バスターミナルなブログ

全国のバスターミナルやバス旅の紹介(※ブログ内のデータは原則として撮影時のものです)

写真で振り返る「東京2020大会の記録」

2021年10月22日 | 特集


「東京2020大会」バスの記録です。

1964年の「東京大会」以来、57年ぶりに首都「東京」で「オリンピック・パラリンピック」が開催されました。大会では、関係者の輸送手段の一つとしてバスが大活躍しました。掘り下げると、様々な施策が見えてきます。渋滞なく円滑に輸送するための「交通マネジメント」、車いすを利用したままバスに乗車出来る「バリアフリー」、大会関係車両の「セキュリティ」、日本の広範囲から「応援に駆け付けたバス」等々。撮影したバスの記録をまとめました。2021年の熱い夏を写真で振り返ります。

オリンピック編

東京2020オリンピック
2021年7月23日~8月8日(17日間)


開会式 2021年7月23日 オリンピックスタジアム
閉会式 2021年8月8日 オリンピックスタジアム



2021年7月中旬 羽田空港 第3ターミナル

オリンピック開催を前にバス輸送が始まりました。バスにとって「熱い夏」が幕を開けます。



新木場駅付近

築地・若洲・葛西デポ所属の車両が稼働を開始。ピンク色の「TOKYO2020」ステッカーを掲出したバスが鈴なりに現れました。



車両には、所属デポと車両番号が表記されました。

頭文字の「T」は築地デポ所属、「W」は若洲デポ所属、「K」は葛西デポ所属とみられます。

この他に「C」自社営業所(?)、「R」静岡・山梨地区(?)も目撃しました。



前面には「VAPPS」の表示が掲出されました。

これは会場で確認される、車両認証と駐車許可を色や文字で情報化したものです。

バスに関しては前面に「∞」、「シリアルナンバー」、「SYS」、「ステークホルダー」(※後述します)を表示しました。



会場の許可証チェックポイント(PCP)

バス車両には「∞」と「SYS」の表示がありました。このチェックポイントでは、それぞれ会場へアクセス可能、駐車可能を意味するものとみられます。



池袋駅付近を走る、はやぶさ国際観光バス(本社:大阪府)

大会輸送では、日本の広範囲から貸切バスを集めました。普段、東京で出会えない事業者が活躍する姿は国際大会ならではです。



国際展示場駅付近

東京大会のマスコット、「ミライトワ」と「ソメイティ」のオブジェ。



7月23日 オリンピック大会開幕

開会式は、国立競技場(オリンピックスタジアム)で行われました。

オリンピック大会のスタートです。



東京国際フォーラム

3台のバスが到着しました。大会会場でのバスの動きを見てみましょう。

前の2台は選手団(TA)輸送、後の1台はメディア(TM)輸送です。



「東京2020大会」では、バブル方式を採用しました。

選手団を乗せた2台のバスは直進。セキュリティチェックを受けて東京国際フォーラムの「バブル内」へ進みます。



メディア輸送のバスは左折。東京国際フォーラムの「バブル外」で発着を行いました。

バブルの内と外。2つの乗降場を使い分けたのが大会輸送の特徴です。



バブル内に入るバスは、トランク、給油口、ドア・・・等、開口出来る箇所を徹底的に封印しました。



選手村(東京晴海)

選手団の宿泊ベースとなった晴海の選手村です。

ゲートから名阪近鉄バスが出てきました。この周辺はバス撮影の定番スポットでした。



選手村へ入るバスは、ここでセキュリティチェックを受けます。

原則、選手村内に入るバスは、築地デポ所属の車両でした。



「東京2020大会」のバス輸送は、ハブ&スポーク方式を採用しました。選手団(TA)輸送のハブ拠点は、選手村の「選手村輸送モール」です。次から次へとバスが出発・到着します。



8月上旬 若洲デポ周辺

若洲のデポを訪れました。

ピンク色の大会ステッカーはありませんが、ピンク色のウィラーも大会輸送の一端を担いました。他にもIBS COACH、富士急バス、日立自動車交通、HMC TOKYO等、「ドライバー送迎」の札を掲出したバスが、宿舎や休憩施設~各デポ間を結びました。



オリンピック期間中の若洲デポでは、特に九州勢の活躍が注目されました。

九州産交バス



熊本電鉄



西鉄観光バス



鹿児島中央観光バス



堀川観光バス



西肥バス



JR九州バス

他にも、亀の井バス、昭和自動車、長崎県営バス、長崎バス、大分交通、祐徳自動車・・・などが上京しました。

冗談ですが、オリンピックが終わった後、九州に帰る前にJR九州バスを「てっぱく」に展示してくれないかな…なんて考えてしまったり(^^)



個人的に、オリンピック輸送で一番気になった車両は、富士観光バスのガーラGHDでした。

ベテランの風格。マルーン色の帯をしたボディが、しっかりと磨かれていてカッコイイのです(・∀・)



8月6日 選手村

「東京2020大会」オリンピック閉会式当日

17日間の日程を終え、オリンピック大会は閉幕。閉会式の行われるオリンピックスタジアムへ向けて、選手村から145台のバスが出発しました。バスファンだけではなく、地域住民の方々も一緒になって選手団をお見送りしました。



その後の選手村

閉会式が終わった翌日、翌々日は選手団の帰国ラッシュでした。

観光バス+大型トラックというタッグが組まれ、空港に向けて出発していきました。

こちらに手を振って下さった選手団の方々。ありがとうございます。機会ありましたら、再びどこかでお会いしましょう(^^)/


交通マネジメント編

続いて8月24日のパラリンピック開幕へと移行しますが、その前に「東京2020大会」でのバス輸送の施策についてまとめます。



東京2020大会では、大会関係者、スタッフ、観客など、大勢の輸送が見込まれました。

この大規模な人数を円滑に輸送するため「交通マネジメント」が計画・実行され、交通需要の低減や交通規制の実施による円滑な交通の維持を図りました。そのいくつかを紹介します。



料金施策

日中の交通需要低減、そして夜間移動へのシフトを促進するため、首都高速道路では料金施策を実施。オリンピック期間中とパラリンピック期間中、昼間(6時~22時)は料金を1000円上乗せ、夜間(0時~4時)はETC車の料金を5割引きとしました。



首都高速道路 入口の閉鎖

必要により首都高速道路の入口閉鎖を行いました。大会関係車両は通行できます。



高速バス(路線バス)の通行も許可されました。



料金施策や交通規制の効果は抜群だったようです。

特に首都高速道路の都心部は概ね順調に流れていました。



関係者輸送ルートを示す路面表示・看板の設置

大会関係車両が通行する事を一般に周知するため、「TOKYO2020」の路面表示、看板の設置が行われました。



国道246号線、青山通りに設置された看板



首都高速道路、3号渋谷線に設置された看板



静岡県、須走小山線との合流部に設置された看板



大会専用レーン、優先レーンの設定

大会関係者輸送ルートでは、都県公安委員会による規制標識の設置や路面表示が行われました。



専用レーンでは、通行帯の中央に「実線」の路面表示が行われました。



続いて、優先レーン。



優先レーンでは、通行帯の中央に「破線」の路面表示が行われました。



会場周辺における交通規制の実施

選手村や大会会場周辺においては、通過交通の進入を抑制する交通規制を実施しました。大会関係車両以外の通行を規制するものですが、原則として、生活、業務等に係る交通については進入抑制の対象外とされました。このため、一般車の走行しない広々とした道路を走る路線バスの姿が見られました。



駐車対策

会場周辺では、パーキングの休止や駐車禁止の広報等、駐車車両対策が行われました。



信号の調整

開会式や閉会式など、大規模な輸送が行われる際は、信号の調整が行われました。



本線料金所の通行制限

高速道路では、交通量を調整するため、開放するレーンの制限が行われました。



迂回促進の広報

歩道橋への横断幕設置を行い、車両の迂回を促しました。


パラリンピック編

東京2020パラリンピック
2021年8月24日~9月5日(13日間)


開会式 2021年8月24日 オリンピックスタジアム
閉会式 2021年9月5日 オリンピックスタジアム



2021年8月中旬

晴海付近 名阪近鉄バス

パラリンピック開催を前に、バスが再びデポに集まってきました。



選手村運営ゾーン

空港から到着したバスとトラック。選手村では、パラリンピック選手団の受け入れが始まりました。



築地デポ

パラリンピック選手団を輸送する築地デポ所属車は、バリアフリーに対応した車両が集まりました。



はとバスのリフト車

車内を見ると、座席をスライドして、車いすを利用する方のスペースを多くとっているのがわかります。



神姫観光 エアロエースエレベーター仕様 



京王バス セレガリフト仕様



畳石観光 ローザ(リフト仕様と思われます)



サザンセト交通 レインボー(リフト仕様と思われます)



オートウィル アストロメガ



東交観光 リフト付き福祉車両



日東交通 エアロスターノンステップバス

このように、車いすを利用したまま乗車出来る車両が集まりました。



個人的に、パラリンピック輸送で一番気になった車両は、近鉄バスのエアロエース(エレベーター仕様)7002号車でした。

いつか関西を訪問したら、この車を撮影したいと考えていました。それなのに、まさか車両の方が関東に来てくれるとは(^^)



青山一丁目付近

8月24日 パラリンピック大会開幕

パラリンピック大会の開幕です。

選手団を乗せたバス群が、開会式の行われるオリンピックスタジアムへと向かいます。



沿道には手を振るギャラリー。選手団の方々も笑顔で返していました。



青山通り

選手団をオリンピックスタジアムに送り届けると、今度は選手村への帰村に向けて体勢を整えました。



外苑西通り 大京町付近

PF(パラリンピック・ファミリー)輸送は外苑西通りで待機。運営幹部や要人が乗車します。



神宮球場

パラリンピック大会の競技が始まりました。

神宮球場では、オリンピックスタジアムに到着したバスが球場の外周を使って転回しました。



南青山三丁目

選手村へと戻る、レスクルの西工車。バスファンの注目が高かった車種の一つです。



静岡県 富士スピードウェイ

富士スピードウェイでは、自転車競技を開催しました。



栄和交通 エアロクイーン2リフト仕様

晴海の選手村では、開会式や閉会式の辺りでしか目撃されなかった車両があります。おそらく、これらは宿泊地~地方競技会場間をメインに活躍していたと思われます。



8月下旬 東京ビッグサイト

東京ビッグサイトには、IBC(国際放送センター)、MPC(メインプレスセンター)が設けられました。ここは世界中からメディア関係者が集まる報道の拠点です。



IBC(国際放送センター)が東棟、MPC(メインプレスセンター)が西棟です。

選手団(TA)輸送のハブ拠点は「選手村輸送モール」でしたが、メディア(TM)輸送のハブ拠点となったのは、この東京ビッグサイト東側に設けられた、MTM「メディア輸送モール」です。ここから宿泊ホテルや競技会場等を結びました。



MTM(メディア輸送モール)~MPC(メインプレスセンター)を循環する都営バス

言い換えれば、東京ビッグサイトの東棟~西棟間を結ぶバスです。この系統には燃料電池バスも充当されました。世界のメディアに日本の水素技術を披露する機会にもなったのではないでしょうか。



東京ビッグサイト周辺

バックの高架橋は首都高速10号晴海線へのアプローチです。首都高と一般道。大会輸送の共演が撮りたく狙ってみましたが、なかなかタイミングがあわず、納得がいく撮影まで1時間近くかかりました(^^;)



東京ビッグサイト周辺

首都高速10号晴海線からのアプローチを走る京福バス。



9月上旬

首都高を降りて、外苑東通りを走行する神奈中観光バス。



築地デポ カレッタ汐留の展望スペースから

デポには、車両駐車スペース、営業所機能、洗車・給油・点検施設等が設けられました。



豊洲市場付近

市場前を走る都営バス。



ゆりかもめと奈良交通の共演。

競技日程は進み、まもなくパラリンピックは閉会。この頃は、天候が良くなくて残念でした。

そして閉会式。当日の撮影は出来なかったので、閉会式後の記録へと移ります。



築地デポ周辺

閉会式翌日の築地です。

帰国する選手団を成田空港へ送り届け、近鉄バスがデポに戻って来ました。



勝どき橋

羽田空港からデポに戻る名阪近鉄バス。



築地交差点

大会輸送を終えたバスの帰郷も本格化しました。築地を離れる関東バス。



勝どき橋

三重交通も帰郷です。大会輸送お疲れ様でした!



「東京2020大会」では、競技の多くが無観客開催となりました。



本来であれば、観客輸送でもバスの活躍が見られるはずでしたが、残念ながら幻となった会場ばかりでした。



羽田空港 第3ターミナル
 
メディア(TM)輸送の最終日。

2ヶ月間に渡った「東京2020大会」のバス輸送は、まもなく終了です。



デポの車両は徐々に数を減らし「熱かった夏」は静かに幕を閉じました・・・


ステークホルダーとフリート車両編

「東京2020大会」での、ステークホルダーとフリート車両をまとめます。



「東京2020大会」では、多様なステークホルダーに応じた輸送計画が策定されました。



ステークホルダーをまとめてみます。

「TA」:選手及び各国オリンピック委員会関係者

「TM」:メディア関係者

「TMa」:車いす利用のメディア関係者

「DDS」:オリンピックのホスト放送局関係者

「TS」:観客



「T1・T2・T3」:オリンピック・パラリンピック運営幹部・要人



「TF」:国際競技連盟関係者



「MP」:マーケティングパートナー関係者



フリート車両について

「東京2020大会」で使用されたフリート車両は、ワールドワイドパートナーであるトヨタ自動車から調達しました。

ガソリン車は赤色デザイン。プリウス、ノア、ヴォクシーなど、低燃費・低公害の車両を選択しています。(画像はT3輸送)



燃料電池車は青色デザイン。ミライ。(画像はMP輸送)



ハイラックスも見かけました。



黒塗りのレクサスも!



タクシー車両も活躍しました。

フリート車両ではありませんが、ハイヤーの不足を補うために、臨時的にタクシー車両のハイヤー運行を行いました。


「東京2020大会」バスとレガシー編



「東京2020大会」のレガシーとバスについてまとめます。

レガシーとは「オリンピック・パラリンピック競技大会等の開催により開催都市や開催国が、長期にわたり継承・享受できる、大会の社会的、経済的、文化的恩恵のこと」とされています。

バスにとって、レガシーとなるものは、まず都心と臨海地域を結ぶ「TOKYO BRT」です。「東京2020大会」にむけて、臨海地域の交通需要増加に対応すべく「東京BRT」がプレ運行(一次)を開始。今後、速達性や定時性の向上、停留所への自動正着制御など、技術革新と連携しながらプレ運行(二次)、本格運行へと移行をします。また、晴海の選手村跡地には、計画人口12000人の街づくり「晴海フラッグ」が誕生します。新しい街の輸送手段として「東京BRT」の活躍が期待されます。

それから「水素エネルギーの普及」もバスにとってレガシーの一つです。「東京2020大会」に向けて、臨海地域を中心に水素ステーションの整備、燃料電池バス、燃料電池自動車の導入が進められました。これから更なる、水素社会の実現、再生可能エネルギーの促進、温室効果ガスの排出量削減に向け、取り組みが加速をします。私達の街にも、水素ステーションが整備され、燃料電池バスが走り出す。そんな日が訪れる事でしょう。



お馴染みの「東京2020オリンピック・パラリンピック競技大会特別仕様ナンバープレート」もレガシーと言えます。人々に広く認知され「東京2020大会」の機運を高めてきました。こちらは2021年9月30日をもって申し込み受付は終了。今後は車両の世代交代、転籍・転属等でナンバー変更の事由が生じれば、その数を減らしていく事になります。



最後に、時の流れと共に「東京2020大会」の記憶は人々から薄れていきます。

2021年の夏に開催された、オリンピック大会・パラリンピック大会において、たくさんのバスの活躍があった事実を残したく、ここに記事をまとめました。バス輸送に関わった全ての関係者の皆さま、バスを追いかけたファンの皆さま、お疲れさまでした。

<撮影2021年7月・8月・9月・10月>  

  

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バスターミナルなブログ10周年

2019年01月28日 | 特集
いつもご覧頂き、ありがとうございます。

2009年1月27日に始まった「バスターミナルなブログ」は、10周年を迎えました。

そこで、今回は10年分の思い出の中から、印象に残っている場面を振り返ってみたいと思います。



まず、バスターミナルなブログを始めたのは、旅先で訪れた「古き良きバスターミナルを記録に残しておきたい」と考えたからでした。



具体的にそのキッカケとなったのは、しずてつジャストラインが集まる「新静岡バスターミナル」が再開発に伴い、2009年3月をもって一旦閉鎖される事が決まった時です。行きは「駿府ライナー」、帰りは「渋谷新宿ライナー静岡号」という行程で、バス乗車記を始めたのもこの旅行からでした。



当時のバスターミナルの画像です。

まずは、2009年冬の「東京駅八重洲南口」。

今とは構造が違い、縦列でバスが停車していました。



おぼえていますか。

東京駅八重洲南口のJRハイウェイバスきっぷうりば。



今となっては、券売機も古めかしいです。(今はタッチパネルですよね)



場所は変わって、京王の「新宿高速バスターミナル」。

2009年当時は、のりばが3番までありました。(ビル建て替えの為に2011年に2番までに短縮されました)LED式の発車案内も、まだ設置されていません。



SHDのスーパークルーザーも当たり前のように来ていたのを思い出します。



2009年12月。西鉄バス「はかた号」に2階建てバス「エアロキング」がデビューしました。

「プレミアムシート」、「ビジネスシート」、「エコノミーシート」の3クラス制を採用し、多様化する利用者のニーズに応えました。



撮影した日は、デビューから数日が経過していましたが、それでもカメラを構えたバスファンを何人も見かけました。

この日、発車した「はかた号」は全5台。すべて紹介します。



2号車



3号車



4号車



5号車

今では「はかた号」が5台出る事はありませんし、西工SDや純正ボディの「はかた号」を撮れたのも、良い思い出です(^^)



2010年9月。秋田県の「大曲バスターミナル」を訪れました。

老舗ショッピングセンターに併設されたバスターミナルでしたが、私が訪れた時は店舗が閉店し、次の再開発を待っている状態でした。駅前一等地のショッピングセンターがシャッターを下ろしている光景は衝撃的で、中心市街地のドーナツ化や、少子高齢化といった日本の課題を目の当たりにする事になりました。



2011年3月。「東日本大震災」が発生しました。

地震だけではなく、津波の被害に加え、原子力発電所の事故が発生。鉄道は寸断され、多くのバスが支援に従事したのは記憶に新しいところです。



そんな中、震災から1週間程が経過した3月19日から、遠鉄バスが新宿に乗り入れるようになりました。(撮影したのは翌日でした)

「遠鉄バスが、新宿や渋谷にやって来る!」と、楽しみにしていた参入でしたが、そんな明るいテンションはなく、淡々と記録してまっすぐ帰宅した記憶があります。社会全体が暗かった頃でした。



4月1日には、松本電気鉄道と川中島バス、諏訪バスが合併して「アルピコ交通」が誕生しました。



既にグループ会社で車両デザインも共通だった事もあってか、3社のアルピコ交通への移行は、自然な形でスマートに行われました。



4月9日からは、電力事情の逼迫により運休が続く小田急ロマンスカーに代わり、小田急箱根高速バスが新宿~箱根湯本間を結ぶ「新宿・箱根湯本ライナー」の運行を開始しました。なんとかして、箱根への観光の足を確保しようとする小田急グループの意地のようなものを感じました。



震災が1ヶ月以上が経過し、鉄道が徐々に復旧すると、緊急支援バスにも空席が目立ち、役割が薄れてきました。これまで緊急支援バスにカメラを向けるのは自粛していましたが、そろそろ記録しても許して貰えるかと思い、そのいくつかを撮影しています。



東京駅で発車を待つ、国際興業観光バスの盛岡バスセンター行き。



岩手県北バスの浜松町発、盛岡行き。



こちらは緊急支援バスではありませんが、「ビーム1」の4号車に入った東洋観光の貸切車。

関東で見る限り、緊急支援バスは新たに路線を引くのではなく、既存の路線を増強したり、グループ会社が応援に入る形で行われていました。



2011年11月。新しくなった「新静岡バスターミナル」を訪れました。

バスターミナルなブログを開設するキッカケになった古き良きバスターミナルは、こんな近代的な建物になりました。



商業施設型のバスターミナルは全国的に衰退する傾向にありますが、静岡では時代にマッチした魅力ある場所へと進化をしました。

多くの人が行き交う場所は、活気があっていいですね(^^)



2012年4月。震災から1年が経過した、気仙沼や陸前高田を訪れました。





1年が経過しているというのに、津波の爪痕が大きすぎて、どこへ行っても茫然と言葉を失ってしまいます。



その夜、気仙沼の停留所で池袋駅行きの夜行バス「けせんライナー」を撮影しました。

ボランティアの方が東京に戻るのでしょうか。地元の方が大きな声で「気仙沼に来てくれてありがとなぁ!」と見送っていた光景を印象深く覚えています。

あれから、何度も気仙沼に足を運んでいますが、場所によっては依然と工事が続けられていて、復興というのは時間がかかるものだと実感します。でも、ゆっくりでも着実に復興は進んでいました。



2012年7月。午後の新宿西口で撮影していると、何故か国際興業の夜行車がバスターミナルに入ってきました。

バスの車内には、国際興業の関係者がズラリ。のりばに停車すると、西口スタッフの方々も集まってきました。「お世話になります。国際興業です。」と挨拶が行われたかどうかはわかりませんが、明らかに路線教習と思われる光景を目撃しました。その後、まもなくして「夕陽号」の新宿乗り入れがリリースされ、路線教習の謎が解けたのでした。



「夕陽号」の新宿発着が始まりました。

庄内交通の初日に西口へ向かうと、いきなりの2台運行。この日も多くのバスファンが駆けつけていました(^^)



2013年7月31日。いわゆる「高速ツアーバス」が乗合バスに移行しました。

乗合移行にあたり、特に苦労したのが大都市における停留所の確保だったそうです。新宿では駅から遠く離れた新宿中央公園付近に停留所が設けられました。独自のターミナルがある「WILLER EXPRESS」や「ブルーライナー」などのブランドを除くと、テナントを借りて利用者の集合場所を確保し、そこから停留所までスタッフが誘導する乗車方法を執ったのが特徴で、これはバスタ新宿の開業まで続きました。

ちなみに上記画像に写っている「キラキラ号」、「旅の散策」、「さくら高速バス」は、その後の吸収合併により、(ブランド名は残っているものの)全てが「さくら高速バス」系列に統合されました。移行当時に「いくつかのブランドはそのうち撤退やM&Aがあるだろう」と予想していた方もいましたが、実際にその通りになり、乗合移行後も再編が続いています。



2013年12月11日。東京駅八重洲南口の「JR高速バスターミナル」が新しくなりました。



バスターミナルなブログが始まった2009年には既に工事が行われていたので、長い工事がようやく終わったという印象でした。ここのバスターミナルは、バスを利用しない通行人からでも目立つので、バス路線の宣伝にも繋がりそうです。



2014年秋。4年ぶりに「大曲バスターミナル」を訪れました。

老舗ショッピングセンターに併設されていたバスターミナルは、再開発により、病院に併設されたバスターミナルへと変貌していました。高齢者や児童の福祉施設や、市民が交流出来る場所が設けられ、少子高齢化への対応や、中心市街地の活性化を目指しています。

バスターミナルをとりまく環境も、時代に合わせて変化していくものなんですね(^^)



2014年12月。「はかた号」に新車が登場しました。

今回の新車は、再びエアロクイーンに戻りました。「エコノミーシート」は廃止されましたが、パーテーションで区切られた「プレミアムシート」は、より個室感を創出し、快適さを向上させました。



新車導入により、これまで「はかた号」の主役だったエアロキングは、最後に2号車の役目を担い、世代交代を終えたのでした。

ちなみにエアロキングが「はかた号」で活躍したのは5年間でした。5年サイクルで世代交代が行われると仮定すると、今年(2019年)の年末で現行のエアロクイーンも5年を迎える事になります。エアロキングとエアロクイーンでは車種が違うので単純に比較出来ませんが、もしも、次の「はかた号」が誕生するとしたら、どのような車両になるのだろうか・・・と夢が膨らみます。



2015年6月。西武観光バスの「プリンスエクスプレス箱根芦ノ湖」が運行を開始しました。

もしも、箱根山戦争が現代まで続いていたとしたら、この高速バスの運行開始は大事件だったのではないでしょうか。箱根登山バスから見れば「都内から高速バスで攻めてきたぞ!」・・・伊豆箱根バスから見れば「援軍が来たぞ!」・・・なんて大騒ぎになりそうです。かつて、専用道路に遮断機を設けて相手のバスを通れなくしたり、数々の訴訟合戦を繰り広げた箱根山戦争は、もう遠い過去のものになりました。



2015年12月。「大崎駅西口バスターミナル」が開業しました。

東急バスや「WILLER EXPRESS」等が発着し、高速バスだけではなく、成田空港や羽田空港へのリムジンバスも集まるバスターミナルです。



同じく2015年12月。山梨県富士吉田市にある「新倉山浅間神社」を訪れました。

ここはタイからの旅行客に大人気の観光スポットです。最初にタイ人のカップルがこの景色をSNSに投稿したところ、瞬く間にタイ国内に拡がったと言われています。



しかも、訪れていたインバウンドの方々は、団体ではなく個人で来た方々ばかりでした。インバウンドのFIT化(個人海外旅行)時代が訪れると言われていますが、地方都市の神社が勝手に聖地化してしまう位に、日本は観光の国になったのだと驚きました。

ちなみに、ここは中央高速バスの中央道下吉田BSから近いので、高速バスでも行く事が出来ます。



2016年4月4日。「バスタ新宿」が開業しました。

分散していた新宿の各ターミナル機能が集まり、バスだけではなく、鉄道、タクシーといった交通の結節点になりました。



段階を踏んでバスの入場台数を増やしていったので、開業当初は出発便(1号車のみ)と一部の到着便のみの発着でしたが、5月9日からは京王系高速バスの到着、7月1日からはツアー移行系高速バスの到着、夏頃からは2号車以降(昼行便のみ)の発着が解禁され、現在の形になりました。



鉄道上空の人口地盤にバスターミナルを作ったので、駅改札から近くて便利になったものの、人気の高いバスタ新宿の発着枠は飽和状態に達している時間帯もあり、新路線や増車などに制約(特に夜行帯)があるのが課題です。

設計に携わった方々の回顧録を読むと「規制緩和でバスがここまで増えるとは思っていなかったので、もう少し大きく作ればよかった」なんて意見がある一方、「駅のホームから距離が遠くなると、徐々に線路の間隔が近くなって柱を立てる場所がなくなるので、これ以上は難しい」なんて意見もあり、需要予測や、線路上に建築物を作る事の難しさが伝わってくるようでした。そもそも、南口の基盤整備事業は、バスターミナルを作る事を目的に始まったのではなく、阪神淡路大震災(1995年)の後に急務となった甲州街道の橋梁架け替えを目的としていて、その副産物としてバスやタクシーが集まる駅前広場(現実には駅上広場(^^))が生まれた経緯があります。もしも、阪神淡路大震災が発生していなかったならば、バスタ新宿は存在しなかったかもしれません。

ただ、経緯はどうであれ、需要はあるのに枠が足りないのは大きな損失で、私の願望(妄想)を書けば、新宿に2つ目のバスターミナルがあってもいいのではないでしょうか。定期観光バスやバスツアーも取り込んで、もっと気軽にバスを使った観光が出来たり、バスタと第2ターミナルを結ぶ連絡バスが、ホテル群や、展望台のある都庁、インバウンドに人気の新宿御苑などの観光スポットを巡れば、FIT(個人海外旅行)の方が、もっと日本を楽しみやすくなるのではないかと思います。

妄想ここまで(^^)



5月8日。バスタ新宿開業後も、細々と運用が続けられていた「新宿高速バスターミナル」(50番のりば)が最後の日を迎えました。



散々お世話になったバスターミナルだったので、ここが廃止されるのは感慨深いものがありました。

最終バスの発車シーンは、ネットニュースや新聞でも紹介されていました。ヨドバシ前というロケーションもあってか、利用した事はなくても知っているという方が多く、反響は大きなものでした。



2018年6月。「LIMON」ブランドが販売する、インバウンド向けバスツアーを撮影しました。

欧州では「シート・イン・コーチ」と呼ばれる方式で、定期的に運行しているバスを利用者自身が活用して周遊するというものです。「LIMON」では貸切バスが「大阪~飛騨高山間」と「飛騨高山~東京間」の往復(計4ルート)を毎日運行しているので、利用者はそれを組み合わせてゴールデンルートを周遊したり、経由地で折り返したりと、自由度の高い旅をする事が出来ます。

これからインバウンドのFIT(個人海外旅行)化が更に進むと、このような形態のバスツアーが増えてくるかもしれません。



最後を飾るのは「みちのりエクスプレス」です。

東日本を中心に勢力を拡大している「みちのりグループ」に、高速バスのグループデザインが誕生しました。同グループによるバス事業者の再編も現在進行形で行われており、これからの展望が興味深いところです。

・・・と、いう訳で10年分の思い出を振り返ってみました。「バスターミナルの変化」、「東日本大震災とそこからの復興」、「高速ツアーバスの乗合移行」、「観光先進国へと歩む日本」が、ブログを通じた私の10年間のキーワードだったようです。

他にも書きたい思い出がたくさんありますが、長くなるのでまた別の機会にしたいと思います。最後まで読んで頂き、ありがとうございました。

バスターミナルなブログ管理人
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東急バス 1881号車の思い出

2014年01月03日 | 特集


今回は私の思い入れのある車両、2012年8月に廃車になった東急バス1881号車の思い出をまとめてみました。

この車が新車で導入された1999年当時、私は東急バスの目黒営業所管内に住んでいました。ある日曜日の晩、家族と外食に出かけた帰り道の事です。私は信号待ちしている1台の東急バスに気が付きました。艶のあるピカピカしたボディ、銀色に光る窓サッシ、やたら明るい車内の蛍光灯、汚れの全くない方向幕…私の目はこのバスに釘づけになります。なんてカッコイイ車なんだろう。走り出した車の車号を読み取ると「M1881」と書いてあります。それがこの車との最初の出会いでした。



↑ 2004年3月 黒07系統 目黒駅~弦巻営業所の運用に入り、弦巻営業所に停車している姿

当時、私はバスに興味を持ち初めていましたが、写真で記録に残すという行為はしていませんでした。撮影は鉄道専門でしたが、そのうちデジカメが普及して、フィルムの購入費や現像代がかからない時代が訪れると、初めて購入したキャノンのG2というデジカメを持ってバスを撮り始めます。しかし、日常の姿を撮るのではなく、珍しい路線に充当した姿ばかり撮影していて普段の姿は記録していませんでした。M1881号車も同様で、レギュラーワークだった目黒駅を起点とする黒01系統や黒02系統を走る姿を全く撮影していない事が今でも後悔しています。



↑ 2004年4月 東98系統 東京駅南口~等々力操車場の運用に入るM1881号車

ここで車両について簡単に説明すると、1881号車は1999年に東急バス目黒営業所に新車で導入されました。目黒営業所には既に大量のノンステップ車が在籍していましたが、1881号車はツーステップで登場します。他に同型車はなく、1999年式の三菱ふそう大型車は1881号車の1台だけでした。結果的に東急バスの一般路線車は、翌年以降、ノンステップ車かワンステップ車などの低床車しか導入していないので、1881号車の廃車間際は東急バス最後のツーステップ車としてバスファンの注目を浴びる事になります。



↑ 2009年3月 渋41系統 渋谷駅~大井町駅の運用に入るM1881号車

当時の東急バスは、5年目を目途に車体をリニューアルする再生という工事が行われていました。2005年頃、車体再生が行われると同時に行き先表示が幕からLEDに更新され、それによって顔の表情が変わりました。



↑渋谷駅で発車を待つシーン。バックには地下鉄銀座線01系の姿も。



↑ 2009年5月 再開発中の二子玉川駅にて 瀬田営業所に移籍したので車号がS1881になりました。

目黒営業所で活躍を続けていた1881号車ですが、2009年に転機が訪れます。長い間、慣れ親しんだ目黒営業所から瀬田営業所へと転属になったのです。同時に東急トランセ委託車となり、車体には円形の東急トランセマークが張り付けられました。瀬田営業所では玉07系統二子玉川駅~成城学園前駅を中心に、多くの管轄路線で活躍します。



↑ 2012年8月 二子玉川駅にて発車を待つS1881号車

東急バスの基本的な車両の使用年数は12年。まだまだ新しい車両だと思っていた1881号車ですが、気が付けば最古参になっていました。2012年、1881号車にとって最後の夏が訪れます。



この頃になると、バスファンの注目も高くなり1881号車にカメラを向ける人の姿が多くなりました。S1881と品川200か・202の登録を残しておこうとシャッターを押した1枚。目黒営業所から瀬田営業所への転属があった1881号車ですが、どちらも東京陸運支局の管轄でしたので登録から廃車までナンバーは変わりませんでした。



↑ 車内のS1881の文字



↑ 車内の様子



↑ 2012年8月 等12 等々力操車場~成城学園前駅の運用に入るS1881

夜のワンシーン。廃車間際のファンサービスだったのかもしれません。この日は大昔に使われていた系統番号板をデザインして走りました。



↑ 2012年8月16日 S1881号車 最後の日

いよいよ、1881号車の最後の日がやってきました。最終日は、瀬田営業所でのレギュラーワークとも言える玉07系統で、朝のみの運用でした。



多くのバスファンを乗せて、終点の二子玉川駅に到着…



折り返しは瀬田営業所への入庫便。この便を持って1881号車の営業は終了となります。



↑ 瀬田営業所にて

午後、気になって瀬田営業所まで行ってみました。そこにはナンバーやLEDの行き先表示器が外され、廃車作業を終えた1881号車の姿がありました。…日曜日の晩、偶然1881号車に出会ってから約12年。普段は走行しないイレギュラー運用をワクワクしながら乗車した事、通勤で1881号車に当たると嬉しかった事、様々な思い出が甦ってきます。

ありがとう東急バス1881号車。長い間お疲れ様でした。



さて、廃車後の1881号車はどうなったのでしょうか。東急バスファンの間で様々な噂が流れました。「南か、西の方へ運ばれて行ってらしい」・・・となると、東急バスの嫁ぎ先として前例の多い沖縄でしょうか???しかし、いつまで経っても沖縄でそのような車両が運用を始めたという情報はつかめません。1881号車は、一体どこへ行ってしまったのか・・・。


そして、1881号車の廃車から1年以上が経過した2013年9月。バスを通じて交流のある友人のNさんから情報が入りました。1881号車は山口県にいるという情報があった。そして、実際に見に行ったら確かにいた!!





情報を頂いてから3か月。私は山口県の下関にいました。もちろん1881号車に再会するためです。初めは下関駅で張り込みましたが、それらしき車両は現れません。そこでNさんに教えて頂いた情報を元にサンデン交通の北浦営業所へと向かいました。Nさんによるとナンバーの登録は下関230あ5145。「1881号車に会えるだろうか…」息を殺すようにドキドキしながら営業所のまわりを歩きます。すると・・・いました!

画像の右奥にいる車両が元1881号車です。しばらくすると出庫点検が始まりました。出てくるようです。



元1881号車こと、5145号車が出てきました。1年4か月ぶりの再会です!



車内は東急バス時代の色が多く残っていました。



でも、座席裏に貼ってあるシール、「バスが止まってから席をお立ち願います」は山口県バス協会のもの。「もう東急バスの車ではないんだ…」当たり前なのですが、寂しい感情もチラリ。



下関駅までの30分程の道のりはあっという間でした。バスは下関駅に到着すると、落ち着く暇もなく次の行き先表示を掲出して発車していきます。

バスを見送った後、私の心は久しぶりに1881号車に乗車出来たという充実感でいっぱいでした。本当に下関に来て良かった。(*^_^*)

最後に1881号車こと5145号車のサンデン交通での末長い活躍を願って今回の記事を終わります。私が住んでいる東京から下関までの距離は長いけれど、また必ず1881号車に会いに行こうと心に決めました。

Nさん、貴重な情報をありがとうございました♪
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特集 バスの乗り心地について

2012年08月25日 | 特集


はじめに…

「○○社製の△△というバスはとっても乗り心地がいいんですよ!」

バスターミナルなブログを始めて1年経った頃、知人に言われました。バス旅も多くするようになり、乗り心地に関しても興味を持っていましたので、その○○社製の△△がどれほど乗り心地が良いのかと、実際に乗車してみる事にしました。その△△というバスが神奈川県内某駅から羽田空港へのリムジンバスに使われているのを思い出し、実際に乗車。すると…

…サッシはカタカタと音を立てて鳴るし、小刻みな揺れが続き、高架の繋ぎ目ではガッシャーン!!(-_-;)

○○社製の△△!!どこが乗り心地がいいのさ?!

そんな苦い思い出から、私のバスの乗り心地に関する研究が始まりました。研究と書くと、科学的な乗り心地の専門家のように感じるかもしれませんが、私は単に趣味でバスに乗ってる素人です。多くのデータが欲しいと思い、高速バスに乗車する度に乗り心地をメモする事にしました。バスの車種、座った場所、揺れ方や音など…いわゆる不快に思う事柄を記入したのです。メモも気が付けば60件を越し、ある程度のクセも分かってきたのでまとめてみました。

その1 道路に関する研究

たくさんメモをとったにも関わらず、いきなり車両の話ではないのかと思われた方もいるかと思います。でも、一番乗り心地に影響があるのは路面の状態なのです。そもそも路面状態が完全に平面なら、乗り心地を悪くする凹凸がないので乗り心地は良いはずです。道路が傷んでいたり、高架の繋ぎ目など路面に凸凹があるからサスペンションが反応して乗り心地が悪くなるのです。


↑乗り心地が悪い箇所のわかりやすい例。案の定、ガタガタガタ…と反応しました。

路面の舗装は大きく分けてアスファルト舗装とコンクリート舗装に分かれます。道路の大部分を占めるアスファルト舗装は工事がしやすく、工事期間も短くて済みます。しかし、耐久性では後述するコンクリート舗装に比べて劣ります。よくひび割れや轍が出来ている光景を見ないでしょうか。このようなひび割れや轍、補修跡の凹凸によって乗り心地が悪くなってしまうのです。ちなみにコンクリート舗装は耐久性は強いのですが、工事が大変、かつ工事期間も長いので、トンネルの中など補修工事のしにくい場所で多く使われています。


↑サービスエリア内のバス優先駐車スペースにて。まさにタイヤの場所だけ目立って痛んでいます。

そこで思い出して欲しいのが、私が羽田空港まで乗車した○○社製の△△というリムジンバスの話。羽田空港へは首都高速湾岸線を走ります。走る車の台数も多く、トレーラーやトラック、バスといった重量のある大型自動車も多く見かけます。渋滞もあるでしょう。停車後の発進で重たい自動車が路面を蹴ります。大きな吊り橋もありました。橋への勾配を登るために加速して路面を蹴ります。路面状態は決して良いとは言えないのです。こうなってくると、乗り心地はバスの性能だけの問題ではないのです。大規模な路面補修が行われれば、その前と後では乗り心地も当然違ってくるのですから。

それでも、同じ凹凸でも車両によって揺れ方に差があるのも事実です。その2では車両に関する研究をまとめてみます。



その2 車両に関する研究

最近のバスはほぼ間違いなくエアサスです。空気のバネでボディを支えています。しかし、一見同じように見える車両でも、個々に見てみると仕様に差があるのです。まずは懸架方式の違いです。

<独立懸架方式>
エアロエースやエアロクイーン、セレガ、ガーラといった高速・観光型バスは、前輪が右輪と左輪でサスペンションが分かれている独立懸架方式を採用しています。バスでは三菱ふそうのMS7系で実用化されました。構造は複雑、費用も高価(一説によると車軸懸架方式に比べて3倍するとか)なのですが、右輪と左輪でサスペンションが分かれているために、例えば右輪で受けたショックを右輪で低減し、左輪への影響を少なくするなど、乗り心地が良くなるのです。


↑ 三菱ふそうエアロバス 独立懸架方式 MS725
スペアタイヤで見えにくいのですが、右輪と左輪でサスペンションが独立しています。

<車軸懸架方式>
エアロスターやブルーリボン、エルガといった、いわゆる一般路線型バスは、左輪と右輪で車軸で繋がっている車軸懸架方式を採用しています。悪路での走行性が良く頑丈なので一般路線バスやトラックで使われている方式です。構造は比較的簡単で費用も安く出来ます。ヒュンダイのユニバースのように、コストパフォーマンスを重視し、観光型ながらも車軸懸架を採用しつつ、乗り心地の向上に力を入れた例もあります。


↑ 三菱ふそうエアロバス 車軸懸架方式 MS815
過去にはエアロバスにも廉価版の車軸懸架仕様がありました。サスペンションの下で右輪と左輪がつながっています。


↑三菱ふそうの電子サスのロゴ「ECS」

さて、サスペンションには電子サスペンションというのがあります。乗り心地を重視する夜行バス、グレードの高さバスが売りの観光バス(事業社にもよりますが…)などで多く採用されています。車両に搭載された加速度センサーによって、必要によりサスを硬くしたり、柔らかくしたりと、乗り心地を作る事が出来るのです。例えば、カーブを曲がる時は遠心力で車体は外側へと傾きます。そこで外側のサスペンションを硬く、内側のサスペンションを柔らかくすれば車体は安定し、外側に振られにくくなります。他にもブレーキ時には前輪のサスペンションを硬く、後輪のサスペンションを柔らかくすれば、車体が前にダイブせずに済みます。一般的には高速走行時のサスペンションは硬く、低速走行時のサスペンションは柔らかく…が基本です。

昼行バスでも事業社によっては電子サスペンションを付けるケースがあります。三菱ふそうのMS8系では「ECS」のロゴ(付けない事も多い)、いすゞガーラでもリアに電子サスを表すロゴが入るので電子サスペンションの車両だと判別出来ます。また、運転席には「電子サス」のスイッチがあるので、これも判別の基準になります。

ひょっとしたら、私に○○社製の△△というバスの乗り心地の良さを教えてくれた知人は、電子サスで良く調整された夜行バスに乗車していたのかもしれませんね。


↑いすゞガーラのリア。「ELECTRONIC CONTROLLED SUSPENSION」と書かれています。この頭文字が「ECS」。

それから、タイヤ、空気バネの圧縮空気が入るゴム製のエアバック、揺れを減衰するアブソーバーなどの経年劣化も乗り心地には影響を与えます。こればっかりは事業者の中の人でないと当たり外れはわかりません。

あと、直接乗り心地とは関係ありませんが、車内から発する音も乗り心地の悪さを増長します。窓のサッシや網棚、座席、折戸、運賃箱などが共振してガタガタと鳴るだけで乗り心地が悪く感じてしまいます。個人的な話ですが、せっかく乗り心地の良い新車なのに、運賃箱がガタガタと共振すると「ああっ!もったいない!!」なんて思ってしまったりする事もあります。運賃箱だけにどうにも出来ませんが…

まとめ ~どこ製のどの車種が一番乗り心地が良いのか?~

結局のところ、路面の状態や車両個体の差が大きいので、車両個体の評価はともかく、車種別の評価は多くバスに乗車して自分なりに平均を出すのが一番妥当な方法なのかもしれません。年式によっても違いはあります。

今、日本でバスを製造している三菱ふそうやJバスの車両は、世界のバス製造会社がベンチマークにしている位に乗り心地の水準は高いそうです。しかし、そんな中でも乗り心地にはクセが存在します。私個人の感想という前提で書きます。

<三菱ふそうエアロ系>


三菱ふそうのエアロ系は、サスペンションは硬め。路面からの影響は出やすいが揺れを整列して自然体な乗り心地。当たりの車両だとパンパンに膨らんだ空気袋の上にボディが乗っているようで乗り心地が良いです。反面、車両によってはガタガタと小刻みな揺れと音が続く事もあります。

<日野セレガ系(Jバスガーラ)>


日野のセレガ系(Jバスガーラ)は、サスペンションは柔らかめ。路面からの影響を吸収して、フワフワながらも平坦な乗り心地。当たりの車両だと路面が悪くても気が付かない位に乗り心地が良いです。反面、車によってはピッチングが大きく、路面が悪いと跳ね気味になる事もあります。

乗り心地は個人差が大きいです。硬いサスが好きな人、柔らかいサスが好きな人、それぞれの好みがあります。運転手さんの運転方もあります。座る場所によっても差は出ます。乗り心地は毎回同じとは限りません。



最後に乗り心地の悪いハズレの車両に乗ってしまった時ですが、たいていの場合は人間の方が慣れます。景色を見て、飲み物でも飲んで、ぼーっと考え事でもしていれば、乗り心地の事なんか忘れてます(笑
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