ブリキ屋

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表現の不自由が暴力により証明されたあいちトリエンナーレ2019

2019年08月13日 | 政治


河村たかし名古屋市長をはじめ否定的なコメントが目立ちました。 中には「芸術に政治が介入していいのか?」などとのコメントまであります。 もともと大衆芸能は政治の世界をお笑いで庶民が吹き飛ばすところからきています。 それが昨今の吉本興業をみれば明らかだが政治に寄り添い、忖度するというスタンスから始まっています。

以前吉本興業から解雇された横山やすしさんも昔ダウンタウンさんのブラックジョークを注意した事があります。 安倍応援団の吉本興業まとめ役の、松本人志さんの将来が見えていたのかもしれません。

それにしても某芸能人が私はそのようなものを見ようとも思いませんというのは真っ当な意見です。 だが他の人に対して見てもいないくせに見るべきではないとなぜ言えるのでしょう。  そして脅迫や抗議にしても全て見ておらず憶測だけで法までも犯しています。  当然法治国家なのだから厳しく取り締まっていただきたいです。 結局、抗議や恐喝と言った暴力の前に主催者が屈した悪しき前例となってしまいました。

現在韓国でも浸透してきたのは政府及びそれに近い団体の反日運動に対する冷ややかな無視。 日本でもそれは少しずつ広がってきています。 政府が嫌韓と思える行動や報道に対する冷ややかな目です。 両国とも経済はじめやるべき事を何もせず関係ない相手国へ国民の目を向けさせようとします。 もう両国民も気づいているし、あとはネットで偏った情報ばかりの中で生きている自国偏重主義者達ですがこれも減少傾向で絶滅危惧種となりつつあります。


表現の不自由展は時代の流れに少し早すぎたのかもしれません。



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