アルバイトを終わって 部屋に戻った息子から
深夜に目が覚めました
2019年のアルバイト✈は 今回で終了だそうです
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2020年は
わが家にとって また新たなスタートの年となります
長かった学生時代を ようやく卒業し
来春からは 念願企業に入社👨💼
このブログを始めた頃。。
本格的な競泳選手活動を始動した中学1年生から
高校時代 ~ 浪人時代 ~ 大学入学
そして 修士2年。。。
14年間にも及びます
子育て と一口に言いますが・・、
私の持論としてあることは、
母親の手の内から離れて
幼稚園 or 保育園であれ、
親以外の大人に育ててもらう環境下に
わが子を預けた瞬間から
その子の自立に向けてのサポート=「子育て」が始まる
と 考えてきました。。
それが何歳からか? は 微妙に異なるものの、
家の中で護られている環境から
小さな一歩を 踏み出すわが子は、
その時点で もう親の知らない時空間を
独りで 体験して学ぶ日々の始まり。。。
親が ずっと 見護ることのできない時間が発生する
ということは
すでに 子ども自身の生きる力を信じて覚悟すること。。
しかし
できれば わが子にとって
居心地の良い時間であってほしい
そう願うのは 親であれば当然。。
ですが、
そばに居られない以上は
その時空間は 何の手助けにもならない
という 矛盾 と 葛藤 の始まり。。。
「子育て」というものの原点は
それに尽きるような気がしています
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ここに
私の子育て観の起点とも言えるくらい、
影響を受けた方のエピソードを書きました。。
それは
まさしく
育てたように 子は育つ
(相田 みつを)
に 通じる感慨です。。。
ある時 そのお母さんは、
でもねぇ・・・、
やっぱり 私がそういう風に望んでいたのよ。。。
あの子の現在(いま)を観ていると
間違いなく 私がそういう風に育てた!
って 思うもの。。。。
やっぱり 私がそういう風に望んでいたのよ。。。
あの子の現在(いま)を観ていると
間違いなく 私がそういう風に育てた!
って 思うもの。。。。
と 子に対する嘆きの心情を吐露されましたが、
その言葉には 諦めとは異なる境地を感じました
納得 という方が相応しい。。。
目の前の娘。。
その子を取り巻く環境の中では
いま、
少しばかりの不遇に陥っているとして、
それを見るにつけ
つい、
周囲との比較対照からマイナーな評価をしてしまっている
けれど、
そこに至るまでには
親(母親)の思いというものがあった(はず)。。
大人になった時に
そこにピアノがあった時に
すぐに 弾けたら楽しぃかな
・・・と 思って ピアノを習わせているの
そういう寛やかな眼差しで
他にも 乗馬にもトライさせているという家庭環境でした。。。
大らかに
目の前のことに躊躇することなく
楽しむ(チャレンジする)
ということを願ったものの
時に それだけでは 叶わないという物事はある。。
あの子の性格は 最高なんだけれど
競争の社会には向いていない。。。
でもねぇ・・・、
競争の社会には向いていない。。。
でもねぇ・・・、
と 前述の嘆きに続く。。。
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子どもの成長とともに
置かれる環境も変わり
求められる物事も難易度を高め
その時点での 対応性如何では
未体験の試練を強いられるかもしれない。。。
そういう状況の中で
周囲との比較対象での
結果だけを見て嘆くのではなく
そこまでの道のり=子育て で培ってきたもの
を 正しく評価して
しかし
それだけでは不足するものを
現状の問題として提起して
その時に大切なことは
あくまでも
「不足」している(だけの)ことに対して
前向きに 「補っていく」という発想か と。。
そういう観点で
自分の息子(or娘)を
正しく評価できているだろうか。。。
私のこの14年間は
折に触れて そういう自省の繰り返しでした
また、
そうしながら
息子自身の心情との誤差が拡大しないよう
相互で確認し合う長い歳月でしたか
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どなたかが仰っていました。。
誰かのために “やってあげた” と思ったら、
その人との関係って続かない
“自分がやりたくてやったかどうか”、で
全部判断したほうがいい
子育ても 同じかな・・と 思います。。
だからこそ!
育てたように 子は育つ
(相田 みつを)
Q.自分の息子(or娘)を
正しく評価できている?
A.私は(夫ともども)
この言葉通りに 満足しています
我が家はもう、お盆とお正月くらいしか
息子たちと会わないですが、心の奥で
いつも、思っています(*^.^*)
「親の思い」というのも
「自分がそうしたいら そうする」ということなのですよね
離れて暮らしているお子さんたちが
お盆とお正月だけであっても
顔を見せに帰って来てくれる!
sakurakoさんの思いが通じているのです
お互いにゆっくりしましょうね