『ツバメ号とアマゾン号』(アーサー・ランサム全集第1巻)という物語は英国では児童文学として著名なのですが、その冒頭に次のような記述があります。
『湖からハリ・ハウ農場までの急勾配の野原を、ロジャが右、左と大きくジグザグに横切りながら走ってきた。(中略)ロジャは、小道のきわの生け垣ぎりぎりまで走っていくと、むきを変えて、こんどは反対側の生け垣ぎりぎりまで走る。そこでまたむきを変えて、もう一ど野原を横ぎる。横ぎるたびに、だんだん農場が近くなる。風は真むかいから吹いているので、ロジャは、風上に間切りながら、農場にむかっているのだった。農場の門では、おかあさんが、がまんづよく待っていた。ロジャは、いま、帆船ーー茶摘みの快速帆船カティ・サーク号になっていたから、風にむかってまっすぐに進むわけにはいかなかった。けさ、にいさんのジョンが、蒸気船なんて、ブリキの箱にエンジンを入れたようなもんだと、いったばかりだった。帆船じゃなくちゃだめなんだ。だから少し時間は掛かったが、ロジャは大きく間切って野原をのぼっていった。』(アーサー・ランサム全集1『ツバメ号とアマゾン号』1.ダリエンの頂上 P9 より引用。アーサー・ランサム作 岩田欣三・神宮輝夫訳 岩波書店発行1967 下線は筆者)
この記述は、ヨット(Sailboat)の風上(Upwind)に向かって走り(風上航=Beating)、上手回し(Tacking)によって風上に向かっていく様を空想して遊んでいる7歳の子供を書いているのですが、この子(ロジャ)の気持ちはすごく分かります。なぜなら、私も子供の頃に"ヨットは風上方向にも進むことができる"という話を5歳年上の兄が話しているのを聞いて、初めてヨットに対する憧れが芽生えたからなのです。
いわゆる帆かけ舟は、(多少は風上に向うことはできると言われてますが、)主として風を後方から受けて走るのに比べて、風上にも向かうことができるヨットは"なんて自由な乗り物なんだろう"と思ったのでしょう。(子供の頃の話ですから、そこまで自己分析していたわけでは当然ながらアリマセン。)
話変わって・・・1970年代に『かもめのジョナサン』(リチャード・バック著 日本版は五木寛之訳 新潮社1974)という小説が話題になったのですが、この小説は、他のカモメたちが餌を摂るためにしか飛ばないのに対して、飛ぶという行為自体に価値を見出したジョナサンというカモメの寓話的作品なのですが、これはなんだか(帆走という行為自体に価値を見出している)ヨット乗りにも通じるなあと感じていました。(この本を読んだのは、高校生か大学生の頃。正直に言えば、その後のヨット人生は、カモメのジョナサンほどに求道的でも克己的でも哲学的でもなく、女の子にモテたいとか、カッコイイ海の男に思われたいとか、旨いビールを飲みたいとか色々雑念にまみれたヨット乗りであったことは白状しなければなりません。)
(注)
風上航=Beating とは風上に進むことですが、風に対して約45°くらいの角度をもって進みます。そして上手回し(Tacking)を連続する(間切る)ことによって風上に進んでいきます。
なぜ英語でBeatingというか、いくら調べてもはっきりしないのですが、風波に逆らってバッタンバッタン船首を叩かれながら力強く進む様子は、確かにBeatしている走りだと思います。
『湖からハリ・ハウ農場までの急勾配の野原を、ロジャが右、左と大きくジグザグに横切りながら走ってきた。(中略)ロジャは、小道のきわの生け垣ぎりぎりまで走っていくと、むきを変えて、こんどは反対側の生け垣ぎりぎりまで走る。そこでまたむきを変えて、もう一ど野原を横ぎる。横ぎるたびに、だんだん農場が近くなる。風は真むかいから吹いているので、ロジャは、風上に間切りながら、農場にむかっているのだった。農場の門では、おかあさんが、がまんづよく待っていた。ロジャは、いま、帆船ーー茶摘みの快速帆船カティ・サーク号になっていたから、風にむかってまっすぐに進むわけにはいかなかった。けさ、にいさんのジョンが、蒸気船なんて、ブリキの箱にエンジンを入れたようなもんだと、いったばかりだった。帆船じゃなくちゃだめなんだ。だから少し時間は掛かったが、ロジャは大きく間切って野原をのぼっていった。』(アーサー・ランサム全集1『ツバメ号とアマゾン号』1.ダリエンの頂上 P9 より引用。アーサー・ランサム作 岩田欣三・神宮輝夫訳 岩波書店発行1967 下線は筆者)
この記述は、ヨット(Sailboat)の風上(Upwind)に向かって走り(風上航=Beating)、上手回し(Tacking)によって風上に向かっていく様を空想して遊んでいる7歳の子供を書いているのですが、この子(ロジャ)の気持ちはすごく分かります。なぜなら、私も子供の頃に"ヨットは風上方向にも進むことができる"という話を5歳年上の兄が話しているのを聞いて、初めてヨットに対する憧れが芽生えたからなのです。
いわゆる帆かけ舟は、(多少は風上に向うことはできると言われてますが、)主として風を後方から受けて走るのに比べて、風上にも向かうことができるヨットは"なんて自由な乗り物なんだろう"と思ったのでしょう。(子供の頃の話ですから、そこまで自己分析していたわけでは当然ながらアリマセン。)
話変わって・・・1970年代に『かもめのジョナサン』(リチャード・バック著 日本版は五木寛之訳 新潮社1974)という小説が話題になったのですが、この小説は、他のカモメたちが餌を摂るためにしか飛ばないのに対して、飛ぶという行為自体に価値を見出したジョナサンというカモメの寓話的作品なのですが、これはなんだか(帆走という行為自体に価値を見出している)ヨット乗りにも通じるなあと感じていました。(この本を読んだのは、高校生か大学生の頃。正直に言えば、その後のヨット人生は、カモメのジョナサンほどに求道的でも克己的でも哲学的でもなく、女の子にモテたいとか、カッコイイ海の男に思われたいとか、旨いビールを飲みたいとか色々雑念にまみれたヨット乗りであったことは白状しなければなりません。)
(注)
風上航=Beating とは風上に進むことですが、風に対して約45°くらいの角度をもって進みます。そして上手回し(Tacking)を連続する(間切る)ことによって風上に進んでいきます。
なぜ英語でBeatingというか、いくら調べてもはっきりしないのですが、風波に逆らってバッタンバッタン船首を叩かれながら力強く進む様子は、確かにBeatしている走りだと思います。
2023/11/9
そして、今日もせっせとセーリングに行きました。
私がカモメのジョナサンなら、
ブイにずらりと整列したカモメは”カモメのみなさん”ですね。
ブイにずらりと整列したカモメは”カモメのみなさん”ですね。
カモメのみなさんのお見送りを受けて出航です。
平日なのでヨットの姿は2隻だけですが、釣船は結構な数が出ていました。
空は秋の空。季節外れの温かさもまもなく終りなのかもしれません。
平日なのでヨットの姿は2隻だけですが、釣船は結構な数が出ていました。
空は秋の空。季節外れの温かさもまもなく終りなのかもしれません。