(2020-01-19)ロッテグループ創業者の重光武雄氏が死去
(2013-08-24)
■変なお辞儀・蔓延の真相(1)韓国には1979年まで「接客のお辞儀」の習慣が無かった!
http://blog.goo.ne.jp/chaos1024/e/9b7293badd2e6e7d0baf1b15d9938073
*書籍:秋山英一 聞書 韓国流通を変えた男 ~ロッテ百貨店創成記~
お辞儀導入のくだり 書面画像
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Amazon
秋山英一聞書 韓国流通を変えた男―ロッテ百貨店創成記
http://www.amazon.co.jp/秋山英一聞書-韓国流通を変えた男―ロッテ百貨店創成記-藤井-通彦/dp/481670695X
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http://haru.iza.ne.jp/blog/entry/102180/(リンク切れ)
2007/01/16 09:43
ロッテを韓国ナンバーワン百貨店に導いた伝説中の人物・秋山氏
福岡県出身の秋山英一氏は、大学を卒業後に三越百貨店に入社。
日本橋本店、新宿店、大阪店と職場を移ったが、
1966年、福岡の百貨店・福岡玉屋に誘われて移籍した。
その後、福岡県北九州市にある小倉玉屋に移り、
常務営業本部長として販売の最前線で働いた。
紫川を隔てた場所に位置する北九州随一の百貨店・井筒屋と
熾烈な百貨店対決を繰り広げながらも、業績を順調に伸ばした。
石油ショックの年でありながら、前年比135.3%を達成。
そんな頃、菓子メーカーのロッテが韓国で百貨店を始めるので
秋山氏にロッテから統括責任者としてのスカウトが来た。
秋山氏は当初、断るつもりでロッテ創業者の重光武雄氏に会った。
※重光武雄(しげみつ たけお)=辛格浩 (シン・ギョクホ)
重光氏はもともと韓国出身で、父祖の地である韓国に
一から巨大企業グループを作ろうとしていた。
秋山氏はその重光氏の強い情熱に打たれて、
秋山氏は小倉玉屋を辞めてロッテに入社することを決意。
韓国ロッテホテル常務・百貨店事業本部長として迎えられた。
ソウルに飛んだ秋山氏は、韓国と日本の商売の考え方の違いを
いろいろと肌で感じながら、新しくオープンする
ロッテデパートのコンセプトを次第に固めていった。
当時の韓国では、客が声をかけたらようやく振り返るというのが
店員の当たり前の態度であった。
韓国では家族や親戚への礼は尽くさなければならないが、
他の人間に必要以上に親しげに振る舞わないという文化があったのだ。
そこで秋山氏は、韓国の既存の百貨店の接客態度を
変えなければならないと思い、日本流の御辞儀を導入することにした。
幹部社員からは「韓国ではどこもやっていない」と慎重論が出たが、
秋山氏は押し切り、ひたすら御辞儀の練習をさせた。
一列に並ばせ、お客様の目を見て頭を下げる、角度は45度、
前で組んだ手は体と共に自然に下げる…と秋山氏がやってみせた。
男子従業員は積極的に女性従業員を指導してくれた。
彼らは軍隊経験があるので、規律正しい挨拶には慣れていたのである。
この御辞儀はオープン後、ソウルの他の百貨店にも次第に広がり、
現在韓国の百貨店業界では完全に定着している。
1979年12月17日、いよいよロッテデパートはオープンした。
重光武雄オーナー夫妻らによるテープカットの後に開店。
オペラ「アイーダ」の行進曲が高らかに流れる中、
並んでいた500人以上のお客様の人波が続々と玄関に押し寄せた。
この「アイーダ」は、クラシックファンであった秋山氏が
選んだものだったが、その後韓国各地のデパートでは、
「アイーダ」が開店時の曲として定着していく。
開業当時、韓国での海苔の売り方は100枚の束売りが一般的だった。
だが、99枚とか、101枚とか、束ごとに枚数が違うケースがある。
そのためロッテでは入荷した分は必ず売り場の裏で数え直させ、
「ロッテ百貨店百枚」の帯封を付けて売った。
そんなある日、売り場の担当者がこう報告した。
「日本人客から『味付け海苔はないのか』と尋ねられた」。
ピンと来た秋山氏は、海苔業者に頼み、
韓国式にゴマ油と塩で味付けをした海苔を売り始めたところ、
日本人観光客だけではなく韓国の人も買って行くようになり、
爆発的な売れ行きを見せた。
また秋山氏は、パック入りキムチを考えた。
「500g程度の小さなキムチパックを一体誰が買うというのか」
「大韓民国の男は一人分のキムチなど買わない」
など、最初は社内でも大反対が出た。パック入りのキムチは、
キムチを毎食食べる韓国人の常識から外れていたのである。
しかし秋山氏は、韓国の生活水準が向上する中で、
必ず韓国でも一人暮らしの男女が増えてライフスタイルが変わる、
と考えて、小分けにしたパック入りキムチの導入に踏み切った。
韓国初のパック入りキムチは、案の定、日本人観光客に土産として
よく売れるようになったが、韓国人にもこれが売れた。
地方から多くの人がソウルに集中する中で、
やはり一人暮らしの人も増えていたのである。
秋山氏が考えた「味付け海苔」と「パック入りキムチ」は、
その後韓国を代表するお土産品として定着することになる。
開店当初は韓国マスコミの「日本叩き」の姿勢により、
事実に反することも書かれたりもしたが、
ロッテデパートはその後も韓国の流通文化に様々な革命をもたらし、
様々なスタンダードを産んでいくことになる。
やがて、ロッテデパートは日本人客に馴染み深いだけではなく、
地元のソウル市民にとっても
象徴的なショッピングの中心施設として発展していった。
▼出典は、最近読んだ本からです。
ロッテを韓国ナンバーワン百貨店に導いた伝説中の人物・秋山氏の
足跡を辿る本。韓国社会の激変ぶりにはかなり驚かされます。
・秋山英一聞書 韓国流通を変えた男(藤井通彦氏著/西日本新聞社)
⇒ http://amazon.co.jp/o/ASIN/481670695X/winbit-22/ref=nosim
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2006年10月19日
藤井通彦「秋山英一聞書~韓国流通を変えた男 ロッテ百貨店創世記」(西日本新聞社) (2)
http://plaza.rakuten.co.jp/koreatatsu1962/diary/200610190000/
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検索してみると、ロッテ百貨店のHPやwikiには、
現在の韓国の流通システムの確立に尽力した
功労者・秋山氏について、
ひと言も触れていません。
百貨店経営のノウハウすべてを
ロッテ(韓国)に教えても、このザマです。
いかにも韓国(朝鮮民族)らしい…w
・ロッテ百貨店wiki
・韓国観光公社HP(記載なし)
・ロッテ百貨店HP 日本語版(記載なし)
創成記 創世記
■変なお辞儀・蔓延の真相(1)韓国には1979年まで「接客のお辞儀」の習慣が無かった!
http://blog.goo.ne.jp/chaos1024/e/9b7293badd2e6e7d0baf1b15d9938073