JSAでガンホさんと一緒に受賞している動画で~す
ラブビョンでされていました
こちらからどうぞ・・初々しいビョンビョンですよ
http://album.hgcbroadband.com/album/getPhoto/photo/22624/13141/377251.wmv?c=2922341328
韓流 スターたちの真実 3・・・PART2
前のページのスクロールがながくなるので、こちらに
PART2としてしますね
究極のプロフェッショナル
イ・ビョンホンは自らをプロ精神で律している。生まれながらの
プロフェッショナルとでも言おうか。彼とともに製作作業をした者の
ほとんどが親指を立てて感服する。些細なことでもひとつひとつ
直接手がけ、作品の完成度を高めるためには、どんなことでも
ためらわない。撮影現場で疲れたスタッフを激励しようと、巧みな
話術とコミカルなジェスチャーで、周囲の同僚たちを愉快にしてくれる
ことが、彼にとって日常茶飯事となっている。イ・ビョンホンが真の
プロである理由は他でもなく、常に自身を磨こうとたゆまぬ精進を重ね
る努力派俳優であるからなのだ。彼は撮影現場だけではなく、日常の
生活においても演技のことで頭がいっぱいだ。何かを見つけては物思
いにふける。体に染み込んだ習慣だというのだ。なぜそのような習慣に
・・・・・目的は人間観察。目に入った様々な表情を切り取って、彼らの心
の中を自分なりに読み取り、無限の想像力を発揮する作業らしい。
一種の自己トレーニング法でもあるという。
彼はそれを職業病といって笑う。
LBH「もう習慣になってしまっている。 演技者という職についたとき
からの長い習慣です。周囲の人たちの顔を注意深くのぞくと、各自の
個性的な特徴が発見できるし、それを通じて僕は彼らの性格を把握する
トレーニングをしているのです。”なんて悪趣味な人なの”と変に思われる
人もいるでしょうが、僕にとってはとても大切なことなのです。なぜか
それは人を分析することが僕の仕事、すなわち俳優業なのです。作品を
で最も重要なことはキャラクターを正確に分析することだと考えています。
人物が活きなければ、結局はその作品も台無しになってしまうことが、僕
の持論なのです。」
韓国のバラエティ番組では芸能人が冗談半分にこういうことが少なくない。
だがイ・ビョンホンはちがう。「興行成績に押し流されずに、より遠くを
眺めながら、自分の力を育みたい。なぜならば、僕にとって俳優という職
業は、若い時期に、少しの間だけ通過するコースではなく、一生全うしな
ければならない天職であるからです。」イ・ビョンホンには自分の信念
に基づいた道がある。そして確固たる哲学を持っている。だから彼はプロ
フェッショナルなのだ。
同業者も絶賛する演技と情熱
そのプロ魂に同業者たちも賛辞を贈る
象徴的だったのが、昨年末に彼が受賞したふたつのタイトルだ。
イ・ビョンホンは甘い人生の熱演が高く評価されて、韓国映画評論
家協会賞と春史羅雲奎映画芸術祭の主演男優賞に輝いたのだが、それは
ともに意義ある賞だった。というのも韓国映画評論家協会賞は映画評論家
たちによって選出される賞。作品の話題性や興行成績にとらわれず、客観
的かつ多角的に映画を評価し、ときには辛辣な批評もいとわない映画の
専門家=評論家たちが新しい試みと創造性という点に重点をおいて審査
する。一方の春史羅雲奎映画芸術祭は韓国映画監督協会主演のアウォー
ド。韓国映画界黎明期に活躍し映画への情熱と愛情が問われる賞だ。
つまりいずれの賞も映画人=同業者によって審査選定されるもの。韓国の
映画関係者たちがイ・ビョンホンの演技と情熱を高く評価したからこそ
受賞の栄誉にかがやいたのだ。 そもそもイ・ビョンホンは賞を意識して
作品を選んだり、演技しない。常に新しいキャラクターに取り組む挑戦心。
徹底して追求する創造性と繊細な感情表現。役者としてのこだわりと演技
への情熱が彼を突き動かす原動力なのだ。だからこそ授賞式で語った
言葉もイ・ビョンホンらしかった。
LBH「製作スタッフといつも支え声援を送ってくださるファンと家族に感謝
するとともに、映画俳優になることを夢見ていた今は亡き父に受賞を誇り
たいですね」
同僚たちへのねぎらいと自分を支えてくれる人々への感謝を忘れず、映画
俳優という職業への強い愛着と自負を示したこの言葉に、俳優イ・ビョン
ホンの魅力を改めて実感した人々は多い
韓流の未来を託したくなる男もうここ読んでいて感動感動
イ・ビョンホンは今年5月、前代未聞のビッグイベントを成功させた。
2006年5月3日、韓流スターとしては初めて東京ドームでファンミーティング
を開いたのだ。「イ・ビョンホンが東京ドームでファンミーティングを開催
する」 今年3月にこの第一報を聞いたとき、耳を疑った。
何しろ東京ドームは東アジアにおけるエンターティメントの大殿堂。
過去にはローリング・ストーンズ、マドンナ、ホイットニー・ヒューストンなど
世界一流のアーティストたちがコンサートを行い、日本でも美空ひばり、
SMAP,浜崎あゆみなどのミリオンセラーアーティストだけがそのステージ
に立つことを許されてきた。しかも韓国芸能界で東京ドーム公演を開いた
ことがある者は、俳優、歌手含めて誰一人としていない。2005年9月に
さいたまスーパ-アリーナで行われた「韓流スターサミット」のような複数の
スターたちが集うイベントならともかく、イ・ビョンホン一人で東京ドーム
でファンミーティングを開くのは無謀だとも思った。イ・ビョンホン自身も
内心は不安だったという。
LBH「俳優である自分がステージの上でできることは限られ、しかも僕は
舞台に立つことは慣れていない。その不安とプレッシャーで眠れぬ夜をすご
したのも、一度や二度ではありませんでした。」
だが、彼にはその不安や重圧をも打ち消してしまう願いがあったという。
常に熱い声援を送ってくれる日本のファンたちに会いたい。それは以前から
ずっと温めてきた想いでもあったという。
LBH「ひとりでも多くのファンと直接会いたい。 そんな思いから東京ド
ームを選んだのですが、ファンの集いというタイトルをあえて外してもらった
のは、あのステージはファンの皆さんのためだけでなく僕のためでもあった
からなのです。 というのも正直にいうと、僕にも迷いがありました。日本の
みなさんに会いたい気持ちは強かったのですが、あんな大きな舞台に立つ
ことには馴れておらず不安と負担もありました。ただ秋元さんが言った言葉
が勇気をくれました。”悩んでいる姿をふくめて、そのままをみせればいい”
その言葉を聞いてふと思いました。 僕はどんなふうに生きてきたんだろう
かと。そして今まで見られなかったもうひとつの自分の姿を見たいと思った
んです。 東京ドームイベントは僕にとって生涯忘れられない思い出になり
ました。」
東京ドームイベントだけではない。イ・ビョンホン日本の人々が自分に
対して、いや韓流そのものに対して大きな関心と期待を寄せていることに
いつも感謝している。象徴的なのが2004年にゲスト出演した紅白歌合戦
のときのエピソードだろう。のちにイ・ビョンホンは言っている。
LBH「実をいうと、紅白への出演はギリギリまで迷っていたのです。」
・ビョンホンの紅白出演の是非をめぐっては、日韓両方で賛否両論
をよんだ。一部ファンの間では「イ・ビョンホンさんのために出演すべき
ではない」という意見も多く、自分のことを心から心配してくれるファンがあり
がたくもあった。それでも出演を決意したのは、自分のためではない。
むしろ自分を棄てての決断だった。
LBH「正直言って、僕の中でいろいろと葛藤があったのです。歌手でも
ない自分が、紅白のステージに立つことは不自然だとも思いました。ただ
イ・ビョンホンという個人ではなく、韓国の俳優という観点に立ったとき
何かしなくてはいけないと感じました韓国のドラマ、映画、そして俳優たち
を熱烈に支持して愛してくださった日本の方々に、誰かが感謝の言葉を
贈らねばならないのではないか。そう思ったのです。だから紅白への出演
を決心しました。自分のためではありません。韓国の俳優たちを代弁する
メッセンジャーとして、日本のみなさんに感謝の言葉を贈りたかったのです」
そしてその熱き思いは今も変わらないと彼は語っている。
LBH「日本の人々だけではありません。韓国の映像文化に関心を寄せて
くれるすべての人々の愛情に対して、僕たちはしっかりと支えていかなけれ
ばならない。さもなければ韓流は単なるブームで終わってしまうと思うんです。
ブームは"香り”とおなじです。つまり、いずれ消えてなくなってしまう。
その韓流をブームでおわらせないためにも、韓国エンターティメント業界は
良質な作品をどんどんつくりださなければならないと思いますし、僕たち
演技者たちは今よりも成熟するための努力を怠ってはならない。と同時に
日本の大衆文化も韓国にたくさん紹介されて、韓日文化交流を今以上に
活性化させていかなければと思います。そういった相互交流を通じて両国
が刺激しあえば、いずれ韓国、日本といった区別もなくなるでしょう。
東アジアの映像文化として世界にアピールできるようにもなる。俳優として、
そんな新しい流れに加わることができれば、最高ですね。」
この言葉から感じ取れるのは、韓国と日本、ひいてはアジア全体の発展を
願う熱き想いだ。俳優イ・ビョンホン彼に韓流の未来を託したい。