帰省中、美容院での衝撃。
それは、オジサマ方がこぞって髪染めをしていたことではなく(笑)、
施術中、パラパラとめくっていた週刊誌で目にした記事でした。
そうか、作家の佐藤愛子さんの娘さんの響子さんは、
愛子さんの読者の間では昔からお名前は有名ですが、
そう言えば苗字は「佐藤」ではなくて「杉山」さんだった。
その杉山響子さんが、女性週刊誌にエッセイの連載を始めたらしい。
響子さんご自身、クリエイターのようなお仕事をされているようだったので、
やっぱりお母様同様「物を書く」という方向に行かれたのか?…
と紙面に目を走らせるうち、
やっぱり書いてあるのは母である佐藤愛子さんのことらしいのがわかって来ました。
その佐藤愛子さんが、
え、「認知症」?
確か今、その漢字が目に入って来た気がしたけれど、
え、ホントにそうなのか???
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佐藤愛子さんの『九十歳。何がめでたい』が草笛光子さんの主演で映画化されたのを、
母、叔母を誘って見に行ったのが去年の6月のこと。
その時映画のエンドロールでは、
「佐藤愛子さんは、今年11月で101歳になられます」
とのテロップが流れました。
90どころか、100歳になってもお元気でその消息を届けて下さる佐藤愛子さんに、
叔母も母も思った以上の力をいただき、
劇場を後にしたものでした。
その愛子センセイが、
「自分は入院してまだ病院にいると思っている」
「通いのお手伝いさんがいないと言って夜中に家族を呼ぶ」etc.の認知症の症状を発症したのは、
家で転倒、骨折、入院したのがきっかけだったとか。
(う、25年前の祖母と同じ(⌒-⌒; ))
人間誰しも、いつまでも若い時と同じようには行きません。
かつての某知り合いに、
「赤ちゃんはピカピカの新車。大人は中古車」
と言い放った奴がいますが、
それはたぶん、哀しくともこの世の摂理に近い。
その「中古車」も、
時とともに外見が古びるだけではなく、
外からは見えない内燃系統やデジタル制御の部分がどんどんダメになるのは、
たぶん人が呆けるのと同じ…(⌒-⌒; )
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家に帰ってから、
そのエッセイの内容を母に知らせるべきかどうか迷いました。
私が帰る前日くらいに、
同じ美容院にパーマをかけに行っていた母。
たまに行ったらそこで得た週刊誌からの情報を得意げに話してくれるのが常なのに、
今回その、私が読んだ同じ週刊誌は読んではいなかったと見え、
佐藤愛子さんのことについては何も言ってはいませんでした。
これを言ったら、ほぼ同年代、
昔から佐藤愛子さんの本を愛読していた母はびっくりして、しかもショックを受けるんではないか?
直接の知り合いでないにしても、
昔から知っている、特に女史のようなシャッキリ、チャッキリした、
母の年代のお手本のような女性が、
やはり寄る年波には勝てずに、いつの間にか闘病?というような状態になっていらっしゃる…。
でも、早晩耳に入ることでもあろうし、
叔母との話でも話題に上るかもしれないし、
と、できるだけサラッと言ってみた私でした。
案の定母、
えーーーっ、そんなっ、
ウッソ〜〜(;゜0゜)
そして、
「やっぱり骨折、ってのがまずいかんがで〜」
という私たち姉妹の言葉がここでやや身に迫り、
今後椅子に上がって高いところの物を取ったりしない、と肝に命じてくれた、
と信じたい(⌒-⌒; )
(ついその数日前、普通より大分長い縁側のカーテンを、外して洗ってまたかけた、と妹に自慢したそうな。お願いだからやめてくれ(⌒-⌒; ))
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今から19年前、
遺伝性の1型糖尿病(生活習慣などに由来しない)に加えていろいろ満身創痍の体だった父の晩年。
最終的には腎機能が悪くなり、
どんな薬を投じても、投じなくても、
何が良くて何が悪いのかわからない感じで
数値も定まらず、
「せん妄」という、いわば「まだら呆け」のような状態になりました。
きちんと意識があり我に返った時、
記憶のない時に自分が言ったりしたりしたことがあるのでは?と疑心暗鬼の状態になった時が一番可哀想だった、
と母は言います。
父が、徘徊まではなかったものの、
夜中にも目が離せない状態になった時、
母と私と交代で、
父が寝ている部屋の隣に当たるキッチンから、
夜通し父の動きを警戒して眠れない夜を過ごしました。
(妹は当時海外在住。)
父は市職を勤め上げ、
私的な活動でも地元ではそこそこ知られた人で、
直前までその活動を続けていました。
そこで、母としては、その父が「呆け」てしまったことが周囲にわかるのが憚られ、
普通でなくなってしまった父のことが、どうしたら周囲に知られずに済むか、
を父の名誉のためにとても気にしていたところがあります。
ところが、急に病状が進んだ父について、
当時はそれをフォローしてくれる介護制度や施設はまだ全く不十分だった地方都市。
結局どうなったかと言うと、
父が少々「普段の父ではなく」、
家族にちょっときついことを言ったりすることを「誇張して」申告し、
「家族だけでは限界なのでどこか受け入れ先を」とお願いするしかなかったのです。
つまり、認知症気味で、時に家族に対して「それまでとは違う」態度になる父を、
「暴言を吐」いたり「暴力的」になる「狂人」(←敢えてこう言います)という体で申告し、
それで受け入れてくれる「精神科」の病院を頼みにするしかなかったということです。
さすがに今は、老衰や認知症に対する世間の常識も変わり、
理解も進んでそこまでのことはないでしょうが、
家族が介護で疲弊し、やっとのことで受け入れて下さった精神科の病院で、
父が入れられたのは、カーテンも絨毯も、家具もないがらんとした灰色の部屋。
薄いマットレスだけが寒々とした窓際に一枚敷いてあり、
目もよく見えず、意識も朦朧とした素足の父が、何とかそこを目指して床を這うように手探りで進んでいる。
今ではたぶん信じられない光景(だと思いたい)。
市井の人間の営みよりも、
社会の制度は後手後手にしか付いて来ない。
これがまあ世の常であることでしょう。
(それを言えば、敢えてそれを「後退」させる、高額医療費制度の改訂はとんでもないのでは…。)
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佐藤愛子さんの話に戻ると、
家に帰って母と妹にその話をし、
妹といろいろ調べたところ、
愛子さんの孫娘の杉山桃子さんも、
やはりクリエイターのようなお仕事で、
祖母の愛子さんのことをマンガ連載し始めたところだとか。
でも更に驚いたのは、
娘さんの響子さんが最近始められたというYouTube。
なんとそれは、お母さんの認知症関連ではなく、
「心霊系チャンネル」!
でも私は、そこはとても、響子さんの「本気」に納得できます。
近頃あれこれ処分している中、
佐藤愛子さん関連で私が最終的に残しているのが、
以前も書いた『私の遺言』だからです。
この本は、佐藤愛子さんがこの世を生きて、信じざるを得ないという結論に至った、
「あの世」や「前世」の存在のお話でした。