かりんとう日記

禁煙支援専門医の私的生活

弱っているときは魚を食べる、なのだ

2024年12月02日 | 今日こんなことが
「カス!」

厨房に向かって、注文を受けたおねえさんが叫ぶ。

「かす漬けですよ!かす!」

大将は耳が遠いのか、認知機能の衰えがあるのか、「あ・うん」の呼吸では、私が注文したのが赤魚のかす漬けの定食であることがなかなか伝わらないようだった。

混雑している駅ビル内の和食屋さん。
夕食時間にはまだ早いとはいっても、お客が誰もいないし、厨房とのやり取りに少々不安を覚えたけれど、出てきた赤魚のかす漬けは、ふっくらと美味しく焼けていた。

上州らしく、みそ田楽の小鉢付き。

弟夫婦の家に寄って、久しぶりに近況報告をしあい、弟と一緒に両親へ面会に行った。
ちょっと気持ちがダウンしかけ、お昼も食べはぐっていたので、早めの夕食を食べてから帰途につこうと思い、駅ビルに寄ったのだった。
こういう時は、肉よりも魚、という気がした。

施設のベッドで休んでいる母は点滴中だった。
カヌラで酸素を吸っている。

朝食は介助で食べたとナースが教えてくれた。
昼食がちょうど運ばれてきていたが、本人はいらないという。

ワタシが面会に来たことはわかり、ニコニコして「めずらしいじゃない。ひさしぶりね」とあいさつ。
たしかに、約1年ぶり。

布団がかけられていてわからないけれど、手を見る限り、かなり痩せた様子。
でも、表情は険しくないし、からだとあたまのバランスがうまく一緒に機能低下しながら最期の時を過ごしてくれているようで、その点は家族としては本当に救われる。

小声だし、口が乾いているのか、発音もはっきりしないけれど、還暦を迎えた娘に「いい女になったわね」と。

きっとすぐに忘れると思うけれど、Eの写真を見せながら、近況を報告した。
話している間、ずっと覚醒していて、想像よりも少しいい感じだったので、安心した。
会いに来ておいてよかったと思った。
これが最後になったとしても、母の笑顔が記憶に残る。

別の病院に入院中の父も見舞った。
ちょうどお昼ご飯を食べた後で、食堂の窓際に車いすに座っていた。
最初、その後ろ姿が父だとはわからなかった。

晴れていて、とても眺望がいい。

開口一番、「浅間山が見える」

そうだった。
彼は私のマンションに来たときも、ベランダからまず山々を眺めて、山の名前を言っていた。

弟が先週面会した時よりも、表情はだいぶ和らいでいるという。
というか、覇気がなくなってかなり年老いて、実年齢よりもいつも若く見られていた父も、やっと年相応になったという印象。
でも、話す内容は相変わらず。
きっと母とふたりになったら、また険悪な状況に陥ってしまうかもしれない。

父とワタシは性格が似ているから、おそらく弟よりは彼のことが理解できているんじゃないかと思う。

そういえば、小さいころ、私は弟の世話をするのが姉であるワタシの義務だと思っていたところがある。
弟の世話をすることに自分自身が縛られ、のびのびと遊ぶことができず、知らないうちにストレスを溜め込んでいた。

母の面倒を自分がみなくちゃいけないと言い張って、ふたりで施設に入った父。
いまの父をみて、そんな昔の自分を思い出した。


父は母とはちがって、肉体と頭の中の衰え方がアンバランスだから、本人はつらいんじゃないかと思う。

自分のことを理解し、受け入れてくれていると感じる相手に、いろいろと話を聞いてもらうのが、今の父には一番いいのではないかと思った。

私たちにはそれが難しい。
肉親にも相性というのものがある。


弟とは、両親の最期のすごしかたについて、ざっくりと意見のすりあわせをしておいた。

私は両親とは距離をずっと置いてきた。
良く言えば、早めに親離れし、反面教師にしてきたところもある。

得るものもあれば、失うものもある。
他者と比べる必要はない。

自分が納得しているかどうかが、一番大事だと思っている。

ただ、そう思いつつも、なぜ泣けてくるのかは、まだ自分自身、全部説明できない。

まあとにかく、弟夫婦には改めて感謝の意を伝えてきた。








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