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オマル・ハイヤーム『ルバイヤート』を読みながら。。。

2007年09月23日 | 折々の読書
今日はお彼岸。墓参りをし,おはぎを食べる。宗旨は違うが世の儚さを詠んだ詩を読み返してみるのも一興と,昭和46年発行17刷という奥付のある古い文庫本と取りだした。

ルバイヤート』は大学生の頃初めて読み衝撃を受けた本だ。冒頭から厭世観に満ちた慨嘆,そして享楽のススメに溢れていて,あまりにも異なる世界観に驚かされたという程度の衝撃だが(笑)。それだけ若い私には新鮮であったわけだ。散文ではなく詩であることが分かりやすかったのだと思う。訳詞も名訳である。以来,折に触れて読み返し,何度かの引越に際しても廃棄されることなく本棚の片隅に置かれている。

チューリップのおもて、糸杉のあで姿よ、/わが面影のいかばかり麗しかろうと、/なんのためにこうしてわれを久遠の絵師は/土のうてなになんか飾ったものだろう?

いきなりこう切り出されては面食らうほかはない。我々の無常観とはまた違った生々しい対比。

もともと無理やりつれ出された世界なんだ、/生きて悩みのほか得るところ何があったか?

と続いていく。このように綿々と生の世界に背を向けた嘆きが四行詩で続いていくのだ。今よりもずっと希望があった学生時代だからこそ,対岸のこととして,あるいは日本文学とは違った趣に心を動かすことができたのだろう。いまでもこの思想が自分の基盤のひとつになっていなければいいのだがと思っているのだが。それにしても酒呑みのバイブルのような詩集である。

作者のオマル・ハイヤームは11世紀頃のペルシャの詩人であり,当時は高名な学者だったらしい。そんな彼がこのような深い詩を残したのはどんな理由があったのだろうか。学問,学芸が発達していた彼の時代,やはり悩みは尽きなかったのだろうか。そして,彼もイチジクを賞味していたのだろうか(笑)。
さあ,日が暮れた。ラマダンも空けた(笑)。ハイヤームに従って,私も今日は酒を飲もうと思う。

酒をのめ、二度とかえらぬ世の中だと。

■『ルバイヤート』オマル・ハイヤーム作,小川亮作訳,(岩波文庫)昭和46年


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