9/29(木)。


最近、本当に、
寝てからキッカリ2時間半、または3時間で目が覚める
という生活が続いています。
ということは、
夜の11時とか12時とかに布団に入ったとして、
朝まで「2ラウンド」寝るか「3ラウンド」寝るか。
夜中に目が覚めると、(いろいろ考えてしまって)そこから眠れなくなる、
というのが、高齢者の母などの悩みです。
幸い私は、途中で目を覚ましても、またすぐそのまま元の眠りに戻れるくらいには、日々の勤労生活から心身共にお疲れ気味f^_^;
寝ようと思えばまたすぐ寝られるのですが、
途中で何となく、時間を確かめるためにスマホを手に取ったのを機に、
ニュースなど確認した挙句、
最終的に、書いていなかったブログを書こう、
などとなったら、
そこから時間を取りすぎて寝ず仕舞い、
ということもなくはありません。
昨日がその典型的な(しかも悪くした)パターンだったのは自覚している。
夜中の2時半に目が覚めてから、
つい5時ごろまでブログを書いたりしていて、
そしてその後は朝までほとんど寝なかった。
つまりこの日の睡眠は、
布団に入ってキッカリ2時間半後に目が覚めるまでの、「2時間半」+「朝方、再度寝るべきか否か悩みつつの数十分の質の悪い睡眠」、
ということになります。
幸か不幸か最近の私は、
夜の睡眠時間が短かろうと、
昼間に起きている間に眠くはなりません。
いつかも書いたけれど、だからと言って短い昼寝などをすると、却って疲れる気がする傾向にあります。
だから昨日も、その「2時間半+α」の睡眠で普通に出勤。
お弁当も割とちゃんとf^_^;↓

私の定番「ねぎ入り卵焼き」の他に、
前日の作り置きのきんぴら、
大根、イカ、里芋の煮物、
自家製なめ茸まであったのに作り足したナスとピーマンのピリ辛挽き肉炒め(結局これがメイン)。
ハイ、見た目通り全体のお味が濃かったです(⌒-⌒; )
「おひとり様分」のおかずを作るのは結構大変で、
味付けはいつもどちらかと言うと濃くなる傾向。
食材の取り回しと味付け。
今の生活になってから1年以上、
未だにいろいろ迷ってる…(⌒-⌒; )
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そして、職場でのお昼が済んで、5時間目の授業に行く準備をしていた時。
さあもう後5分でチャイムが鳴る、
と席を立った瞬間、なんか違和感。
左目の上の方の視界が、透明なモザイクがかかったようにユルユルと遮られて?なんだか見えないよ。。。
え?、え?
と頭を動かしたりしてみるのですが、
その視界の曇りみたいなのは消えない。
最近確かに目の状態も良くはないし、目ヤニでも付いていたら恥、
と思って鏡など見てみるのですが、
外から見る限り(と言っても、その時点でも左上の方の視界の一部は良くないのだけど)特に変わったところはなさそう。
ということは、これは、
外側の問題ではなくて内側、
つまり脳から来ている?
だとするとそれはちょっとヤバいのでは。
そう言えば少し頭がクラクラするかも、と思っているうち、
そのせいかどうか動悸もしているし、
心なしか私にしては熱っぽい気がしないでもない。
その間にも、同じく授業に行く前の大御所先生が、世間話的ないろいろを話しかけて下さいます。
(ということは、私のこの危機感とは裏腹に、人からは私は「普通」に見えているんだな、と判断^^;)
途中で倒れたらどうしよう。
こんなことが俄に生活の、
しかも正に私の「戦場」である授業という場面の中に、リアルに入り込んで来ました。
午後の授業は連続で2時間。
最後までやるか、手前で止まるか。
「全か無か」の選択肢は、
もうこのギリギリでは成り行きで「全」の方だナ。
そこから長めの廊下を教室まで行き、
やっぱりいつもとは違って少しフラフラする気がするので、教卓の縁をそれとなく押さえて授業が始まる。
思えば12年前、ある日突然一休みしたソファから起き上がれなくなって、
そこから2、3年、
強い首の凝りと緊張性の頭痛とめまいで、垂直な体勢で長時間いることができない日々がありました。
(数々の病院通いも、原因は分からずじまいだけれど、今思えば更年期…?)
その時期、授業中はいつも、
生徒にわからないように教卓の縁を押さえて立っていた。
それを思い出します(⌒-⌒; )
でもあんな大変な毎日はもう困る…。
そんなわけで、申し訳ないけれどそこから後の2時間の授業は、
「80%の私」でソロソロとf^_^;
普段の私は「120%」なので、
まあたまの体調不良の時は許されるであろう…f^_^;
左目の上の「ゆるゆる」は、
授業開始から5分くらい、
つまり、最初に気づいてから15分間くらいで何となく消えていました。
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「閃輝暗点(せんきあんてん)」。
その言葉がどこかから蘇っていました。
その12年くらい前の体調不良の時期、
一度だけ経験したことがあるそれ。
もちろん後から調べるまで、その時点では全く分からなかったのですが、
その絶賛体調不良の時、
読んでいた新聞の紙面の上に、
新聞と同じ色の、まるでペーズリーのような形の模様が現れ、
ユルユルと揺れて、突然その部分の新聞の文字が読めなくなりました。
輪郭の一定の幅の部分が細かい三角形などの集まりでできているように見えるそのペーズリー。
あれよあれよと思っている間に、だんだん位置を変え、
左から右に、かと思うとまたザザっと移動して元の左から。
何かが新聞紙の上に投影でもされているのか、
と上を見上げるも、
周りは何ら変わりない、電灯の点いたいつもの和室の居間。
そのうち、どうもそのペーズリーは、
私が視野(頭?)を動かすのに連れて?移動しているようで、
ということは当然、新聞自体が物理的に変化しているわけではない。
つまり、私の目が何かそこにあるものを「見ている」のではなくて、
「私が見せられて」いるのだ。
とすればそれは「脳」から!?
というように思えて来ました。
レビィ小体性の認知症、あるいはLSDなどの麻薬の作用で、
人の脳は、実際にはそこにないものの像(しかも小さいものが並んだような)を作り出すことがあるということくらいまでを聞いたことがあったので、
「脳の仕業」かも、
とそこで思い至ったわけです。
「ギザギザ」「幾何学模様」「光」なとで検索して、
これは「閃輝暗点」という、
科学的にきちんとわかっている、人類にユニバーサルな現象と知ったのがその十数年前のこと。
wikiには、
色や細かい部分は違うものの、
正に私が見たようなギザギザの図が例として示されていて、本当に驚きました。
しかも、
それからだいぶ後のことですが、
その時の体調不良の話を母にした時、
私がその言葉を出す前に母、
事もなげに、
「閃輝暗点やろ?」。
ぬぬ。
片頭痛の前兆として起こることが多いという閃輝暗点。
片頭痛持ちの母にとってはとっくに経験済みの「日常用語」であったらしい。
wikiによれば、
かの芥川龍之介も、この閃輝暗点らしきもののことを小説の中で書いているらしいです。
知らなかったのは私だけ??
昨日のその「視界の曇り」は、
十数年前のそれとは全く違う「透明なユルユル」だったので、
はじめ閃輝暗点とは思わなかったのですが、
wikiをよく見ると、
そのページの最初にある画像が十数年前のペーズリーに近いなら、
3番目の画像が、今回の「ユルユル」の可能性が高そうに思えて来ました。
それほどまでに人類の共通項であるらしいこの現象。
片頭痛の前兆としてでないものは、
他の病気の可能性もあるらしいので、
脳梗塞など恐れている私としては、
後に頭痛が来ないからと言って手放しで安心はできないのですが(⌒-⌒; )
長くなりましたが、閃輝暗点(たぶん^^;)の覚え書き。
この日、帰宅後はソロソロと、
食事もまさに「あるもの並べただけ」で、ソロソロと控えめに食べて終わり!f^_^;
