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運命の手 / Hand of Fate

2005年01月24日 22時11分05秒 | 現実と虚構のあいだに
 short story:



 お正月に、実家へ帰省したときの話でもしようかしら。

 父が還暦を迎えたため、家族でお祝いの食事会するというので、時間をつくって駆けつけたのだけれど。

 わが父は、(世代的にか) 若かりころに貧しかったせいか、現在はその反動ででもあるかのように、食事に対して 口うるさい。 そして、ベタな、ちょっと高級品が好きである。

 兄たちは、近場でゆっくり、お鮨(すし)でも。 と考えていたようなのだが、主役である父が、蟹(かに)がいい、しかも、どこそこの蟹がいい、などと言うので、ちょっと遠出して、父ご指名の店で蟹三昧してきた。 どこからどう見ても家族であることに間違いのない、同じような顔をした総勢十名ほどの猛者どもが、一心に蟹を貪る姿 …… それはそれは壮絶であったことだろう。

 しかし、実をいうと、私は、蟹があまり好きではない。 いや、嫌いではないけれど。 なんというか、食べるときに手が汚れるのが、いやなのである。 だから、葡萄とか蜜柑とか、手で食べる果物もあまり好きではない。 なにか加工してあれば食べるのだけれども。 もっとも、手で食べるものすべてが嫌い、というのではなくて、「手に汁がつく」、「手がべたつく」、「手が汚れる」、ということに異常に反応してしまうのだ。 潔癖症などということばでは片づけられないような、なにか拘り(こだわり)でもあるのだろうか? 小さなころに トラウマ体験にでも遭ったのだろうか? ―― まあ、そんなこんなで、食事会のとき、私はひとりで、蟹刺しを肴にちびりちびりとお酒を呑んだりなどしていた。 目のまえに たんまりと盛られた殻つきのボイル蟹の山を 手付かずのままに。

 食事をしながら、兄たちと話をしていて、父の会社の従業員である吉田さん ―― 通称 「ヨッちゃん」 ―― が、昨年暮れに、会社を辞めた、というか、辞めさせられたのを知った。

 (私の父は、会社を経営している。 どうってことはない、小さな会社だが)

 吉田さんというのは、本名ではない。 彼は中国人だから、本当の名まえは、もちろん中国名だ。 彼を従業員として受け入れるときに、とある理由で 父が付けて差し上げたのだ。

 吉田さんは真面目で、よく働いてくださっていたそうだ。

 明るくて、ユーモアのある彼は、兄たち、とくに長兄とは懇意であったそうだが。

 昨年末、とある理由で あっというまに連れ去られてしまったのだ。

 ついさっきまで、すぐそこにいた人が、もう、遠い見知らぬ空の下にいる、というのは奇妙な気持ちがする。

 仕方のないことなのかもしれないけれど。

 そういえば、Michael Moore (マイケル・ムーア) のドキュメンタリー・フィルム、『アホでマヌケなアメリカ白人』 (“Awful Truth”) で、不法就労外国人が強制送還されるエピソードがあった。 送還される前夜の別れの様子が、なんだか ものがなしかった。 ―― ふと、そんなことを、思い出してしまった。

 吉田さんは、いったいどんな思いで、日本を離れたのだろう。

 なにかのきっかけ、なにかの縁から、ひと時 関わることになった私たち。 そして、運命の手によって引き裂かれた私たち。 私の父は、私の兄たちは、私は、吉田さんに、どんな思い出を残すことができたのだろうか ―― 。



 かくいう私は、吉田さんとは一度しか話をしたことがない。

 そのとき彼は、とても貧しくて、食べるものにも困っている状態だったため、とにかくお金が欲しかったのか、父の工場での作業で、一番過酷な仕事をみずからすすんでやっていたそうだ。

 私は、昨年、実家に帰ったときに、たまたま吉田さんと初対面したのだが、あまりにもほっそりとした姿におどろきつつ、「身体をこわしたら、元も子もないので、働きすぎは良くないですよ」 と、まあ、当たり前のことを言ったりした。

 吉田さんは、笑いながら、「モシ、カラダをこわしたら、そのときはそのときだヨ」 と言った。 とにかく、働いても働いても、ぜんぜん暮らし向きが良くならないのだそうだ。 父がお給料を渋っているのだろうか? なにか借金があったり、お国に送金などしているのだろうか? などと考えてしまった。

「モウ、いざとなったら、ユービンギンコウするしかないヨ」 と、吉田さんは言った。

 郵便銀行? いったいなんだろう?

「ユービンギンコウ、ユービンギンコウ ヨ!」 と、いきり立ってみせているが、郵便貯金をしたいのかしら? 銀行預金したいのかしら? それともなにか新しい業種をはじめたいのかしらと、ぜんぜん意味がわからなかった。 私がぽかん、としていると、吉田さんは、

「ジョーダン、ジョーダン」 と言って、笑っていた。

 私も、意味がわからないながらも、笑って返した。

 吉田さんは、急に、真面目な顔をして、

「アナタの手は、とってもキレイデスネ」 と言った。

 私は、ひざの上に乗せていた手を、なぜかあわてて引っ込めつつも、「そうですか?」 と返した。 手に対する 「拘り」 から、いつも手を清潔にして、手入れを怠らずにいるからか、手だけはよく褒められる。

「手を見れば、そのヒトがわかりマス、アナタは苦労をしたことがナイ」 と言う。

 精神的なものはどうか知らぬが、肉体的な苦労はあまりしたことはないので、その通りだろう、と思った。 私は、はにかんでみせた。 吉田さんは、

「ワタシにはイモウトがイマスが、そんなにキレイな手はしてナイ」 と、ポツリと言った。

 なんだか申し訳ないような気持ちになった。 いまどきの日本人の女性はみな、苦労など知らずに、のほほんと暮らしていると思われているのかしら。 などと。

 そういう吉田さんの手を見てみると。 ほっそりしているのに、ごつごつしていて。 爪がぼろぼろで、指先はささくれて。 ところどころ傷があって。 とても痛ましかった。 手を見れば、その人のことがわかる。 だとするなら、いったいこの人は、どんな人なのだろう? どんな人生を歩んできたのだろう? そう考えると、むねがちくりとした。

「こんな手じゃあ、ニホンジンのオンナノコ、ダレともデイトできないヨ」 私の視線に気がついたのか、吉田さんはじぶんの手を突き出してみせて、また笑った。 さみしい笑顔。

 ああ、わたし、手を引っ込めておいて良かった。 万が一、ほんのちょっとでも、あの手でふれられたりしたなら、私は、せつなさに泣いてしまっていたかもしれない ―― などと考えたりした。



 ―― 兄たちが、吉田さんの思い出を語り合っているのを聞きながら、私は、そんなことを思い出していた。

 ふと、長兄が、

「せや、ヨッちゃん、よく、郵便銀行しなきゃ、郵便銀行しなきゃって言ってたやろ」 と言い出した。

 ああ。 そう言えば、郵便銀行ってなんだったのだろう。

「それ、ほんとンところ、『銀行強盗』 って言いたかったらしいンだよ!」

「どこでまちがえたんじゃ」 ―― 三番目の兄。

「ヨッちゃんらしいやな。 おれ、ずっと、郵便銀行ってなんやろうなあって思ってたから、それがわかったときは、おっかしくておっかしくて、たまらンかった」

「しっかし、ヨッちゃんにゃあ、銀行強盗はできねえじゃろう。 だいたい、『郵便銀行』って言ってる時点で、失敗するに決まっとるわ」

「ちがいねえ」

 兄たちは、さびしく、笑い合った。

 私も 「郵便銀行」 に笑ってみせようと思ったのだけれど、変な空咳が出てきただけだった。

 正しい言い方をも知らぬような人が、ほんの冗談にも、異国の地で、そんなことをしなければ生きておれぬと考えてしまうほどの貧しさ、困窮、というのは、どういうものなのだろうか、と考えて、目のまえが暗くなるような思い。

 こんな私の、仕事がキツイだの、朝起きるのがツライだの、好きな人に会えなくてサミシイだのコシシイだの、やけになってお酒を呑みすぎてクルシイだの、毎日がツマラナイだの、手が汚れるのがイヤだの……、それがいったい、なんだというのだろう。 幸福すぎる、幸福すぎるのだ、私は。

 ずぶ濡れになると、人は、ちょっとした雨は気にならなくなるらしい。

 私は、いつもヌクヌクしているから、ちょっとかなしいだの、せつないだの、そんなことにくよくよして、冷たいだの、気持ち悪いだの、くだらないことを気に病んでしまう。 ああ、不幸なる幸福者か。 幸福なる不幸者か。



 ―― 私は、だまって、目のまえに たんまりと盛られた殻つきのボイル蟹の山に手を伸ばした。 そして、いっしょうけんめい味わいながら、冷えた蟹肉を噛みしめた。 吉田さんの、傷だらけの手を思い出しながら。 ずぶ濡れの笑顔を思い出しながら。










 BGM:
 Grant Green ‘抱きしめたい / I Want to Hold Your Hand’

 ご存知、The Beatles のカヴァー。 「手」 となると、記事タイトルにした Rolling Stones の ‘Hand of Fate’ とともに、まっさきに頭に浮かぶ曲。

 この曲は、ほかに The Supremes,Sparks などがカヴァーしている。

 しかし、(もう何度も何度も何度もどこかで言われていると思うけれど、) なぜ、邦題は 「抱きしめたい」 なんでしょうね。

 「握りしめたい」 とか 「おまえの手を握りたい」 では、曲タイトルにふさわしくないのかしら ... 。


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幸福を知らせるノック / Closing Time

2005年01月17日 12時05分38秒 | 現実と虚構のあいだに
short story:


 きょうも、また、一日が終わった。 長い一日が。

 おれは、ひとり、カウンターに凭(もた)れかかりながら、客にはぜったいに出さない とっておきのヴァイスを飲(や)っていた。

 重い腰を上げて、ふう、と ひと息をつきながらカウンターに入ると、かけっぱなしになっていたレコード ―― 客からリクエストされた Led Zeppelin のライヴ・アルバム、『狂熱のライヴ』 ―― を仕舞って、「いつものやつ」 に針をのせた。



    Tom Waits “Closing Time” (1973年)



 一曲目 ‘Ol' 55’ の軽やかなピアノのイントロにひきずられるように、一日の疲れが どっと身体にのしかかってきて、おれは、カウンターによろめきこんだ。

 そして、カウンターに顔をうずめながら、だれもいやしないのに、弁解めいたことをつぶやいた。 いや、ね、Led Zeppelin が だめだってわけじゃあないんだ。 Zeppelin も好きだよ。 ただ、いまは、「狂熱」 よりも、Tom の声がほしいんだ。 と。

 Tom の歌声は、おれの身に、そっと沁み込んでくる。 おれのまわりを囲んで、おれをすっぽりと包んで、やさしく撫でさすって呉れるような、そんな気がするのだ。

 午前三時。 だれもいない、閉店後の室内の薄明かりに ひとりまどろむおれは、Tom の歌声に守られていた。

 こわいものはなにもない。 なんの心配もない。 ―― そんなふうに思うと、のどの奥から、ふいに、涸れたつぶやきがあふれ出てきた。



   おれは しがない、バーのマスター。

   金もなければ、女もいない。

   おれは しがない、バーのマスター。

   この店だけが、おれの持ち物。

   それでいいのさ。

   それでいいのさ。



 あまりにもくだらなくて、自嘲すらも もったいない気がした。 どうやら酒が足りないようだ。 ―― おれは、二本目のヴァイスを取り出した。

 そこへ、店の戸を、コツ、コツ、コツ、と叩く音がした。 いったい、だれだろう? こんな時間に。

 見ると、ほんの少し開いた戸の隙間から、女の白い顔が出てきた。 店の客だ。 数時間まえまで カウンターで呑んでいた、ちょっとかわいい、女の子。 ちょっと? いいや、ホントは、すごく、かわいいのだ。

「あれ? どうしたの?」 とたずねると、その子は、

「辻さん! ごめんね、わたし、ケイタイ、置いてっちゃったみたいなんだけど。 なかった?!」 と、泣きそうな顔で訊いてきた。

 見渡してみると、カウンターの下に、メタリック・ブルーのカタマリが転がっているのが、すぐにわかった。

「ああ、あった! 良かったあ」

 彼女は、ほっとした様子で携帯電話を拾いあげると、コートの袖で、さすってみせた。 あたたかそうな、見るからに仕立ての良さそうなコート。 彼女の白い顔がくっきりと浮くような、深くて上品な、黒。

 そんなにいとおしいケイタイなのかね。 ―― なんて思いながら、おれは、その様子を見ていた。

 しかし、女の子のくせに、メタリック・ブルーってのも、変わってるよな。 まあ、こんなさびれたバーにひとりで呑みに来ている時点で、カワッタ女の子なのかもな。

 だいたい、彼女みたいな女の子が、なぜ、おれのところに来るのか。 彼女ならば、きっと、どこぞのこじゃれたバーのほうが似合っているような気がするけれど。 ―― そんなことを考えながら、じっと彼女を見つめていたせいか、彼女は、ちょっと照れたように、

「なに呑んでるの?」 と、おれのヴァイスのグラスに目を遣った。

 はっとして、おれは、眼差しをほどいた。 「ン? これ? ドイツの白ビール」

「ふうん、そんなの、お店のメニューにあった?」 なんて、すかさず彼女が訊いてくるので、おれは、ちょっと笑ってみせた。 彼女が、さぐるようにおれの眼をのぞき込むので、しょうがなくおれは、カウンターに入り、とっておきのヴァイスを取り出して、彼女に投げた。

 彼女は、しっかり受け取ると、「わあい」 と無邪気によろこんで栓を開けた。 そして、ぐいっとのどに押し込むと、「おいしい! 冬に合う感じ」 と声を上げた。 彼女は、かわいい顔をして、いい呑みっぷりをするのだ。

 あーあ、ホントは、グラスに入れたほうが うまいのに。 ―― なんて思いながらも、グラスを渡すタイミングを計れず、

「だろ?」 と、調子を合わせてみた。

「お店に置けばいいのに」

「おれは、ホントに好きなもンは、人には教えてやンないんだ」

 彼女は笑った。 彼女の、憂いを含んだようなソプラノ ―― Laura Nyro みたいな ―― が、薄暗い店のなかで心地よく転がった。 むかし、おれの家で飼っていた ねこの首輪の鈴音みたいだ、と思った。

 外の空気が冷たかったせいなのか、頬が染まっていて、彼女は、いつもより幼く見えた。 彼女は、ヴァイスの瓶を握りしめて、ちょっと首をかしげた。 白い顔に浮かぶ思案の表情。 おれがいつもカウンター越しに胸をときめかせる、あの、つややかな貌(かお)。

 考えてみると、こうしてゆっくり彼女と向かい合うのは、はじめてだった。 ひとりで呑みに来ていても、彼女は人気があって、野郎の客たちの絶好の話し相手になっていたから。

 思わぬ幸福なひととき。 たまには、いいこともあるもんだ。

 彼女は、すぐに帰ろうと思っていたのだけど、せっかくビールをもらったから、もう少しゆっくりしていくわ ―― とでも言いたいかのように、変な勢いをつけて、カウンターに腰を下ろした。

 “Closing Time” の A 面が終わったので、おれは、レコードをひっくり返した。

「これ、だあれ?」 ―― 彼女は、おもむろに、音楽のことを訊いてきた。

「トム・ウェイツっていうオヤジ。 このころはまだオヤジじゃないけどな」

「なんていうタイトル?」

「『クロージング・タイム』」

「『閉じている時間』?」

「ウーン、『閉店時間』ってことじゃネエカ? バーの閉店時間。 ジャケット見てみな。 そんな感じするだろ?」

「うん、そうね。 すてきね」 と言って、レコード・ジャケットにたたずむ Tom の姿 ―― 薄明かりのなかで、ピアノに凭れかかり、煙草を燻(くゆ)らす ―― に見入った。

「ああ、なんだか、これ、ほんとうに落ち着くね」

 彼女は、沈黙を避けるように ことばをつないだ。 酒のことを言っているのか、音楽のことを言っているのか、わからないけれど、きっと、音楽のことを言っているのだろう、と思った。 そんな彼女が、なんとなく、かわいらしく思えた。

 彼女は、ほんとうは、こんな時間に、こんなところに、いるような子じゃないんだ ―― そう思うと、おれの のどの奥から、一日の疲れを溜め込んだ しわがれた声がしぼり出てきた。 ―― ああ、彼女の声と、なんて ちがいなんだ。 美女と野獣か。

「だろ? アルバムのタイトルどおり、こうして店が終わったあとに聴きたくなるンだよね」

「お店が終わったあとにしか、聴かないの?」

「言ったろう? おれは、ホントに好きなもンは、人にゃ教えてやらないって。 みんながいるときには、かけないよ」

「いじわるね」

「ウン。 いや、ホントはさ、じぶんがものすごく好きなレコードって、つい聴き入っちゃうから、ひとりのときに聴きたいンだよね」

「ああ、そうね。 わたしもそうかも知れない。 ほんとうに好きな曲は、ひとりでじっくり聴きたくなるな」

「そうだろう?」 ―― こんなおれのたわ言に同調してくれる彼女のやさしさがうれしくて、おれはつづけた。

「おれはさ、『いやし系』 なんてことば、大嫌いだけど、この世のなかに、もし、人のココロをいやせる音楽ってもンがあるなら、このアルバムがそうかも知れない、なんて思っててさ。 一曲目のイントロ聴いただけで、ホロリとくるよ。 それくらい大好きだから、もう、客なんかほったらかしで聴き入っちまう」 ―― 調子に乗って、さらに音楽おたくぶりを発揮してしまう有り様だった。

 彼女を見遣ると、彼女は退屈そうな様子も見せずに、

「そんなに好きなのね。 ごめんなさいね、邪魔しちゃって」 と、あのブルージーなソプラノで包んで呉れた。 それは、古いピアノの、高いほうの音が さざなみを打つときのように、おれのむねを揺らした。

「いや、いいンだよ。 ナッチャンだから、特別」 ―― われ知らず本音が出てしまい、あわてて それをゴマ化すように、音楽の話に引き戻した。

「ナッチャンさ、イーグルスって知ってる? そう、『ホテル・カリフォルニア』 の。 あいつらがさ、トム・ウェイツの曲、カヴァーしてるンだよ。 このアルバムの一曲目。 ホント、いい曲だよ。 いや、ほかにも、いい曲いっぱいあるけどさ。 ナッチャンも、きっと好きだと思うよ。 酒呑みなら、きっと、沁みるよ。 トム・ウェイツ自身がのんべえだから。 のんべえのキモチを歌わせたら、ホントにすごいよ。 ナッチャンも のんべえだろ?」

「いやだ、わたし、そんなにのんべえじゃないもの」

 彼女は、クチビルを尖らせた。 ―― なんてかわいい口なのだろう!

「いいや、のんべえだね」 わざと、からかうように意地悪く言ってみた。 小学生か、おれは?

「もう、ひどい」

「もっと呑むかい? ヴァイス」

「ヴァイスなら、もらう!」

「やっぱり、のんべだ」

「のんべえじゃないもん」

 こんな真夜中にキャッキャとふざけて。 おれたちゃ、いったい、なんなんだ? まるで、すごく、イイ感じみたいじゃないか。 ―― ふいに我に返って、気恥ずかしくなった。 彼女は、こんな時間に、こんなところで、こんなおれと、ふざけ合うような、そんな女の子じゃないんだ。

 このままこうして、彼女と、朝まで語り合えたら、どんなにかステキだろう。 けれども、それは、ほんのひとときの、夢でしかありえない。 たのしい時間は、もう終わりだ。

 おれは、顔を引きしめて、「あのサア、やっぱり、もう、帰ンなよ」 と、歯をきしませながら、ゆっくり、言った。 言いたくもないことばを言わなきゃならないってのは、なんてみじめなのだろう。

 急におれがそんなことを言うものだから、彼女は、ほんの少し まゆを寄せてみせた。

 おれが、弁解するようにあわてて、「いや、もう遅いし。 明日も仕事だろ?」 と言うと、彼女は、そうね、と言って、立ち上がった。

 むねがズキン、と痛んだ。

「送っていこか?」 ―― 彼女のうしろ姿に問いかけた。

 彼女は、ちょっと振り返って、しずかに微笑んでみせた。 「辻さんって、やさしいのね。 でも、だいじょうぶ。 ひとりで帰れるから」

 そう言って、しずかにドアのほうへと吸い込まれていった。

 ああ、そうだ。 彼女は、おれなんかが、家まで送っていいような子じゃないんだ。 彼女は、ひとりで、戻らなくちゃいけないんだ、彼女自身の世界に。 サヨナラ。 オヤスミ。 また今度。 キミのうしろ姿を、ずっと見送るよ。

 ドアのところでふいに、彼女は、つと振り返った。 そして、

「辻さんは」 ―― いったんことばを切って、「辻さんは、わたしに、ヒミツを教えてくれたでしょう? 辻さんの、ほんとうに好きなもの。 だから、わたしも、わたしのヒミツを教えてあげる」 と、言い出した。 のどに詰まった小骨をするりと取り出すみたいに。

 まるで、蒼い花がひらくときのような、一瞬を感じた。 一瞬? 永遠?

「ええ? いいヨ! そんな、たいしたもンじゃないから!」 おれは、あわてて じぶんのむねのふるえを隠した。

 けれど、のどから小骨を取り出してしまった彼女は、引き下がらなかった。 「だって、人のヒミツを知るのって、重いでしょ? ヒミツをひとつ知るには、ヒミツがひとつ必要だ、なあんていう詩もあるんだから。 だから、わたしのヒミツを教えて、ひとつ、軽くならなきゃ」

 ―― おれは、うなづくしかなかった。

 蒼い花は、ゆっくりと頭をもたげた。 やっぱり、ほんの少しためらっているらしい。 けれども、一度ひらいてしまった花は、もう、引き返せないのだ。

 彼女は、にらむように、ぎゅっとおれを見つめた。

 いったい、なんだ? もう、この店には来ない、とか、結婚するの、とか? アタシ、ホントは、オトコなの、とか? ―― どうしよう。 どうしようもねえか。

 ああ。 このまま、なあんにも知らずにいたほうが、しあわせなのかもナア。 時間よ、止まれ。 時間よ、止まれ。

 彼女は、そんなおれのこころなぞ、知ってか知らずか、容赦なくつづけた。 まったく、女ってやつは。

「ほんとうはね」

 ―― ああ、やっぱり、オトコなのか? ばかなことを。 思いっきり眼を閉じて、その瞬間を待った。

「ほんとうは、わたし、ケイタイ、忘れていったんじゃないの」

 ―― 想像していたようなことばからあまりにもかけ離れていたせいか、意識を遠くにやっていたからか、なにを言っているのか、よくわからなかった。 でも、オトコじゃなきゃ、なんだっていい。 彼女が、彼女であるなら、それだけで、いいのだ。

「ほんとうはね、わざと、置いていったの」

 へえ。 わざとねえ。 で? ―― おれは、なにも言えず、ただ笑ってみせた。

「だから、わざとなの。 で、わざと、いま、取りに来たの。 お客さんがだれもいなくなってから。 だって、お店にいるときは、辻さんとゆっくり話ができないでしょう?」

 ふうん。 そっか、そっか。 よかった、よかった。 オトコじゃないんだ、女なんだ。 ホントによかった。

「なに、ニコニコしてるの? ちゃんと意味、わかってる?」 ―― 彼女は、もう、蒼い花ではなかった。 ついさっきまでのように頬を赤くして、無邪気な、怒ったような顔をしてみせた。

 そりゃあ、そうだ! こんなにかわいい子が、オトコのわけがない。

「ウーン、イミ? わかンない。 でも、よかった、よかった」

「なにがいいの? んもう、辻さんって、ほんとうに鈍感なのね」 と、彼女は、また、クチビルを尖らせたが、おれがへらへらしていたので、あきらめたようにため息をついた。

「わたしが今度お店に来るときまでに、意味、ちゃんと考えておいてよ、ね」

 そう言って、彼女は、ふわりと去っていった。

 おれは、彼女の残していった、なんともいえない、あたたかな余韻にひたりながら、ひとり佇んだ。

 意味? いったい、どんなイミがあるっていうんだ? 女ってのは、なんでああやって、妙な謎かけをするんだろう。 おれが鈍感すぎるだけなのか? ―― Tom Waits の歌声にまみれながら、ウンウンうなってみたけれど。

 ようやく意味がわかり、〈そうだったのか、こんなおれを?〉 という うれしい気持ちと、〈いやそんな馬鹿な、こんなおれだもの〉 とじぶんを制する気持ちで、むねがいっぱいになったのは、ちょうど、レコードが “Closing Time” の最後の曲を奏でるときだった。

 “Closing Time” ―― 不思議な、四十五分 五十五秒 の物語。

 おれは、カウンターに残されたヴァイスの瓶を見遣って、大きく伸びをした。 そのまま、バンザイをしたくなった。

 おれは、店の戸を締め、階段を一気に駆け下りた。 三段飛び、四段飛びして降りたい気持ちを抑えつつ。

 そうして、いつもの帰り途を足早に歩きながら、考えたのは、幸福などというものは、待っているときには、来やしない、ということだった。

 幸福は、思ってもみないときに、すぐそこのドアから、やって来るものなのかも知れない、と。

 待って、待って、待ちくたびれて、もう、いいやって、あきらめたころに、ふいに。

 そうしていつも、おれたちを、あっと言わせるのだ。

 幸福を知らせるノックが、三回、鳴って。





―― TO THE WAITING FEW.
















 BGM:
 Tony Orlando & Dawn ‘ノックは三回 / Knock Three Times’

 (「なつメロ」 として括られている、トニー・オーランド & ドーンの 1971 年のヒット曲。 私は、まだ生まれていないときのものだけれど。 どことなく、なつかしさに、こころをくすぐられる曲である)

 (※ 裏 BGM としては、小沢健二さんの 「ドアをノックするのは誰だ」 をおすすめいたします :) )


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コーヒー一杯のあたたかさの問題 / オン・ザ・コーナー

2004年09月28日 00時00分00秒 | 現実と虚構のあいだに
 わたしの住むアパートの三軒先の角に、喫茶店がある。

 『オン・ザ・コーナー』。

 角っこにあるから? ううん。 それだけでなくて、Miles Davis のアルバムのタイトル、そのものずばり “On the Corner” から とったのではないかしら、なんて、勝手に想像している。 ジャズには、まったく くわしくないわたしが知っている、数少ないアルバムのひとつ。 だって、お店の入り口に、Miles のアルバム・ジャケットが飾ってあるのだもの。 きっと、そうよね ... ?

 この部屋に引越してきて以来、ずっと気になっているのだけど、じつは、まだ、お店に入ったことはない。

 引越し荷物の片づけやらなにやらが終わって、落ち着いたら、コーヒーでも飲みに行こう、と思いつつ、訪れるタイミングを逃してしまい、早や三年経つ。

 お店のマスターとは、ご近所同士、お互い顔は知っている、という感じだが、あいさつを交わしたことがない。

 この、中途半端な、「知り合い」 の関係。 いちばんやっかい。 ここそこの道端なんかで会ったりして、声をかけるか、軽く会釈でもするべきかと、一瞬悩むのだけど、結局、知らぬふりをして通りすぎてしまって。

 いまさらお店にも顔を出せなくなってしまった。

 もっとも、これは、わたしが気にしすぎているだけで、マスターは、なんとも思っていないかもしれない。





 お店で、柴犬を飼っている。

 名まえは、「きより」。 Miles Davis の Mile = 距離の単位をもじったものかしら、と、またも勝手に想像している。

 いつも、お店の外の花壇のところで、気持ち良さそうに居眠りをしている きより は、毛並みのよい、つややかな瞳を持った美人 (メスなのである) で、あまりのかわいさに、通りすがる人たちは、つい、その頭をそっとなでていく。

 機嫌のいいときは、勝手になでられるままになっているようだが、一度、機嫌が悪かったのか、なでられた瞬間、その相手 ―― 老婦人に向かって、わん! と吠えたところを目撃したことがあるが ... 。

 (老婦人は、あわてて走り去って行った)

 見た目の愛らしさとはうらはらに、人には媚びない、誇り高き乙女なのか。

 その様子を目の当たりにして以来、わたしは、お店の横を通りすぎるとき、なるべく きより のそばを通らないように、道の反対側のはしっこを歩いたりなんかして、きより を避けた。

 ある朝、いつものように、きより を避けながら通りすぎ、ふと、おそるおそる、きより のほうをふり返ってみると、きより がなんとも言えない、うらめしそうな眼で、わたしをじっと見送っているのに気がついた。

 その、せつなそうな眼が、ひどくわたしを動揺させた。 その日のあいだ、わすれられなくて、帰り道は、勇気を出して、きより のすぐ脇を通り、「きより」 と名まえを呼んでみた。

 無反応だった。 わたしは、仕方なく、そのまま通りすぎ、また、ふり返って、きより の様子を見てみた。

 気持ち良さそうに、眼を閉じて、寝ていた。 とりあえず、あの眼で見られなかったので、わたしは、ほっとして部屋に帰った。

 その翌日から、わたしは、通りがかりに、きより に声をかけるようになった。

 朝なら、「おはよーう」。 帰り、早い時間なら、「よっ」 とか 「やあやあ」 とか、遅い時間なら、「おやすみい」 なんて感じに。

 反応は、まったくなかった。 いつも、気持ち良さそうに寝ていた。

 それでも、わたしは、声をかけるのをやめなかった。 お店のマスターに声をかけられずにいるかわり、というわけではないけれど。 なんとなく、意地になっていたのかもしれない。





 そのうち、わたしに、好きな人ができた。

 あっというまに、好きになった。

 好きになって、好きになって、どうにもならなくなってから、その人には、すでに、かのじょ がいるということを知った。

 けれども、どうしても、あきらめきれなかったわたしは、その人に思いを告げ、もう二度と会わないつもりでいた。

 それなのに、結局、わたしたちは、定期的に会うことになった。

 この関係は、いったいなに? ... という疑問よりも、ただ好きな人といっしょにいられるよろこびのほうが大きくて、わたしは、流されるまま、彼との秘密のデートを重ねていった。

 その彼が、はじめてわたしの住む部屋へやって来て、そして去って行ったあと、思わず、ほろりと涙が出た。

 まさか、このわたしが、こんなことになるなんて ... と。

 このわたしが、こんなことをしてしまうなんて ... と。

 一晩中泣いたら、妙にすっきりして、決意が固まった。

 この恋のために、鬼になろう、と。

 朝、出かけるとき、いつもよりもしっかりした声で、きより に、「おはよう!」 と声をかけた。

 きより は、さすがにちょっとびっくりして、ぴくりを耳を動かした。 けれども、そのままの体勢で、顔を上げすらしなかったけれど。 初めての反応だった。





 そうして、わたしたちは、週に二回、会うことになった。 月曜日と木曜日。 彼はいつも、自宅で かのじょ と夕食をとることにしているのだけど、この日は、そとで食事をして帰っても大丈夫なのだそうだ。

 毎週、月曜日と木曜日、彼のために食事を作った。

 わたしは、この二日間のためだけに、生きた。

 ほかの日は、火曜日も水曜日も、そして、金曜日も土曜日も、日曜日も、わたしにとっては、空虚な、なんの代わり映えもしない日でしかなかった。

 月曜日は、ゆううつ ―― なんて、わたしの友だちは言うけれど。 週明けの月曜日こそ、わたしにとって、よろこびが幕開ける、もっとも輝かしい日に他ならなかった。

 まだ木曜? あーあ、早く休みにならないかしら ―― なんて、わたしの友だちは言うけれど。 週末のまえの木曜日こそ、わたしにとって、よろこびが花開く、もっとも満ち足りた日に他ならなかった。





 新宿駅南口改札まえ。 これが、わたしたちの、出会う場所。

 月曜日。 午後七時。 いつものように、ちょっと早めに来たわたしのもとへ、彼が、ゆっくりと、あらわれた。

 彼は、わたしの肩にそっと手を置いて、「さ、行こうか」 と、微笑んだ。

 ああ、この、ひとこと、これだけで、彼を待ちわびた日々の思いなど、ふき飛んでしまうのだ。

 そうして、わたしたちは、ぎこちなく、はにかみながら、電車に乗って、わたしの住む部屋の最寄り駅へ。 途中、スーパーに寄って、食材を買って、わたしの部屋を目指した。

 いつものように、『オン・ザ・コーナー』 で、きより に声をかけた。

 相変わらず、反応はなかった。

 彼は、くすくす笑いながら、「おそろしいくらい、いつも、反応がないね」 と言った。

 わたしは、はずかしくて、「そうなの。 でも、そのうち反応してくれるかな、と思って、いつも声をかけてるの」 と、いいわけをした。

 「そうだね。 そのうち。 つづけていれば、いいことも、あるよ」 と、彼が、ぽつんと言った。

 そのことばが、妙にむねにひびいた。

 その夜は、いつもより、さらに腕をふるって、得意料理を披露した。 彼が、「ほんとにおいしい」 と言って、満足してくれたので、うれしかった。

 今度は、もっと、もっと、おいしい料理を作って、彼に、もっと、もっと、満足してもらおう ... そんな夢を見ながら、ふかくふかく、眠りにおちていった。


 


 そして、木曜日。 いつもの時間に、いつもの場所で。 新しく買った、秋らしいオレンジ色のスカートをはいて、彼を待った。

 しかし、彼はあらわれなかった。

 待つこと三十数分後に、携帯電話に一本のメールが。

 これで、わたしたちは、だめになった。

 いつか、こんな日が来るかもしれない、とは思っていたけれど。

 こんなにも、早く、こんなにも、あっけなく、訪れるものとは ... 。

 人のオトコに、手を出した、天罰さ。

 こころのなかで、あっけらかん、とつぶやく。

 あっけらかん、あっけらかん、と。

 ―― それなのに、涙があふれた。

 駅の改札で、人待ち顔の女が、とつぜん、泣き出すなんて。 ばかばかしすぎる。

 ああ、まさか、このわたしが、こんなことになるなんて ... 。

 このわたしに、こんなことが起こるなんて ... 。

 まるで、冬の毛の支度が間に合わなかった仔猫のような気持ちになって、とつぜん訪れた秋の肌寒さに、身も、こころも、ぶるぶるとふるえが止まらなかった。

 世界のかたすみで、わたしは、まったくの、ひとりぽっちだ。

 そんなふうにさえ、思った。





 泣きべそをかきながら、どうにかこうにか、帰路についた。

 『オン・ザ・コーナー』 の灯かりが見えた。

 窓ガラスの向こうで、マスターが、コーヒーをゆっくりと、ドリップしているのを見て、はっとした。

 こんな、泣きはらした顔を見られたくなくて、店から離れて、顔を下に向けて、こそこそと通りすぎた。

 きより。 ごめんね。 今日は、声をかける気分じゃないのよ ... と、こころのなかでつぶやきながら。

 そのとき、後ろから、「ワオーン!」 という鳴き声に捕らえられ、びっくりして、ふり返った。

 きより が、鳴いたのだ。

 「ちょっと、今日は、なんであいさつしてこないのよ」 とでも言いたいかのような、抗議の咆哮であろうか。 それとも ... 。

 わたしは、ことばもなく、ただただ、きより の顔を見つめた。

 きより も、じっと、わたしの顔を見つめていた。

 ふと、ガラス戸のなかを見てみると、マスターが、わたしに向かって、なにか訴えるような眼差しを送っているのに、気がついた。

 わたしのこころのなかで、するりと、なにかが落ちて、わたしは、さも当たり前のように、きより に見送られながら、お店の戸 ―― Miles のアルバム・ジャケットが飾ってある ―― を押し開いて、角のテーブルに、腰をかけた。

 「ホットコーヒーを、ください」

 マスターは、なにもかも、承知しているかのようにだまってうなづいて、すぐに、コーヒーを持ってきた。

 その、一杯のコーヒーのあたたかさ。



  「人生は、ときには、コーヒー一杯のあたたかさの問題なのだ。」



 これは、だれのことばだったかしら。

 ううん。 だれでもいい。

 お店のなかでは、Miles の “On the Corner” が流れている。 外では、美しい柴犬が、しずかな息吹をあげている。

 そして、あたたかなコーヒーが。





 きっと、明日も、だいじょうぶだ。










 (九月二十八日:Miles Davis が亡くなった日(1991年))





 BGM:
 Bob Dylan ‘One More Cup of Coffee’


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明け方の夢 / A Strange Day

2004年09月14日 22時07分08秒 | 現実と虚構のあいだに
 数年前に体験した、クラブ帰りの、ある朝の出来事。

 (ちなみに、「クラブ」 とは、オトナの夜の社交場のことではない ... って、まえにも書いたような ... )

 この話を周囲の人に話しても、「夢でも見てたんじゃないの?」 とか 「酔っ払って幻でも見てたんだろ」 と、流されてしまったのだが ... 。

 その日は、いつものように、明け方まで飲んだくれ、がんがんに踊り狂って、イイ気分で帰路についていた。

 考えていたことは、くだらないことで、<お酒がおいしかったなあ> とか、<はやく、あったかいお布団で寝たいなあ> とか そんなことくらいだった。

 はんぶん、夢見ごこちで、てくてくと歩いていたら。

 ふと、がさっという音がしたので、その音がしたほうに目をやってみた。 すると、貸し駐車場のようなところに、レスラーふうの覆面をかぶった男のひとがいて、私のほうに向かってのしのしと歩いてきた!

 覆面も仰天だったのだが、それよりも、びっくりしたのは、その男が、真っ裸だったこと (たぶん ... なにも着ていなかったはず。 確認したくなかったので、股間部には目をやらないようにしていたが)。

 私は、「あひィーッ」 という、楳図かずお氏の漫画の叫び声のような、うめき声のようなものをあげて、もちろん逃げ出した。

 そして、ちょうど前方を歩いていた、不倫カップル (?!) のような人たちに助けを求めたのだが、そのオジサンとオバサンは、知らんふりして、相手にもしてくれなかった ... 。

 仕方なく、自力で逃げのびようとしばらく走りすぎ、大きな通りに出てから、後ろをふり返ってみると、とりあえず覆面男が追ってくる気配がなかったので、私はほっとして、やや急ぎ足ながらも、ふたたびフツウに歩きはじめた。

 あの覆面は、いったいなんだったのだろう? こんな近所に変態がいるなんていやだわ ... などと考えながら、しばらく歩いていると。

 若い男の子が、路傍でバイクをふかしながら、なにやらごそごそやっていた。 私は、とくに気にもとめず、通りすぎようとしたのだが、ふと、なにげなく目をやってみると ...

 その男の子はズボンを履いていなかった!

 ごそごそしていたのは、じぶんでじぶんを慰める行為 (ひえ~ん!) をしていたのだ。

 私は、やはり、「あひィー」 と (心の中で) 叫び声を上げて、足早に通り過ぎた。

 なんなの?! このまちって、こんなに変態が多かったのかしら??

 そう考えるとだんだん不安になってきた。 いくら朝とはいえ、やはり怖かったし。

 もう、早いこと帰って、迎え酒でも飲んで、寝てしまおう。

 そう思いながら、早歩きしていると、今度は、私のとなりに、自転車に乗った男が、すっとやってきた。

 え? と思った瞬間には、もう胸をさわされていて、私は、「ギャー」 と叫び、酔ったいきおいもあってか、持っていたバッグで、思い切り殴りつけた。

 その一撃で、その自転車男はあきらめたのか、よろめきながら、あっというまに去っていった ... 。



 いったい、なんだったのだろう?

 たった十五分くらいのあいだに、二人の変態と、一人の痴漢に出くわしてしまったなんて。

 やはり夢でも見ていたのか。 あるいは、そういうアブナイ街というだけのことだったのか。 はたまた、「男たち」 が もんもんとしてしまうような、そういう季節だったのだろうか ... ?

 もしかして、だれかのイタズラだったとか、「ドッキリカメラ」 (古っ) だとか、そんなんじゃないかしら、などと解釈しようとしたけれど。

 その後も、件のクラブに行く途中で覆面男を見かけた (!) ので、やはり現実に起きたことなのである。

 (そんなことがあっても、懲りずにクラブ遊びしていたのかい!)





 なにが、「彼ら」 をそうさせてしまったのか、私には知る由もないけれど。

 不思議な世界を垣間見てしまったような、そんな夏の終わりのできごとだった。





 BGM:
 The DOORS “Strange Days”

 (やっぱり ドアーズ ... )



 奇妙な日々がぼくたちについてまわる
 ありふれた日常をぶち壊そうと
 そうなったら、もう、ぼくたちは
 はしゃぐか、他のまちを探すかしかない

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おれと五匹と一匹

2004年08月03日 17時28分10秒 | 現実と虚構のあいだに
 「おれと五匹と一匹」


 おれの住むアパートの塀のそとに、まだ目も開いていないねこの赤ちゃんが、捨てられて、ぴゃーぴゃー泣いていた。

 しょうがねえな、と思い、とりあえず、部屋のなかに入れてやった。

 まだ生まれたばかりだった。 手のひらに乗るくらいちっちゃくて、抱き上げるとくずれそうなくらい、やわらかかった。 そして、あたたかった。

 おれは、そのねこの世話をすることにした。

 バニラ・アイスのカップに入れられていたから、「バニラ」 と名付けた。

 とにかく、目が開くまでがたいへんだった。 ミルクを飲ませてやったり、トイレの世話をしてやったり。

 後ろ足がなかなか立たなくて、ひょっとしたら、歩けないのかな、と思ったけれど、やがて、目が開くころには、しっかりと立てるようになった。 自由に歩けるようになってからは、やんちゃになりすぎて、こっちが翻弄されるくらいだった。 おれが家に帰ってくると、おれの大事なアナログ・レコードが散乱していたり、ギター・ケースに小便をされたり。 さすがに怒ってやろうと思ったけれど、情けなさそうな、ぴゃーという泣き声を聞くと、どうしても怒る気になれなかった。

 ある夜のこと、いっしょに寝ていると、バニラが、とつぜん おれの手のひらをちゅーちゅーと吸い出したことがあった。 ほかにも、枕やふとん、ヌイグルミなどのやわらかいものを見つけては、ちゅーちゅーちゅーちゅー、際限もなく吸うようになった。 そして、仕舞いには、じぶんの前足の肉球をちゅーちゅーやるようになった。

 ああ。 きっと、お乳が恋しいのだな、と思った。

 目も開いていないころに捨てられたのだから、きっと、母親のお乳を吸うこともできなかったのだろう。

 かわいそうなやつだ。 これから先も、ずっとお乳を恋しがっていくのだろうか。

 それから、一年ほど経って、また、目も開いていないねこの赤ちゃんが、塀のそとで、みゃーみゃー泣いていた。

 そいつは、チョコ・アイスのカップに入れられていたので、「チョコ」 と名付けた。

 チョコがやってきたとき、さいしょは戸惑っていたバニラだったが、なんとなく、母性のようなものが目覚めたのか、チョコの世話をするようになりはじめた。 じぶんがまもってあげなくて、ほかにだれが? という義務感にでもかられているかのように。

 チョコは、目を開くようになると、バニラと同じように、お乳を恋しがりはじめた。 おれの手を吸ったり、ふとんを吸ったり。 そして、やがて、バニラのおっぱいを吸いはじめた。 さいしょはいやがっていたバニラだが、あきらめたのか、「母親」 としての義務感からか、身を固くして、なにも出るものがないお乳を、チョコに吸わせてやるのに堪えた。

 そのうち、バニラ自身の乳吸い癖は、なくなった。 どういうことだろうか。 擬似的にお乳をあげることで、自身のお乳への執着というか欠乏感を置き換えることができるのだろうか?

 その一年後、またまた目も開いていないねこの赤ちゃんが、塀のそとで、にゃーにゃー泣いていた。

 抹茶アイスのカップに入れられていたから、「マッチャ」 と名付けた。

 バニラとチョコの関係と同じように、チョコがマッチャの世話をしはじめた。 マッチャはチョコのお乳を吸った。 そして、チョコは バニラのお乳を吸うことをしなくなった。

 その一年後には、「アズキ」 が仲間となった。

 やはり同じように、マッチャがアズキの世話をはじめ、アズキはマッチャのお乳を吸って、やがて、マッチャの乳吸い癖がなくなって ... 。

 そして、さらに一年後には、「イチゴ」 が。

 やはり同じである。 アズキがイチゴの世話をして、イチゴがアズキの乳を吸い、アズキの乳吸い癖が ... 。

 この調子では、また一年後に、お乳を恋しがる赤ちゃんねこを拾わなければ、イチゴだけが、やり場のない、お乳への執着と欠乏、渇望をかかえたままになってしまうかもしれない。 ひょっとしたら、微妙なバランスで保たれてきたわが家の事情が、一変してしまうのでは ... 。

 目も開いていない赤ん坊のねこを捨てるなんて、なんてひどいことをするやつだ (、たぶん、ぜんぶ同じやつだろうか)、と思っていたけれど。

 どきどきしながら、いつもの季節を待つと、

 今度は、目も開いていない 犬 の赤ちゃんが、塀の外に捨てられて、くぅーくぅー鳴いていた。





 レディー・ボーデンのカップに入れられていたので、「ボーデン」 と名付けた。





 はたして、イチゴとボーデンの関係がどうなるのか、おれにはわからない。 けれど、こうする以外に、なにか方法があるだろうか?

 おれと五匹と一匹を、どうか、見守りたまえ !





 BGM:
 Stray Cats “Something Else”

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携帯電話メモリーズ

2004年07月31日 23時10分09秒 | 現実と虚構のあいだに
 「携帯電話メモリーの女」



 わたしの携帯電話は、送信済みメールを、百件までしか保存しておけない。

 百件を越えると、メール送信ができないのだ。

 「あの人」 へ送ったメールは、ぜんぶ、保存してきた。 友だちへ送ったメールを、一件ずつ、削除しながら。

 ちょうど、「あの人」 あてのメールを九十九件送ったとき、「あの人」 へ、別れを告げた。

 そして、いまは、別の人へメールを送るようになった。

 「あの人」 あてのメールを、一件ずつ、削除しながら ... 。

 「あの人」 にあてたメールが、もう、いま、べつの大切な人あてへのメールに押しやられて、すでに、九件しか残っていない。

 これから、「あの人」 にあてたメールは、どんどん削除されて、五件、三件、一件へと、減っていき、やがて、ゼロ件になるのだろう。

 そして、いまの大切な人あてのメールが、やがて、九十九件、保存されることになるのだろう。

 かなしいことだけれど。

 みんな、こんなかなしさを踏み越えていきながら、携帯電話ライフを、送っているのだろうか ... ?






 BGM:
 Steely Dan ‘リキの電話番号 / Rikki, Don't Lose That Number’

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福の毛の女 / Lucky Charm

2004年07月28日 23時11分25秒 | 現実と虚構のあいだに
 いつごろのことだろう? わたしの右ほほから、白くて長い毛が生えているのに気がついたのは。

 さいしょ、繊維か、ねこの毛がくっついているのかと思って、何度も何度も、払おうとして、結局、取れなくて、じぶんのほほから生えているのだと知ったときの、あの、衝撃だけは、いまでもはずかしいくらい、鮮明におぼえている。

 思春期の女の子には、あまりにもショッキングな事実だった。

 仙人さまじゃあるまいし、顔からこんな毛が生えていたら、お嫁にも行けないわ、と、嘆いて、いきおいで思わず抜いてしまった。

 しかし。 ふと気がつくと、また生えてきた。 白い毛が。 ひょっこりと。

 抜いても、抜いても、また。

 仕方ないので、そのまま放っておくことにした。



 十七歳のとき、はじめて彼氏ができた。

 理想のタイプとは、ちょっとちがったけれど、とっても繊細で、とっても優しい人だった。

 何度目かのデートをしたとき。 いつものように彼は、わたしの家の最寄りの駅まで送ってくれた。 名残惜しそうに、またね、と言う彼の顔をのぞき込んだら、彼が、はっとわたしの顔を見つめ返したので、わたしは、どきどきしながら、「その瞬間」 を待った。 じっと、じっと。 ほほを焼けるように熱くさせながら。 目を閉じて、ただ、じっと。 けれど、なかなか 「その瞬間」 が訪れなかったので、うすく目を開いてみると、彼が、凍りついたようにわたしの顔を凝視していた。 いや、正確には、わたしの右ほほからぴょこんと飛び出している 「毛」 を見つめていたのだ。

 それが、とても、ショックで、わたしは、なにも言わず、自宅へと転がるように帰っていった。 そして、ひとり、泣きながら、力任せにその毛を抜いた。

 その後、その彼とデートをすることは、二度となかった。

 それからしばらくして、その毛が再び生えてくるころ、あたらしい彼氏ができた。

 けれど、やはり、さいしょの彼と同じように、白い毛に目を奪われて、キスすることもままならないまま、二度目の恋も失敗に終わった。

 同じようなことを繰り返し、にがい思いを何度も味わったわたしは、あらたな彼氏ができたら、目を光らせて、その毛を抜くのを怠らないことを心に誓った。

 顔を洗うとき、お風呂に入りながら、トイレの鏡のまえで。 厳しいチェックによって、白い毛が彼氏に気づかれることはなかった。

 しかし。 あとになって、じつは、二股をかけられていた、ということがわかったり、浮気をされてしまったり、で、結局、長続きはしなかった。

 二十五歳のときには、もう、その毛は放っておくことにしていたのだけれど、そのとき付き合っていた彼氏と、ほんの小さないさかいごとがあったとき、こんなふうに言われて、わたしのプライドは、ずたずたに引き裂かれた。

 「なんだよ、顔から白毛のくせに!」

 それ以来、男の人と付き合うのがこわくなって、しばらく、独り身の女をしていたのだけど、三十歳の誕生日まぢかに、新しい彼ができた。

 もう、そのころには、わたしには女の子らしいところがなくなっていたから、白い毛のことをなにか言われたって気にしやしないつもりでいた。

 彼と、はじめてキスしたときのこと。 彼が、「あれ?」 と言うので、ああ、また白い毛のことか、と思い、わたしが、「これ、むかしから生えてるのよ」 と言ったら、

 「これ、福毛じゃん」 と言われた。

 「なにそれ?」

 「顔とか身体から一本だけ生えてくる、長くて白い毛って、福を呼ぶ毛なんだぜ」

 「そうなの?」

 「うん。 おれも腕に生えてるぜ、ほら」

 「あ、ほんとだ。 長いね」

 「まあね。 ずっと、生やしっぱなしだから」

 「あたし、何回も抜いちゃってた」

 「だめだよ。 福毛なんだから。 しっかし、顔から生えてるやつにははじめて会ったよ。 ずっと生やしておけば、ものすごい幸運に恵まれるぜ」

 ああ。 いままで、どうしてわたしは、福の毛を抜いてしまっていたのだろう! そんなことも知らず、きっと、みすみす幸福を逃してきてしまったのだ。

 このために、多くのものを失ってしまった。 若さ、女らしさ、素直な気持ち ... 。

 けれど、きっと、いままでの三十年間は、彼と出会うための、準備期間だったのだ、と思うことにしよう。 彼と出会うために与えられた、試練だったのだと。

 そう、わたしは、彼と付き合いはじめて、はじめて、人を愛するよろこびを知った。 愛されるよろこびも。 こんな幸福を用意してもらっていたことに、感謝しなければ。



 今日、これから、わたしは、彼と結婚する。 着付け室で白いドレスを見に纏ったわたし。メイクをしてくれる人が、ファンデーションをぬりながら、不思議そうにわたしの顔を見つめるので、わたしは、

 「あ、これ、むかしから生えてるんですよ」 と、白い毛のことを言った。

 メイクさんが、「抜いちゃいます?」 と訊くので、わたしは、

 「とんでもない」 とこたえた。

 「だって、これは、福の毛なんです」 と。





 goo 辞書より 「宝毛」



 BGM:
 The Apples in Stereo ‘Lucky Charm’



 # [追記]:
 # わたしは、肩に一本、ぴょこたん、と生えております。


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「わたしをわすれないで」 / ABC (Aoyama Book Center)

2004年07月27日 23時19分51秒 | 現実と虚構のあいだに
 いまから一年くらいまえ、

 おれは、ある女の人と、ひみつの関係を持っていた。

 おれたちは、会社のメールで、「逢い引き」 の連絡をとっていた。

 あの人が、会社のメールアドレスで送ってくるから。

 なんとなく、おれも、会社のメールアドレスで送りかえしていた。

 そうすれば、おれたちの 「逢い引き」 メールを、うっかり削除しわすれても、それぞれの見られてはならない人に、見られる心配はなかった。

 携帯電話を持っていないあの人と会うのは、新宿の本屋。

 青山ブックセンターの、マヤ・アンジェロウの棚のまえ。 これが、おれたちの、待ち合わせ場所だった。

 新宿、七時半。 たったこれきりの文字列だけで、おれは、仕事もそこそこに、マヤ・アンジェロウの棚へと駆け出していった。

 あるとき、待ち合わせ時間になっても、あの人が なかなかあらわれなかったので、すでに何度も読んだことのある詩集を手にとり、ぱらぱらとめくってみた。

 ふと、押し花を模した栞がはさまれていることに気がついた。

 いったい、どうしたのだろう? だれかが、なにかの思いを込めて、はさんだものだろうか? よりによって、マヤ・アンジェロウの詩集に? と、ちょっと気になったけれど、ふかく考えるのが、なんとなくこわくなって、本をぱたんと閉じた。

 そうしているうちに、あの人がやって来て、おれたちは、ひっそりと、新宿の街へと流れていった。

 その一週間後、また、あの人との待ち合わせのため、マヤのところへ出向いた。 あの人がまだあらわれていなかったので、ふと、例の詩集を開いてみた。

 やはり、また、栞がはさまれていた。 今度は、ちがう花を模したものだった。

 それ以来、あの人と、待ち合わせするたびに、マヤの本を開き、そのたびにちがう花を見ることが、「逢い引き」 のひとつのたのしみになった。

 けれど。 このひみつの関係をつづけていくことが、ひどく、ひどく、負担になってしまって、おれは、あの人にさようならを告げた。

 おれが、身を切るような思いで告げた、さようなら。 に、あの人は、こころを込めた、こんにちは。 を返してきた。 おれは、その場にくずれそうになりながら、声を殺して、泣いた。

 あれから、一年が経ち、「青山ブックセンター」 が破産してしまった、というニュースを知っても、そのときは、そうなのか、と思っただけだった。 たった一年しか経っていないのに? 一年も経てば、それはそうさ?

 仕事が早く終わったので、帰り道、ふと、青山ブックセンターに寄ってみることにした。 一年まえまでは、このエスカレーターを、はずむような気持ちで駆け上がっていた。 そして、マヤ・アンジェロウの棚を一直線に目指し、あの人の、長い黒髪、あの人の細い肩、あの人のちょっと猫背ぎみの後ろ姿を見つけるだけで、むねをときめかしていたのに ... 。

 それが、いまでは、もう、変わってしまって。 このエスカレーターをのぼるのが、こんなに憂鬱だなんて。 そして、おれたちの思い出の待ち合わせ場所が、跡形もなく、なくなってしまうなんて。

 おれは、一年まえに流した、あまりにもしょっぱすぎる涙を思い返しながら、マヤ・アンジェロウの棚のまえに立った。

 例の詩集を手にとってみる。 ぱらりとめくると、一年まえと同じように、押し花を模した栞がはさまっていた。 「忘れな草」 だった。

 ああ。 「わたしをわすれないで」 ! なんてことだろう。 一年まえのおれの悲痛な叫びが、こんなところにひょっこりとあらわれてしまったのだろうか、と思うと、とてもいたたまれなくなって、その場をはなれた。 めがねの奥に、涙をかくしながら。

 それから数日後、おれは、インターネット上で、青山ブックセンターで働く ある女性の手記のようなものを、偶然にも見つけた。

 その手記によると、その女性は、店で働くなかで、さまざまな人間模様を観察することがたのしみだったと語っていた。

 いろいろな人が、いろいろな目的で、あすこにやって来ていた、と。

 毎日のように、同じ本を買おうか買うまいか悩んで、結局本を棚に戻す学生。

 まるで好きな作家のものをいとおしんでいるかのように、その作家の本を、発表順に並び替える、若い女性。

 毎回ちがう女性を連れてきて、おなじ写真集を女性にプレゼントする年配の男性。

 いつも、同じ棚のまえで、待ち合わせをするカップル。

 ―― 「いつも、同じ棚のまえで、待ち合わせをするカップル」?

 そして、この店員の女性は、あるとき、ふと思いついた 「いたずら」 をはじめたという。

 いわく、彼女がいつも気にかけている人々の目的の本に、押し花の栞をはさみはじめたのだという。 その栞に気がついて、不思議がっている人々を、そっと見つめるのが、ひそかなたのしみだった、とか。

 そして、今回の閉店の知らせが発表されたとき、さいごの 「いたずら」 をした。

 この本屋のことをわすれないでほしいという願いをこめて、「忘れな草」 の押し花の栞をはさんだ、というのだ。

 ああ。 このことに、おれの 「あの人」 は気がついているのだろうか? おれたちは、見知らぬ人から、こんなふうに気づかわれていたなんて。 あの人と、この押し花の栞のことについて、語り合えたなら、どんなにかすばらしいことだろう。 けれど、もう、おれたちの恋は終わってしまった。 そんな日は、きっと、二度とやって来やしない。

 なんて、かなしい事実だろう?

 けれど、おれたちは、こんな、身を引き裂かれるような思いを、何度も何度も繰りかえしながら、生きていかなくてはならないのだろうか?



 ―― こんなかなしみのなか、おれを唯一なぐさめてくれるのは、青山ブックセンター閉店の日、手記を書いた店員の女性あてに、たくさんの花束が届けられた、というニュースだけなのである。







 * この物語は、フィクションです。



 関連リンク:
 ・asahi.com 「青山ブックセンターが営業中止」
 ・Nikkeibp.jp 「個性派書店「青山ブックセンター」閉店が示唆するもの」



 BGM:
 The Kinks ‘Do You Remember Walter’
 The Beatles ‘Hello, Goodbye’
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夏の香り / happy child

2004年07月22日 22時14分16秒 | 現実と虚構のあいだに
 「幸福な子、と書いて、幸子」



 そのころ、サチコは三軒茶屋の、おれは池尻の、木造アパートに住んでいた。

 サチコは、離婚するまで旦那といっしょにやっていたバンド活動をやめて、渋谷のライヴハウスでピアノの弾き語りをしていた。

 大阪から出てきて、髪の毛をブルーに染めたおれは、沿線のここそこのライヴハウスで、自作詩の朗読を行っていた。

 おれたちが、たまたまなにかの縁で、下北沢音楽祭というイベントに出演し、はじめて出会ったときに、おたがいにこころひかれたのは、なにも不思議じゃないことのように思えた。

 家が近かったせいもあって、かんたんすぎるくらい、あっけなく、お互いの家を行き来するようになった。

 おれたちの部屋には、風呂がなかった。 エアコンもなかった。 夏場はおたがいにつらかった。

 けれども、おれたちは、身を寄せ合って生きるほかはないかのように、じっとりと汗をかきながら、肌を重ねていた。

 おれたちの身体は、ぎすぎすに痩せすぎていて、抱き合うと、痛いくらい、きしみをあげた。

 ある日。

 おれが、あまりの暑さに堪えかねて、「エアコン、買っちまおうかな」 とつぶやいたとき、サチコは、ポケットから、小さなスプレイの瓶を出して、おれの鼻先に、シュッとやった。

 グレープフルーツの香りがひろがった。

 サチコは、「気付け香水ってわけじゃないけど。 ちょっとは涼しくなるでしょう」 と言った。

 たしかに、さわやかで、涼やかな香りが、ほんの気持ち暑さを忘れさせてくれるような気がした。

 オレンジでは、甘ったるい。 レモンでは、すっぱすぎる。 いろいろ試してみたけれど、グレープフルーツがいちばん、すっきりするのだという。

 ふたりで銭湯に行った帰り道、グレープフルーツのコロンをシュッとやってもらって、身もこころも洗われたような気持ちになって、ふっと、空を見上げたら、まん丸の月がそこにあった。

 おれは、サチコの手をとって、ぎゅっと握りしめた。 サチコがそれに呼応するかのように、おれの手をぎゅっと握りかえしてくれたとき、おれは、生まれてはじめて、幸福感のようなものに身を貫かれ、その手を、さらに握りかえしても足りないくらい、動揺をかくしきれなかった。



 けれど。 サチコは、もう、ここにはいない。

 旦那と より を戻したのだ。

 アルコール障害の旦那の暴力から逃れるために、死にそうになりながら、やっと別れることができた、と、言っていたのに ... 。

 おれには、女のこころが わからない。

 なぜ、じぶんを傷つけた男のところへ戻ってしまうのか。

 もう、後戻りできないくらい、傷つけられた女は、無意識に、みずからしあわせになろうとすることを拒むのだろうか。

 あるいは、人と幸福を分かち合うことに、不安や戸惑いを覚えるのだろうか。

 「幸子」 のくせに。 あいつ。 どうして ... ?

 たとえ、どんな理由があろうとも、力ずくででも、サチコを守りとおすことのできなかったじぶんの ふがいなさに、かなしいやら、くやしいやら。 涙があふれた。

 おれたちは、いったい、なんのために出会ったのだろう?

 ときに、運命というやつは、残酷なことをもしてくれるのか。

 見上げれば、あのときの同じ、グレープフルーツみたいな月があるのに。





 ビル風の吹き荒れる街中をさまよいながら、狂気的な暑さをしのぐために避難した、地下室の喫茶店では、タバコのけむりと空調の匂いが混ざった冷気が漂い、吐きそうなくらい、不快だった。

 ウィリアム・サマセット・モームの、岩波文庫版 『月と六ペンス』 を読むおれの となりの席では、女が、一心不乱に、携帯電話でなにか入力をしていた。

 氷で薄まった、グレープフルーツ・ジュースを飲みながら。



 BGM:
 Tom Waits ‘Grapefruit Moon’
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夏の花 / 向日葵

2004年07月21日 22時23分02秒 | 現実と虚構のあいだに
 おれの会社の対面に、マンションがある。

 いつごろのことだろう。 そのマンションに住まう、ひとりの女の人に気がついたのは。

 髪の長い、細面の女の人が、セクシーな恰好で、部屋のなかをうろうろしていた。

 ベランダでタバコを吸っていた。

 洗濯物を干していた。

 決して見るつもりはなかったけれど、ふと窓の外を見ただけで、目に飛び込んでくるその人の姿が、一枚、二枚、と、おれのむねのアルバムに収められていった。

 ある日、窓の外をのぞいてみたら、タバコの燃えかすだらけのベランダに、花瓶に入れられた ひまわりの束が置かれているのに気がついた。

 ねこじゃらしみたいなのや、かすみ草なんかが混じった、出来合いの花束のようだったので、なにかのパーティーでもらってきたものなのだろうか、と想像した。

 PC の入力作業がひと段落するたびに、おれは、そのまっ黄色に輝くひまわりの花に目をやった。

 夏の花らしい、鮮やかな色をじっと見つめていると、なんとなく、気持ちがひんやりと落ち着くような気がした。

 ひまわりがやって来て、何日か経った朝、出社して、いつものように窓の外に目をやると、ひまわりが、それまでとはちがうところに置かれているのに気がついた。 エアコンの室外機のうえにちょこんと置かれたひまわりたちは、太陽の光を一身に浴びていた。

 きっと、あの女の人が、たっぷり日光浴させてやろうと、そこに置いたのだろう、と思った。

 しかし、花瓶がたおれたりしないだろうか、と、ちょっと心配になったが、午前中はじぶんの仕事に専念した。

 昼になって、窓の外に目をやってみると、おれの予測どおり、エアコンの室外機のうえで、花瓶がたおれてしまっていた。

 なんてこった。 この陽気であのまま放っておいたら、ひまわりがくたばっちまう。

 もしかすると、あの女の人は出かけていないかもしれない、と思い、なんとか合図する方法はないだろうか。 と思ったが、そのベランダの奥のカーテンは、重く閉ざされたままだった。 きっと仕事に行っているに決まっている。

 では、マンションの管理者のところにでも行って、ひまわりのことを話せばいいのか。 いやいや。 そんなことできるわけがない。 たとえ、できたとしても、いつも窓からのぞいているストーカー野郎だと片付けられるのが関の山だろう。

 ああ。 どうしたらいいのだ?

 たとえば。 おれが、じぶんの開設している blog にこのことを書く。 それを、たまたまあの女の人が見て、はっと気がついてくれたら ... なんてことを考えた。

 けれど、そんなことはありえない。

 どんなに伝えたいことがあっても、どんなに情報伝達手段が発達していようとも、かなしいことに、人の力だけでは どうにもできないことが、この世の中にはあるのだ。

 おれは、なすすべもなく、むなしい焦燥感に襲われながら、ただただ、たおれたひまわりたちを見つめていた。

 午後中、ずっと気になって、仕事にならなかった。

 ひまわりたちは、たおれた花瓶にのこされた、わずかな水だけで、息もたえだえに、なんとか生きのびているように見えた。

 夕方になってのぞいたときも、まだなんとか生きていた。 早く、あの女の人が帰ってこないだろうか、と思ったが、あの人が、夜九時くらいにならなければ、帰宅しないことを、おれは知っていた。

 おれは、九時まで残業をしつつ、会社にのこった。 しかし、あのベランダの奥の部屋は、暗く、ひっそりと黙りこんだままだった。

 十時になっても、あの人が帰ってこなかったので、あきらめて、会社を出た。

 帰り道もずっと気になっていたけれど、ビールを飲みながらビデオを観ているうち、そのことは、すっかりわすれ、深い眠りに落ちた。

 翌朝、はっと目覚めて、いそいそと会社に向かい、いつものように窓の外を見やった。

 そこには、もはや変わり果てた が、花瓶のなかで、かなしげな姿をさらしていた。



 じぶんの無力さに、はらはらと崩れおちてしまうよな、猛暑の朝だった。





 BGM:
 Rolling Stones ‘Dead Flowers’

 (‘Send me dead flowers by the mail’)
コメント (8)
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