[対人の災い]
〔5.怨賊難〕
あるいは〈刀を握り締めて危害を加えようとしている怨敵〉にぐるりと取り囲まれても
その人が〈観世音菩薩〉の名を呼び、その“不可思議な大いなる力”を念ずるならば、
すぐに〈取り囲んだ人々の心〉に〈慈悲心〉が湧き起こるでしょう
(このように“世間の苦しみの声”に常に耳を傾け、“救いの手”を差し伸べるゆえに、この菩薩を「観世音“世間の音を観察する者”」と呼ぶのです)
〔6.刀杖枷鎖難〕
あるいは〈王の裁きによって極刑を言い渡される苦しみ〉を受けたとして
まさに今、命を落とされるその時になって
その人が〈観世音菩薩〉の名を呼び、その“不可思議な大いなる力”を念ずるならば、
処刑の刃(やいば)は間もなく粉々に壊れてゆくでしょう
(このように“世間の苦しみの声”に常に耳を傾け、“救いの手”を差し伸べるゆえに、この菩薩を「観世音“世間の音を観察する者”」と呼ぶのです)
〔7.枷鎖難〕
あるいは“首かせや鎖”で繋がれて〈牢屋〉へと閉じ込められ
さらには“手かせや足かせ”をされたとしても
その人が〈観世音菩薩〉の名を呼び、その“不可思議な大いなる力”を念ずるならば、
やがて疑いも晴れて解放されることでしょう
(このように“世間の苦しみの声”に常に耳を傾け、“救いの手”を差し伸べるゆえに、この菩薩を「観世音“世間の音を観察する者”」と呼ぶのです)
〔5.怨賊難〕
あるいは〈刀を握り締めて危害を加えようとしている怨敵〉にぐるりと取り囲まれても
その人が〈観世音菩薩〉の名を呼び、その“不可思議な大いなる力”を念ずるならば、
すぐに〈取り囲んだ人々の心〉に〈慈悲心〉が湧き起こるでしょう
(このように“世間の苦しみの声”に常に耳を傾け、“救いの手”を差し伸べるゆえに、この菩薩を「観世音“世間の音を観察する者”」と呼ぶのです)
〔6.刀杖枷鎖難〕
あるいは〈王の裁きによって極刑を言い渡される苦しみ〉を受けたとして
まさに今、命を落とされるその時になって
その人が〈観世音菩薩〉の名を呼び、その“不可思議な大いなる力”を念ずるならば、
処刑の刃(やいば)は間もなく粉々に壊れてゆくでしょう
(このように“世間の苦しみの声”に常に耳を傾け、“救いの手”を差し伸べるゆえに、この菩薩を「観世音“世間の音を観察する者”」と呼ぶのです)
〔7.枷鎖難〕
あるいは“首かせや鎖”で繋がれて〈牢屋〉へと閉じ込められ
さらには“手かせや足かせ”をされたとしても
その人が〈観世音菩薩〉の名を呼び、その“不可思議な大いなる力”を念ずるならば、
やがて疑いも晴れて解放されることでしょう
(このように“世間の苦しみの声”に常に耳を傾け、“救いの手”を差し伸べるゆえに、この菩薩を「観世音“世間の音を観察する者”」と呼ぶのです)
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