或る双子座の日々

這是一個雙子座的生活日記。
つれづれなるままに

比べられるって嫌なもの

2014年11月06日 | ♪つれづれ
よくよその子と比べてものをいっちゃいけないとはいわれるけれど
なかなか言わずにおけているかは不安の残る母の一人だと自認して
おりますとも。

しかし、こどもからよその母親と比べられるというのも、なんとも言えず
辛くなるもの。

今日は帰宅して開口一番、「ホニャララちゃんのお母さんはバナナ
ケーキを焼いたんだって」ときた。「ふーん、ママだって作ったことある
よ」といってみたものの我が子は苦し紛れの強がりだと思ってる風だった。

「じゃあ焼いてよ、ホットケーキすら作ってくれないお母さんじゃんか」
だって。週末の朝、気が向くとホットケーキを焼いてくれるのが夫の
愛情表現で新婚時代はよくあったけど、いまはもっぱら我が子にのみ
焼きたくなるらしい。夫のレパートリーを邪魔したくないし、あえて
私はしゃしゃり出ないようにしてきたのに。

それにね、一度、お宅で遊ばせてもらった我が子に焼きたての紅茶のはいった
ケーキを持たせてくれことがあって覚えてるけど、それはハンガリー時代、
クッキングの苦手な私も作れて、持ち寄りパーティーのあるとき必ず焼いた
ケーキ。装飾もなくてパンに近い、ふくらし粉があればできて型に流し込んで
オーブンで焼くシンプルなもの。アメリカ駐在妻だったあのママさんならサクッと
作って持ち帰らせたのも、わかる気がしたものだけど。

我が家は現在、オーブンと電子レンジが共用でとても小さい。
一旦オーブンとして使用するとレンジ使用したくても余熱が逃げるまで
ちょっとためらう単純な作り。。。

あのケーキを見ると料理上手な駐在妻さんたちの持ち寄る素晴らしい料理
の数々を思い出してしまい、胸がキューッとなる。
結婚して数年の未熟な自分にはできなかった数々のメニューに萎縮して、
あの単純なケーキの焼きあがりを待ちながら「またこれ?」と思われないか
恐れつつ、バナナ、ママレードジャム、コーヒー、チョコ、くるみやレーズン
など混ぜるものを毎回変えて、なんとか誰にも見咎められずにしのいだあの頃。

胃痛がして情緒不安定になり、泣いたこともあった。そのうち、ハンガリー語
教室へ通うことで同じ外国人の立場でコミュニケーションできるうえに、
困りごとはハンガリー語の先生に聞けば親身に教えてくれたし、ちょっとした
生活のなかのつまずきもお互いに英語が通じる店や修理工情報などを寄せあえて
つきものが落ちるように参加をやめた日本女性の集まりだった。

私は、少人数の気の合う人がいれば、たくさんの知り合いは要らなかった。
お高く止まっていたのじゃなくて、ただ逃げ出したくなってたのだと思う。


さて、、、
いまこどもが遊びに出たので数時間後に帰るまでにホットケーキミックスを
使って電子レンジで蒸しパンを作っておいて喜ばせるとしよう!
人の気も知らないで、と思うけど、子供の気も知らなかった私なのだと急に
気づかされた今日この頃。

食の好み

2014年09月15日 | ♪つれづれ
近頃、一日の中でも、前日と比べても、気温の上がり下がりがあって、自律神経が
バランスを崩しているようで疲れやすく、すぐにお腹を壊してしまう。

年々、辛さにも弱くなって、七味いっぱいかけたうどんが大好物だったのが嘘のよう。
キムチも食べなくなったし、生の魚も好きじゃなくなり、昨日、子供にせがまれて
久しぶりに出かけた回るおすし屋さんでも、幾つかお寿司の皿は食べたものの、
ツナロール、たこ焼き、茶碗蒸し、ストロベリーアイスとめちゃくちゃなもで
お茶を濁してしまった。

最近気づいた厳しくなったものは、にんにく。
イタリアンに出かけても日本ならではのメニュー、タラコスパゲッティやおろし
ポン酢が味付けの和風スパゲティばかり食べてきて、「たまには」とシンプルな
ペペロンチーノを食べてみようと頼んだらニンニクと油の強さに「もう無理だった」
と反省。そんなに辛くななかったけれど刻んだニンニクの方が舌にビリビリと刺激
があって帰宅しても胃もたれが長く続いた。少し前に緑色のパスタは久しく頼んで
無いから、と食べたジェノベーゼも全く同じ症状が出たことを思い出し、ニンニク
ダメになったと自覚。

昨夜、ピリ辛ポテトチップスが美味しそうだったのでオットの横から手を出して
つまんだら、ポテトチップスが久しぶりで美味しく、かなりの量を食べてしまい、
そのあと口中に違和感が長く残って、なんでだろうと思ったらニンニク味のせい
だった。

それでも、好きなものは歯止めが効かなくて、偏食も激しい。もっと体に優しい
食生活と運動が必要と思いつつダラダラと太る30代最後の秋、、、


無事に旧交復活

2014年08月15日 | ♪つれづれ
昼過ぎにメール着信。
私の手紙が届いたそう。
早速、書き送ったメールアドレスにメッセージをくれたと。

また、私の書いた手紙に触れて、自分も手紙で近況を話したくなったからちょっと
待ってて欲しいと書いてきてくれて、ムフフ、と嬉しくなってしまった。


見つけた

2014年08月14日 | ♪つれづれ
昨日、あれから探しまくって古い手帳のアドレス欄にメモ書き発見!
それから、夜までに近況をまとめた手紙をしたためて、切手を貼り、
今朝には家族に投函をお願いしたので、今週中にはおたより着くはず。
良かった


今回、思ったのは、深追いしてはご迷惑かと思ってきた友人知人との
関係について。

古い手帳のアドレス欄を見て、顔も思い出せない方もあれば、懐かしくて、
サプライズで手紙出しちゃう?と思いつく方もあって。でも、メール全盛の
いまどき、相手のメールアドレスを知らない時点で既に互いにとって、
「今は昔」のひとで、追いかけられたくないかもしれない、と思うと
お互いの引きがあって年賀状を頂戴している方以外に一歩踏み出して
良いやらと消極的になってしまってきたのだけど。

結婚して早10うん年が過ぎ、奥さんとして生き、ママさんとして生き、
どんどん名前で呼び止められることも無くなり、「私の友人」と心楽しく
交流する機会も減り、生活の中でパートナーから認められることで友達を
なくしても得られた肯定感も、食事も掃除もアイロンも当たり前になるに
つれ、口に出してまで礼を言われるわけもなく、「透明」な私を感じて
すごして久しい。

結果、自分を主張するようなことも面倒になり、いろんなことへの
欲が減って、買い物も着飾るのもどうでもよくなって、部屋にこもって
好きな番組を見ることでギューッと心の目をつぶってきたのかな。

春に保護者会活動を離れてからようやく、気も軽くなり、美容室で
リラックスして、久しぶりに「実は、こういう髪形をしてみたかったの」
といえるようになり、少しずつ、自分が自分でいるために「こういう服を
着たい」と思えば買い、続いて、バッグや靴を買い、ひからびた自分に
少しずつウキウキを取り戻すような感覚を味わってはきてたけど。

ふむふむ、わたしはこうやって「我」を失ってきたのかという。
古い友達と思いがけず再会したことで、子育て一段落の再就職を願いながらも
どこか自分で自分が分からないような、積極的になれない心もとなさがあった
のがなぜだったか急に思い至ってしまった。

ここからどうやってヨイショと立ち上がり歩き出せるか、自分で自分をささえて
いかなきゃな~

それはそうと、夏休みママは内省にふけっている場合じゃなかった。
食事の支度しなきゃ。おなかすいただろうな、退屈した子どもの顔を見つめて
やらなくちゃ。

ではでは




失敗した

2014年08月13日 | ♪つれづれ
先週土曜、近所のスーパーのカフェテリアへ入ってすぐ、ササッと女性が近づいてきて
○○ちゃん久しぶり~と声をかけてくれて。

覚えてる?と聞かれて名前はすぐに出なかったけれど抜けるような白い肌と明るい髪色が
若い時と同じで、しかも美人だったこともあって、自分が結婚前にいた職場の正社員さん
だったことも、退職した後も文通があったこと、ほどなく彼女も結婚したこと、
新築マンションに入居した時のお便りが思い出せて、ひとしきり立ち話。

いつ帰国したの?住まいに変わりはないの?お子さんは?はたらいてる?といった具合。
文通してた時の住所にお互いに引っ越してないことがわかったので手紙だすよ~と言って、
そのあと気まずそうに「やっぱり(その頃の)探せないかも」という彼女に「あたしある、
大丈夫❤️」とメアド交換もせず自信満々で別れた私。。。

帰りにレターセットを買い、手紙を書く前にと探し始めるも、、、ハンガリー滞在以前に
親交のあった友人の手紙、、、どこに置いたかさっぱり見つからず。
帰国後もやりとりあるひとの住所はすぐあるけど、うーん

豪語したのに手紙を出さないとは何か意味があるのかと誤解されそうで遣る瀬無い。
彼女は悲しいだろうな、ううう失敗した。
探さなければ💦