土日ともなると、団体の観光客で賑わうというテキスタイル博物館であったが、今日はワタシの他には訪問者は誰もおらず、ご自身も機を織るという素敵なお嬢さんに、ゆっくりと中を案内していただいた。
ラオスの織物にはイカット(マットミー)を含み、5種類のテクニックがあり、今日も履いていたシンには全部で3つの技術が使われていることも教わった。
機織りの場には女性しかいないこともあって、織機に座っている人とはかなり近い距離感で手元を見せてもらったり、ご自身が履いているシンの裾を膝小僧が見えるくらい大胆にペラリとめくって裏側を見せてくださりながら模様の説明をしてもらったりした。
昔は男性もシンを履いていたのだそう。
バリ島では男性も腰巻をしていたが、ラオスにおいては、老人だろうとホテルマンだろうと、シンを履いている男性は見かけない。
機織りの現場に来ると、時間の流れがとてもゆったりしているのを感じる。
どこかでニワトリが鳴いている。
手工芸の類が好きとは言っても、機織り自体をやってみたいとは思わない。
けれど昨日、草木染め体験をしているとき、鍋の中でグツグツと煮えている深紅の液体の中に浸された布を棒でかき混ぜながら、ふと思ったのだ。
残りの人生、どのくらいの時間があるかわからないけれど、日々の生活を、これまでとは全く違ったものに変えることは可能だろうかと。
きっと、日本に居たままでは、今の生活をスッパリと切り替えてしまう根性も勇気も、今のワタシにはないだろうと思う。
けれど、生まれた国を出て、これまでの自分を知る人が誰もいない、ゆったりと時間の流れるこの国であったなら、ひょっとしたらそれが可能なんじゃないだろうか・・・
あるいは・・・
過去のどこかで、違う選択をしていたら、今とは全く違う人生を歩んできたのではなかったか?
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