長男とはスカイプを通し、よく話をしている。
パソコンのまわりには長男が可愛がっているネコたちがいつも寝そべっているが、
どんなに長男が呼びかけても、反応はほとんどない。
『声も忘れちゃったのかな~?
においがしないとダメなのかな~?』
世界がどんなにインターネットなどでつながって便利になっても
そばにいないとうまくいかないコミュニケーションもあるってことかな。
そんな長男が来週、帰国する。
昨年の8月に上海に行ってから、11ヶ月目である。
実は6月第3週に授業は終わってしまったが、その後、大学の友人や
知人が上海に来る、ということで、まだ滞在したままだ。
現在は主人の両親が3泊4日の予定で、上海旅行中である。
(主人の父は90歳、母は85歳である、、、すごい!)
長男の寮の部屋
『そろそろ帰国だけど、中国ってどうだった?』
と聞いてみると
『ビミョ~。面白いところもあるけど、そうじゃないところもある。
今は早く帰国したいという気持ちでいっぱい。』
と言っている。
帰国したら、早速アルバイトを始めるそうだ。
そして、『就活』
大学生の夏は忙しい。
とうとう、父が我が家に引っ越して来ました。
静かでおとなしい父ですが、
自分の荷物が10分の1ぐらいになってしまったのが寂しいようです。
どうにか部屋に荷物を入れましたが、まだまだごちゃごちゃ。
7月にはおじいちゃん思いの長男も上海から帰国する予定です。
これからはどんな感じになっていくのかな?
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今朝はちょっとだけ寝坊しました。
気がつくと、次男からの不在着信が携帯に入っていました。
電話をかけてみると、『今から行くから。経音部の友だちも一緒。ギターとキーボードをとりにいく。』
『お昼、二人分頼む。』とのことでした。
次男のアパートは大学の裏側。すでに軽音楽部の新入生たちのたまり場になっているようです。
そこで、知り合った高知県出身のAくん、茨城出身のBくん、静岡のCさんたちとバンドを組んだそうです。
次男のバンドは5人。全員が大学そばにアパートを借りて住んでいますが、
大学から実家まで1時間、というのは次男だけです。
Aくんと次男は、嵐のようにやって来て、電話をもらってから急いで作った
オムライス(大盛り)とスープ、サラダ、を食べ、お弁当に作ってあげたサンドイッチを持ち、
夫の今は使っていないキーボードとギター、ベースギターを抱え、1時間ほど家にいて、
また横須賀へ戻って行きました。
(夫からはすでに楽器を借りる約束ができていたようです)
次男を家から出して、独り住まいさせることに、私は最初反対でした。
もちろん経済的なこともあります。
なにしろ、大学まで電車で1本。乗り換えなしで40分もあればつく場所です。
家から通ってもらった方がどれぐらい助かるか、、、。
それに、何となく寂しい、、、。
でも、
『このままだと、あいつは甘えてばかりでダメになってしまう。
外に出した方がいい。』
という一貫した夫の主張に従いました。
今日、戻って来た次男は前回と違って、本当に活き活きとしていました。
Aくんが
「高知から出てきて、本当に寂しかったですよ。
でも、今は毎日が楽しくて。◎△くん(次男のこと)とはすっかり意気投合しちゃいました。」
と話していました。
次男もちょっとずつ変わっています。
なにしろ、家で食べる食事に対して感想を言うようになりました。
「あ~、うまい。」
以前は、作ってもらって当たり前、嫌いなものは食べない、、、。という感じでしたが、
「ひとりでご飯作るのが大変。」
「ここ1週間、パスタばかり作っていた。もう食べたくない。」
長男も現在は上海で一人暮らし中。
我が家はちょっとした自立ブームです。
とはいうものの全員がスカイプを使って、2、3日に1回は顔を見て話しています。
安心しますよね。顔を見ると、、、。
離れていても、どこかでつながっている、っていうことが大切なんだな~、って
わかったような気がします。
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ちょっと寂しいんだ。
いきなり夕方家に帰って来た次男。
一人暮らしを始めて一週間目です。
思いっきり夕飯を食べて、
貴重品の納豆と次の日のお弁当用のおにぎり、ひじきとタケノコの煮物、
パンを持ち、牛乳をがぶがぶ飲んで、夜10時ごろ帰っていきました。
帰るとき、『ちょっと寂しいでしょ。』と次男が私に言いました。
確かに。
でも、もっと寂しいのは次男のようです。
次男が携帯電話を買い替えたとき、
担当の若いスタッフが「一人暮らしすると、いろいろわかるよ。」と言ってくれました。
いろいろわかって、先に進んでくれるといいな、と思います。
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家に人が少なくなって、ペットのネコたちも「さびしい、、、。」
夜帰ってくると、すごくべたべたしています。
今日は次男の誕生日会でした。
高校を卒業しても家族との『誕生会』というのはちょっとおかしいかもしれませんが、
誕生日に一緒に夕食(ステーキ)を食べる、というのは我が家の恒例です。
最寄り駅近くのオージービーフを食べさせるレストラン。
誕生日の人にはステーキセットとアイスクリームケーキ、記念写真のプレゼントがあります。
あ、それからスタッフから『ハッピーバースデー』の歌も。
小さい時はプレゼントが楽しみだったのに、
今はスタッフからの『歌』のプレゼントは穏やかに『拒否』。
来年は一緒に来られるのかな?
チョコレートアイスクリームケーキについた細いキャンドルの炎を
次男が「ふっ」と
息をかけて、消しました。
次男が家を離れる日が近づいています。
今日はいっしょに買い物に行き、ドライヤーや衣類を揃えました。
実は次男は自宅から1時間ほど離れた大学に入学します。
もちろん十分通学できる距離なのですが、
夫の方針により、一人暮らしをすることになりました。
アパートは大学の裏で、徒歩2分の距離。
勉強するにはいい環境ですが、計画停電が実施されている地域です。
そんなことも感じてか、ちょっと元気がないかな~、、、。
実はいろいろ口では言っていても、本人も含めて家族みんながちょっと寂しい気持ちです。
次男の入学する大学の入学式は取りやめになりました。
いきなりオリエンテーションから。
どんな学生生活になるのでしょうか?
とにかく、見守りたいと思います。
写真は次男のネコ。ロッシー。とにかくどんな愛され方をしても次男が一番好きなのです。
父はすごい。
82歳のときから、パソコン教室に行って、現在は2年目。
上海にいる長男とスカイプを使って話すことができる。
(スカイプ習得には半年かかったけれど、どうしても長男と話したかったようだ)
メールOK!
年賀状作り、カレンダー作りもパソコンを使ってできる。
そして、最近とうとうインターネットを通してのショッピングを覚えた。
今日、通院に付き添ったが、着ていたコートは自分でネットを通じ
注文したものである。
格安で買えた、と本人は非常に満足している。
父は我が家から2分のところにひとりで住んでいる。
妹たちも父の家から5分のところに今月末に引っ越してくる。
これで、私の実家、主人の実家のメンバーが半径2キロ以内にみんな住むことになった。
(例外:長男の上海 次男の4月からの横浜)
父には、年齢も年齢だからと、何度も同居を誘ったが、まだ、ひとりでいたいと、
いい返事を返してくれない。
私は自分が30歳のとき、20年後の50歳を想像できなかった。
50を過ぎた今、父と同じ80歳になった時のことなど、まったく予想できないし、
その時代の先端技術には絶対ついていけないんだろうな~と、思う。
父は病気の影響でやせてしまい、以前に比べひとまわり小さくなった感じだ。
長い距離は歩くことができない。
でも、けっこういけてるおしゃれなおじいさんである。
私は80歳のときいけてるおしゃれなおばあさんになれるだろうか、、、。
まず、むずかしそうである。
日本は
伝える努力やスキルがなくても、お互いに相手の意図を察しあうことで、
何となく通じてしまう、という国です。
言語・共通の知識・体験・価値観等を共有している、ということでしょうね。
これに対して、ことばを媒介としてコミュニケーションをとっている
国もあります。
例えば、他民族国家あくまで言語によりコミュニケーションを図ろうとします。
なぜなら、ひとりひとりの考え方、価値観、教育、母語、そして宗教などが違います。
全く違った人たちが一緒に暮らしているのですから
ことばによって説明することが基本なのです。
長男はもともとちょっと内向的。
上海に留学中ですが、白黒はっきりつける
中国語のストレートな表現についていけるかな~、と心配していました。
留学中の彼の不満は、中国語会話のA先生が授業を英語で進めること。
確かに欧米人がクラスの3分の2を占めているので、
時には英語での説明が必要とはわかるというのですが、、、
何回か先生に直接、できるだけ中国語で説明してほしいと申し入れたそうですが、
全く授業は変わる様子なし。
昨年の12月、上海を訪ねた時、私と夫も息子の学校にも行き、実際にこのA先生と
ちょっとだけ会って、挨拶をしました。
私:「最近の息子はどうでしょうか?」
先生:「◎◎くんは、授業中よく寝ています。」
私:「えっ!?」
ストレートな表現ですよね~。
でも、中国では先生は若くても歳をとっていてもとても権威があるのです。
だから親を呼び出して、いろいろな厳しい要求をすることができます。
ところが、
それを聞いていた息子がすぐに
「あなたが英語で説明するから、ぼくは寝ているんです。」
とA先生に返しました。
ひえ~!
ちょっと驚きです。
息子はもともと人に対して、直接自分の意見をはっきり言うような感じでは
なかったからです。
A先生は
「そうでしたね、◎◎くんは英語の説明が嫌いでしたね。」と言いました。
(とはいうものの、その後も英語の説明が続いているそうですが、、、)
中国は日本と違って、ことばではっきりと自分の意見を言うことが必要なのです。
そうじゃないと、生活していけないようなところがあります。
また、直接的に言ったとしても、その要求が通るとは限りません。
だから私は息子のことばを聞いて
「お、けっこうやるじゃん!」と思いました。
日本では考えられないのですが、、、
変な話、その成長(?)を嬉しく思いました。
母を見舞いにいきました。
母は郊外の特別養護老人ホームにいます。
3年ほど前にこのホームが開所したとき、
300人待ちだったところを呼吸器系の病気があるため
奇跡的に240番繰り上がり、入所できたのです。
武蔵野のトトロの雑木林が広がる場所です。
母と話していると、昔の頃、私がまだ3、4歳だったころのことを
よく覚えています。
家庭菜園でえんどうマメを作っていたこと、
庭の小鳥小屋に蛇が入ってきたこと、
隣のきみえちゃんが20歳で結婚して、40歳でおばあちゃんになったこと、
幼なじみのたかしちゃんのこと。
みんなみんな懐かしい思い出です。
写真は母の部屋から見た雑木林。
母の周りでは穏やかに、緩やかに時間が過ぎています。
父は一人暮らしをしています。
元コックですから、83歳の今も料理を自分で作ります。
元気です。
パソコン教室にも毎週1回通っていて、メールもショッピングも
インターネットを使ってしています。
我が家から150mほど向こうに住んでいますが
そろそろもっと近くに住んだ方がいいのでは、、、ということで
同じマンション内に空き家が出たので、今日見に行ってきました。
至近です。
30秒の距離です。
でも家賃の方が、、、少々予算を上回っています。
実は今日見に行った部屋は、現在住んでいる我が家よりもっと広い間取りなのです。
マンションは古いのですが、とにかく新幹線の駅まで徒歩10分。
郵便局まで1分。商店街は目の前で、本当に便利な場所です。
『人気があるんですよね、この辺は、、、。すぐに借り手がみつかっちゃうと思いますよ。』
とは、不動産屋さん。
そうなんだ~、、、。
妹の子どもも4月からは通学のために我が家に同居。
7月末には長男も留学から帰国。
いきなり大家族になりそうです。
それはいいのですが、住む場所の確保がまずは第1ですよね。
写真は我が家の裏側の方、、、船宿通り
長男の大学の先生から連絡が来ました。
「朗報です。◎◎くんが国からの奨学金を受けられることになりました。」
長男は中国上海の大学に1年の予定で交換留学中。
最近は生活費節約のため、1日60元(700円)で暮らしていたそうです。
(それで暮らせてしまうのが中国です)
寮費は大学でティーチングアシスタントをさせてもらっている関係で無料。
(ラッキーです!)
長男の成績がすごくよい、というわけでもありません。
超低空飛行部隊(すれすれグループ)の一員です。
今回は「あの成績で」奨学金まで取れたということに、親もびっくり。
どこまでも悪運の強い男です。
(これは大学の先生と教務課のスタッフの方の尽力なしには
実現しなかったことですが、、、)
あ~、でも長男の奨学金が確定して、一番喜んでいるのは私と夫かもしれません。
これで、留学にかかる経費をかなり節約できたんですから。
長男は中学校時代、不登校でした。
まさか、あれから5年が過ぎて、長男が交換留学で中国にいるなんて、奇跡のようです。
苦しかった時期があるからこそ、今がもっとうれしく思えます。
人生、いいこともあるものですね。
写真は上海に行く前に長男が書いた絵馬。
「楽しく過ごせるように」とは書いてありますが、勉強については
何も記載なし。