michigan's

〜my everyday life, とりあえずの日常〜

「私の体調不良は食べ過ぎから起こる」&お芋の日

2025-03-24 08:21:00 | 日記2025
「私の体調不良は食べ過ぎから起こる」。

どこかで聞いたフレーズ…。

(って、自分がいつも言っていることですf^_^;)
 
実家での滞在も10日を超えて、
私の体調もだんだん「悪く」なって来ました(^◇^;)
普段の母と私の食生活が「全く」と言っていいほど違うからです。

お腹の具合のせいもあり、
朝ごはんは家で食べられない私。
(食べると通勤途中で腹痛が。しかもそれ、寄るお店もないような田舎道(⌒-⌒; ))

普段の私の朝食は、車の中で
5センチくらいのおにぎりと、2切れの卵焼き
くらいを食べて昼までもたせるだけです。

お昼は例によってこんな感じのお弁当(ここで食べ過ぎるとまた午後からの授業が大変なことになるから極力セーブ)、



夕飯は、
だいたい仕事帰りの4時台か5時台には、今はおひとり様なので「食べたいもの」(ほぼ酒の肴の様相、炭水化物はほぼなし)をガーっと食べて朝からの栄養不足を補う。

私の方がいわば特殊な食生活をしているわけで、
母の方には全く非はないことはわかっているのですが、
何にしても、二人の食生活を合わせるのは大変です。

母は、朝は8時前ごろに一人でパン食の朝食、
12時前にはお昼(一人だとカップ麺など、あるもので超テキトーに済ませている気配)
夕方は6時には食べる人。

この母の、

昼は12時、
夜は6時

に合わせてご飯の用意をし、そして一緒に食べるのが、
私には超ヘビー(こんなこと言っては申し訳ないが、時に「苦」(⌒-⌒; ))

この他に、
甘いもの好き+「年寄りは水分&タンパク質を十分摂るように」と妹から重々言われている母は、

午前中は10時、
午後は3時にしっかり「おやつ」

も摂っているから、
92歳としては偉いと言えば偉いゎ!
(わたしゃとってもそんなに食べられません。母たちの世代のように長生きはしない気が、この頃すごくして来る所以(⌒-⌒; ))

  〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜

そんな中、
親戚のS兄ちゃんがブロッコリーのお詫びに?追加でくれたお芋も、処理せぬわけにも行くまい…。



これまた私、
母や妹などと違って、

「芋栗豆はあまり好きでない」

と公言している派(^◇^;)

対して、戦時中に芋やかぼちゃなどを嫌ほど食べているはずの母の世代は、

「食べ過ぎたからもう見るのも嫌だ」という人と、
「昔食べた懐かしい味で大好きだ」と思う、
だいたい二手に分かれるらしい。

うちの母はもちろん後者ですf^_^;

  〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜

そこで、
自分が好きでないために芋の良し悪しもよくわからず、扱いにも全く自信がない私ですが、
さてこのS兄ちゃんのでっかいお芋をどうしようかと考えていた時、
ふと頭に浮かんだの、

鬼まんじゅう

という言葉。

自分では、「鬼まんじゅう」って何だっけ?
くらいの認識しかなかったのに、
なぜかその時浮かんだその言葉。

調べたらこれ、名古屋の方の名物?
(ということは私も、住んでいた30年くらい昔には身近で聞いたことがあったのだろーか?)

レシピを調べるとだいたい:

さつまいも約200g
薄力粉(強力粉でも)200g
砂糖60〜90g
ベーキングパウダー大さじ1
水160cc

全部家にあるし、思ったよりカンタンじゃーないか!

そして、見よう見まねで何とか蒸し上がったおまんじゅう↓





そもそももうちょっと生地が硬くても、
そしてもうちょっとベーキングパウダー(今回少なめ9gしか入れなかった)を入れても、
そしてもうちょっと砂糖が多くても良かった、
という反省点はあり。


夕飯も、
私には超珍しい「芋ごはん」(芋多め)でしたf^_^;



おかずは、この前冷凍していた半身の鯛のオリーブオイル焼き、
ニラの卵とじ甘酢あんかけ、
具沢山味噌汁、ほか。


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巨大ブロッコリーの呪い(ウソ(^◇^;))

2025-03-23 17:32:00 | 日記2025
お墓参りの日(3/21)の午後、
親戚のS兄ちゃんが久々に家に来て、
「もう硬いかもしれんけど」と言いながらこれをくれました↓



こんなの見たことない、

超巨大ブロッコリー( ̄▽ ̄;)

ペンは普通のボールペンを置いています。



が、これでもまだ脳がバグるというか、
サイズ感がイマイチわかりませんね。

シンクに置いて、
これならどう?



せっかくもらったので、
少々長けていようが硬かろうが、
もったいないので、食べられる形に処理するべく、
早速取り掛かりました。

思ったよりは瑞々しくて、硬くもなさそうです。

で、とりあえずできたの、
じゃがいもその他の野菜を入れてコンソメ味で煮込み、ミキサーにかけたスープの素(右)と、
さっとゆがいただけのものをミキサーにかけたブロッコリーペースト(左)。



個人的には、
味をつけないペーストがいろいろ使い道ありそうo(^▽^)o

これ↓は、数日前と同じバナナパウンドに、ブロッコリーペーストを混ぜたもの。



それほど癖なく、違和感なく食べられ、
母にも好評でした。


中間くらいのところの茎は、
これまたサッとゆがいたものを刻んで↓


この日は手始めの挽肉カレーに。




…しかしこれでまだ、
処理してない分、あと半分くらい?(⌒-⌒; )

  〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜

夕飯はこんな感じで、



母も喜んで食べてくれました。


が!

こんなこと書くのはひじょーに心苦しいのですが、
この晩私は、いつものお腹の不具合とはまた違う、
病的な下◯で一晩中苦しむ(;´Д`A

なぜなぜ、
何がいけなかったのだろうと、
朝方腹痛で目が覚めて朦朧とする中スマホで検索していると、、、


そう言えばそーだった。
当然人によって違いはあるのですが、

過敏性大腸炎の患者が食べてはいけない野菜

のほぼ筆頭に、
この「ブロッコリー」が挙げられることが多いのを、ついぞ忘れていましたヽ(;▽;)ノ

  〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜

ワタシ、モッタイナイ精神全開の人です。
だって、戦中戦後の物や食料のない時代を生き抜いた祖父母や父母の苦労を聞き知っていれば、
少々長けたくらいのこの巨大ブロッコリー。
もしもその時そこにあれば、
これでいったい何人かの人がとりあえず命を繋ぐことができたのだろうか、
などとと考えてしまう。
現代の戦争、紛争の地域も然り。 


私は上記の理由で個人的に食べられなさそうなのですが、
パウンドケーキは母に好評だったし、
その他の部分もできるだけ保存が効くよう処理して、
次に妹が帰る時に託したいと思っている次第ですf^_^;

呪いのように(ウソウソ)体調崩した私ですが、
これは決してS兄ちゃんのせいではありません。

(ちなみに、そのS兄ちゃんは、「あんな硬いものを人にあげるなんて!」と奥さんのK姉ちゃんにこっぴどく怒られたそうで、翌日詫びがてらの?お芋を届けてくれましたf^_^;)

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お墓参り

2025-03-23 08:53:00 | 日記2025
3/21(金)

中日より1日遅れて、お彼岸のお墓参り。
この時点で、

お盆やお彼岸には、他のどの家よりも早く行ってお墓をきれいに掃除するものだ

という父の教えに背いておりますf^_^;


山の上のお墓に一人で行かなければならないのは結構気が重いです。
(私もそんなに体力ないし〜(⌒-⌒; ))

しかししばらく掃除にも行っていないお墓。
誰かが(ワタシσ^_^;)行かねばなるまい。

以前は、

「腰が痛いので上には上がれないけど、せめて私も下まで一緒に行って車で待ってるわ」

と言っていた母も、
もう上がる元気もなければそもそも一緒に行くという「やる気」もない。

(まあ流石に92歳に、一緒に行って掃除しよう、とは言えないf^_^;)


ということで、
お寺の敷地に車を置かせてもらって、
いざ裏の山の上がり口へ。

撮るつもりもなく、
偶然バーストで自分の影が撮れていました(^◇^;)



これはまだ「序の口」です。

この先が↓



あるかないかのようなこの細い道は、思うよりも急で、
山の石で滑りやすかったりして結構危険。

今は冬の枯れ草が残っているだけで道が見えていますが、
これがお盆の頃ともなれば両側から萱などが鬱蒼と覆い被さり、
キンチョールを吹き付けながらその間をぬって進む作業になります。

途中有志の方がコンクリートで階段(らしきもの)を作ってくれたのですが、
それでももう母などは絶対上がれないと思う。
私もあと3年くらいしたらムリかも〜( ̄▽ ̄;)

家のお墓自体は、この道さえクリアすれば割とすぐの山の中腹くらいのところなのですが、
そこからまだ倍くらいの高さまで登ったところにお墓があるお家も多いのだそうで、
それはさぞかし大変だと思う。

なにしろ、

都会のお寺の敷地の平地にある墓地とは違うのよ
水だって「手桶と柄杓」などという上品なことで済むはずはなく、
ポリタンクで持って上がるのよっ!! 

(…とここで吠えてみる(^◇^;))

  〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜

お墓自体は、父が亡くなった17年くらい前に新しく建てたもの。
数年前に母方祖母の実家を永代供養に出したので、
一基減って、
今は母方の実家とうちのお墓が仲良く並んでおります。

地面は石で覆ってあるので、
だいたいいつも、溜まっている落ち葉がすごい以外は、掃除自体はそれほど手がかかりません。

昔父の実家の鬱蒼とした山の共同墓地で、
歴代10基以上の古〜い墓石が並んでいた頃には、墓参りは家族総出の作業で大変でした。
(しかも、うちは自家用車を持っていなかったので、バスがタクシーで約1時間。)

父が裏側の山の木を刈るところから始まり、
蚊取り線香炊きまくりで藪蚊と闘う。
お隣の、埋葬したての「土葬」のお墓の区域をふと踏みそうになって、
「おおっ((((;゚Д゚)))))))」 
となったり(⌒-⌒; )

それに比べれば今は遥かに平和になったのですけどねf^_^;


今回「塵取り」を忘れてしまい、
落ち葉を全部手で取り除かなければならなかったのだけが予定外でしたが、
割と着々、
でもちゃんと時間をかけて、お墓をきれいにして来ましたょ(^^)v

お天気良く、
一息ついて眺めた市内。

かつての父の職場が見えていました。










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ミロード閉店

2025-03-22 14:11:00 | 日記2025
新宿のファッションビル、ミロード閉店のニュースは、
ここ四国の片田舎、
しかも年に何度かの長期休暇中、じっぱりと実家で母と過ごしている身には遅れて入って来ました。




アルタが閉館しようと、あまり思い入れのなかった身f^_^;

ミロードは、
違うなぁ( ;∀;)


大学一年次は、大学近くの昔ながらの個人の下宿屋(洗濯機は室外、風呂なし)に住んでいました。
(毎日中学生の娘を怒鳴るおばさんの声が聞こえて来て迷惑だった〜(^◇^;))

妹が上京するに当たり、
二年次から双方の「中間地点」ということでちょっと無理して住んだ新宿。

駅からはそこそこの距離があったものの、
JRの最寄駅は新宿で、
バイトも新宿。
西新宿は大学時代の私の「お膝元」でした。

何より、通学の行き帰り、
通るだけでその時の流行りがわかる。
学生の分に合った飲食店なども多い雑多な街の雰囲気が気に入っていました。

中でもミロードは、ルミネなどより背伸びしなくて良い格好の買い物スポット。

さすがにもう処分してしまったけれど、
あの服も、この服も、
あちこちをウロウロした挙句に結局はミロードで買ったよな、
と思うもの多数。

レストラン街に、ほんの一時期あった和食レストラン。
今聞いても覚えている人が少なく、店名さえもわからなくなってしまったのですが、
当時としてはとてもオサレな、
一つのトレーに女子好みの小皿がたくさん並ぶタイプのお膳で、
茶碗蒸しなど、ほんの「お猪口」くらいのサイズの上品な味のものが出て来るお店が忘れられません。

あ、あと、ロシア料理のマトリョーシカ!
あれは、その後娘などとも数回行ったことがありますが、
よく考えたらそれもなくなるってことか??(;゜0゜)


しかし何より、
ミロードのモザイク通りと言って私が思うのは、
当時真っ盛りのバブルと、
「We are the World」の流行も冷めやらない世界情勢とのギャップでしょうか。

世界の大都市東京のお洒落なショッピングストリートに、なぜかワクワクムードで「We are the World」が流れる中、

「ここにはなんと贅沢な品々が並んでいることか(たぶん到底全てが消費仕切れるはずがないほどの)」

と思うと空恐ろしい気さえしたのは私だけだったのか。

一度だけ、その通りの輸入雑貨の店で、
「アフリカ産」だというスカラベを型どった青い石のエスニックなペンダントを買って、
しばらく使っていたことがありました。

しかし次第に、
決してお安くはない、その時のバブリーな日本の値段で買ったそのペンダントの、
果たして何パーセントがアフリカの人に寄与しているのか、
と考えたら空しい気分になりました。

それが理由で(と言ったら言い過ぎに聞こえるけれど)、
贅沢すぎる東京が嫌になり(というか、怖くなり)Uターンした、
と言ってもあながち間違いではない私(⌒-⌒; )


それから40年近く。
世界は変わったのか、どうなのか。


新宿ミロードは、
私にとって華やかな大学時代と、
何不自由ない時代の日本に生まれた身の後ろめたさがせめぎ合う場所です。

最後に一目見に行きたかった気もするけれど、
なぜか今回その情報が私の元には遅れて届きましたーf^_^;


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昔ながらのパン屋さんとアナナスの植え替え

2025-03-22 08:52:00 | 日記2025
3/20(木)

春分の日。

祝日でしたが、
しばらく前から探訪の機会をうかがっていた隣町のパン屋さん。  

電話してみると営業しているようだったので、
母とドライブがてら行って来ました。

バイパスができてからはめっきり通らなくなった旧道にむかーしからあるお店ということで、
「そこのパンで育った」と言っている地元の人たちも多いらしい。
その名も「パンの店」(^◇^;)

あまりに慎ましやかな店構えということで、
本当にやっているのかどうかと思いながら入る人も多いようです。
(実際私たちも、その道を「全く」通ったことがないわけではないのに、その存在に気づいておらず、妹がネットで評判なのを見つけて来ました。)

母と行ってみると、
噂通りのお店が割とすぐに見つかったのでしたが、
例によってよく知らない道を行くのがキライな私、
道沿いの駐車場に車を止めたりするのに気を取られて、お店の画像はありませんf^_^;

買ったパンです↓



手前から、時計回りに、
桜あんぱん、
粒あんパン、
カステラパン、
チョコがけのシフォン(みたいなの)、
カレーパン、
ピザパン。

気持ちの良い青年が応対してくれて、
これだけ買って900円。
(なので、だいたい一つ150円くらいか。)

  〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜

帰宅後のお昼のメインは、
この中から、
カレーパンとピザパン食べ放題(?)でf^_^;


  
季節柄、「ふのり」のスープも作りましたが↓




この日隣町の直販店で買った「ふのり」は、子供の頃から食べ慣れている「ふのり」とちょっと種類が違う感じ?

馴染みのある「ふのり」は、
途中トゲトゲと枝分かれしていたような気がしていましたが、
この日のは割と「真っ直ぐ」。




昔ながらのパン屋さんのパンは、
どれもフワフワで美味しかったです^_^

母のお気に入りはもちろんあんぱん系なのですが、
今回は、中でもピンクのこし餡が入った「桜あんぱん」が1位獲得とか。

それに、普段母が嫌いなカレーパンも、
「これなら食べられる優しい味」だったとか。

私は、高校時代学校に売りに来ていたパン屋さんのものと似ている「カステラパン」に軍配を。
でもそこのよりもフカフカで美味でした〜。

また買いに行かなければo(^▽^)o


  〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜

午後は、気になっていた「ヨウラクツツアナナス」(長いので「アナナスちゃん」と呼んでいるf^_^;)の植え替えを。

今が植え替え時なのかどうかは別として(笑)、
株が増えすぎてプランターや鉢にギチギチになっているのを見ると、
もう思い立ったが吉日ですf^_^;

中くらいのプランターと、鉢2個分を引っこ抜いて、
できるだけ分けて植え替えました↓






が。

実はまだラスボス↓が残っている( ̄▽ ̄;)



ヨウラクツツアナナス(瓔珞筒穴ナス)。
別名「女王の涙」。



珍しもん好きの父がどこかから入手したものなので、
緑の指を持たないワタシが絶やさず維持しているのは我ながらエラい!

(というか、実は手がほとんどかからない育てやすい植物らしい(^^;;)

しかし年々こんなに増えるのをどーする?

  〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜

前日には蕾ばかりだった築山の木瓜が咲いていました。


それから、
母は庭に「花がない、花がない」と言うけれど、
庭の東の端っこに、いつもこの時期にはちゃんと咲いているユキヤナギは、
あまり気に留められてなさそうなのが可哀想。
せめて画像を残しますf^_^;





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実家滞在1週間の覚え書き

2025-03-20 13:10:00 | 日記2025
学期末を迎えたと同時に実家に帰り、
ほぼ1週間が経ちました。

せっかち母との日常は何かしら気忙しくてあっという間。

でも、だいたいいつ何をしたか、
の記録がないと、
後で却って面倒なことも起こります。

よって、超駆け足の覚え書きです。
(食べたもの中心(^◇^;))


————————————————

3/14(金)

買い物して実家へ。
夕飯は、回鍋肉以下有り合わせ。

食卓に並べるや否や、
せっかち母が自分の取り皿に取り分け始めるので忙しない~(⌒-⌒; )




  〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜

3/15(土)

午前中、母と隣町へお買い物。
お昼は、数十年前くらいに一度は行ったことある感じの地元の喫茶店でした。
でも、常連さんだけに席捲されてる感じでもなく、
昔ながらの平和な喫茶店ランチ^_^

母が「焼き飯」(画像なし)、
私が焼きそばでした。


自分では作らない「仕様」の焼きそばもなかなか良いものだ。


この日直販店には魚はあまりなかったけれど、かろうじてメガネにかなった鯛600円也。



あまり処理が良くないまま売っていたところを頑張って、
鯛めし↓


そしてお刺身↓



全体は、前日からの菜の花のマヨ和えも含めてこんな感じ↓




実家の庭は、私の「草原状態自然放置」の部分が、
良い感じに春の草(カラスノエンドウなど)で覆われて来ましたo(^▽^)o





水仙、木瓜なとの蕾も。






  〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜

3/16(日)

お天気もイマイチだし、
たらたら出かけもしない日(⌒-⌒; )

お昼はピザトーストと、
前日喫茶店で一部お持ち帰りした焼きそばf^_^;



夕飯のメインは鯛のカルパッチョと煮付けでした^_^






  〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜

3/17(月)

午前中、母と市役所や銀行の用事、
プラス買い物に出かけたついでに、
この日のお昼はマックの「てりたまバーガー」。
敢えての「炭火焼肉風」はお味が濃うございましたf^_^;





夕飯は、
母が買っていた生協の茶碗蒸し消費の都合メニュー。



大豆の甘酢漬けの材料は、
普段自分では「大豆、玉ねぎ、ハム」なのですが、
実家ではハムを切らせていたため、
豆苗(二期作分w)を加えましたf^_^;



こちらは、大豆の「醤油麹漬け」。


先日亡くなった枝元なほみさんが、
(たぶん)最後に出演した動画で紹介されたもの。

醤油麹に漬けるだけ、
だと味が濃いので、
「同量の煮切り酒」を加えるのがミソ。

気取らず自然で体に良い料理を提案してくださっていた枝元さん。
最初に知ったのは、はるか昔のオレンジページでした。
近年では「Big Issue」、「夜のパン屋さん」など社会活動をされていたようです。
こんなに早く逝かれるとは思っていませんでした。


  〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜

3/18(火) 

母と城山の公園へ。


桜の蕾はたくさん付いているものの、
ボンボリ設置の作業はまだ中途。


 
小さい頃からよく来ては眺めた小さな市街。
こないだもう私たちのものではなくなった古い実家の土地もこの中に見えている(はず)。













帰宅後のお昼は、
行く前から準備していたグラタンメイン。



夕飯は、豆腐消費のための中華炒めが中心。




  〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜

3/19(水)

母、「ほんのちよっとの」デイケアに行く日。
なにしろ、

他の人とご飯食べるの嫌、
お風呂に入れてもらうなんて絶対嫌

な人なので、
わずか2時間弱の滞在、
足腰のリハビリのみです。

9時過ぎに大騒ぎで出かけ、
私が家のことをごとごとやっている間もなく、
11時過ぎには戻って来ました(^◇^;)

お昼はにゅうめんがメイン。
素麺だけは拘る我が家。
揖保乃糸黒帯なので美味でした〜^_^



母が冷蔵庫に放置して真っ黒くろすけのようになったバナナ。

パウンドにしたら大好評、
あっという間に消費されましたf^_^;



夕飯は、



久々ガッツリ系ハンバーグ(きのこバター醤油)。



この日の午後、
頑張って畑のネギを植え替えました。
それであぶれた極細ネギの株↓



もったいないので洗いに洗って作った酢味噌和えは我ながら良い出来でしたー^_^




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「田舎あるある」その2

2025-03-13 08:15:00 | 日記2025
いざその道に入ってみると、
確かにこりゃ狭かった。

田んぼのあぜ道に毛が生えたくらい

です。

が、ちょうど私の前に、
4トンくらい?の割合幅の広いトラックが入って行ったから、
私は、
「ラッキー、これに付いて行けばいいや(^^)v」
としばらくは余裕で走っていたのでした。

前に大きな車がいれば、
たとえすれ違いのできない道で向こうから車が来たとしても、
向こうがバックしてくれる可能性が高いから。
(田舎道あるある。)

ところが、
途中、その前のトラックが、
わざわざ止まらなくても良いようなところで、
ちょっと広くなっている路肩に入って止まりました。
別に前から車が来ているわけでもないのに、です。

ということは、
なぜだかはよくわからないけど、
私に先に行け、ってことなのか!?

嫌〜な予感はしました。
だって、全く知らない細い山道で、
しかも私の後に何台かの車を引き連れて、
私が「先頭車」

道は、部分的には舗装されているところもありましたが、
ほとんどが未舗装の、
街中の道路の1車線分もない山道。
(「ポツンと一軒家」を思い出していただければf^_^;)

案の定、その後何回も、
本来ならすれ違いできるはずがないような狭い部分で、向こうから来る車と行き合う羽目になり、
その度に私の止まる微妙な位置や角度の判断と、
「数センチ」が問題となる場面でミラーを畳んだり開いたりして通り抜ける技が試される(;´Д`A

幸い、私の後ろに「台数」はいるので、
こちらがバックしなければならない状況にはなりませんでした。

途中、「これはもう不可能じゃないか」と思う狭い部分で、 
一度は大きな工事車両みたいなのと、
そして次には、実はよくわからないで突き進んで来ているらしい「わ」ナンバーのワゴン車とすれ違った時が最悪でした。
(案の定、後で見たら自分の車の左のタイヤ周りを、ガードレールか何かで擦っていた(⌒-⌒; )))

国道の列で、
そう言えば大型トラックは決してこの道に入ろうとはせず、そのまま待っていた意味がつくづくわかりました。

  〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜

いつまで続くのかわからない悪路に、
先頭車の責任もあって(笑)、
本当にこの道で間違っていないのか不安になっていたちょうどその時。

歩いている人など皆無だった畑の間の道で、
奇跡のように向こうから自転車でやって来る若者発見!

これを逃しては!と恥を忍んで窓を開け、
「国道までどうやって出られるか教えて」と頼んだら、 

「真っ直ぐ!ずうっっと真っ直ぐ!!」 

と大きく腕を振って教えてくれました。

もう、「神」に見えたの間違いないヽ(;▽;)ノ


その後やっと、存在さえ忘れていたナビ(そもそもお馬鹿)の画面を見るという余裕が出て来て、
見てみるとそこからまだ国道まで200m( ̄▽ ̄;)

でも幸いその後は大したすれ違いもなく、
そのうちやっと「見たことあるかも知れない」広い橋の袂に出ました。
そしてそこでやっと私の心に
「生還」
の2文字がヽ(;▽;)ノ

目に神々しく、
光が入るのも構わずに思わず撮った道の駅↓




  〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜

私は結局、
クネクネの悪路をせいぜい400mくらい走っただけのようでしたが、
その1秒1秒が何たる緊張の連続、
何と長く感じられたことか。

そしていつもの国道に戻ってみれば、
普段は何も思わずに走っている道路の、
何と広くて素晴らしいことかヽ(;▽;)ノ


道の駅で、トイレ休憩をして一息ついていた時、
国道を猛スピードで救急車が走って来て街の方に向かうのが見えました。

そしてその後を追うように、
車が続けて何台も走って来ました。
とりあえず怪我人が運び出されて、通行止めが解除されたようでした。

ということは、
なーんだ、私が必死で田舎道を運転していた20分くらいの間、
何もせずに待っていれば、
まあ同じくらいの時間でこの同じ場所までは来られた、ということか( ̄▽ ̄;)

ま、それでも良しとします。

このことがなければまず通ることはなかったであろう、
普段通る道のすぐそばにあるその道に、
とりあえず足を踏み入れた、ということでf^_^;

しかし私はこの先の人生で、もう二度とその道を通ることはないでしょう。
(絶対通らないっ!)

全部は写っていませんが、
私の格闘の軌跡がコレ↓



実家には、
予定より40分遅れて着きました。

  〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜

それにしても、この時の通行止めについての情報はその後も皆無でした。

結局あったのは、たいぶ手前に出ていた「走行注意」の電光掲示板だけで、
いくら田舎道とは言っても、
全面通行止めで両側にそれぞれ何百メートルの車が連なっている中、
何の交通整理も誘導もないってこれって普通??

おかしなことに、この事故そのものについてのニュースも、
この日の夕方のローカルテレビでも、
翌日の新聞でも「皆無」で、
何だかキツネに摘まれた気分。

事故を起こした人が悪いだとか、そのプライバシーを開示せよとかそういうことではないけれど、
これだけの「突発時」がありながら、
その真相は(おそらくごく近いところに並んでいて直接目撃した車の人以外)誰にもわからず、
誰も責任持たない、
道、通ったからいいでしょう、みたいなことで済んでしまうのって、
これも一種の田舎あるあるでは?


…あれ?
これ、 

情報ないし、
何かテキトーだし、
誰も責任取らない。

どっかの職場に似てない!?( ̄▽ ̄;)


  〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜

テスト期間あたりに減薬のせいで?体調がグズグズしていたのに加えて、
この「未知の狭い道」という恐怖体験のショーック。

実家での2日半はどこにも出かけず、
特に何をするでもなくグダグダと過ごしましたf^_^;
コメント

「田舎あるある」?

2025-03-13 08:14:00 | 日記2025
3/6(木)

自分のテストが終わる日、
まだ職場にいる間に、
今学期のみならず年間の粗方の成績を計算し、
その日のうちに「赤点者」を割り出して課題を用意する必要がありました。
Crazyだヽ(;▽;)ノ

その他諸々、言いたいことは山ほどあるけど、
もちろん守秘義務もあるし、
何より勤務先がひじょーに特殊なところなので、書けない&言えないことがほとんどのこの20年。
精神衛生に良いわけなーい


その日は帰宅後夜中の1時まで、
採点と翌週の授業準備をし、
翌3/7(金)から実家に帰る予定でした。

ほぼ2か月滞在してくれていた妹が
あと少しで帰京するのと入れ代わりに、
春休みには私が実家にいることになります。
その多少の引き継ぎも兼ねての2泊予定。


  〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜

3/7(金)

連休でもないのに、なぜか街も国道もとても車が多くて混んでいたこの日。

10時半ごろ家を出て、
あちこち買い物に寄ったりするのにいつもよりだいぶ時間がかかり、
そしてやっと実家まであと1時間弱、
というところまで来た午後2時過ぎ、
国道で渋滞。

そう言えばその少し手前に、

「国道◯号事故、走行注意」

という掲示は出ていたけれど、
あまり気にしていなかった。
どうせ片側通行くらいで、少し待てば通れるだろう、くらいに思っていたからです。

場所は山沿いの登りのカーブ。
私の前には大きなトラックなどが並んでいて、
前がどこからなのか、いったいどのくらいの車が連なっているのかわかりません。



何台かのトラックの運転手さんが車から降りて、
体を伸ばしたり、他の車の人と話したりしているところを見ると、
これは私が来るだいぶ前から止まっていたのかもしれない。

そうこうするうち、
私の後ろにも何十台もの車が連なって来ました。
(田舎でこんな渋滞は珍しい!)

事故ってどのくらいの事故なのか、
場所はどこなのか、
ラジオの「交通情報」をつけても、
何もやってない。
(何のための「交通情報」じゃ…)

ネットで調べてもリアルタイムの情報が「あるわけない」のが田舎です。

私がその一番手になるべく、Xでつぶやいても良かったのだけど、
電波具合も怪しい山の陰f^_^;

結局黙って待つしかない、
ってことなのか?

…ということで車内でしばらく手持ち無沙汰に様子見していた時、
連なっている列の中から一台、また一台と、
私を追い越して、私のすぐ右前方にある、
とある集落へ抜ける道に曲がって行く車が出て来ました。

曲がって行った車は、集落の方には行かずに、
その手前で左折して、田んぼの中の細そうな道を走って行くのが見えました。

これ、もしかして国道が通る前の旧道なんだろうか?
知っている地元の人が迂回し始めたらしいのを見て、業を煮やした列の車が、次から次へとその道に入って行き始めました。

その時私はたまたま、その道に入るのには「ベスト」な位置にいました。



どーする、これ、行くべき?行かないべき??

私は、
前から何度か書いていますが、
車で「知らない道」を行くのがなぜか「異常にキライ」な人。

Googleマップで国道に合流する道が「とりあえずある」ということがわかっているだけで、
どんな道なのか、すれ違いができるのかどうかもわからない迂回路に入るべきか否か?

悩みながら尚見ていると、
しばらくするとこちらから入って行く以外に、
向こう側からも車がこちらに向かって抜けて来るようになりました。
しかも、始めの頃にサッサと入って行ったような、いかにも地元民の軽トラなどではなく、
割と大きめの車も。

ということは、ある程度の幅はあり、
少なくとも「すれ違いはできる」道、
ということで良いですか〜??


そのままそこで「開通」を待ち続けるという「平和」を選んでも良かったのですが、
あろうことか、
その前に寄った店で私は、
「ま、あと1時間だからいいか」と、珍しくトイレに寄らずに出て来てしまっていました( ̄▽ ̄;)

待つこと自体は構わないけど、
あとどのくらいかもわからないとなると、
そのへんがちょっとヤバいかも。

そして、、、
意を決して列を離れて右折した私でした。
きっと後続の車は、
「あ、また一台抜けて行ったぞ。どうなるのかな」と思いながら、
私の行く手を目で追っているに違いありませんf^_^;


(長いので「その2」に続きます)

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更年期障害のホルモン補充療法の覚え書き;半減期

2025-03-07 08:22:00 | 健康
更年期障害での手のこわばりや筋肉痛などが、
私の主張より10年くらい遅れて(笑)世に認識され始めたらしいことが、
先日「あさイチ」で取り挙げられました。
(2025.2.16の日記)

個人的には、昨年末の、かかり付けの婦人科医院の閉院に伴って、
7年ほど続けて来たホルモン剤の量を半分にして様子を見ることになりました。

その後の覚え書きです。
(面白くないので、ご興味ない方はスルーでm(_ _)m)

  〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜

おかしいくらいに「様子が変わる」(⌒-⌒; )

【2025.1月半ば】

ホルモン剤の量を半分に減らして(←毎日だった薬を隔日にする)から約3週間。

朝起きた時などに手に「あれ?」という程度の違和感
これはもしやこわばりの再来か?
いやまさかまだ1か月も経ってないのに?

という考えを払拭するためにも、
朝起きた時には必ず「グーパー」しようと誓う。


【2月半ば】 

手を長く挙げている状態の時(スマホ操作など)、指先がピリピリする&冷たい(気がする)。

気のせいか、体の他の部分(腕や脚)もピリッとすることが増えた(気がする)。


【2月末】

冷え性ではないはずなのに、
夜、家でファンヒーターのすぐ側にいるのに足先が寒い(気がする)。
 
右手首あたりの関節がポキポキすることが増えた(気がする)。


【3月始め】←今ココ  

朝起きると、右の腰(骨?筋肉?)が痛い
30年近く前、右の足腰を傷めてしばらく、長時間の歩行が困難な時期がありました。
まさかそれが復活?、みたいな感覚。 
それとも寝違えた?
手から体全体の動かし辛さに繋がって行った、かつての更年期症状の再来ではない(と思いたい)。

しかし3/4、
試験監督中に、生徒が床に落としたものを拾いに行き、そして立ちあがろうとした時に、
膝から下が重〜〜

3/6の監督中には腰から下が更に重〜くて、
立ち上がるまでに時間がかかりました。
(見た目ただの「お婆さん」( ̄▽ ̄;))

特にこの数日で、体を使うような重労働(大掃除とか)をしたわけではないので、
ちょっと嫌な予感。 

夜には、右手の親指と人差し指の間に、
例の「ばね指」になる前のような「ムズムズする感じ」があり、
これもヤバめ。

右の手や腕中心に、体全体の関節がバキバキする(気がする)。

  〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜

とは言うものの、
ホルモン追加の治療は、
更年期もやや過ぎて、 
「そもそも体内に女性ホルモンが減った」ということに、

「体が慣れれば」次第に落ち着く

ものだそうです。
私もそれを待つしかないのかな、と思います。
 
でも体内のホルモンの具合って、ひょっとして思っていた以上にすごいのかもしれない。

(と書いている今も、挙げている両手が痺れてます。)

  〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜

年末、閉院する婦人科で、先生ができる限り出してくれた従来の薬があと少しになりました↓



飲み方の間違いで?ちょっと数は合ってないけど、あと4日分の計算。

(と思っていたら、「災害用」に取り置いていたものが持ち出し用のリュックにあることを思い出したので、実際にはあと24日分になりました。

そして、この錠剤が終わったら、
年末の医院で院内処方の分がもうなかったために追加で院外処方で出された(ほぼ同じ効果のはずの)「貼り薬」が16週間(つまり約4か月)分。
(あくまで、「半減」させて様子を見た場合。)

ということは、

薬は全部であと「5か月弱」分

ということになり、
少なくともそれがなくなる前には、次の婦人科の病院を探して、
私はまた「医療難民」予定〜(⌒-⌒; )

(前の先生から「紹介状」はいただいていますが、宛先の医師は定められてない、オープンなものです。)


ということで、
目下いろいろ様子見中。

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正解がわからない

2025-03-05 01:23:00 | 日記2025
3/4(火)

テスト作りが終わり、
採点に追われるまでの束の間(今回も1日)が安息日。

  〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜

仕事帰り、
叔母の家に久しぶりに行って来ました。

厄除けのお寺のご利益あるお土産と、
これ↓を届けるため。



先日実家の市の新しいホールであった、記念すべき、郷土出身歌手三山ひろしさんのコンサート土産(^^)v

ちなみに、私は行ってません。
妹が、引きこもりがちな?母を連れ出したのです。
三山さんの「ビタミンボイス」と声量に圧倒され、
これまで特にファンでなかった人でもすごく感動したらしい^_^

  〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜
 
叔母の家では思いのほか長居してしまい、
あれこれ話をしました。

その中で叔母が、

兄さん(うちの父)から、
白和えの衣にちょびーっと酢を混ぜたもので大根を和えたものの話は聞いたことない?

と。

大根の白和え?
しかもそれが酸っぱいとな。
聞いたことありません。


父方の実家に伝わる、ごくローカルな料理はいくつかあり、
早くに母を亡くした父方の家では、
料理上手の叔母だけがそれを知っている唯一存命の人物になりました。

(覚え書きのためにここで挙げておくとそれは:
ろくやた(おから寿司)」、
お蒸し(大きな鯛におから等を詰めてもろぶたで蒸す、ハレの日の料理)」、
いとこ煮(のっぺい汁あずき入りバージョン)」等。)

かつて父がそれを、懐かしいので作ってくれと叔母に頼んでいたようなのですが、
生活の場所も違えば会える機会もごく限られているうちに、
ついぞ作ってあげられなかった、
と叔母は悔やんでいるらしい。

そして、
「Cちゃん(=私)、まぁ作ってみて」
と。

いや、目下絶賛おひとり様の小食生活で、
味付けも料理の出来も、なんだかわけがわからなくなり自信喪失している私にそれを言いますか。

元々ワタシ、白和えとかの「ほっこり甘みのある味付け」が得意ではありません。

叔母からは、

一般的なレシピより、はるかに甘みの少ないのがうちの味なので、Cちゃんなら大丈夫(^^)v

とかいう謎の励まし。

次に実家に帰った時にでもやってみるかな、
と言って叔母の家を後にしました。

  〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜

しかし、何軒かの買い物の後で家に帰ってから、
やっぱり叔母の言っていた「大根の白和え(しかも酢が入っている)」という未知のものがにわかに気になって来ました。

何となく見た冷蔵庫には、
大根、
ちょっと前に買ったやつだけどあーるぢゃないか。
(食材にはこだわりのある叔母ですが、「試作」程度になら許されるであろう。)

豆腐、
絹ごしならある。

ごま、
その他叔母に言われた調味料、
なんか知らんけど全部あるf^_^;

ということで、
「ちなみに」作ってみることにしました。
見たことも、そして自分は食べたこともない料理を!!


叔母から聞いたことは以下です↓

・大根は、太めの千切り。それに塩をしてしばらくしてから絞る。

・白和えの衣は、ごく一般的に、
豆腐、ごま、砂糖(少なめ)、だし醤油(代わりに味噌も良い)。
しかしそれに、「きつくはない程の」酢(叔母の十八番の「直七」などの柑橘系があるとなお良い)を混ぜる。

・具は大根のみで、他には何も入れない。


そしてできたのはこれです↓





和え衣は、私にしては今日は慎重に良い感じにできたと思うのですが、
しかし何と言っても、
私はこの叔母に言われた料理を、

見たことも食べたこともない!

つまり、
作ったものの、

これが正解かどうかがわからないっ!!

残された手段は、
近々また叔母のところに行ける時に合わせて、またこれを作って叔母に食べてもらうしかありません。

とりあえず父の写真の前に供えたものの、
父は

なんかちがう

と言っているかもヽ(;▽;)ノ

  〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜

かつてNHKで、「妄想ニホン料理 」という番組がありました。

全く日本料理を知らない外国人に、簡単なヒントだけを与えてその人の思うその料理を作ってもらったらどんなものができるのか、
という。

ワタシ、日本人だけどほとんどその世界( ̄▽ ̄;)


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