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誰がためにブログを書く / Sympathy for the Blogathy

2005年02月03日 22時22分08秒 | goo ブログ / blog
 ええと ... 。 尊大そうなサブタイトルは、Rolling Stones の曲名 ‘Sympathy for the Devil’ (「悪魔を憐れむ歌」) のもじりです!

 ワタクシの場合、「憐れみ」 というより、「共鳴」 というような意味で使っていますが ... 。





 先日、たまたま調べものをしていたときに、ふと目に留まったことば。


blogathy
【名】 ブロガシー◆Web ログを更新する気力がないこと

英辞郎 検索結果より



 ずきっ。 としますねえ ... 。

 ついでに、反対語は、blogaholic (ブロガホリック. ブログ中毒) のようですね。

 (『ブログパーフェクト用語集 ER』 検索結果より)

 ふだんの会話で、「アタシ、さいきん、ブロガシーなのよネエ……」 とか、「カレシがブロガホリックになっちゃってえ~」 とか、言ったりするわけではないのですが、英語圏では ひとつの単語・新語として使われているらしいということがわかって、ちょっと驚いてしまいました。

 (ちなみに、blog はすでに動詞化されていますよネ?)

 (そういえば、google が動詞化されているのを知ったときも、おどろきましたが ... 。 訳に 「ググる」 とか書いてあるし ... )

 かくいう私。 かつては、あんなにブログ中毒だったのに。 ブログ休止中に書き溜めていた記事を更新するために せっかく (一時) 復活したのだから、ついでに新しい記事も書いちゃえばいいのに。 なんて、思うこともあるのですけれど。

 書くことがないわけではないのに。 べつになんだっていい。 なんでもないフツウの日記だっていいじゃない。 なんて。

 たとえば、この ネタ とか、この ネタ とか。 膨らませて、一記事としてフツウに挙げようと思えばできないこともないのですが ... 。

 ほかに、先日ここで告知してしまった、趣味のクラブ活動の一環である “DJ” をしたときの話だっていいし?
 (告知は、イベント終了と同時にひっこめました)

 得意の (?) 創作をまじえて、あることないこと付け足して、おもしろおかしく書こうと思えば書けたかもしれません。 いえ、たとえ おもしろくなくても、“ブロガホリック” 状態にあるときであれば、「ええ~い! アップしちゃえ~!」 なんて、勢いでがんがん記事更新したりして、きっと、じぶんでは満足していたかも。

 それがいまでは、なんだか、おもしろくない。 つまんない。 だからなに? こんな記事読んで じぶんはどう思う? と、つい自問自答してしまって、結局、書く気力も、更新する気力もなくなってしまって。

 しかし、ふと、また考え直して、たとえおもしろくなくたって、つまらなくたって、人にどう思われたって、じぶんのブログなんだから、どうでもいいじゃない。 という気もしてきます。

 だって、誰かに迷惑をかけるわけでもなし。

 べつに人様に読んでもらえなくても、じぶんであとで読み返して、ふむふむ、とか、ああそうか、とか、なつかしいなあ、とか、いろいろ感慨にふけるためのものであったとしても、べつに、なあんにも問題はないのでは、と。

 実際、たとえば、私の会社では、出退勤管理を web ブラウザー上で行っているのですが (イントラネット上に管理用の web サイトが公開されており、出退勤時に、ブラウザーから打刻する)、ふと、一年前、半年前のじぶんの勤務時間を見てみたとき、「へえ~」 なんて思ったりしたものでした。

 ブログ開設当時 (二〇〇四年四月)、毎日夜の十時、十一時まで残業し、総残業時間が月に五十時間とかいっているのに、ブログ記事を一日に二、三個挙げていた日もあったなあ ... なんて。 まだまだ書く気力がマンマンだったのですねえ ... 。

 時間がない、なんてのは、所詮 いいわけに過ぎなくて、単に書く気があるか、ないか、だけなのかな。 なんて、話がそれてしまいましたが。



 そう、自己満足のページだって、ぜんぜんかまわないのだ。 ―― と思った途端、やっぱり、読んでくれる人のことも考えた方がいいんじゃない? 極端な話、完全な自己満足ということなら、非公開設定にして、じぶんだけでブログをたのしめばいいのでは。 ―― なんて思いはじめて、頭のなかがぐるぐるしてしまうのです。

 こんなふうに考えてしまうのは、やはり “ブロガシー” の状態にあるからなのかもしれませんが、ここで重要なのは、「私」 がいったい、誰のためのブログを目指しているのか、ということになるのでしょうか。

 あくまで、読者のため、読者へのサーヴィスのため、ということであれば、読者を意識した記事を書くことになるのでしょうか。 じぶんのため、じぶん自身の満足のため、ということであれば、じぶんの書きたいことだけを書いていく、ということに?

 読者を意識しすぎるあまり、独創性/独自性のない内容になるかもしれないし、自己満足にひたりすぎて、わかりづらい内容になるかもしれないので、どちらが悪い、とか、どちらが劣っている、ということではなく、人それぞれの立場、目的、価値観ということになるのかもしれません。

 黙々とじぶんの文章を綴っていきたい人もいれば、ブログを通じて知り合った人と和気藹々(わきあいあい)とやり取りをしたいという人も? とにかくアクセス数を稼ぎたい、注目されたい、という人もいれば、真剣な討論をしたいという人も? その他、いろんな考え方の人がいるのでしょう。 まさに十人十色。 十ブログ十色、か。

 ―― 私自身は、というと、実をいうと、実際、じぶんがどんな目的で書いていたのか、わからなくなることがあって。 じぶんが満足する記事であると同時に、たとえ少数でもいい、だれかのこころに訴えるものであれば ... という気持ちで書いていたような気がします。 どっちつかずなんですかねえ。 それとも、みなさん、そう思っていらっしゃるのでしょうか。 どちらに重きを置くか、ということになるのでしょうか。

 誰がためにブログを書くか。 どんな人に読んでもらいたいか。

 先日アップした記事、「正しい『ブログ』の作り方(前編)」「正しい『ブログ』の作り方(後編)」 に書いたように、いろんなスタイルがあってしかるべき、と思っているので、どれが正しくて、どれが間違っているか、は、わからないのですけれど。 要は、じぶん次第、ということになるのでしょうか。

 じぶんのためか。 読んでくださる特定の人のためか。 不特定の多くの人のためか。 それとも ... ?

 ブログ休止するまでは、こんなふうに、ふかく考えたことがなかったのですが、歩みを止めてみたことで、ふと、考える余裕ができたのは、いいことなのかもしれません。

 このブログの一時復活は、まもなく終焉となりますが、もし万が一、また一時復活することがあったら。

 そのときは、もっと明確に、誰がためにブログを書くのか、わかっているのかも ... しれませんね。

 そして、そのときは、もっといい記事が書けるようになっていれば、いいのですが ... 。










 BGM:
 Bee Gees ‘誰がために鐘は鳴る / For Whom the Bell Tolls’

 「若葉のころ」、「メロディ・フェア」、「ステイン・アライヴ」 などのヒット曲を持つ、ビー・ジーズの作品。

 ちなみに、同名の曲を、浜田省吾さんが歌っていますね ... 。 (こちら、私は聴いたことがないのですけれど ... 。 すみません、邦楽にうといもので ... )


コメント (22)
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