私自身も
先生と絵本『極楽』をともに書かせて頂き、本当に有難い御縁を頂戴しました。
私は高校3年の冬、シュタイナーと出会って以来
大学時代を通じてずっと独学でシュタイナーを勉強しておりました。
自分のなかで今まで感じていたこと、
大事だと思うのに誰も言わなかったようなこと。
それらが
すべてシュタイナーの著作の中にある!
そんな想いで、
貪るように翻訳された書籍を読み漁っておりました。
ところが
あるところを境に、
さっぱりシュタイナーがわからなくなってしまったのです。
ここまではよくわかる。
でも、
ここから先はわからない…。
そんな時
本当に“若気の至り”というのでしょうね。
翻訳者である西川隆範先生に、お手紙を書いたのです。
そうしたところ
先生は快く、京都でおこなわれていた先生の講演会にお誘いくださったのです。
そういった経緯で先生とのご縁を戴いたのでした。
それから数年間、
半年に一度くらいのペースで京都の勉強会に参加させていただきました。
その間に
私は浄土宗の僧侶として出家する縁も戴き、
私が僧侶となったことを、同じく僧籍をお持ちの西川先生は喜んでくださりました。
やがて私は京都を離れ
愛知の寺に入り、8年間ほどは先生とあまりやりとりをしない状態でした。
(勉強会に1,2回出て、年賀状などを時々やりとりする程度でした。)
ところがその後、
私は鎌倉へと引っ越しました。
先生が関東に在住と知っておりましたので、
「私も関東に来ましたので、またどうぞよろしくお願いいたします」
というお手紙を差し上げたところ、
「極楽のいい絵は知りませんか?知り合いの出版社が、極楽の絵本を出したがっているのです」
というお返事を戴き、
そこから
私が以前にお世話になった京都と愛知のお寺の絵を紹介して、件の絵本『極楽』は誕生したのです。
絵本が完成してからも、先生は
「この絵本を読んだ子供たちのなかで、この本が原因で一人の自殺者もでませんように」
と、
当時
私がおりました鎌倉・長谷寺の
大きな観音様の前でご祈願してくださりました。
先生と絵本『極楽』をともに書かせて頂き、本当に有難い御縁を頂戴しました。
私は高校3年の冬、シュタイナーと出会って以来
大学時代を通じてずっと独学でシュタイナーを勉強しておりました。
自分のなかで今まで感じていたこと、
大事だと思うのに誰も言わなかったようなこと。
それらが
すべてシュタイナーの著作の中にある!
そんな想いで、
貪るように翻訳された書籍を読み漁っておりました。
ところが
あるところを境に、
さっぱりシュタイナーがわからなくなってしまったのです。
ここまではよくわかる。
でも、
ここから先はわからない…。
そんな時
本当に“若気の至り”というのでしょうね。
翻訳者である西川隆範先生に、お手紙を書いたのです。
そうしたところ
先生は快く、京都でおこなわれていた先生の講演会にお誘いくださったのです。
そういった経緯で先生とのご縁を戴いたのでした。
それから数年間、
半年に一度くらいのペースで京都の勉強会に参加させていただきました。
その間に
私は浄土宗の僧侶として出家する縁も戴き、
私が僧侶となったことを、同じく僧籍をお持ちの西川先生は喜んでくださりました。
やがて私は京都を離れ
愛知の寺に入り、8年間ほどは先生とあまりやりとりをしない状態でした。
(勉強会に1,2回出て、年賀状などを時々やりとりする程度でした。)
ところがその後、
私は鎌倉へと引っ越しました。
先生が関東に在住と知っておりましたので、
「私も関東に来ましたので、またどうぞよろしくお願いいたします」
というお手紙を差し上げたところ、
「極楽のいい絵は知りませんか?知り合いの出版社が、極楽の絵本を出したがっているのです」
というお返事を戴き、
そこから
私が以前にお世話になった京都と愛知のお寺の絵を紹介して、件の絵本『極楽』は誕生したのです。
絵本が完成してからも、先生は
「この絵本を読んだ子供たちのなかで、この本が原因で一人の自殺者もでませんように」
と、
当時
私がおりました鎌倉・長谷寺の
大きな観音様の前でご祈願してくださりました。
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