一昨日の 即位礼正殿の儀 によって
令和天皇として 国内外に即位を宣明されました。
皇太子時代に、
天皇教育の一環として歴代天皇の事蹟を学ばれ、
最も印象に残っていることとして、
『誡太子書』を取り上げていらっしゃったご様子を
振り返り映像の中で拝見しました。
(昭和57年3月15日)
「花園天皇という天皇がおられるんですけれども……
誡太子書(太子を誡〈いまし〉むるの書)と呼ばれているんですが、
この中で花園天皇は、まず徳を積むことの必要性、
その徳を積むためには学問をしなければならないということを
説いておられるわけです。
その言葉にも非常に深い感銘を覚えます」
<参照と引用>
**********************
徳を積むためには学問をしなければならない
これを私流に注釈するならば、
「学問」は「徳」を積む上で 必要なもの (役に立つもの)
**********************
近年、
「学問」を教示する教育の現場がおかしぃ。。
神戸・東須磨小学校 教師間のいじめ問題
なんぞは、話にならない
一方で
東京・麹町中学校 の学校改革 が注目を受けています
私は 率直に 麹町中学校の方針に賛同する意見です
● 宿題の廃止
● 定期テストの廃止
● 固定担任制の廃止
※一つ一つには、
従来の「当たり前」ではダメだという根拠があります
そもそも
下の記事によれば、
『偏差値教育』の導入には政治的な思惑もあったようです
※古い記事ですが こちらを参照しています
私自身の中高生時代にはすでに
「偏差値による進路決め」は導入されていました。
結果的に
地域の最難関公立進学高校で学びましたが、
その先に確固たる目標のなかった私にとっては
入学早々から
大学進学の話題しかないその高校には良い思い出はありません
その反動のためか。。
息子には
「勉強よりも重視する事柄」というものを優先して来ました
Q. 人生に一度限りの成長期=思春期 を
「勉強(=偏差値)」という枠に囚われて
それを当たり前に受け入れて過ごしてもいいものか?
それは私の中で
自分のその時期に
「本当にやりたいこと&過ごしたい時間」を
周囲の圧力で 間違っている(?)かのように
修正され、勝手な期待を強いられてきた
という感覚と、
巷が評価する進学校で
評価通りの成果を収めるのは
ほんの一握りであり、
しかし そういう人には個性がなくて
学力を象徴するかのような大学に進むことさえ
本当は
自分の意志なのか? どうかも疑わしい。。。
そんな
不自由極まりない
「偏差値」と「親の期待」に縛られていたような高校生活
という方が勝っていたので
(but 楽しいこともありましたよ)
息子には、
まず! 好きな事との出逢い
を優先して来ました
一貫して願って来たこと (子育て 後日談)
良かったのか?悪かったのか?(子育て 後日談)
でも それは
好き勝手 とは異なります!
自分の意志で取捨選択をし
決めたこと(選んだこと)には責任を持つ
けれども 思い通りにならない結果もある
という現実を受け入れることも学び。。
はじめから教育的にそうさせたわけではなく、
大前提にあったは
好之者、不如楽之者
(これを好むものは これを楽しむものに如かず)
**********************
麹町中学校が
「教育」改革の先駆けになることを願っています!
子どもたちは
肉体的には小さい(未成熟)と言うだけのことであって
内面的には
その年齢相応の100%で物事を捉えて考えています!
大人の解釈で
その子の100%が、
小さい可能性 & 行動力しか発揮できなくなる
自主性=自立 を願うのならば、
学力にばかり囚われずに
子どもが これ! と 自ら飛びつける何か を
小・中学校の間に見出せるよう
楽しく寄り添うことこそが
わが子の将来を願う という親心の源のような気がします。
**********************
話が冒頭から少しそれましたか
でも
子育ても 徳を積む に通じていると思います
昨日 美味しかったもの
<マカロニの明太マヨネーズ和え>
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます