。僕はここへくるまで、ジョンに会ったら "僕のむかしの友人に大津譲二君というのがいたけど、君じゃないよね" と言おうと思っていた。しかし友人とジョンが話しはじめ僕が入り込む隙間はなかった。
 僕は握手をし、「僕はテレマーカーだ」とすっとんきょうな自己紹介をした。
 

(僕とジョンの個人情報の保護ならびに僕のちょっと恥ずかしさ保護のため写真サイズを小さくしています。)
 そう、実はジョンはアスペンに住むテレマークスキーヤーでもある。20年ほど前、共通の友人が日本に来たときからジョンの話しは聞いていた。その後ジョンが日本でコンサートをする合間に、室内スキー場へ行きたがっているので連れてってやってと言われたことがあったが行けず終いだった。
 バブルまっただ中でできたあのザウスだ。真夏でも冬の環境で500メーター滑れるという何とも珍奇な施設だった。今はなくなり、跡地にIKEYAができている。
 コンサートは始まった。まだ音も出ていないうちから観客は立ち上がった。僕の席は調整卓の後ろのかなりいい席だった。しかしすぐ前の外国人が立ち上がり僕の視界はぐっと狭くなった。まさか、まだ音が出ていないうちから立ち上がるほど僕は若くない。人と人の隙間からホールとオーツを見ることになった。
 実物は見えない、音は割れ気味でやかましい、何のためにここに座っているのか、もはや苦痛でしかなくなってきた。
 30年くらい前、同じような経験をしたことを思い出した。音楽の種類によるのだろうが、立って手を叩いて聴く気にはならなかった。ロックが嫌いなのだ、きっと。
 それ以来、このようなコンサート会場には来たことがなかった。音楽はしょっちゅう聴きに行くもののクラシックか、ブラジル音楽だけ。変な取り合わせだな。ブラジル音楽は楽器を持つか踊るか歌うかの大騒ぎなのだが、この会場のスタンディングとは大いに違う。
http://www.youtube.com/watch?v=rYf93Zil6UA
 
 この手のコンサートは、今回これで最後にしようと思いつつガード下の縄のれんをくぐった。



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