ちょっと、見つけた。
『ネット不条理公式50選』
(あちらこちらで見かけたので、あえてどこにも、trackback は送らないことに ... )
(人気 blog に trackback を送ることの 「利害」 を考え、どちらかというと、「利」 ではないほうをおそれてしまう、私 ... )
こちらのページでは、ネットについての法則を集めた
『WEB版マーフィーの法則』 から選り抜いた五十の法則が記載されていて、興味深い。
blog がこれだけ拡がってしまった今となっては、少々古いかな、というものがなきにしもあらずであるが (えらそう)、「個人サイト」 を 「blog」 に置き換えても読めるので、充分おもしろい。
個人的には、2, 5, 6, 8, 9, 14, 17, 20, 31, 33, 47, 49 あたりが、ウンウンとうなづいてしまう内容だったが、とくに気になったのは、50番。
『Going My Way』 の方も取り上げられていたけれど。 これだけ引用してしまおう。
50.ロムばかりだと嘆いてはいけない。 あなたのサイトをもっとも丹念に見てくれるのは、そういう人たちなのだから。
というもの。
はあ~。 身に沁みる ... 。
昨日の記事でも書いたが、昨日、七月二十六日で、この blog (のようなもの) を開設して、四ヶ月になった。 記事を書きはじめたのは、翌日二十七日からだけれど。 ときどき虫食いになっているが、ほぼ毎日、記事をアップしてきた。 現在では、私にはもったいないほど、見てくださる方がいらっしゃり、コメントまでたくさん頂戴できているが、さいしょは、(当然ながら?) それはもう、さむかった。
また、知っている人はほとんどいないと思うが、この blog,当初はタイトルを
『Boogle』 と言った。 意味はまったくない。 タイトルなど、どうでもいいと思っていたのだ。 おもしろいものを書いていれば、そのうちすこしずつ、お客さんがつくだろう、くらいな感じで。
そして、サブタイトル (というのだろうか) は、Janis Joplin の ‘Me and Bobby McGee’ (という曲) から引用した、
‘Freedom's just another word for nothing left to lose’
というものであった。 「失うものなど、なにもない」。 ... かーっ、かっこつけすぎ !
この blog をはじめるまえの話だが。 私は、たまたま技術を買われて、とある縁で知り合った音楽関係のコミュニティーのサイトで、やとわれ管理人をしているのだけれど、そこでコラム (のようなもの) を定期的に書いていたことがあった。
それなりに反応してくれる人もいたし、そのサイトを通じて知己となった人もいた。 まあ、そこそこ楽しくもあった。 ぬるい、馴れ合いの関係が。 しかし、そのサイトで書きつづけることに、いつしか疑問をいだくようになっていた。 いつまでもこの状態に甘んじていていいのだろうか? こんな私が、管理人風を吹かせて、勿体らしいことを書きつづけていていいのだろうか? と。
また、いろいろなしがらみやら、人間関係などで、書きたいことが思ったように書けないのが、どうにもこうにも嫌になってしまって、なにもかもを投げ出したくなった。 けれども、なにか書かずにはいられない、この表現欲求のやり場を、どこに向けていいかわからなかったとき、weblog というものが、ちらりと頭をかすめた。
いままでじぶんが築き上げてきた、それなりの評価やら交流やらなにやらを、ぜんぶ捨てて、一から、まっさらな状態ではじめたかった。 いますぐにでも、逃げ出したい、逃げ出した先で、早く、思う存分に書きたい、という気持ちが強かったので、無料の blog サービスを借りることにした。 できることなら、まだ、サービスがはじまってまもない、ある種の 「コミュニティー」 が形成されていないところのほうが良かろうと思った。 そんなとき、ちょうどサービスがはじまって半月足らずの goo BLOG に目をつけ、気がついたら、登録していた。
とりあえず登録を済ませ、とりあえずはじめた blog. タイトルもてきとう、コンセプトもない、独自のキャラクターもつくれない ... 。 こんなんでつづけられるのか、と思っていたが、毎日更新していくなかで、日々のアクセス数が徐々に増えていく (goo BLOG は日々のアクセス数を集計している) ことだけが、かすかなよろこびだったかもしれない。
コメントやなにか、表面にあらわれる反応はないけれど、観てくれている人が、五十人でも百人でもいるのが、わかることだけが。
いいものを書いていれば、そのうち、この五十人、百人のなかの一人が、なにかコメントのひとつでも書き込んでくださるかもしれない。 そのうち、また一人、そして、もう一人、と増えていくかもしれない ... と、しぶとく更新していたら、こんなんなりました、という感じであろうか ... 。
なので、
「ROM ばかりで、コメントが少ないことを嘆いてはいけない。 のちにコメントを寄せてくださる方々なのかもしれないのだから ... 」
というバーディーの法則(?)をつくってみたりして ... 。
そう。 つづけていれば、いいことも、ありますよ ... (なんて、えらそうだけれど)。
四ヶ月間、あまり人の動きや、人の発言に流されすぎず、じぶんの記事を黙々と書くのみ! ということを念頭に置いて更新してきた(つもり)。 無理せず、気負わず。 いちばんの目的は、じぶんの文章を、「読んでくれる」 人を、ひとりでも、増やすこと。
いまのところ、おぼつかなくも、成功しているように思うのだが ... 。
ついでといってはなんだが、『blog 不条理 十選』 (?) でも、挙げてみようかしら ... 。
(こちらも、ちょっと、ブラックかも ... )
一. 「好きだなあ、と思っている blog にかぎって、更新が止まってしまうことがある」
二. 「やっと、交流がはじまって、うれしい~と思っていた blog にかぎって、閉鎖することがある」
三. 「まえから気になっていたのに、訪れたことのない blog. はじめて読む記事は、『引っ越します』」
四. 「批判的なことを書いているのかな? と思わせるタイトルのものを、おそるおそる観に行ってみると、じつは、ゆかいな内容だったりする」
五. 「なんか、怒ってるよ ! と思わせるタイトルのものを、興味本位で観に行ってみると、けっこう、たいしたことなかったりする」
六. 「無鉄砲な trackback を打ちまくっている blog にかぎって、被 trackback 数は少ない (下手な trackback,数打っても当たらない)」
七. 「ネットのお時間といえば、夜! と思い、夜中に更新するが、アクセス数はそれほど伸びない? (blogger は、昼型が多い? )」
八. 「ほんのケアレス・ミスの誤字は、軽く指摘してほしいが、そういうものこそ放っておかれる (さみしい ... )」
九. 「人さまの blog のコメントがついていない記事. イカシタ(古語)コメントをつけてみよう、と思い、いっしょうけんめい考えたものにかぎって、ちょっと経ってから観に行ってみると、だあああっとコメントがついていたりする」
十. 「あとで削除あるいは非公開にしちゃおうっかなあ~、と思っていた記事にかぎって、コメントがつく (すみません ... でも、うれしかったです)」
[追記]:
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十一. 「いそがしいときにかぎって、書きたいことが山のようにあったり、ネタがいろいろ思い浮かぶ」
十二. 「ひまなときにかぎって、ネタがぜんぜん思い浮かばない」
十三. 「そして、そんなときに、てきとうにアップしてしまい、自己嫌悪にひたっているときにかぎって、コメントをくれる人がいる (ありがとうございます ... )」
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なんて感じで、いかがでしょうか ... ?
BGM:
Rolling Stones ‘ダイスをころがせ / Tumbling Dice’
(‘無情の世界 / You Can't Always Get What You Want’ にしようかと思ったが)
(まえにも BGM として使ったので)