北の庄城址を後にして、福井城址に向かいました。
2009.2.22 のち
福井城址には現在、県庁、警察本部など3つの建物が入っています。
城跡には全く似合わない景観です。
城跡ファンにとっては非常に残念です。
遺構としては、曲輪、石垣、堀などが残っていますが、天守閣などは残っていません。
『結城秀康公像』
関ヶ原に勝利した徳川家康は、越前68万石を次男結城秀康(後、松平姓に復姓)を下総結城から転封させた、という事です。
以来松平家が代々この地を治め、幕末の動乱期には、16代藩主松平慶永(春嶽)が活躍したことでも有名です。
天守台跡の一部には、1948年の福井地震で崩れかけた石垣などが見られます。
戦後復興の間もない福井を襲った地震の凄さを物語っています。
天守台跡より「堀」を望む
堀の石垣には、「笏谷(しゃくだに)石」が使われ、当時の美しい姿は今も本丸跡に偲ばれます。
『福井城 御廊下橋』
福井城築城400年を機に復元された「御廊下橋」は、歴代の福井藩主が登城する際の専用の橋として使われていた、という事です。
橋を復元するに当たっては、明治初期に撮影された写真を参考にし、橋脚にクリ、上屋部分に檜や漆喰が用いられています。
『御本城橋』
いつもの『スライドショー』です。
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関ヶ原に勝利した徳川家康は、越前68万石を次男結城秀康(後、松平姓に復姓)を下総結城から転封させた、という事です。
以来松平家が代々この地を治め、幕末の動乱期には、16代藩主松平慶永(春嶽)が活躍したことでも有名です。
天守台跡の一部には、1948年の福井地震で崩れかけた石垣などが見られます。
戦後復興の間もない福井を襲った地震の凄さを物語っています。
天守台跡より「堀」を望む
堀の石垣には、「笏谷(しゃくだに)石」が使われ、当時の美しい姿は今も本丸跡に偲ばれます。
『福井城 御廊下橋』
福井城築城400年を機に復元された「御廊下橋」は、歴代の福井藩主が登城する際の専用の橋として使われていた、という事です。
橋を復元するに当たっては、明治初期に撮影された写真を参考にし、橋脚にクリ、上屋部分に檜や漆喰が用いられています。
『御本城橋』
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残念ですが、観光で写真を撮る目的だけで云々できない部分もあります。
城は、もともとその地(藩)の中心地だった訳ですから、廃藩置県でそのまま県庁など役所や公共の施設になり、その街の中心地になるのは自然の流れなのかも知れませんね。
今回初めて見ました。
城の本丸跡は、そのまま城跡公園とか県庁とかにされている事が多いですね。
変わったところでは、金沢城の本丸跡は金沢大学のキャンパスになっていますし、江戸城は...皇居ですよね
石垣とビル、似合わないよね
土地の有効活用ですか。
「御廊下橋」は面白いですね。
他のお城にもこういうのあるかな。
初めて見ました。