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Retro-gaming and so on

さよならジュピター

今回は映画の評論じゃない。
っつーか評論しようがない。
公開当時、賛否両論の映画だったんだけど、1984年公開のこの映画、「アメリカのスターウォーズに勝ちたい!」と意気込んで作られた映画で、セットなんかは確かに、アメリカのスターウォーズやエイリアンに比するとも劣らない「SF大作仕立て」で作られている。東宝東和の底力を感じる。


メカニックデザインは、アニメのメカニックデザインで有名な「スタジオぬえ」が行っている。

ただし、気合だけ、って言えば気合だけだ。だって誰もこの映画、覚えてないだろ(笑)?
つまり、結論としては「そーゆー事」だ(笑)。
大体、この映画の名前を「あー、あったあった」って思い出した人でも宇宙空間無重力セックスシーンしか覚えてないんじゃないか(笑)。
そういう意味でも情けない映画だ(笑)。


1980年代の映画だけあって、例によって「乳首アリ」だ(笑)。
しかし敢えて乳首なしショットを探してみた(笑)。
ホント、嫌な世の中になったなぁ。

ちなみに、「スターウォーズに勝ちたい」ワリには、劇中、松任谷由美の曲が流れたり、そして主題歌が松任谷由美だったりして腰砕けだ(笑)。
いや、松任谷由美はいいミュージシャンだよ。ただ、SFの主題歌としてはどーなんだ、ってのがあって、その辺が「邦画の枠組み」っつーか悪習も確固としてこの作品に含まれている。
だからユーミンの歌が流れるスタッフロールで「これはSFだったのか、ラブロマンスだったのか」、と観客は呆気に取られる、っちゅーわけだ(笑)。
まぁ、本当の事をいうと、僕が「松任谷由美」ってミュージシャンの存在を知ったのがこの映画から、なんで悪い経験でもなかったけどね(当時は「誰だそれ?」とか思ってた・笑)。
ちなみに、劇伴の作曲は、後にファミコンのWizardryの音楽をやる事になる羽田健太郎で、元々スタジオ・ミュージシャンのピアニストが主な活動範囲だったが、この前後からアニメ音楽や映画のBGMの世界へと脚を踏み入れている。
また、これはある種有名な話だけど、後に小室哲也プロデュースのグループ、globeの一員になるマーク・パンサーが出演している。

主演の三浦友和とのツーショット(笑

いやだからこの映画の評論はしない。だって「ふくの映画ブログ」や「ピロEK脱オタ宣言!…ただし長期計画」でさえ取り上げてないんだぜ?映画専門のブログが取り上げてない以上、「面白い」「つまらん」しか言えない僕が何を言える・・・・・・。
いや、敢えて言うと、この映画、個人的には国産SF映画の金字塔だとは思ってる。ただし、途中でポッキリ折れちゃったんだよな(笑)。
アレだ、チンコで言うと中折れだ(笑)。すんげぇ期待してコーフンしてそそり立ったチンコを入れたはいいけど「あれ?思ったより気持ちよくない・・・」ってぇんで萎えちまった、っちゅーアレだ(笑)。男性諸氏は経験あんだろ(笑)?俺様も何度も経験している(爆
「映画の話をチンコで例えるなんて・・・」とお怒りの方々はこっちの評を読んだほうがいいと思う。それが全てだ。
僕が無理してひねり出したような評を読んでもしゃーないやろ。
大体、基本的には「これが面白かったよ!」って話しか書きたくねぇんだ。

じゃあなんで今回この映画を取り上げるのか。
それは、昨今の「生成AIブーム」で思い出した事があったから、だ。映画の出来はともかくとして、1984年時点での「コンピュータへの夢」ってのがこの映画には詰まってたんだよな。それを思い出した。



この映画に出てくる「ナンシー」とか「ナヴァホ」ってコンピュータは「対話式」のコンピュータだ。これが1984年時点での「未来のコンピュータ」のイメージだったんだよ。
昨今だとiPhoneのSiriとかで具現化したように見える。確かに近い。でもちょっと違うんだ。

1984年時点だと、実は殆どの日本人は「タイピングが出来なかった」んだ。「え?」と思うだろうけどそうだった。会社でなんかオフィシャルな資料を作る際には、手書きで原稿を書いて「タイピング室」ってトコに持ってくような時代だったんだ(笑)。そこでは会社に雇われたプロの「タイピスト」と言う専門職がいた。そういう時代だ。
しかも、殆どの人が、あるいは黎明期の「マイコン」なんかを買ってた人でさえ「OSって何?」ってな時代だったんだよ(笑)。そんな中で「コンピュータに語りかけて」望みの結果を得る、なんつーのは「タイピングが面倒くさそう」って思ってる人にはすごく魅力的だったんだよな。
黎明期のマイコンで「MS-DOSって何?」って人が半数を占めてた時期、実はOSって概念が知られなくても当時の人が欲しくって夢想してたのは、要するに「対話型のオペレーティングシステム」だったんだ。
例えば、MS-WORDを立ち上げたい際に「ワード立ち上げて」って言えば自動でソフトウェアを立ち上げてくれる。作家さん相手なら「口述筆記が出来る」とかさ。
そう、そういう「ナビゲータ」が僕らが夢想してたモノなんだ。そしてそれは「あるコンピュータ内に限られる」。
ここが決定的に違うんだ。ChatGPTみたいな生成AIは汎用を目指してる。だから知らない事に対して知ったかぶりをして(笑)、嘘を吐き出す。一方、映画「さよならジュピター」の彗星源探査船「スペースアロー」のコンピュータ「ナヴァホ」は探査船の操縦に「特化」してる。余計な知識はないから「あらゆる事が検索出来る」システムじゃない。

同年、1984年に初のGUIパソコン、Apple Macintoshがデビューする。この映画はMacintoshがデビューする前にコマンドラインのOSから一足飛びに「対話型のOS」と言うコンセプトをリアルな映像で提示した最初の作品だと思う。

この「対話型OS」ってのはいまだ実現してないんだ。1990年代初期に富士通がコンピュータに住み、ユーザーをサポートしてくれる人工生命と言うコンセプトで「シャルロット」と言うUIを開発・発展させていく、と言う事を発表した。

仮想生物シャルロット

この時点では、まさかパソコンの殆どが「MS-Windowsに呑み込まれる」とか誰も想像してなかった。だから「将来の富士通のFMシリーズでは、シャルロットがOS代わりとしてユーザーと対話していろんな事やってくれんのかな」とかバラ色の未来を想像してたんだ。「さよならジュピターのアレが実現するかも!」と。
しかし、結果その未来は訪れなかったんだ。
残念。

映画としてはどうだか、ってのはビミョーだけど、映画「さよならジュピター」には「未来のコンピュータ」と言う夢が詰まっている。
かつての「夢想」をなぞるにはいい映画なんじゃないか、とは思ってる。

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