2010年10月末の国内の完全失業率は5.1%
(2010年総務省「労働力調査」)となり、
正社員の有効求人倍率も0.35%という厳しい雇用状況が続いています。
その反面、日本に居住し、日本国内で就職する外国人は年々
増加しています。
厚生労働省の発表によると、2008年10月末の外国人労働者数は
486,839人で
このうち専門的・技術的分野の在留資格84,878人です。
今年は私たちの学校の卒業生数名もこの数にプラスされるのだとは
思うのですが。
もっともっとたくさんの外国人が日本で働いて、チャンスを広げ、
キャリアを積み重ねていってほしいな~、と願っています。
ところで今から150年ほど前、明治政府は日本の近代化(文明開化)を
図るため、多くの欧米人の専門家を日本に招き、
その技術や学問を積極的に学びました。
なんと、1898年までに、イギリスから鉄道開発、電信、公共土木事業、
建築、海軍制、などの専門家、6177人、
アメリカから外交、学校制度、近代農事事業・牧畜、北海道開拓などの
専門家、2764人、フランスから陸軍制や法律家、619人、
イタリアからは主に絵画や彫刻といった芸術45人、合計で1万人以上の
外国人専門家が日本を訪れているのです。
彼らは当時「御雇い外国人」と呼ばれていました。
また、多くのキリスト教の宣教師もキリスト教の解禁とともに
日本にやってました。
その中でも有名なのは、アメリカ人の宣教師で医師、ヘボン式ローマ字を
考えたヘボン(=ヘプバーンとも発音)。
彼は日本語を熱心に勉強し、英和辞典を編纂や聖書の和訳にも尽力しました。
ミッションスクールである明治学院大学(ヘボン塾)を創設し、
ヘボンはその妻とともに33年間も日本のために貢献したのです。
ヘボンの弟子には(坂ノ上の雲にも登場した)高橋是清や島崎藤村がいます。
また、『青年よ大志を抱け』ということばで有名なウイリアム・S・クラーク、
例のクラーク博士ですが、札幌農学校(北海道大学の前身)で
教頭を務めました。
博士は日本に9ヶ月しかいなかったようですが、彼のキリスト教に基づく
教育は農学校で学んだ内村鑑三や新渡戸稲造に大きな影響を与えたそうです。
ただし、クラーク博士は帰国後、会社経営などに失敗、詐欺罪で訴えられた
こともあり、評判はあまり良くなかったようです。
御雇い外国人の給料に引かれた、という人までいるようですから、、、。
ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)は日本人の誰もが知っていますよね。
御雇い外国人の代表格でもあります。
彼はもともとアイルランド人とギリシア人の両親を持ち、アイルランド、フランス、
イギリスで学びアメリカの新聞社に勤めていた、というこの時代の国際人で、
日本人と結婚し、日本で亡くなりました。
最初は島根県の松江市で英語の教師をしていたのですが、
東京に出てきて早稲田や東大で英文学を教えていました。
実は私が以前に勤めていた学校は東京新宿区の新大久保にありましたが、
散歩をしている時に彼を記念する小さな公園を見つけました。
ハーンは家族と一緒に西大久保に住んでいたようです。
さて、御雇い外国人たちは、私の元の学生(留学生や卒業して日本で生活する外国人)とは
異なり、すごい高給取りでした。
遥か遠い欧米からアジアの端の国までやってくるのですから、確かに給料は高く要求したい
のですが、、。
たとえば、岩倉具視が600円(年俸6000万円)、伊藤博文、板垣退助が
500円(年棒5000万円)に比べ、御雇い外国人は最も高い者で2000円、
9ヶ月で帰ったクラークでさえ、300円(年俸3000万円)もらっていた、
というのですから、すごい額です。
このように資料を調べていくと
日本で働いた外国人の歴史は本当に長いですね。
現在の私の学生たちには、このような歴史上の先輩たちのことを知ってもらいたいな~と思います。
さて、長文におつき合いいただきありがとうございました。
御雇い外国人の話はけっこう面白いので、またいつか触れてみたいと思っています。

