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マハロ船長の航海日誌2

余は如何にしてヨット狂徒となりしか(Ⅰ)

1971年、中学2年生の時、ヨットの神(または悪魔?)が私のもとに降臨して来ました。
その(または悪魔?)は、友達の姿をしていて、なぜか"オーシャンライフ誌"を手にして、「ヨットって面白そうじゃね?」と私を誘ったのです。

まんまとその誘い(あるいは悪魔の誘惑?)に乗った私は、書店で『ヨットのABC』(吉野令ニ著、金園社刊)を購入し、ヨットの操縦法を独学猛勉強!(奇跡的に今も持ってる!)
価格は350円!著者検印がある!


そして夏休みに、親友(悪友)3人で住まいからバスで1時間の野尻湖という湖に行き、レンタル・ヨット(当時は貸ヨットと呼んでました。)にいきなり乗ったのです。最初、湖は霧に包まれ何も見えなかったのですが、しばらくすると霧があがり視界は確保されたので、いよいよ乗ってみることに。艇種はA級ディンギー。貸ボート屋のオヤジの超カンタンなレクチャー(シートを引けば引くだけ早く走る。と。)を受けた後、3人だけで出帆。本に書いてあったとおりにタッキングを成功させ。まんまとヨットの魅力(魔力)に取り憑かれたのでした。
(拝借画像)

その夏、何度か(お小遣いの続く限り)乗り、A級ディンギーからスループ型のYAMAHA15の操縦のみならず、2艇でのレース、落水&沈起こしまで経験したのでした。


以来50有余年、飽きもせずヨットをやっておりますが、今でもあの日のシートを引くとスルスルと走り始める感覚と、ティラーを押してゆっくりとタッキングする不思議な感覚は昨日のことのように覚えています。
(写真は葉山にて撮影したもの)

(続く)


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コメント一覧

マハロパパ
ちょっと太目のじいさん様
>雷に打たれた時期が近似
マリンスポーツが急速に発展していた時期だったんでしょうね。
友達が持ってきたオーシャンライフ誌にはフィン級セーラーだった小松一憲さんが特集されていて、まさに”輝いて”いました。
ちなみに・・・30代後半はちょっとだけヨットと離れて「お父さん剣士」やってました(笑)三段まで取った所で、気力体力尽きて引退しました。
マハロパパ
行燈入道さん
はい、一生付き合うことになりそうです。
本音を言えば、もっとお金のかからない遊びに出会えばよかったですが、やはりアイツは悪魔だったんでしょうね。
ちょっと太目のじいさん
おお~雷に打たれた時期が近似している!
親父がモーターボートに凝っていたので私もオーシャンライフを読み始めたのがこの頃です。
記憶にあるのが、”へのカッパ号で航海する。海水は飲めるのか?”でした。五対一にしたらなんとか飲めるという結論だった記憶が。。。
理屈っぽい舵誌にくらべて冒険心あふれるオーシャンライフは面白かったですね。
でも私がヨットはじめたのは30歳。ずっと剣道やっていたのでやりたくてもやる時間が無かったですね。レッツゴーセイリングクラブの入会パンフレット取り寄せたりしてましたが。。
行燈入道
まさに青春の思い出ですね。
私には一生に大きな影響を与える。
悪魔は訪れませんでした。パパさんが
羨ましくもあり、悪魔が現れなかったことに
ちょっぴり安心をしています。これからも、楽しく
悪魔と付き合っていて下さい。
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