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「(~する)べき」の意味、重さ

2024-09-20 08:37:59 | 日記
最近は「べき」、「べき」言っとりますなぁ。軽~い。

そら気安い仲で「~した方が良いよ」の意味を強調する意図で「~するべきだよ」とか言わんでもないけど、フォーマル寄りの場での一般論では「~するべき」って結構重くて「~せねばならない、絶対」に近いわけである。

もちろん文脈(勧誘や推薦など)によっては、これも「~した方が良い」くらいになることもあるけれど、前提・前説無しに「~をす『べき』ですか?」とか突然質問するからなぁ・・・

例えばいきなり「健康になりたいなら痩せるべきですか?」みたいな。そんなの、肥満で糖尿病待ったなしみたいな人だったらそうだろうけど、栄養失調でガリガリの人にはそうじゃないわけだから、一般論的には「した方が良い」にさえならないわけである。

もしくは「これからは日本人も英語を話せるようになるべきですか?」とか。一般論としては「これからは日本人も英語を話せるようになった方が良いだろう」くらいなもんで、「話せるべき」とまでは言えないだろう。

やたら「べき」、「べき」言うので考えたのだが、多分こういった例のような「べき」を使っている人は、「べき」を常に「した方が良い」くらいに解釈しているのではなかろうか?

まあTVショッピング番組で「今ならお買い得ですから、絶対買う『べき』ですよ」とか、さんざんやられてた人たちだとそうなっちまうのだろうか。

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