Run, BLOG, Run

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想い出が、いっぱい / Love for Sale

2004年09月18日 17時48分58秒 | 音楽
 昨日は、知人の女の子が、アメリカン・スタイルのバーで、出張ライヴをやる、というので、観に行った。

 繁華街のなかにあるバー。

 ステージが、通りのほうに面している。 通りを背にして、歌い手さんがうたっているので、お客さんは、通りのほうを向くことになる。

 お店は、ガラス張り。

 歌を聴きながら、ステージのほうを見ていると、通りを歩いている人と、目が合ったりして、ちょっぴり照れくさい。

 はじめての感覚。 お客さんであるはずの私たちが、なんとなく、見世物になっているような気分 ... ???



 知人の女の子のユニットは、ギター / ヴォーカルの女の子と、キーボードの女の子の二人組。

 (この話(笑って、おどけて ... )に出てくるユニット ... )

 いわゆる、Kiroro ふうと言っていいのかしら。 さわやかな、春風のような歌を聴かせてくれるグループなのであるが。

 うたっているのをじっと見つめていたら。 向こう側の通りで、黒地に白のラメラメ・ロゴが入った T シャツに、細身のジーンズをはいた女の子が立っているのが見えた。 通りを歩いてきたサラリーマンふうの男性に、いかにもな つくり笑顔を浮かべて、声をかけているのである。

 あ! 呼び込みの女の子だろうか。

 なんて思っていたら、似たようなスタイルで、似たような雰囲気の女の子が、ワラワラとやって来て、行き交う男性に片っ端から声をかけはじめた。

 う~ん、ステージのさわやかな歌声と、そのバックで繰り広げられている人間模様が、合わない、合わない。

 うしろが妙に気になってしまって、歌に集中できないよお ... なんて思っていたら。

 そんなことになっているとは、つゆ知らず、の ヴォーカルの女の子が、

 「いつもはオリジナル曲ばかりうたっているのですが、今日は、カヴァー曲を用意してきました。 たぶん知らない人はいない、と思います。 良かったら、いっしょにうたってください」

 なんて言って、はじめたのは、H2O の 「想い出がいっぱい」

 いやあ、さわやかだねえ。 いい曲だ。



 ... しかし、やっぱり背景が気になるよお!

 

 そして、歌が盛り上がり、ついにサビのところまで来たとき!

 黒い T シャツの女の子が、キャッチに成功したらしく、人の良さそうなサラリーマンのおじさんの腕に手をからめながら、通りを足早に去っていった ... 。



 ♪オトナの階段のぼる~、キミはまだ、シンデレラさ~
  しあわせはだれかがきっと~、はこんでくれると、信じてるね~




 私は、いっしょに観に来ていた仲間たちのほうへそっと目をやってみた。 やはり、みんな気になっていたらしく、黒い T シャツの女の子の行方を固唾を飲んで追っていたので、思わずふきだしそうになってしまった。



 そんな秋の夜のひとときであった。





 BGM:
 Anita O'Day  ‘Love for Sale’

 (Love for Sale には、いろいろな解釈があるけれど ... )

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はじめてのフー / The Who がやって来た

2004年07月25日 21時20分58秒 | 音楽
 昨日は、『ROCK ODYSSEY』 というロック・フェスというのだろうか、ロックのお祭りイベントに行って来た。

 私は、The Who というバンドがいちばんの目当てで観に行った。

 活動期間およそ四十年で、じつは初来日。 「来日していない最後の大物」 などといわれている The Who を、まさか日本で観ることができるとは思わず、感激 ! 

 とりあえず、ライヴ・レポートのようなものは、後日改めて ... ?

 ちなみに、The Who というバンド、こんな感じの人たちなのだが、あまり日本びいきではないというようなうわさを聞かされていたので、実際にこの目で見るまでは、ほんとうに The Who がやって来るのか、信じられなかった。 「ドタキャン」 もありえるのではないか ... と。

 ライヴ直前、いっしょに観に行った友人 (というか彼) と、

 「『フー』 じゃなくて、『プー』 とかが出てきたら、どうしよう ? 」 とか話していた。

 The Pooh はちょっとうれしいかも?! くまのプーさんが出てきて、‘My Generation’ とか歌う ! でも、こんな感じのおじさんが出てきたら、やだな (ごめんなさいね、おじさん ... )。

 「いや、『ザ・ブー』 かもね。 高木ブーが出てくる ! 」

 う~ん、The Boo も、ちょっとうれしいかも。かみなりさまの恰好をした高木ブーさんが、ウクレレを持って、登場 !

 なんてね。

 帰り道は、The Who を観ることができたよろこびを、こんなふうに、くちずさんだ。


 「やったあ、やった、やったよ、おーおおー
  はじめてのー、フー、
  きみとフー (ウフフ)、
  I will give you all my love
  なぜかやさしい気持ちが、あ~いっぱい
  はじめてのー、フー、
  きみとフー
  ... 」


 「はじめてのチュー」 のぱくりか、結局 !!



 そんなこんなの The Who 初生ライヴ、しばらく、頭がクラクラ ... 。



 関連リンク:
 ・Tower Records - bounce.jp 「THE WHO」
 ・goo 音楽 「The Who」



 BGM:
 The Who ‘I Can't Explain’
 (今回のライヴの一曲目 ! まさに、「この気持ち、ことばでは言い表せないよ ! 」)
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ビートルズ記念日 / イン・マイ・ライフ

2004年06月29日 23時44分33秒 | 音楽
 今日は 「ビートルズ記念日」 か。

 一九六六年のこの日、The Beatles が日本にやってきた、とのこと。

 そのころ、私はカゲもカタチもなかったけれど、メンバーがはっぴを着て成田空港(?)に降り立った映像は何度か観たことがある。

 その日から、三十八年もの月日がながれたのか ... 。



 ところで。 The Beatles の曲で、好きなものはいろいろあるのだが。 なんとなく、いまの気持ちにいちばんぴったりしているのは、“Rubber Soul” に収録されている、‘In My Life’ であろうか。

 John Lennon がリード・ヴォーカルをとるこの曲。 John Lennon の声のすばらしさを堪能できる曲のひとつとしても、好きである。

 また、歌詞がいいのだ。


思い出の場所。 すでに失われてしまったものもあれば、そのまま残されているものもある。

そんな場所でともに過ごした恋人や友人。 そのなかには、今は亡き人もいれば、健在の人もいる。

みな、じぶんのいとしき場所・人。

けれども、そんな大切なものも、「きみ」 とは比べものにならない。

このあたらしい恋のことを想えば、その思い出のもつ意味も、色あせてしまう。

ふと思い出にひたることもあるけれど、いまは、 「きみ」 をだれよりも愛している。

―― 以上、意訳 (異訳?)。 歌詞はこちらで。



 過ぎ去った過去を思い出して、ふいに泣きたくなることもある。 後悔、無念、哀惜のなみだを流すことも。

 しかし、取り戻すことのできぬ過去にすがりつくように泣き暮らしていても、決して帰ってはこない、ということを、おのずと知ることになるのか。

 だからこそ、私たち は、「いま」 を愛して生きていかなくてはならないのだろうか? と、考えるのである。

 どんなに悔しくても、どんなに惜しくても、歯を食いしばって、「いまがいちばんさ」 と言ってみせなくてはならないのだろうか? と。



 余談だが、先日、友人のライヴを観に行ったら、ヨッパライのお客さんがいて、アンコールで ‘In My Life’ をうたってくれ、と、訴えていた。

 その人にも、いとしき場所・人があるのだろうか。 そして、それらよりも愛する 「いま」 があるのだろうか。 寝ても醒めても、ならぬ、酔っても醒めても、愛しつづけるような ... ?



 trackback to;
 『風の色』 - 「ビートルズ記念日」
 『亀オヤジの迷走日記』 - 「ビートルズ来日」 (2004.6.30 追記)


 * 今日は、サン=テグジュペリさんのお誕生日でもあるようだ。


過去とは成就された全体、
かつて未来としてあったものを
乗り越えた全体であろう
(『手帖』)


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ウドーフェスのチケット、きた。

2004年06月05日 17時33分09秒 | 音楽
 ウドー音楽事務所が主催するイベント、『THE ROCK ODYSSEY』 のチケットが届いた。

 これのためにわざわざウドーに会員登録し、オンライン注文したのだが。

 やった ! まえから13列目 ! すごい ?!

 ちなみに。 わたしは、The Who が目当てである。

 The Who は、四人組の英国のロックバンドで、一九六五年にデビューした。 一九七八年にドラムスの Keith Moon が、二〇〇二年にベースの John Entwistle が他界し、残されたメンバーは二人のみ。

 先日、あるロック・バーで呑んでいたとき、知り合いの男性に、この ROCK ODYSSEY に The Who を観に行くのだ、という話をしたら、「Keith も John もいない Who なんて、興味ない」 と、にべもないことを言われてしまった。

 たしかに。 「オリジナル・メンバー」 が半分しかいない The Who は、The Who ではないのかもしれない。 往年のファンからすれば。

 けれども、わたしは、観に行かないで後悔するより、観に行って後悔するほうがましであろう、と思い、チケットを購入した。

 観ないほうがしあわせな場合もある、というのはわかる。 この世の常では、そんなこと、日常茶飯事であろうか。 けれど、観ることができるという幸福をむざむざと投げすてたくはない。

 私の大好きなミュージシャンたちは、年齢的に、ずっとライヴ活動ができるかどうかわからない。 いや、私の好きなものにかぎらない。 永遠につづくものなどないのではないか。 かならず、いつかは、終わりがやってくる。 そして、いつ、なにが起こるかもわからない。 ミュージシャンたちになにかある、ということだけなく、私自身にだって、なにが起こってもおかしくはない。

 そのときに、やはりあのときにライヴを観に行っておけば良かった ... と後悔するよりは、たとえ、「全盛期」 を過ぎ去っているとしても、たとえ幾人かのメンバーが演奏に参加していなくても (参加できなくても)、それでも、この目でしかと、たしかめておきたいことがあるのだ。

 七月、THE ROCK ODYSSEY にて、「観ることのできるよろこび」 を全身に感じながら、じっくりたのしみたいと思う。



 関連情報:
 SANSPO.COM 「“夢祭典”にザ・フーもついに初来日」

 当 blog 内 - 「ROCK ODYSSEY / UDO STOCK」



 その他:
 ウドーのサイトを見に行ったら、Eric Clapton Museum なるものを発見。
 数年前、Eric Clapton が、所有する幾本ものギターをオークションに出してしまったと聞いたことがあるが、ウドーが落札したのではないかと思わしき Clapton 氏のギターを見ることができる。



 BGM:
 Mott the Hoople ‘Ready for Love’
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ロックロック、こんにちは。

2004年05月31日 22時16分58秒 | 音楽
 はじまりは / I Want to Tell You

 wordblow さんの blog 『◆書く/読む/喋る/考える◆』 の記事、「はにゃんとの対話(3)/勉強」 からお送りいただいた 一件の trackback。


 たとえば、おれはロックが好きだ。ロックといえば、必ずビートルスがでてくる。古典だ、名曲だ、革命を起こしたんだってね。そうか、そうなのか? じゃって、ビートルスを聴いて勉強しようとする。ところがだ、好きになれない。ぜんぜんダメなんだ。どこが古典で名曲で革命的だといって祭り上げられているのか、まったくわからない。


 という意見に対して、見解をお求めになられた、と認識したのですが ... 。

 なぜ、ワタシに?! ― 私など、ただロックが好きで聴いていて、思い高じて勝手にいろいろ引用しているだけで、音楽的なことなどさっぱりわかっていないのに ... 、しかも The Beatles ?! と、一瞬、おそれおののきましたが、せっかくのありがたき光栄なので、思いきって、書いてみることにしました。

 ここで逃げちゃあ、女がすたります ... ?!





 生活に根づいているのか / Do You Want to Know a Secret

 十年近くまえの話だが、たまたまアメリカやイギリスの番組を観られる環境にいたことがあった。 そのころ、たとえば、映画かなにかの授賞式だとか、バラエティ番組などを見ると。

 たまに、司会者が、 「いま、ちょうど、John と Yoko が出会ったような感じだ」 とか 「いま、ちょうど、“Abbey Road” の B 面に入ったくらいだ」 などと言っている場面に出くわすことがあった。 番組の盛り上がり具合やら進行具合を、The Beatles (および John Lennon) になぞらえているようなのだが、その当時は意味がよくわからなかった。 観客がそのジョークというのかユーモアというのかにウケて、笑い声を発しているのだが、いったいなにがおかしいのだろう、と、いぶかしくさえ思ったものだった。

 ただ、音楽番組でもないのに、そういったコメントが出てくるというのは、それだけ The Beatles がいまだに愛されていることなのだろう、という漠然とした思いをいだいた。 The Beatles が、いまだに日常生活のなかに生きているのであろう、と。

 そして、The Beatles だけでなく、きっと、ロックという音楽そのものが、生活に根ざしているのだろう、と想像した。



 映画など / The Word

 サウンドトラックが話題になった、Sean Penn 主演の 『I am Sam』 は、全編が The Beatles の曲 (権利の問題があるのか、すべて他のアーチストによるカバーであるが) に彩られ、せりふのはしばしにも The Beatles にまつわるものが散りばめられていた。

 賛否両論わかれると思うが、私は、あの映画にそれほどの感銘を受けなかった。 なんとなく、あらゆる部分において中途半端な気がして、なにかもの足りなかった。 といっても、ほろりときてしまった場面もあるので、すべてを否定するわけではないのだけれど ... 。 しいていうなら、良かったのは、音楽と、娘役を演じていた Dakota Fanning の存在感であろうか。

 しかし、もし、The Beatles の曲をひとつも知らずに、The Beatles のことをなにも知らずに観ていたら、もしかしたら、その Dakota Fanning の演技にすらも目をそむけていたかもしれない。

 それほど、The Beatles のうたが重要な位置を占めていたように思う。



 ほかに、ロックや、ミュージシャンの存在がふかく関わるもので思い浮かぶのは、『Velvet Goldmine』 や 『あの頃ペニー・レインと (Almost Famous)』 などがあるが。

 また、Coen 兄弟製作・監督の 『O, Brother ! 』 に関していうと、この映画にはギター弾きの黒人男性が登場するのだが、これが、Robert Johnson という 「伝説」 のブルースマンをモチーフにしている ... というのは、Robert Johnson を知っている人にしかわからないのだけど。 知っている人は、思わずのけぞって、笑ってしまいそうになる。



 劇場で映画を観ていると、あるせりふで、外国人だけウケていて、私(たち)には、そのおもしろさがさっぱりわからないことがある。 その背景となっているものを知っているか知らないか、で、意図された妙味が汲みとれないこともあるということであろうか。 それが、映画全体の魅力をそこなうこともあるかもしれない。

 それは、もちろん、音楽的なことだけではなく、別の映画のパロディが含まれていたり、時代背景、社会情勢などが下敷きとなっていることも多々あろう。

 そういったものを理解したうえで映画をたのしめる、というのは、ほんとうに贅沢なことだ、と思う。 じぶん自身、いまのところ、ロックに関係したもののほんの一部しか たのしめていないのだろうけれど ... 。



 畏怖 / Devil in Her Heart

 さて。 The Beatles であるが。 彼らに関して 「講釈をたれる」 のは、正直にいうと、こわい。 なんというか、彼らは、絶対的な不可侵の存在のような気がしてしまって。

 まるで、神やなにかに対するのと同じような、畏怖をいだいてしまう。



 反抗期 / No Reply

 その畏怖が、やがて反発心を芽生えさせることもあるのだろうか。

 幼いころは、自宅に彼らのレコードがあったので、曲はいくつかは知っていた。 たんにいい曲だなあ、くらいで聴き流すような感じだったけれど。 そのときすでに彼らは活動していなかったし、John Lennon もこの世を去ってしまっていた。

 そして、思春期を迎えるころには、The Beatles には見向きもしなくなり、さまざまな形態に進化した 「最新の」 ロックにふれるようになったいた。 意識して、The Beatles を遠ざけていたのかもしれない。

 それは、The Beatles こそすべてのロックの基本である、などと、オトナたちが口をそろえて言っていることに、反発ないしは違和感をおぼえたのかもしれない。 とにかくすごい、とか、多くのミュージシャンたちに影響を与えたのだ、と言っているけれど、どこが、どうすごいのか、具体的にどの人にどんな影響を与えたのか、ということを、きちんと説明してくれるオトナが周囲にはいなかった。 少なくとも、私が読む雑誌にも、その説明は書かれていなかった。 ただ、「基本である」 としか。 あたりまえすぎて、説明不要だと思われていたのだろうか?

 なんとなく、すごいのだろう、でも ... と思いながら、私はやがてパンク・ロックへ走ることになった。



 ここ掘れ / day after day

 そこから、さまざまな種類の音楽を、走り抜けるように、かたっぱしから聴いていったのだが、そうしていると、自然と The Beatles のアルバムも聴かざるを得ないことになった。

 じぶんは、ロック好きを公言してしまっている。 友人たちのあいだでもいちばんロックにくわしいことになっている (井の中の蛙、大海を知らず)。 だとしたら、一般的に 「古典的名作」 といわれているものを聴いていないでどうするのか? という半ば義務、のようなもので、The Beatles のアルバムを自ら買い求めるようになった。 そうして彼らの映画を観、彼らについて書かれた本を読んだ。

 すぐにはわからなかったけれど、あの時代における彼らの位置、彼らのやってきたこと(Bob Dylan に与えた影響や、英国バンドのアメリカ進出を切り開いたこと - British Invention など)、それぞれのメンバーの個性、歌詞にこめられたメッセージ、などがほんの少しわかったような気がした。

 そうして、すぐ好きになったのか、というと、そうでもなく。

 ほんとうに 「すごい」 と言えるのは、あの時代 (もしくは近い時代) に生き、実際に肌で感じとった人にしかわからないのではないか。 あるいは、大目に見ても、実際にじぶんで The Beatles の曲を演奏してみたことのある人しかわからないのではないか、という気がして、脱力してしまった。



 影法師 / a shadow hanging over me

 けれども。 好きになりたい、理解したい、という意志のあるなしに関わらず、「ロックの森」 を探索しつづけていると、自然と The Beatles という大木の存在に突き当たることになった。 私の愛するミュージシャンが、その当時よきライバル同士として彼らと競い合っていた、とか、彼らを偉大な音楽家として敬愛している、とか、彼らの影響を垣間見せている ... という事実に。 ほんの少し考えをめぐらせてみただけでも、ほとんどのミュージシャンがそのいずれかにあてはまるような気さえした。

 ‘Yesterday’ の歌詞ではないけれど、ロックを追いかけている私に、The Beatles が、まるで影のようについてくる。 そう。 逃れられないのである。

 数年前、ある音楽雑誌をたまたま見てみたら、The Beatles の特集で、彼らの作品で好きなアルバム、好きな曲は? という質問に、現在活躍している若手ミュージシャンたちがこたえていた。 そのなかには、The Beatles とは結びつかないような音楽性のアーチストもいて、なかなか興味深かったのだが。 回答者のほとんどが、なんの迷いもなく好きな作品を即答していたのではないか、と想像した。 ごく自然に、ごくふつうに The Beatles を聴いて育ってきたのではないか? だから、好きな曲は? と聴かれても、すぐにこたえが出てくるのではないか? それぞれのアーチストが、それぞれの Beatles を有しているのではないだろうか? と。

 また、こんなこともあった。 数年前、あるシンガーソング・ライターのライヴを観に行ったとき ― ちょうど、George Harrison が亡くなって間もないころだった ― 、自身のオリジナル曲のあいまに、とつぜん、「George に捧げる」 と言って、George Harrison 作の The Beatles の曲 (‘I Need You’) を歌いはじめた ... なんてことが。 それまでそのシンガーは、The Beatles が好きだとか、影響を受けたなどとは直接的に表明していなかったのだけれど、それでも哀悼の意を表するというのは、やはり当然のように己が根として The Beatles があるということ意味しているのかもしれない、と思った。 そして、それは、決してめずらしいことではなく、多くのミュージシャンが George Harrison の訃報に、おどろき、かなしんだのではないか、と。

 これが、The Beatles が 「すごい」 ということではないか? と思うのである。 そう思うようになるまで、時間はかかった。 しかし、そんなに 「すごい」 のであるなら、やはり聴くしかない、と、聴いて聴いて聴きまくった。 耳鳴りがするくらい、脳みそが溶けそうなくらい ... 。 そして、いまでは、好きだ、と言える曲もできた ... と思う。



 なりゆきに / Let It Be

 そんなに無理してまで聴かなくても ... 。 好きなものだけ聴いていればいいじゃないか ... という気もする。 けれども、じぶんでは意味のある模索だったように思っている。

 ロックの歴史を語るうえで、どんなことがあっても、外せない存在なのだから ... 。

 けれど。 ロックはいやいや聴くものではない。 その歴史を知るために、仕方なく聴くものでもなく。 ロックはそもそも自由な音楽であるはず。

 パンク・ロックが、商業化したロックへの反逆であったなら、ロックンロールそしてロックは、既成のポップスに飽き足らなくなった若者による、若者のための音楽だったはず。 まさに Elvis Presley が、The Beatles が、そうであったと聞く。 いまとなってはそのさまを想像してみることしかできないが。

 The Beatles は、八年の活動期間中にオリジナル・アルバム十二枚を残した。 また、録音した曲数は二百十三あると言われている。

 もしかすると、これらの曲のなかに、その当時の若者が熱狂したような新鮮なおどろきを与えてくれるようなものが潜んでいるかもしれない。 そして、ふとしたきっかけで 「その一曲」 ―― こころから好きだ、と言えるものに出会えることもあるかもしれない。 そう考えると、私は、わくわくするのである ... 。 私は、まだまだ The Beatles という大きな地図のうえを模索しているのかもしれない。



 おわりに / The End

 音楽評論家の中山康樹氏は、著書 『超ビートルズ入門』 で、まず The Beatles を聴くには、なにから聴いていけばいいか、ということで “Past Masters Volume 2” を挙げられていた。 なるほど。 名曲ぞろいである。 いきなり、ヴォリュームのある “White Album” や、サイケな “Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band” などからは入らずに、まずはアルバム未収録のシングル・コレクション第二集から、ということのようである。

 では、こんな私であるが、じぶんならば、なにからすすめるだろう? 私も、あえてアルバムではなく、すっと入りやすいシングル集ということで赤盤か青盤を ... とも思ったが、それでは中山氏のまねに過ぎないので、やはりアルバムから選ぶことにしようか ... 。 音づくりや詩世界に、その後の深みがまだ感じられないのかもしれないが、すなおに 「いいうた」 だと思える粒よりの曲がぎゅっとつまった “Rubber Soul” をおすすめしてみようか。



 ちなみに私は、アルバムでは、“Sgt. Pepper” から入った。 それを言うと、たいていは驚かれるが。 だって、「歴史的名盤」 だなんて言われているんだもの。 そりゃあ、聴いてみたくなる、さ。



 BGM:
 Ramones ‘Rock 'n' Roll High School’
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ロックロック、こんにちは。 (予告編)

2004年05月30日 17時41分39秒 | 音楽
(予約エントリ)

(一両日中に本文をアップします)
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グッド・ヴァイブレーションズ

2004年05月25日 12時12分22秒 | 音楽
 夏が近づくにつれ、The Beach Boys が聴きたくなる。 さむい冬に聴く、美しいバラード ‘God Only Knows’ や、 ポップソング ‘Darlin'’, ほんわかしたカリプソ調というか、バハマちっくな ‘Kokomo’ なんかもいいけれど。 やっぱり Beach Boys は、夏に限る ?!

 このあいだ、いっしょに呑んだくれて、電車がなくなってしまったため、泊めてくださった会社の先輩宅で、『エド・サリヴァン・ショー』 の DVD を観せていただいた。

 Elvis Presley, Bo Diddley, Fats Domino, The Beatles, Rolling Stones, The Animals, Smokey Robinson & The Miracles, Four Tops, Stevie Wonder, Sly & The Family Stone ... などなど、豪華かつ貴重な映像ばかりで、くぎづけになってしまった。
 (ロックにくわしいふりをしているのだが、じつは、音だけは知っていても、若かりしころの姿をよく知らないグループ、動いている姿を見たことのないアーチストがいっぱいいるのだ)

 そんななかで、とくに印象にのこったのが、The Beach Boys の ‘Good Vibrations’ の演奏風景か。 この曲は、Brian Wilson と Mike Love の共作であるが、Brian Wilson が、テルミンらしきものを操っている ! たしかに、この曲には、「ほわんほわん」 という不思議な音が入っていて、テルミンなのだろうな、とは思っていたのだが、Brian が演奏しているとは思わなかった。 テルミンを導入したプログレッシヴなアレンジといい、完璧なまでのコーラスワークといい、いまさらながら感動してしまった。

 また、この歌は、「すてきな波長 (vibration) のようなものを感じる」 というもので、詞も秀逸なのだが。

 先輩から、「『グッド・ヴァイブレーションズ』って、エッチな歌だよね? 」 と言われた。

 ちがうといえばちがうし、そうといえばそう ... だろうか。

 「あの子はぼくを興奮させる (She's givin' me the excitation)」 と言っているし ... 。

 でも、先輩の場合、「グッドなバ○ブ」 の歌だと勘違いしているっぽい ..... ?!

 ぬぬぬぬぬ。



 BGM:
 Flipper's Guitar “Doctor Head's World Tower”
 * Flipper's Guitar が The Beach Boys が好きだ、というのは有名だと思うけれど。
  ‘God Only Knows’ をサンプリングした曲や、 "good vibrations" というコーラスの入る曲が収められている三枚目にして最終作。
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グラビアクイーンの憂鬱

2004年05月18日 23時38分38秒 | 音楽

 先日、友人のバンドのライヴを観に、下北沢のライヴハウスに行ったら。

 なぜか、「元」 グラビアクイーンと言われていた人のライヴも 「対バン」 で行われたので、ついでに観てきた。

 私の記憶のなかでは、たしか、一昔前のアイドル然とした、ちょっと古風な感じの女性というイメージがあったのだが、出てきたのは、ごくふつうの いまどきの女の人。

 グラビアクイーンだったのなら、スタイルは相当良いであろうはずなのに、身体の線を強調するような服装もしていなかったし。

 きっと、「元」 グラビアクイーンというイメージを払拭し、音楽で評価されたいと願っているのだろう。

 が、その音楽、なんというのだろうか、「ロックっぽい」 ハードな演奏に女の子の心情をのせて切々と歌う、いまどきの 「オンナノコ・ロック」 とでも言うのだろうか、べつだん目新しいところや特筆すべきものは 私には感じられなかった。

 客席にいた皆が皆、とくに反応もなく、ただじっと座って聴いていたところを見ると、そう思っていたのは私だけではなかったはず。

 あきらかに寄せ集められただけのバックのミュージシャンたちは、じぶんの腕前を誇示しようと躍起になっているばかりで、「バンド」 としてのまとまりはない。 かの女の声は、轟音ギターにかき消され、客席との温度差は拡がるばかり。

 かの女はいらだたしそうに、なにかを叫ぶも、それすらも聴こえない。

 「元」 グラビアクイーンが、その大きな胸をひたかくしにしながら、小さなライヴハウスで、ロックバンドをバックになにかを伝えようとしている ― そんな場面にじぶんが居合わせたことに、なんとも不思議に痛々しい気持ちがした。

 かの女が、自己を表現していく道程で一筋の光でも見出すことができればよいのだが。



 # ほんの通りがかりに見かけ、もう二度と会うこともないであろう人だけれども。
 # おまえもなー、という気もするけれども。 ...



 (初出: 2004.2.13 再出: 2004.5.18)

 BGM:
 The Smith “Queen Is Dead”


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当て馬 / Crazy Horse

2004年04月29日 02時46分15秒 | 音楽
 わたしの 「かれ」 は、ギターリストなのだけれど。

 歌もうたう。

 わたしは、かれのうたが好きだけれど。

 かれがうたっている場所で、かれは 「当て馬」 なのだそうである。



 「当て馬」

 (1)牝馬(ひんば)の発情の有無を調べるために、仮にあてがう牡馬(ぼば)。試情馬。
 (2)相手の出方を探るために、仮に表面に立てる人。
  「―候補」

  goo 辞書 より



 ... そうなのね。 かなしいかなしい言われよう。

 けれど。 「当て馬」 には 「当て馬」 の意地がある。 「当て馬」 には 「当て馬」 の反撃も ... ?

 まけないで。

 つづけていれば、いいことも、あるさ。



 BGM:
 Neil Young & Crazy Horse “Everybody Knows This Is Nowhere”
 (Yes, I'm gonna waste my life with you. --- ‘Cinnamon Girl’)



 (revised 13 May, 2004) (CD ジャケット画像削除)
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『iPod』のシャッフル再生で音楽の聴き方が変わる?

2004年04月27日 15時55分42秒 | 音楽
 hotwired より

 『 『iPod』 のシャッフル再生で音楽の聴き方が変わる』


 「音楽ファンの多くは、iPod を購入したり 『ウィンアンプ』 や 『iTunes』 (アイチューンズ) といったジュークボックス・ソフトをインストールしたりした直後の感想として、曲のランダムなシャッフル再生がいかに楽しいかを熱狂的に語っている。」

 「アルバムを最初から最後まで通して再生するといった、古臭くて堅苦しい聴き方をやめて、再生する曲を音楽プレーヤーに無作為に決めさせることが人気を集めている。 そうすることで、思いがけない取り合わせの曲が前後して再生され、それが往々にして面白い効果を生むのだという。」



 とのこと。

 機械まかせでランダムに再生したときの、新鮮なおどろき、というのは、わかる。 「あれ? この曲って、こういう感じだったっけ?」 と、その曲の別の一面を知ることもある、というのは事実。

 先日、パーマをあててもらった美容院で、「さっきもかかっていたような ... 」 という曲が流れていたので、美容師さんに訊いてみたところ、CD が五枚入る再生機で 「シャッフル」 させているのだ、と言われた。 曰く、「CD を入れ替えているひまがないので、シャッフル再生するようにしている。 そうすると、一日中同じ CD でも、あきない」 とのこと。 なるほどねえ。 こんなところでも、「シャッフル再生」 が有効活用されているのだ。

 しかし、引用元の記事にもあったが、



 「 「個人的には――といっても、多く頑固オヤジの気持ちを代弁していると自負しているが――オペラの全曲であれポップスのアルバムであれ、アーティストが決めた通りの曲順で音楽を聴くことは価値があると思う」 とケラリス教授は語る。」

 「 「時間的な順序は、作品が上演時間の中でいかにダイナミックに展開するかを決める重要な要素であり、芸術的効果の基礎となる大切なものだ。 ランダムなシャッフル再生は、それをむざむざトイレに流してしまうようなものだ」 」



 というのも、肯けるのである。

 すべてがそうだとは言えないと思うのだが、そもそも 「曲順」 とは、その作品を生み出した人が、もっとも効果的であろうと計算したものであったり、この順番で聴いてほしいと願ったものではないだろうか。 また、The Who の “Tommy” や、The Kinks の “Arthur” などの 「コンセプト・アルバム」 であれば、やはりその順番で聴かれることが望ましいのではないか。 なんて思ってしまう。

 なので、個人的には、まずは曲順どおりに聴きたい。 聴いて聴いて聴きまくって、あきたら、「シャッフル」 してみる、というくらいがいいかな、と思う。

 ふつうに一枚を通して聴かず、いきなり iPod に落として、いきなり 「シャッフル再生」 してしまう人もいるみたいだが ... 。 月に買う CD の量が半端ではない人だったりすると、家でじっくり聴いているひまなどないらしい。

 ちょっとまえに、ある人と、とあるミュージシャンの新譜について話し合っていたとき、私が、「あのアルバムの一曲目、いいよねえ」 と言ったら、「一曲目ってどういうのだっけ?」 と言われた、というウソみたいなホントのこともある ... 。

 利便性や斬新さなどに走ることで、なにかを失ってしまっては、もったいないような気がしてしまうので、私は、「聴き方」 のひとつの選択肢という程度にとどめておきたい。



 が、



 「最近では、デジタル・ジュークボックスのシャッフル再生でランダムに選ばれた25曲をブログで公表し、ランダムなシャッフル再生の楽しさを共有しようとするブロガーが増えている。」



 というのは、ちょっとおもしろそうなので、真似しちゃったりしてね。

 今朝の通勤時の五曲。 とか。

 毎日毎日記録していって、一日たりとも同じものが出てくることはないのだろう、と考えると、わくわくするような気もする。 じぶんの音楽嗜好を、機械的に、無作為に記事にしていく、というのは、新しい表現手段かも知れない。

 そのうち、『淡々とシャッフル再生を記録するよ』 なんて blog も出てくるのかな ... (もう既にある??)




 その他関連情報? :

 CNET Japan
 ・『iPodブームに便乗する有名ブランド--グッチやプラダから専用ケース』
 ・『「1000曲も入れば十分」--携帯音楽プレイヤーに関する米調査』



 BGM:
 The Kinks “Arthur - Or the Decline and Fall of the British Empire”



 (revised 13 May, 2004) (CD ジャケット画像削除)
コメント (4)
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