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マハロ船長の航海日誌2

日本海の大航海時代〜北前船の活躍した頃〜

マリーナのお知り合いの方が、今年、北前航路をたどるクルージングをされていて、facebookに行く先々のことを書いているのがなかなか興味深くて、以前読んだ『日本海繁盛記』(高田宏著、岩波新書1992)を読み返してみたくなりました。


本の表2には北前船が歴史上どういう意味があるか簡潔に記されて居るので、一部引用させていただきます。(以下、引用箇所は文字色を変えてあります。

近世から近代にかけて、日本海には北海道から佐渡・能登をへて大阪へ至る海上の道があった。鰊〆粕、米、木材などを運ぶこの大動脈の主役「北前船」は、人びとの勇気や気概ものせ、沿岸各地を繋いでいた。

当時の日本経済を支えた「北前船」という大型の和船は「弁才船(べざいせん)」と呼ばれる一本マストに一枚帆の横帆船ですが、この船の性能はどうだったんだろう?というのは、船好きオヤジには興味のあるところであります。
追い風を受けて走るときには、快走する弁才船にロシヤ帆船が追いつけなかったという漂流記の記事があるくらいだが、いったん逆風になると帆走性能はがくんと落ちてしまう。間切りというジグザグ走行で風上へ向かうのだが、一枚帆ではひどく能率が悪い。三日四日と間切り走りをつづけた例もある。やむなく元の港へ帰ることも多い。
追い風(順風)に強く向かい風(逆風)に弱いのは洋の東西を問わず横帆船の宿命ですね。

でも、そんな性格の弁才船を用いて北前航路が繁盛したのは、5日や10日は当たり前と言われる徹底した「風待ち」をして、運送業としての安定性を確保したからだと思います。
風待ち港と言われる港町が繁盛したのも長い風待ち期間のおかげでしょう。
飲んだくれの船乗りがハメを外したのも風待ち港ですが、船主がせっせと積荷を売買したのも風待ち港だったのす。

長い風待ちの末に、待ちに待った順風が吹き始めてからが弁才船の活躍する時で・・・
順風満帆のときの船は、それは気分のいいもので、文字通り滑るように走ったということだ。船全体、しーんと静まりかえっている。風の力だけで走る船だから、騒々しいエンジン音などはない。大きな白帆は風をはらんで張りつめたままだ。
船乗りたちは、かかとを浮かせて船内を歩いたものだという。足音を立てないためだ。そういう静かな船内では、針一本落ちる音でも気づく。船のどんな小さな異常でもすぐに察知できるのだ。
船乗りを長く経験した古老は、八十歳に近い身で「今でも爪先を立てて、音をさせずに歩ける」と実演してくれましたが、それは長い船中生活の結果です。】
船乗りたちの船上生活が目に浮かんできますね。

ところで、「順風満帆のとき〜滑るように走った〜船全体、しーんと静まりかえっている。」という記述ですが、ヨットが追い風で走るときの、舳先で波を切るザブーンという音や、引き波のザザーという音がないということですよね。

もしかしたら弁才船の船型〜ずんぐり&鋭い舳先&後ろ寄りのマスト位置&キールを持たない〜という特徴は、追い風に特化した船型なのかもしれないなぁ、と思うのです。

こういうことについて本格的に研究されている方もいらっしゃると思いますが、私は寡聞にして知りません。いつかもっと良く調べてみたいと思います。

北前船が北海道から復航で初冬に大阪に帰って、オフシーズンに入る時は、木津川河口のような淡水に係留し、舟食い虫を防いだそうです。
郷里に帰った船乗りたちは妻子を連れて湯治に出かけたとのことです。
そして春祭りが終わるとまた北前航路の航海へ旅立つのでした。


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コメント一覧

ちょっと太めのジイサン
テレビ番組は基本的にはフェイクと思ってみているのですが、先日、”youは何しに日本へ”の番組で米国人が和船の研究、それも現存する和船作り大工を研究している和船研究者をクローズアップしていました。
この番組には深く敬意を持ちました。
マハロパパ
ちょっと太めのジイサン様
和船を研究している人はいる筈なのですが、なかなかそこまでたどり着かないので、分からないことだらけです。
私も、関係著書を読んでみたいと思います。
行燈入道さん
櫓こぎの和船には乗ったことがありますが、大型帆船の弁才船(の復元船)には乗る機会がなく、残念に思います。
ハワイでは古代ポリネシアの帆走カヌーを復元して大航海をしていますが、和船は日本の伝統なのですから、後世に伝えていきたいものだと思います。
行燈入道
この頃のお船は(北前船の事)お椀の様な形を
してたんでしょうか?舳先で波を切れば必ず音は
出るものと思ってました。針一本落ちても、その
音に気付く静かな船に出来れば乗ってみたい
ものです。
ちょっと太めのジイサン
素晴らしい話でしたね。為になります。

日本の和船については、鳥羽にある、海の博物館、前館長がたしか詳しかったはずです。

お亡くなりになられていますが、著作を読んでみたくなりました。
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