見出し画像

マハロ船長の航海日誌2

昭和歌謡のひそかなブーム?

「近頃「昭和歌謡」が見直され、若い世代の間でも、ひそかなブームになっているという。」などという言い方は何度か見聞きしたことがあります。

いわゆる、「懐メロ」としてのブーム(なつかすぃ〜!)というのとはちょっと違い、若者には「一周回って、むしろ新鮮!」という感覚で受け止められているとも解説されていました。

私が主宰している(大袈裟!)ウクレレグループで、先月の昭和の日に、昭和の歌特集!としてみんなで歌ってみた曲がこれです。

やんなっちゃた節(昭和35年、1960年頃〜 牧伸二)
青い山脈(昭和24年、1949年 藤山一郎・奈良光枝)
明日があるさ(昭和38年、1963年 坂本九)
鉄腕アトム(昭和38年、1963年 上高田少年合唱団)
365歩のマーチ(昭和43年、1968年 水前寺清子)
天使の誘惑(昭和43年、1968年 黛ジュン)
瀬戸の花嫁(昭和47年、1972年 小柳ルミ子)
思い出の渚(昭和41年、1966年 ザ・ワイルド・ワンズ)
亜麻色の髪の乙女(昭和43年、1968年 ヴィレッジ・シンガーズ)
異邦人(昭和54年、1979年 久保田早紀)
世界の国からこんにちは(昭和45年、1970年 大阪万博のテーマソング)

昭和といっても年代に偏りがあるのは、集まったメンバーの年齢層に偏りがあるので、そこは仕方ありません。
こうして並べてみたとき感じるのは、「昭和の時代って希望にあふれてたなあ!」ってこと。

♪こんにちは こんにちは 西のくにから
こんにちは こんにちは 東のくにから
こんにちは こんにちは 世界のひとが
こんにちは こんにちは さくらの国で
1970年の こんにちは
こんにちは こんにちは 握手をしよう♪



令和の今、世界の人にこんにちわも言えないし、握手もできないのです。
6,400万人が集まった大阪万博に比し、今回の東京五輪は無観客とか言われてます。(中止かもしれません!)
夢も希望もありゃしねぇ!(個人的には五輪中止はリーズナブルな判断ではないかと思ってますが。)

4~50年経って、淘汰され、いまだに人々から忘れられていない歌は、それだけ優れた歌であるとも言えます。いわゆるスタンダードナンバーですね。


でも、それだけじゃなくて、昭和の歌が持っている明るさがみんなに愛されている理由なんじゃないかなあと思っています。


戦後のヒット曲第1号の「リンゴの唄」は、戦争で荒んだ日本人を勇気づけた歌としてあまりにも有名ですが、この歌を歌った並木路子さんはレコード吹き込みの際、「もっと明るく歌うように」と何度もダメ出しされのですが、実は彼女は戦争で父親と次兄、3月10日の東京大空襲で母を亡くしていたため、とてもそんな気分にはなれなかったのでした。その事を聞いた作曲の万城目氏は、「君一人が不幸じゃないんだよ」と諭して並木を励まし、あの心躍らせるような明るい歌声が生まれたという。

そんな悲しい背景があったのですね。




ランキングに参加中。クリックして応援お願いします!

コメント一覧

マハロパパ
「戦争を知らない子供たち」という歌は、"悲惨な戦争のことを全く知らない子供たち"ではなく、"戦争を直接は経験していないけど、戦争がどんなに悲惨なものかをちょっとは理解できる子供たち"が平和の尊さを高らかに歌ったもので、けっして"日本がアメリカと戦争して負けた事も知らない子供たち"の歌ではありません。・・・と、説明しないとこの歌の意味を理解できないような時代になりましたが、三波春夫がどんな気持ちで、「世界の国からこんにちわ」を歌っていたかを想像すると、ぐっと胸に込み上げるものがあります。
ちょっと太めのジイサン
戦後すぐに活躍した人たちは、”満州帰り”がキーワードでは?

三波春夫はシベリア抑留、戦後ずっと活躍する山田監督は満州帰り、五木寛之は朝鮮からの帰国、宝田明もそう。

絶対平和な世を作る!という思いから芸能活動も真剣だっただろうと思います。
名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最新の画像もっと見る

最近の「日記」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事