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暗闇のなかで見えるもの

2004年10月29日 22時54分40秒 | 想在
 先日、いつもお世話になっているかたの誕生日のお祝いに行って来た。 ..............................

 私が持参したケーキに、ろうそくを立て、主役に火を吹き消してもらった。

 その後も、しばらく、ろうそくの灯かりだけで過ごした。

 ほんのりとした灯かりのなかで、それぞれ、呑んだり食べたり、語らい合ったり、レコードの音に耳を澄ませたり。

 ゆったりとした、とてもたのしい夜だった。

 たくさん呑んだはずなのに、まったく、悪酔いもせず。

 どうしてだろう。

 ろうそくには、なにか、不思議な力があるのだろうか。







 そういえば、以前、東京・国分寺にあるカフェ、『スロウ』「暗闇カフェ」 と銘打たれた夜に、友人といっしょに行ったことがある。

 ろうそくの灯かりだけのなかで、お茶を飲んだり、食事したり、生演奏を聴いたり ... 。

 暗いから、ほとんどなにも見えないから、コーヒーのかおり、ケーキの味、友人の表情、空気の流れ、フルートの音色 ... いろんなものが、敏感に感じとれる。

 五感が鋭くなっている、ということだろうか。

 ビールを呑んでいても、いつもよりも、ずっとおいしく感じられて、ゆっくり、味わって呑むことができた。 いつものような、ばかみたいな無茶呑みをしないから、変な酔い方をしなかった。

 こんな、夜も、あるのだなあ ... と、とても感動した。

 そして、灯かりがあることのすばらしさ、灯かりがないからこそわかること。

 いろんなことを考えた。





 遠くはなれた、まっ暗闇のなかにいる人たちに、こころの灯を。

 こころの闇を照らすのは、こころの灯しかない。 ... なんてね。





 

 ところで、昨日、「読書」 についての記事 (「読書週間 / 手づくりブックカバー」) を書いたのだけれど、読書するときにちょうど良い、あかるさ、というものがあるのかな、と考えた。

 蛍光灯の煌々とした明るさよりも、間接照明などを用いて、ちょっとうすぐらいくらいのほうが、目が疲れない、のかもしれない。

 NIKKEI ShopBiz の 『まち・みせ観察記20【照明について考える】』 によると、


読書の醍醐味は、紙に印刷された文字から、作者の意図をイマジネーションで読み取っていくところにある。イマジネーションを高める、すなわち、集中出来る環境は、本来は静謐で、ほのかに明るいことが望ましい。


 とある。

 なるほど。 わかるような気がする。

 『暗闇カフェ』 が意図するところも、そんなところにあるのかもしれない。

 別のサイトをいろいろ調べてみると、どうやら、自然光に近い照明を使うこと。 そして、やはり、間接照明を多くするといいそうで。

 それから、ついでに、眼の健康を考えると、乾燥を防ぐために、室内に適度の湿度を保ち、ときどき休憩を入れながら読むといいとのこと。

 なるほどなるほど。

 秋の夜長、いくら面白い本でも、あまり熱中しすぎても、いけないようですね。










 * 灯かりのあるしあわせに感謝して。 (2004.10.29)










 参照リンク:
 ・光・明・暗・闇 - 「■谷崎潤一郎の「暗さ」の感覚」
  (谷崎潤一郎さんの 『陰影礼賛』 における 「光と影」 の感覚について書かれています)

 ・ノムコム - 「あかりで変わる住み心地」

 ・AssistOn - 「Everest UltraLife Reading Light」
  (Everest 社製 携帯用 リーディング・ライト)
  (サイズ比較の写真がいいですねえ ... )



 当 blog 関連記事:
 「8.15 灯かりのあるしあわせ」










 BGM:
 Grateful Dead ‘Turn on Your Love Light’

 (愛の灯を、ともして ... )


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読書週間 / 手づくりブックカバー

2004年10月28日 22時34分11秒 | 覚書
 今月二十七日から二週間、「読書週間」 とのこと。 (10月27日 ~ 11月9日) ..................................................

 (本当は、「読書週間」 の最初の日が 「読書の日」 とのことなので、昨日書こうと思ったのですが、なんとなく、脱力感に襲われてしまって、書けませんでした ... )



 読書というと、ふと思うのは、ブックカバーのこと。

 書店にて、文庫本などを購入した場合は、かならずブックカバーをつけてもらうようにしています。

 いま、本を読むのが、通勤などの電車移動の時間くらいしかないので、いつもかばんのなかに入れて持ち歩いているのですが、一冊を読み終わるのに、時間がかかってしまうため、長い間持ち歩いていると、どうしても本がいたんだり、汚れてしまったりします ... 。

 若かりしころは、同じ本を、ばかみたいに、繰り返し、繰り返し読むのが好きで、お気に入りの本をトコトン、ボロボロにしたこともありましたが ... 。

 読む本が、新しい書物ではなくて、古い作家のものだったりするので、隠したい気持ちもあるのかもしれません。

 電車のなかで、古い時代の悲恋物語を読んで、目に涙を浮かべている 二十代後半とおぼしき OL ふうの女 ... というのも、あやしいかなあ ... なんて思って。

 でも、透明な塩化ビニール製のブックカバーも持っていて、好きな外国作品の原書に挑戦しているとき (先に翻訳を読んでいるので、だいたいのニュアンスはわかるはず、たぶん ... ) は、これみよがしに、それを使っていたこともありましたっけ ... 。
 (若かりしころの話です ... )

 本屋さんのブックカバーで、気に入っているのは、『有隣堂』

 無地でしっかりとした素材なのが、うれしいのです。

 書店名のロゴが大きすぎたり、派手派手しいものだと、ちょっと、持ち歩くのに気になったりして ... 。

 そして、好きな理由のもうひとつは、何色もあるなかから、じぶんの好きな色を選べること。

 作家別に、色を分けていたこともありました。

 (ドストエフスキーさんは 「黒」、トルストイさんは 「黄色」、スタンダールさんは 「えんじ」、アルベール・カミュさんは 「青」、ジェローム・デイヴィッド・サリンジャーさんは 「水色」 ... のように ... )

 ある期間ずっと、電車のなかで、同じ本を読みすすめていいると、知らず知らずのうちに、そのブックカバーの色が、作品のトーンといっしょに、記憶のなかに閉じ込められたりします。







 そうそう。 若きころは、電車のなかで本を読みふける、ステキなお兄さまが、じぶんのよく行く本屋さんのブックカバーをかけていたりすると、むねがときめいたこともありました。







 ちょっと調べていて、ブックカバーって、かんたんに手づくりできるのがわかりました。

 こぎれいな包装紙や、あまり布、お気に入りのイラストや写真なんかをプリントアウトしたものなどで。



  ・WrappingLabo ラッピング・ラボ - 余り紙の利用法 - 「ブックカバー」

  ・ありさとの蔵 - 「縫わずに作れる超簡単布製ブックカバー」



 また、オリジナルのブックカバーをダウンロードできるサイトも。



  ・WEB本の雑誌 - 「ブックカバーダウンロード」

  ・Mignon - 「ブックカバー」
   (ねこがかわいい!)





 ブックカバーを変えると、気分も変わるのでしょうか。

 読書の秋、じぶん好みのブックカバーで、気持ちよく、読書ができるといいですね。









 * 本を読むことができるしあわせに、感謝して。 (2004.10.28)










 BGM:
 Manfred Mann ‘My Little Red Book’



 おまけ:
 ・心理テストのようです。

 『電車の中で、あなたの向かいに座っている若い女性が本を読んでいます。さて、その本にかかっているブックカバーは何色でしょう。 ... 』


 オリジナル布製ブックカバー(和風柄がすてきです)
 ・「和雑貨 翠」

 ・「ミーノン」

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ショックです ... / 気持ちの問題

2004年10月26日 22時49分48秒 | 想在
 新潟県中越地震に関するニュースを、web で見ていて、とても、気になった。


  「被災地で「ショック死」続く 睡眠・水分確保が急務」


 新潟県中越地震の被災地では、被災4日目の26日になっても「ショック死」が続いている。警察庁によると、26日午後4時現在での地震による死者31人のうち14人がショック死とされ、避難生活の中で突然倒れる人が相次いでいる。極度のストレスによる血圧急上昇などが原因とみられ、専門家は「良質な睡眠と十分な水分の確保が急務」と指摘している。



 ショックで亡くなられてしまうなんて ... 。

 どんなに怖い思いをされたのだろう ... 。 そして、どんなにつらい状況にあるのだろう ... 。

 そう考えると、こころがギュウッとしめつけられる ... 。

 どうか、一日も早い精神的・身体的負担の軽減、そして、こころの傷の快復を、願ってやみません。



  「避難生活でストレス深刻、求められる「心のケア」」



 気持ちだけでも、と思い、ささやかながら、義援金を振り込んできました。

 ほんとうに、わずかですが ... 。











 昨日の記事 (「おうちへ帰ろう」) で、わが友人 (というか彼) が、風邪で、私の家で寝込んでいる、という話を書いた。

 わが家で、寝泊りして、私の帰りを待ってくれている ... と。

 今日の夜、彼にはどうしても外せない用事があるとのことで、今夜はいないはず ... と思いつつも、もしかしたら、まだいるかな? と思って、今日もいそいそと帰宅してみた。

 部屋のなかは、まっくらだった。 彼の姿も、ない。

 あたりまえだ。

 ふっと、一息ついて、ふと見ると、ダイニングのテーブルのうえに、置き手紙があった。



 「いつもいつも、世話になりっぱなしで、すまない」 と。

 「じぶんの弱さを出したり、甘えたりするのが、こわいじぶんと、すべてを委ねようとするじぶんが、入れ替わり、立ち替わり、やって来て、正直どうしていいか、わからない。 それなのに *** (筆者の名) は、すべてを受け入れてくれてる」 云々 ... 。



 看病してあげたこと、とか、「お金」 のことを言っているのだろう、と思った。

 彼は、まえに記事にも書いたが、お財布を失くしてしまったことがあって (参照: 「お守りピック / Good Times, Bad Times」 * 注)、私は、お金を貸してあげているのだ。

 困ったときは、お互いさまだから、いいのよ ... って言っているのに、負い目があるみたい。

 男の人には、いろいろな葛藤があるのかもしれない。

 無理に急がせて、結論を出させても、仕方がない。

 気長に待とう ... と思った。

 手紙の最後には、



  俺の借金 ○万円

        と 愛情



 と書かれていた ... 。





 そんな、愛情なんて、いくらでも、貸してあげるのに。 お金では買えない、やさしい気持ちを、いつももらっているのだから ... 。



 この、愛情は、永遠に、貸しておいてあげるわ ... なんて、言ったら、クサイかな?!










 BGM:
 Swing Out Sister ‘Heart for Hire’

 (This heart for hire ... 「このハートは、貸し出し中よ」)





 ---
 * 注: お財布は、無事戻ってきて、なかに入れていたお金も全額戻ってきたのですが ... 、拾ってくださったかたに、「お礼」 を差し上げたりして、お金がなくなってしまったそうで ... 。 この後日談を記述するのを忘れていました ... 。 (2004.10.27 3:00 AM 追記)


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おうちへ帰ろう

2004年10月25日 23時40分43秒 | about him
 私の友人 (というか彼) が、風邪をひいて、昨夜から、わが家で寝込んでいる。

 きょうは、仕事を早めに切り上げて、めずらしく、定時で帰宅した。

 彼が、待っているから。

 いつもは、ぼけぼけと歩いている街並みを、いそいそと、早歩きで、通り抜けた。



 いえ、なんというか。 帰る家に、待っている人がいるって、いいですね。

 何年ぶりかしら?

 (同居人がいたのは、もう二年もまえ ... )

 彼が風邪で寝込んでいるのに、不謹慎なのは、わかっているのだけど ... 。

 こんなに息をはずませて帰宅したのは、ほんとうに、ひさしぶりだった。










 BGM:
 Kazuyoshi Saito ‘Aruite Kaerou’



 * いっしょに暮らしたりなんかしたら、たまには、一人になりたい ... とか思うのかもしれないけれど ... 。





 当 blog 内関連記事:
 ・「ただ、そこにいるだけで / Zoom Zoom Zoom」


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新潟県中越地震に寄せて ~ 新しい約束 / Promised Land

2004年10月24日 22時46分09秒 | 想在
 十月二十三日、土曜日の夜。 身体で感じるはげしい揺れが、三回。

 そのとき、青山にいて、ビルの地下で、友人と呑んでいた。 地下にいると、気持ち悪いくらい妙な揺れ方をして、もし、上の階がくずれて、生き埋めになったら、どうしよう ... と、恐怖心を煽られた。

 なんとなく、胸騒ぎがしたのだけれど、まさか、大変な被害に遭われた地域もあるほどの大地震だったとは ... 。

 その晩、わが友人 (というか彼) からメールが入った。

 「さっきの地震の影響で、混線してるのか、電話がつながらない」 と。

 仕事を終えて、会いに来ようとしていたらしいのだ。

 私は、午後十時くらいに帰宅して、彼にわが家まで来てもらった。

 そして、テレビの映像に、ふたりで、くぎづけになった。

 (テレビは、ここ数年、ヴィデオ観賞用としてしか使っていないので、テレビ番組を観るのは、ひさしぶりだった)

 ふと、阪神大震災のときのことを思い出す。

 当時付き合っていた彼と、同じようにテレビの映像に喰い入っていたことを。 神戸に身内がいるので、肝を潰すような思いでいたところの、身内の無事を確認できた、あのときのうれしさと言ったら。

 元・彼は、「もし、東京にも大地震がきたら、どうする?」 とたずねてきた。

 「どうしよう?」 と、私。

 「きっと、おれんちは、崩壊するな」 ―― 元・彼は、築十年くらいの分譲マンションにご両親といっしょに住んでいた。

 「タッちゃんの家が崩壊するなら、うちもそうだよ。 っていうか、東京は全滅しちゃうのかも」 ―― 私は、六階建てで、一フロアに二家しかない、小ぢんまりとしたビルの一部屋で、一人暮らししていた。

 「もし、もしさ。 東京が大震災に遭って、お互いの家がなくなっちゃって、連絡が取れなくなったら、**川の土手で、待ち合わせしようか?」 と、元・彼は、言った。 **川というのは、私たちが住んでいた街の近くにある、大きな川で、私たちは、その前の年、いっしょに、その河川敷で花火を見たことがあったのだ。

 「万が一のことがあっても、**川に行けば、会えるのね」

 「そうだよ。 どんなことがあっても、**川で、必ず会おうね」

 私たちは、指切りをした。 なにがあっても、きっと、ふたりの思い出の場所で会おう ... と。

 まだ、学生だった私たち。 考えてみると、なんという幼い約束なのだろう ... 。

 それから、月日は流れて、私たちは、別々の道を歩むことになり、この約束は、事実上無効となった。

 もちろん、この約束が果たされないこと = 震災が訪れないこと、が、なによりではあるが、約束が、その意味を失ってしまったのだ。

 遠い遠い、彼方へ、風に吹かれて、飛んでいってしまった。 二人をつなぐ糸がぷつりと切れて、まるで凧のように、空の彼方へ消え去っていってしまったのだ ... 。



 今日、ふいに、私は、現在の彼に、九年前、元・彼に訊かれたのと同じ質問をしてみた。

 「もし、東京に、大地震がきたら、どうする?」

 「ひとたまりもねえな」 と、ひとこと。

 「ねえ、もし ... 、もしもだけど、大震災に遭って、お互いに連絡がとれなくなったら ... 」 と、私が言いかけると、

 「そのときは、そのときだよ」 と、あっさり。

 「ええと、どこかで、待ち合わせする?」 と、私が、おそるおそる訊ねると、

 「どこかって?」 と、彼は、ぽかんとして、訊ね返してきた。

 「んん~、たとえば、川原とか ... 」

 「川原ねえ。 この辺、川原なんかないしなあ。 あっても、堤防が決壊して、水浸しになってるかもよ?」

 「ああ、じゃあ、どこか広い公園は? ###さんちの近くにある?」

 「うちの近所じゃ、*** (筆者の名) が、来るのが大変だろ。 あそこでいいじゃん」 ―― 私の家の近くにある、広い公園のことを言った。 そこには、二人で、よく出かけているのだ。

 この待ち合わせ案、彼にはあまり興味がないのかな ... と思っていたところ、どうやら賛成してもらえたのかと思って、うれしくて、

 「じゃあ、なにかあったときは、○○公園で、会いましょうね」 と、喜び勇んで言ったら、

 「行けたらね」 と言われてしまった ... 。

 そのとおりだ。 行きたくても、行けない状況だってありえるのだ。 生きてさえいれば、いつか会えるかもしれないけれど、万が一、ということだって、ありえるのだから ... 。

 これが、九年の歳月というものなのだろうか。

 九年前、私たちは、じぶんたちが死ぬ、なんてことを考えたことすらなかった。 どんなことがあっても、きっと生き延びれる、と。

 そして、私たちは、幼い、無邪気な約束を交わした。 守り通すことのできなかった約束を。

 そんな約束を、九年後、もういい年とも言える年齢になって、ふたたび交わそうとするなんて ... 。

 じぶんが、ほんの少し、情けなくなった。

 内心、しょんぼりしつつも、そのあと、二人で用事を済ませに、出かけた。





 予想外に用事があっというまに済んでしまって、途方に暮れてふらふら歩いていたら、スーパーの一角に、たい焼き屋さんがあるのを発見。 どうやら、『銀だこ』 屋さんのたい焼きのようで、もの珍しかったから、買ってみることにした。

 (私の家の近所にも、『銀だこ』 屋さんはあるが、たい焼きは売られていない気がする ... 。 それとも、私が気がついていないだけだろうか ... )

 見てみると、たい焼き、なにげに大きい。 あんこもはみ出している。 とても、一人一個は食べられそうもないので、二人でひとつを半分こすることに。 でも。 たい焼き一個だけ買うのも気が引けたので、結局、たこ焼きも買うことにした。

 そうして、たい焼きとたこ焼きを半分こしながら、〈二人だと、たい焼きも、たこ焼きも、食べられていいな〉 ... なんて、うれしさにひたっていたら、 彼が、ふいに、

 「―― おれさ、がんばるからさ」 と言い出した。

 いきなりで、わけがわからなかったので、「がんばるって、なにを?」 と、私は、訊いた。

 「ん? いろいろだよ。 とにかくがんばるからさ、なにがあっても ・・・・・・・・・・ 」

 と、思いがけず、確かな “新しい約束” を、してもらえた!

 なにがあっても、きっと、約束の場所で会おう、と。

 九年前の、前回の約束は、破棄されてしまったけれど。

 今度は、“果たされない” 約束として、ずっと、お互いののこころのなかに、刻みつけられたら、いいなあ ... 。





 ちなみに、“新しい約束” を交わしてもらえたのだけど、万が一、なにかの災害で音信不通となっても大丈夫なように、現実的に考えて、わが故郷の住所や電話番号も 教えることにした。 これで、私の身になにかが起きても、安否を確かめることができるだろう ... と。

 考えてみたら、ここ数年、携帯電話の番号やメールアドレスしか知らない友人・知人が増えたな ... ということに気づく。 ときどき会って、呑みに行って、お互いにいろいろ語り合ったり、メールのやりとりなんかはしているけれど、年賀状すら出さないような間柄だったりして、正確な住所も知らないし、実家がどこだかも知らない ... という人が。

 もし、なにかあって、音信不通になっても、ここに行けば会えるかも / ここで訊けばわかるかも ... という “確かな場所” を、友人にも知らせておいたほうが、いいのかな ... と、ふいに考えた。















 * 今回の震災で亡くなられた皆様のご冥福をお祈りいたします。 そして、一日も早い、被災されたかたの快復、被害からの復旧を願います。














 ---
 trackback:
 ・『J'sてんてんてまり』 - 「個人ができること」

 ・『BLOG STATION』 - 「【新潟中越地震】出来ることから始めよう。」


 * ほんとうは、もっとたくさんの、震災に関する記事をご紹介したいのですが ... 。

 * こちらに寄せられたコメント、trackback からも、さらに、さまざまな情報が得られます。 (2004.10.27 追記)
 ---



 当 blog 関連記事:
 ・「7.17 / ムーン・リバー」





 BGM:
 Bert Jansch ‘Promised Land’


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比例性

2004年10月22日 22時58分01秒 | 想在
 人への 鈍感さ と

 じぶんへの 敏感さ は

 比例するのだろうか。





 じぶんへの 敏感さ が

 人への 鈍感さ に

 作用するのだろうか。





 (Bob Dylan のことばのように)

 人を、憎まず、恨まず、うらやまず

 じぶんの道を歩めたら、いいなあ。










 BGM:
 Sid Vicious ‘My Way’
 (紳さんに捧げます 2004.10.25)


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立ち飲み屋 『中腰』

2004年10月21日 17時51分57秒 | 呑食
 先日、知人に連れて行ってもらった。


  「すわって飲める 立ち飲み 『中腰』」


 う~ん、いったい、どうしたらいいのだろう ... 。

 すわっていいの?

 立って飲むの?

 それとも、中腰で?





 さて。

 このお店とは、別の話だけれど。

 その前日に行った飲み屋さんが、これまた変わっていて、おもしろかった。

 やきそば を ひとつ注文されると、厨房では、二つ分のやきそばを作り、

 「やきそば~、やきそば~、一個あまったんだけど、だれか頼まない?」

 なんて言って、あまったやきそばを持って客席をうろうろする。

 だれかが、「あ ... じゃあ、ください ... 」 と言うまで、ずうっと、うろうろしている。

 うむむむ。 一つ作るんなら二個作っちゃえ、そいで、だれかに食べさせちゃえ、という感じなのだろうか ... 。

 たくましいというか、ちゃっかりしているというか ... 。



 私も見習ってみようかしらん??





 「え~、愛があまっているのですが、だれか、いりませんか?」

  「あまってる愛なら、いらないです」










 BGM:
 Sly & the Family Stone “STAND!”



 (本日、夜は、“DJ” タイムで外出してしまうため、軽めの記事で ... )


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台風エピソード / 嵐からの隠れ家

2004年10月20日 22時36分35秒 | 想在
 台風上陸中。 ノックテンさん トカゲさん (まちがえました ... ) に震えながら、記事更新 ... 。





 私は、近所の のらねこ に、勝手に名まえをつけている。

 近所のコンビニの近くにいる子は、めろん。

 役場の近くにいる子は、れもん。

 駅のそばの自転車置き場の子には、まろん。

 その子どもは、ころん。

 よく行く酒屋の近くの子は、タック。

 そうそう、このあいだ、彼が、偶然出会ったという、うちのすぐ近くのスーパーマーケットのところにいる子は、ハックと名づけたそうだ。

 (ハックルベリーフィンからつけたのかな?)





 こんな台風の日には、彼らが、どうしているのか、気になる。

 どこか、いい避難場所を、見つけていると、いいのだが ... 。

 うん ... 。 きっと、ねこたちは、じぶんたちの知恵で、雨風をしのぐのに、ちょうどいい すみか を見つけて、

 みんなで寄り添いながら、台風が過ぎ去るのを、じっと待っているだろう ... 。

 いや、そうあってほしい、と願っているのだが ... 。






 台風というと、思い出すのは、私が、幼いころ、外でないしょで ごはんをあげていた仔ねこのこと。

 家には、すでに ねこと、犬が、一匹ずついたので、きっと飼ってはもらえないだろう ... と思っていたのだ。

 毎日のように、こっそり、給食の残りのパンや牛乳などをあげていた。

 ある日、嵐がやって来て、あまりにもかわいそうだったから、家に連れ帰って、

 「今晩だけでいいから、おうちのなかに入れてあげて!」

 なんて、親に懇願したら、あっさり、受け入れてくれて、そして、そのまま、九年ちかく、わが家の仲間になった。

 キキ。

 縞もようが、「キ」の字みたいだったから、そう名づけた。

 キキが、わが家の仲間となったのは、台風のおかげ、だったのかなあ。

 キキがわが家で暮らすことになって、幸せだったのなら、いいのだけれど。










 関連リンク:
 ・『デジタル台風』
  (台風 blog のようです)

 ・tenki.jp - 『●びっくり台風エピソード ~ビートルズ台風~』
  (The Beatles が来日した際、台風が上陸中だったとのことで、台風の動きとは逆に北から南下してコンサートを行ったとか ... 。 ふむふむ)

 ・当 blog - 「故郷は、遠きにありて、思うもの」










 BGM:
 Bob Dylan ‘嵐からの隠れ家 / Shelter from the Storm’


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お守りピック / Good Times, Bad Times

2004年10月19日 21時51分31秒 | about him
 まるで、身内の恥をさらすような話なのだけれど ... 。

 わたしの友人 (というか彼) は、お金にツイていない。

 わたしと付き合うようになった、この十ヶ月くらいのあいだだけでも、空き巣に遭い、お財布を失くし、いつも窮々している。

 やっと、ここのところ経済状態も立ち直ってきたので、二人で温泉旅行でも行きたいね、なんてことを言っていた。

 そして、今月末に、修善寺へ行く予定であった。

 とても、楽しみにしていたのに。

 先週半ば、彼からメールが来て、とつぜん、「旅行には行けなくなった」 と。

 その前日まで、旅行の話をしていたのに、あまりに急なので、おかしいとは思ったのだけど、仕事がいそがしいのだろう ... ということにした。

 彼のことだから、きっとなにか、理由があるはずだ、と。

 そうして、先週末、いつものようにいっしょに過ごして、さりげなく、「なんで旅行に行けなくなったの?」 と訊いたら。

 彼は、言わねばならぬ時が来た、という様子で、「あのね」 と言って、話しはじめた ―― 。





 先週の日曜の夜、彼が、わたしの部屋に泊まりに来ていた。

 翌朝、月曜日、彼が仕事に出る前に起きて、わたしは、朝ごはんを作った。

 (ちなみに、わたしは、朝ごはんを食べない)

 彼のために、一食分だけ、用意。

 一人暮らししていて、あまり食事に頓着できない彼のために、栄養のある朝ごはんをしっかり食べてほしいのである。

 彼は、よろこんでごはんを食べて、仕事に向かった。

 わたしが、いそがしい朝の時間のなか朝食を作ってあげたことで、とても気分よく歩いていたそうなのだが、急に、便意をもよおして、駅のトイレに寄ったとか。

 以下、ちょっと変な話で、恐縮 ... なのだけれど。

 彼は、大きいほうをするときに、いわゆるワンワン スタイルというのだろうか? しゃがまないと、出ない人で、和式トイレでないとだめなのである。

 で、駅のトイレで、いつものように、ズボンのポケットの中身 ―― お財布と携帯電話 ―― を出して水タンクの上にぽんと置き (ポケットになにか入っているとしゃがみづらいのだそうだ)、ズボンとパンツを下ろして、よっこいしょとしゃがんで、用を足した。

 御用が済み、気持ちよく駅のトイレを出、そのまま会社に向かった。

 お財布と携帯電話を置きっぱなしのまま ... 。

 そのことに気がついたのは、会社に着いてからだった。

 その後、駅に問い合わせたら、携帯電話は届けられているとのことだった。

 しかし、お財布は ... 。

 まえに、ここで、何度か書いたことがあると思うのだけど、彼は、お金を銀行に預けたりするのがきらいなうえ、空き巣に入られたことがあって、家にお金を置いておけないので、全財産をお財布のなかに入れて持ち歩いているのである。

 その、全財産が入っているお財布を失くしてしまったのだ。

 いくら入っていたのか定かではないが、きっと、そのお財布は戻ってこないだろう ... 。 たとえ、お財布が戻ってきたとしても、なかに入れていたお金はきっと戻ってこないだろう ... 。

 わたしたちは、無言でうつむいた。





 そういうわけで、彼は、またまた、無一文になってしまったのだ。

 う~ん。 またお財布を失くすなんて ... 。 かわいそうな彼。

 ああ、ひょっとして、わたしの devil パワーで、金運を吸い取っているのだろうか ... 。

 (考えてみると、わたしのほうは、ここのところお金まわりが良い。 いそがしいながらも、仕事が好調なので ... )

 あああ、わたしは、彼のためによくないのかしら ... 。

 わたしが、あの日、朝ごはんを作ったりしたから ... 。

 きっと、わたしったら、余計なことをしたんだわ ... 。

 わたしは、彼からすべてを奪い取る、devil なんだわ ... 。



 ... なんてことを考えて、落ち込んでいたら、昨夜、彼から電話が。

 なんと、お財布が戻ってきたのだそうだ!

 昨日、警察のかたから電話がかかってきて、お財布が届けられていると連絡があったそうで。

 どきどきしながら、お財布を取りに行き、どうせ中身はないだろう ... と思って、確認すると、全額そのまま残っていたという!

 なんという親切な、奇特な人がいるものだろう ... と、拾ってくださったかたの連絡先を訊き、さっそくお礼の電話をかけてみたとか。

 電話の向こうのかたの声は、想像していたより、ずっと若くて、いまどきの少年ふうだったそうだ。

 こんな人が、ネコババもせずに、財布を届けてくれたのか ... と、ちょっと驚きつつも、

 「あなたのような人に拾ってもらって、ほんとうに助かりました。 ありがとうございます」

 と伝えると、電話の向こうのかたは、

 「いえいえ、いいんです。 ほんとのこというと、一瞬、お金に目がくらんだんですけど、小銭入れのなかに、(ギターの) ピックがあったんで ... 。 おれも、バンドやってて、おんなじメーカーのピックを使ってるんですよ。 で、バンドやってる大変さを、おれも知ってるから、悪いな ... と思って ... 」

 と、照れくさそうにおっしゃっていたとか ..... 。










 ギターのピックを、入れていて、良かったね!

 バンドマンに拾ってもらって、良かったね!

 世の中、悪いことばかりじゃないね!

 うん。

 ありがとう。

 ギターの神さま ... ?















 ... でも、これからは、お財布を失くさないようにしないと、ね。

 (ちなみに、旅行は、すでにキャンセルしてしまったあとでした ... )










 当 blog 内関連記事:
 ・「こころのジューク・ボックス / Please, Please Me」

 ・「ほんとうは、ナニジン?」

 ・「プライドのカタマリ」








 BGM:
 Rolling Stones ‘Good Times, Bad Times’


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うすいのが、好き

2004年10月18日 21時09分23秒 | 映画
 映画のヴィデオを借りに、レンタルヴィデオ店に行ったら ..............................

 じぶんの観たかった映画の DVD がすべて貸し出し中。

 VHS ヴィデオテープは、ある。

 けれど、ほかの映画で、DVD があるものを探して、

 結局、それほど観たくもない映画の DVD を

 三本、借りて帰る

 ... なんてことが、よくある。



 うすいのが、好き。

 かさばるのは、いや。



 こんなわたしは、いったい、ほんとうに観たい映画を

 いつ、観ることができるのだろう?

 ほんとうに観たい映画など

 あるのだろうか?





 そうして、なんとなく、借りてみた DVD を

 結局、観る時間が作れなくて

 観ずじまいで

 返してしまう ... 。

 ああ。 無駄無駄無駄。 駄目駄目駄目。





 ... でも、もったいなので、今日は、これから、映画鑑賞タイムにします ... 。

 (ので、軽めの記事で ... )










 BGM:
 The Persuaders ‘A Thin Line Between Love and Hate’

 (スパイク・リー監督による、ブルックリンを舞台に、あるアメリカン・アフリカンの家族の日常を描いた映画 “Crooklyn” の サウンド・トラックより ... )





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 [追記]

 「黒人」 という表現を 「アメリカン・アフリカン」 に変更しました。

 肌の色で人を語るのは、なんとなくおかしいような気がしたもので ... 。 (気にしすぎだろうか ... )

 例えば ... ありえないけれど、万が一、この blog がどこか外国で紹介されるとき、「ある黄色人女性の日常を描いた blog」 とか言われたら、怒りはしないけれど、「ハア」 という感じだろうか ... 。

 (2004.10.19)


コメント (6)
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