michigan's

〜my everyday life, とりあえずの日常〜

最近の体調変化

2024-11-19 22:07:00 | 日記2024

日記が空きました。

この間、自分の身に起きた思わぬ変化?2つ。

覚え書きに駆け足で〜。

(あまりキレイじゃないので、お食事中、その前の方、スルーをm(__)m)


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まず、実家の町で母校の定演など、

アクティブに過ごした文化の日の3連休の次の週末(11/9~10)は、

実家にはまだ妹がいてくれるので、おとなしく自宅で過ごしました。

週末ごとに実家に帰るのは大変は大変なのだけど、

帰らなければ帰らないで、おひとり様の生活はひま~(^_^;) 


  〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜

思わぬ変化(ひとつ目)が起きたのはこのあたりだったでしょうか。

ここ数年、「食事→即腹痛」で苦しんでいた身が、

まるで何かの「憑き物」でも落ちたかのように、

なぜかこのへんから「ごく普通」になった!

 

その証拠?は、

残っているこれらの料理画像のあたりから。



週末、ふと思い立ち、少し前の「もち米」消費のためにまとめて作った「中華おこわ」風。



そして、冷凍室のトマト消費のためにこれまたまとめて作ったミートソース。 


どっちも作り置きのつもりで作ったこの量を、ここ数年の私では考えられないくらいのスピード(あ、でも多分それが、普通の人には普通)で消費したりしたにもかかわらず、

特にお腹は痛くならない!

それまで私のQOLを極端に下げていた「食べる→〇〇〇通い」のスパイラルが、

この日あたりからなぜかウソのように止まったのです!


そこから今まで、私の食生活は、おそらく「普通」と言っても良い状態が続いています。

食後にお腹が痛くなる時間を避けつつ出かけたりお風呂に入ったりする必要がなくなった!

こんなことはここ数年なかったよおぉ〜ヽ(;▽;)ノ


本当に突然のこの変化。

良いのか悪いのか、いったいいつまで「もつ」のか、

戦々恐々の日々ですが…(^_^;)


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11/13(水)、娘に荷物を送り出す。

娘が転職&転勤してから初めての住所に出す荷物です。

娘の赴任地は、私も娘も経験したことのない「海なし県」。

もう既にとても寒いらしい( ;∀;)


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11/15(金)は、学校行事で休み。

金、土、日で実家に帰りました。

 「事」が起こったのはその土曜日のことでした。


妹が、県都に住む親友に日帰りで会いに行くのを見送った後、

母とお昼ご飯を食べていた時です。

「2口」くらいを口に運んだところで、突然吐き気が…(>_<)

…そのまま◯◯◯に立て籠もること1時間半。

(いや、この時点では時間のことを考える余裕さえなく、後から母に聞いた話では(ー ー;))

 

途中母が、「大丈夫?」「とにかくここを開けて!」「救急車を呼ぼうか」としつこく何度も来るけれど、

それに答えている余裕も、

立ち上がる力もなし。

 

1時間半、幸い造ってまだ数年の、

うちの「きれいな方の(笑)」◯◯◯で◯器を抱えて過ごし、

やっとそこから出たあとは、そのまま母が気を利かせて敷いてくれていた布団に倒れ込む。

そして妹が帰宅する夜の9時過ぎまで、「廃人」と化していた私です。


妹が用意してくれた「おかゆ」で何とか人心地つき、

続く日曜は私にとって「なにげにリハビリ」のような日になりました。

実際問題、長時間◯◯◯で変な体勢で苦しんでいたり、寝返りを打つ力もなく寝ていたために、

知らないうちに体の思わぬ部分が、

炎症やら筋肉痛やら打ち身?のような状態になっていたからf^_^;


  〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜 

吐き気の原因は、

朝のうち、料理しながら味見に食べた「鯖フライ」だと自分では「確信」しています。

(妹たちは、それより前に食べた何かだろう、と言うけれど。)


水曜に娘に送るための野菜などを買い出しに行ったスーパーで買っていた超お買い得の鯖の切り身。

実家に持ち帰るまでに時間が経ったのでフライにしたのだったけど、

さすがに「3日目の鯖」は、

常に魚に「メガネに適う」新鮮さを求める私がこれまでやったことはない無謀な試み。

超お買い得だったところからすると、

私が買った水曜の「朝獲れ」ではなかった可能性も高い(⌒-⌒; )

反省することしきりです。

 

とにかく、ここまでの急激な体調不良は、

これまでの私の人生にはなし。

年、かな?

それを考えたら、この先ももしかしてこんなことは多いんだろーか?(⌒-⌒; )


  〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜

何とか持ち直した日曜日の午後は、

長らく我慢していた髪を、仕方なく切りに行きました。

いつものほぼ50年来の美容院です。


その帰りに寄ったスーパーで。

私のメガネに適ってしまったのは、あろうことかまた「魚」( ̄▽ ̄;)

前日に魚で「当たった」というのに、

凝りもせず、無性に「お刺身」が食べたくなったのです。

(前日の消耗分を取り返すために、たぶん自分の体が自分に必要なものを欲していたんだと思う…f^_^;)

そして大河前の夕飯は、

母作のぶり大根、

妹作のおでんに加え、

わざわざ自分で半身から造ったこのブリ系のお刺身でしたー。



(今回は、一番脂の乗った腹側で。残りは漬けとフライ用に作り置き。) 

懲りないな(^◇^;)


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実家の発掘品の謎(その2) ソフィア・ローレン?

2024-11-09 20:17:00 | 日記2024
実家から出てくる古い品々。
家族の誰がいつ何の目的で入手したものなのか?
また、即処分しても良いものかそうでないのか。

うちに高価なお宝があるわけはないので、
それを決めるには、
年数を経たことでの「資料的価値」とか、
その由来や所有していた今は亡き家族の「思い」みたいなものを探る作業になります。

  〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜

このあいだからの懸案はこれ↓



何やら香気の漂う?デッサン画。

なぜこんなものがうちにあるのだろう?と思う、
の関係(郷土史など)とは全く毛色の違うものです。

まず母がこれを見て、
「こんなの買うのはRさん(=母の姉)に違いない!」
と言います。

そう言えば何となく、
伯母の好きそうな雰囲気があるし、
裏に貼られているシールには、銀座の画廊?の名前が。



伯母は若い頃、一時期東京にいたこともあるので、そうなのか…?

この、描かれている人物は誰なのか、という話になった時、
母は、
「これはソフィア・ローレンだ」
と自信を持って言います。

でもなぜか、
ここで私の頭に浮かんだのが、
「ブリジット・バルドー」

なぜそう思ったのかは自分でも全くわかりません。
なぜなら私は、映画はあまり見ない方だからです。

特に日本語、英語以外の洋画は、
言葉の音が気になって話が頭に入って来ないので、
古い洋画などほとんど見ていないf^_^;

片や母は女学生時代、
「Sさん(=母)に会いたければ映画館を探せ」と友人から言われたほど、洋画にハマっていた人です。

(「貧しい戦後、なぜそんなにも洋画を観に行くお金があったのだろう?」と、母は今でも不思議がっています。)

ここは、母の言う「ソフィア・ローレン」が正しいんだろーか?

ソフィア・ローレンとブリジット・バルドーの若そうな時を画像検索してみるも、



↑ソフィア・ローレン、
↓ブリジット・バルドー


うーん、
確かに、似ていると言えば似ている。
どっちもミステリアスな目元、
どっちとも言えません。

この絵の作者は、というと、


サインはありましたが、
はじめそれを「まぐち」と読んでしまったがために検索しても見つからず、
その時点でこの絵に関する「捜査」はすっかり頓挫していましたf^_^;


  〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜

事が動いたのは、今回妹が帰って来てから。

一緒に確認し直して、
サインは「まぐち」でなく「のぐち」だろうということになり、
検索能力がものすごく高い妹が調べるや、
「野口久光」氏という、
映画のポスターなどを多く手がけた有名な方の名前が出て来ました!!

そして、「画像検索はかけたか」と聞かれたので、絵そのものはかけていない、
と答えました。

額縁ごと画像検索をかけるということは、ついぞ私の頭にはなかったから。

しかしGoogleレンズさんで検索してみたところ、、、

なーんと、
ズバリ出て来たのがこれ↓



メルカリで3000円で売れている!

しかも画像は「完全一致」!!
裏のシール(実はこれまた妹が調べたら画廊ではなく、老舗額縁店の名前でした)まで同じ!

(…ってことは、うちにあるのもまさかの「原画」とかではなく、「複製」ほぼ確定(^◇^;))

恐るべしGoogleレンズ様ヽ(;▽;)ノ

しかしもっとすごいのはやっぱり、妹の検索能力じゃないかしらん。

この後また妹がチャチャっと検索して出して来たのがこれです↓



そう、野口久光氏のこの絵が使われた映画のポスター。

「可愛い悪魔」というタイトルのようです。
道理で、せくし〜な絵だったわけだf^_^;

ここでもう、この女優さんが誰かは明確です。


なぜか、洋画通の(はずの)母の言う「ソフィア・ローレン」を制し、
なぜか全くその女優さんの映画など見たことのない私の頭に、
なぜその時その名前が天啓のように閃いたのか?

  〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜

描かれた人物と作者名はわかったものの、
なぜその絵が突然うちの押し入れから出て来たのか、
誰が買ったのかは謎のままです。

でもそう言えばソフィア・ローレンにしてもこのブリジット・バルドーにしても、
まだ脚が悪くなる前、宝塚に憧れていたという話もある若い頃の伯母に似ていなくもありません。
伯母が何となくその雰囲気を気に入って買ったんだろーか??

なぜだか惹かれてしまうこの絵、
ブリジット・バルドーの名前が私の頭にスッと浮かんだのもとても不思議。
今のところ私が取っておこうかなとも考えています。

  〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜

こんなわけで、
その道の人なら(この場合は絵画とか映画とか)難なくその由来や価値がわかったりするであろうものが、
門外の者にとっては一から調べる作業となるからさあ大変。

いろいろなものが次々出て来る実家で、
ここしばらくこんなことを繰り返していますf^_^;


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何かと濃い日

2024-11-04 05:25:00 | 日記2024
11/2(土)   

洗車機のような大雨の中、実家へ。

この分では途中スーパーに寄って買い物することもできないや、
と思っていたら、
いつものスーパーに近づくとウソのように上がった雨。

そして実家の町に近づくに連れて青空が。

ったく私、普段の行いが良いものでf^_^;

(いや、うちの県が東西に長いだけ(^◇^;))


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11/3(日)

母、妹と3人で、
近く取り壊すことが決まった古い方の実家の前まで行き、
写真を撮りました。

最後に3人でそうしよう、
と言い出したのは、意外にも(写真嫌いの)母。

それなら、
ということで、
これは娘の提案で、
母方の祖母、伯母、父、そして父方祖父の写真も含めて、
かつてその家に住んでいた「総勢7人」で写真に収まりました(^^)v

私の生まれる少し前に建った実家はほぼ私と同い年だけれど、
建材の一部には父の実家を取り壊したものを使っているので、
初めから真っ黒な太い大黒柱があったりした古い家です。

私たち家族の歴史と私のこの世での記憶は、まさにここから始まっています。

60年間の幸せをありがとうぅヽ(;▽;)


これは、小学校まで徒歩3分、
中学校まで徒歩5分だった有難い通学路。
周辺の建物は昔と随分変わりました。



  〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜

そのあと、直販店で仕入れたお弁当を持って、
子供の頃よく母と行った城山の公園へ上がりました。

が、車を止めた周辺にあまりにもたくさんの小さい羽虫が飛び回っていて外に出ることができず、
車内でお昼を食べただけで退散f^_^;

お天気上々、
せっかくの市内の眺めだったのに、
写真がありません。

  〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜

その後は、
しばらく行っていなかった父の実家の土地へ。



柿は今年は全滅。
(実ってはいたが育たなかったらしい残骸と枯葉ばかり。)

辛うじて生っていた数個のカリンの実のうち手の届く範囲のものと、
なぜか1個だけ生っていた柚子を採って来ました。



普段は行ってもほとんど人を見かけないほどの山里で、
この日はなぜか、昔からの(車1台分くらいの)「メインストリート」を中心に人の行き来が。

なぜかなぁ、と思っていると、
たまたまその日はその地区の氏神様のお祭のよう。
そしてたまたまその数分後にお神輿が出る、
というところでした。



これはどうも、
この昔馴染みの神社のことをよく話していた亡父が私たちを今日来させたに違いありませんf^_^;

  〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜

その後は一旦家に帰り、
私と妹だけで、
この春新しくできた市民ホールへ。

全く予定していなかったのだけど帰りの車中、
この日たまたま私たちの卒業した中学校の吹奏楽部の定演があることを知ったからです。

今の母校の吹奏楽部ってどんな感じなんだろう?
私も妹もそのOGです。

新しいホールができてその中も見たいよね、
と思っていたちょうどその折、
たまたまその開演の30分前にその情報に行き当たるって、
まったく今日は何という日!?

  〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜

私たちの頃より人数は少ないものの、
低音楽器も充実して迫力ある演奏。
ホールの音響も良さそう。



所々に生徒による寸劇ありダンスあり、
昭和の(生真面目な?)雰囲気とはまた違う、楽しい演奏会でした^_^

この定演、
今年で49回目だそうです。

そして恐ろしいのは、
そう言えばこの定演は、
私たちのすぐ上の先輩たちが始めたもので、
私たちの時、確かまだ3、4回目だったという記憶が甦り、
自分たちが卒業したのは今から44、45年も前のことだという事実を改めて突きつけられたこと( ̄▽ ̄;)

  〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜

帰り際、真新しいホールの2階のスペースに、
白いコンサートピアノ発見👀



よく見るとそれに描かれているのは、
実家の町の名物や風物詩のようでした^_^



  〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜

思いがけず母校の定演を最後まで堪能して家に帰り、
今日は「大河の日」だったことを思い出す。

日曜日は、実家にいれば、
6時からのBSでの大河ドラマに合わせ、
それまでに夕飯の準備を粗方しておいて、
終わった後の7時から食事、
がこのところの定番です。

この日のメインはこれ、
とだいたい決まっていた「せんべい汁」。


妹の青森みやげです。

秋田の「きりたんぽ鍋」は何度か食べたことがあるけれど、
これは初めて。

袋の中身はこうなっていました↓



「煎餅を鍋に入れる」というのがあまりにも「未知」だったのと、
冷蔵庫に揃っていると思っていた、ごく普通の鍋用の具材が思ったよりなかったのとで、
少し雰囲気の違うものになったかもしれないけど、、



所変われば品変わる。
鶏だしの効いた醤油ベースの美味しいスープでした(*^^*)

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私にしてはフットワークのものすごく軽い、
濃い一日でしたー^_^


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実家の発掘品の謎(その1) 九字護身法

2024-10-30 20:51:00 | 日記2024
これも10月初旬のこと。

実家の仏壇から、
こんなものが出て来ました。



「お守り」らしい。

恐る恐る中のものを取り出してみると、





へー、「疫病の消退除祈禱符」だって!

裏には父方祖父の名前が書かれていました。
その祖父が、「14才」ってか!?



ということは、
祖父は明治31(1898)年の生まれなので、
これは1912年、
数え年だとすると、その前年くらいのものになります。

ついこの前まで1908年の曾祖母の納経帳のことに関わっていたかと思ったら、
今度は祈祷符かーぃ( ̄▽ ̄;)

恐らく祖父がいつも身に付けているように作ったのであろう手縫いのお守り入れは、
年代からすると、その納経帳の主である曾祖母(祖父の実母)の手によるもの、かな。

「御守り」と書かれた包みからは、
日光東照宮と成田山のお守りが出てきました。
(成田山は複数あって、これはやや新しそう?)




  〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜

実はうちの家族ラインのひとつに、
「歴史探索隊」というトークルームがありますf^_^;

実家からあまりにも次々いろんなものが出て来るのですが(高価な壺とかではないけどw)、
存命中の家族だけでは既にその由来のわからないものも多い。

さっさと処分して良いようなものなのか、
はたまた(納経帳の前例もあることだし)、資産的な価値はなくとも、
庶民の小さな歴史という点で、資料的な価値はあるものかもしれない。
専門家でないのでその判断が難しいところ。

そういう昔のものを無下にしてはいけない、
という土壌は、父からしっかり受け継がれ、
体に染み付いてしまっている(そしてそれが家の断捨離を阻んでいるかもな)私たちなので、
兎にも角にもまずは皆の知識や検索能力を結集して調べるところからf^_^;

  〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜

このお守りの画像を、その家族ラインで流すや、
東京の甥っ子が反応して来ました。
(仕事中じゃないのかf^_^;)

「おー九字護身法だ」

なぜそんなものを知っている?( ̄▽ ̄;)

私は初めて聞きましたよ。

ここはwiki様に頼りましょう^_^


そして、
これはもしや、100年前のスペイン風邪の時か?

ということに。

しかし今回のコロナの前のスペイン風邪のパンデミックは1918〜21年頃。

それにはちょっと早いです。

ならば?

しかしここからが妹と甥っ子の検索力の出番で、
わかったことは:

明治42(1899)頃〜大正9(1920)頃まで、
四国西南部でペストの上陸と感染対策が記録されたものが実際にあるとか。
そしてこの時の最大の流行は1905〜1910年、大阪でのことらしい。

すると、その頃にはその大阪の情報も新聞などで入って来ていたことであろうし、
祖父は跡取り長男なのでそれは祈祷くらいしたのでは、

というのが甥っ子の見解。

なーる(^。^)

  〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜

この祈祷符をどうするかはまだ皆で考え中です。

そして、ここでふと気になったのは、
寺社でのご祈祷って、
その本人の名前を正確に書いたりしなければ神仏に伝わらないものなのでは?
ということ。

この祈祷符、
祖父の名前(◯蔵)が、「◯造」と間違って書かれているんですけどーー( ̄▽ ̄;)

そしてこれは、
妹も甥っ子も気づいてないのか言ってはいなかったけれど、
「九文字護身法」と言う割に、

このマーク(笑)には線が「8本」しかないっ!!


wiki様からお借りした説明では、
「九字」と言うだけに、
それぞれ意味のある漢字を表す線が9本!




果たしてこれに、祖父をペストから護る御利益はあったのでしょーか?


(少なくともこの時祖父ははやり病で死んだりせず、私たちの代まで家系が繋がっているのだけはまあ確かf^_^;)


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(追記)

上で、甥っ子が調べた四国でのペスト流行、
「明治42(1899)」は年号か西暦のどちらかが間違っていそうなことに後から気づきました。

1899年が正しければ、年号は明治32年だし、
明治42年の方が正しければ西暦では1909年

ということになります。

出典から間違っていたのか、
甥っ子の打ち間違いか。

確認しなければ〜f^_^;
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時間は進む、実家の用事は続々

2024-10-30 13:23:00 | 日記2024
10月後半の日記の続きを書こうとして、
「あの」空前絶後言語道断な皮膚科女医に当たってしまったことが、私の日常に思いの外ダメージを⁉︎
(二度と会うことはないとは思うけどʅ(◞‿◟)ʃ)


この間実家では、

・古い方の実家の取り壊し&土地の売却問題
・その前から依然懸案事項の父の実家の土地の問題(昔の人たちのテキトーなやり取りが、今の時代の私たちに降りかかってます。)
・実家の耐震工事の問題(役所の都合で思わぬ延期)

と、法的、書類的に超絶面倒なことが重なりまくっていて、
平日動けない私としては、
中期滞在の妹にとても負担をかけています。

私自身は、職場の行事都合で3日ほどの連休があるたび、
極力実家に帰って、
せめても妹の手伝いを。


この間にも、書きたいことはたくさーーんあったのだけれど、
時間の過ぎるのは相変わらず矢の如し。

今日は脈絡のないまま、
印象的だったことを覚え書きに並べますf^_^;

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10/12(土)

実家に帰っていたこの日、
母、妹と3人でいきなり出かけたのは川(笑)の上流の道の駅。
期間限定の「栗のおまんじゅう」を買うためだけに、です(^◇^;)



景色は相変わらず平和〜。

時間前から並んで買ったのはこれ↓





その地域特産の、栗の渋皮煮が丸ごと入ったおまんじゅうです^_^



お昼は前回と同じく、
道の駅で売っているものなど自由に広げて食べられる2階のフリースペースで。



小食中高年には有り難い^_^

帰りは、道路事情の「マシ」な宇和島経由で。

この日の一番の収穫は、
この、めったにお刺身では食べることのないピカピカ「沖サワラ(カマスサワラ)」と、







宇和島の道の駅での超お買い得品、
牛すじ肉でしょう。



その後数日にわたり、
シチューと、牛すじ煮込みになりました^_^





近くの淡水魚の水族館。
妹が初めてだったので行きました^_^

ちょうどペンギンの館内お散歩の時間。
それを途中の椅子に座って、
目を細めて見守る91歳^_^






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中間テスト期間は、
用事を前半にまとめてもらって後半実家に帰りました。

この時の母、妹とのレジャー。

隣町へのお魚メインの買い出しと、
今ちょうど季節?だという、初めて行くコスモス畑。





 

お昼に行った中華料理店は、
そう言えばかなり前に行った時にもそんな印象だったけれど、
殿様商売?で、小食中高年には優しくない(店員がいる)。








この日、道の駅でゲットしたお魚は「コビン」(キハダマグロの幼魚)です^_^



この他に、
「ソテー」「漬け」「フライ」用に加工しました。

  〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜

この時私は、日曜も実家泊まりで(その方がせせこましくない)、
翌朝6時過ぎ、
実家から直接職場に出勤。

 
  〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜

この間、
前にも書いた、約120年前の曾祖母のお四国参りの納経帳を某研究機関に寄贈する手続きも同時進行。

また、それとは別に、
予想外の品々も実家から発掘されました(^◇^;)

それは、(まさかまた立ち消えにならないことを願いつつ)また別に書きたい意向です(^◇^;)


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玉石混交(の、中でもすごい石)

2024-10-16 19:13:00 | 日記2024
しばらく実家にいて、
休み明けと共にもう中間テスト作りが目の前に来ているというのに!
そして実家でのことの続きも書くつもりだったのにっっ!

今日の午前中の出来事で、
私のココロはそれどころではなくなりました。

気分をリセットしてテストに集中するために、
ここで吐き出してもいいですかーーf^_^;

今日、何ヶ月も前から予約をしてやっと行けた初めての皮膚科の医者(女医)が、
前代未聞の「ハズレ」だった件( ̄^ ̄)

  〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜

約1年も前から、
右目の下に小さな、
ほんの見えるか見えないかの炎症?湿疹?何??
とにかく他とは違う手触りの部分ができていて、
それが右頬全体の痒みになっているのを騙し騙し過ごして来ました。

以前腕にできて「老人性の偏平なイボ」だとか言われたものと同じで広がったりしたら嫌だなぁ、と思いながら。


診察室に入ってその経緯を話した途端、
その医者は、その患部を見ることもせず、
触ることもなく、

「それはね、食生活です」

と言って見せて来たのが栄養云々の分厚く雑なファイル。

(ここで既に、かなり「ハズレ」を覚悟した。)

診察前の問診票に、「食事指導を受ける気があるかどうか」という選択肢があり、
そこまでの設問はそれほど詳しいものではなかったのに、
いきなり食事指導の項目に飛んでいるのがそもそも違和感でした。

そこで私が「受ける気はない」に丸を付けていたのが気に入らなかったのか、
その後彼女は語気荒く、

小麦、牛乳を食べてないか
(アレルギーはないから普通に食べてるに決まってる)、

食べるんだったら小麦のランクを上げろ
(は?人の普段の食生活など何も知らないうちに、こいつは人をバカにしてるんだろーか?)、

日本の食生活は安全と思われているが世界でも最悪(残留農薬云々)…

出すなら漢方薬と食事指導だが、
それを希望しないなら他に治療のしようはない

とまくし立てて下さいました。

開いた口が塞がらず、
どこまで聞いたり反論したりしたものかも判断しかねるうちに、
5分くらいで診察が終わって部屋(特に皮膚科の設備もない当座の小部屋という感じだった)を出て来ました。


後から彼女の経歴を見ると、
子供がアトピーになったことから漢方や食餌療法を研究するようになった、云々。

それが日本人全員の皮膚疾患に当てはまると考える方が科学的でなく、
その程度の近所の主婦の意見みたいなのを聞きに私は何ヶ月も予約を待って、
この忙しい時期に半日を潰しに行ったのかと思うと本当に腹が立ちます

年配の看護師さんだけが終始腰が低く、
「そんなことで、、前の方も似たようでしたけど、、すみませんねぇ」
って、
いつもこの医者がこの調子なのを知ってる感。

予約がとても取りにくいのは、そこが人気なためではなく、
その医者が非常勤で週3日(しかも半日ずつ)しか来ていないためのようでした。

病院そのものは市内でも大きな総合病院なのですが、
デイサービスや老人施設中心に拡充してきたらしいところを見ると、
高齢者のニーズに合う科をとりあえず揃えている、
と言う体だと見た。

初診料で千円近く、
その他、漢方薬を3ヶ月分も出されかけたのを何とか断って、
塗り薬が出て計1500円ほどか。
これならドラッグストアで、自分で軟膏を買った方がマシだった。

ただ、「二度とこの病院のこの科にかかってはいけない」という確証を得たことは収穫でした。

  〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜

前にも書いたことがある気がするけれど、

地方の医療レベルってこんなもん。  

高齢者が多いためか、
ネット上の口コミも少なく、
一からとなると病院選びはとても大変なのです。

もちろん、良い病院もあれば良い先生もいらっしゃいます。
ただ、長年評判だった個人病院などは特に、
どこも世代交代したり、院長高齢化のために閉院したり、
代わりを探して「病院難民」になっているという話もこの頃よく聞きますねー。

ホント、

「ほとんどが石ころ」の中から「玉」に行き当たるのは大変(;´Д`A


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9月末〜10月初旬;「小文字のヒストリー」と計183歳の誕生会

2024-10-15 21:09:00 | 日記2024
日記が空きました。

その一方で、私の日常はぎゅうぎゅう詰めでしたf^_^;

個人的な覚え書きです。

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9/26(木)〜10/8(火)

9/25にY叔母のところに、
父方曾祖母(ひいばあさん)の時代のことについて「聞き取り調査」に行った後しばらくは、
職場に通うだけでヘロヘロのいつも通りの日々。

その傍ら、叔母からの情報のまとめの作業(書き起こし、スキャナ取り込みetc.)を我ながら頑張った(^^)v


曾祖母が今から約120年前に回った「四国八十八ヶ所」の納経帳は、
仏壇から後から新たに(なぜ!?)発見された同時代のお遍路グッズなどと共に、
某研究機関で資料として保存していただけることになりました。

この件に関しては、
せっかち母が処分に困り、

どこかのお寺でお焚き上げ(つまりは「焼却処分」)でも

と焦っていたのを、
私たち姉妹で牽制をかけていたのです。

昔のものは何でも「捨てたらそこで終わり」、「焼いたら終わり」

とは骨董趣味の某知人の言。

だからと言ってホントのガラクタのようなのを溜め込む人(誰?)も困りものですが〜(^◇^;)

図らずもこの言葉には今回助けられたので、 もう一度繰り返しておきたいと思います。

皆さん、

昔のものは何でも「捨てたらそこで終わり」、「焼いたら終わり」

ですよ!!

コロナ禍の外出不可能な期間に「断捨離」をする人が増え、
昔の貴重な本や民俗資料などが多く失われたのではないか、
というのが研究者や博物館関係の方々の懸念するところだそうです。

モノを潔く処分すること、も時には必要でしょう。
でもその前に調べる、
できればその道の人に尋ねる、
に越したことはないかもです。

別にうちの実家は由緒ある家柄でも何でもないのですが、
亡父の仕事?趣味?の関係で家の記録はいろいろ残っていて、
私は江戸時代の分家から数えて7代目f^_^;

実は歴史学が専攻だった「らしい」(いろいろやってるので家族もよくわかっていないw)甥っ子の話によれば、
歴史には大きく分けて、

「大文字のヒストリー」と「小文字のヒストリー」

という概念があるそうな。

「大文字のヒストリー」はつまり、
歴史に名の残る有名人(主に男性)中心の歴史。
対して「小文字のヒストリー」とは、
名前も残っていないような市井の人の歴史。

まさに私たちはこの間その後者と対峙していたわけで。


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10/9(水)

この日から私、6連休。
(サボっているのではありません、 勤務先の行事都合^^;)

直に実家に帰るつもりだったのが、
ちょうど実家に滞在してくれている妹が母を私の住む街まで連れて来て、
一緒にY叔母を訪ねる話が直前にまとまりました。

折しも翌日はY叔母の誕生日。
母の誕生日は来月だけど、
それぞれ別の町に住む91歳と92歳。
そうそう集える機会もないのでこの際、
と持ち寄りの簡単なお昼にプチケーキを加えました^_^

見よこの、あまり並ぶことはないであろう大きな数字、
計183歳\(^^)/




このあと叔母には、
思い出深いというおばあさんの納経帳とお遍路グッズに最後のお別れをしてもらい、

私たちは2台の車で一路実家へ〜


(続く。たぶん^^;)
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9月下旬の覚え書き

2024-10-05 12:33:00 | 日記2024

娘の滞在が終わり、

この間新たに浮上した実家関係のプロジェクト?(下記参照)に、

ここはやれるだけのことはやろう、と妹と力を合わせて模索していたのを軸に、

行けばドドーッと疲れ果てる職場の日々が交錯。

あっという間に9月が終わりました。

 覚え書きなのでお時間のある方だけどうぞf^_^;

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9/19(木)、9/20(金)

普通の出勤。

木金の時間割はきつくてヘロヘロです。

いつまでこの仕事ができるかな(⌒-⌒; )

 

帰宅後の夕飯は、キムチ鍋的なものが続きました。

市販のキムチ鍋の素をベースに、

冷蔵庫の冷蔵、冷凍食材、

思いつくもの、半端なものは何でも入れる!

一人だとただでさえ使う食材数が限られるので。



それに最近母が「辛いもの」を嫌がるために、

母と長く一緒にいると禁断症状の出る(笑)「生魚」や「辛いもの」。

ならそれは一人の時に食べれば?💡

 コレ今の私のおひとり様の食生活のひとつの奥義かもしれないことに、

ついに思い至る!

(…て、今ごろ?f^_^;)


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9/21(土)〜9/23(月)

3連休は、私にしては割と久々な感じの実家へ。

ここで浮上したのが、実家の新たな「懸案事項」です。


少し前に母が、仏壇から出してきたコレ↓  



110年以上前の明治40(1907)年、

父方の曾祖母が、

当時はもちろん「徒歩で」回った、

四国八十八ケ所の納経帳(御朱印帳)です。

どこかのお寺に頼んで「お焚き上げ」でもしてもらうか(=つまり「焼却処分」f^_^;)、

というところまで来ていたのですが、

調べると歴史資料としてはそこそこ価値のあるものだとわかり、

とある研究機関に寄贈する話がトントン拍子で決まりました。


そして、そうなったらなったで、

家族としてその最大限の「嫁入り支度?を」

みたいなことで、

父の残した資料を掘り起こしたり、

その曾祖母を知る唯一の存命者であるY叔母(90歳)に話を聞きに行ったり。(9/25水。)

とてもバタバタしたのですが、

叔母からは、

曾祖母本人についてやその時代の家族のことなど、

叔母がいなければわからなかったたくさんの話を聴くことができました。


この納経帳のことについて調べたり纏めたりするうち、

これまで3枚の古い写真と、父の断片的な言葉からしか知らず、

(失礼ながら)一種インパーソナルな存在だった父方の曾祖母が、

「リアルに生きた一人の明治女」としてありありと浮かび上がって来るのは、

個人的には結構摩訶不思議かつ重い体験でした〜f^_^;


  〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜

そのせいでもないだろうけれど、

この間睡眠乱れ気味。

つい数日前には今までになかったような体験をし、

自分でもビビりました(・・;)


もう寝る時にエアコンは要らないけれど、

布団を全部かけるのは暑苦しいなぁ、

と体の右3分の1ほどは布団から出た状態でバッタリ寝落ちた夜。

寝てから2、3時間後の夜中に、パッと目が覚めたのは、

「寒かったからだ」と少し経ってから気づく。

慌てて布団を被りましたが、

その後で、どう考えてもこれは自分の体の内部(芯)から発しているとしか思えない「寒気」が襲って来て、

両腕で自分の体を押さえてブルブル:(;゙゚'ω゚'):

同じ波が、計3回来ました。


普段私は冷え性でもないし、

この日も疲れていただけで、風邪を引いていたとか、特に体調が悪かったわけでもない。

自分の意思では止められない、ほとんど痙攣みたいな体の震えが来るなんて、 

と思いましたが、

眠かったのでまたすぐ寝ることに。

スマホで気温だけ確かめましたが、

22℃を超えていて、

たとえ布団を着ずに寝たとしても、そこまで震えの来るような温度ではない。

ところがその直後、

真っ暗な中、目を瞑って寝始めた私の頭の上を、

確かに、その闇よりも黒い物が右から左に

え、私今目を開けてないよね、

とそこから改めて目を開けてみたら、

そこは、さっき目を閉じて寝ている時よりも、部屋の輪郭などがわずかに見えるくらいの暗さの部屋です。

…じゃあ、

目をつぶった真っ暗闇の中、

頭の上を通って行った、その闇より黒いものって何!?( ̄▽ ̄;)


高校時代に二度ほど金縛りに遭ったことがあります。

(が、それは脳と体の覚醒の問題で、科学的に説明できる、と個人的には納得している。)

そしてこれまでもちょこちょこ書いて来ましたが、

別に霊が見えるとかの体質ではないけど、

なんだか気分的に避けたい場所がある、

家族が亡くなる度に何か不思議なことは体験している、

ほどの私。


てもこれは、別に怖いとかではないけど、

初めての経験でしたね〜。


この間関わっていた曾祖母の遺品のことで、別にひいばあさんおよび他のご先祖様も怒っていたりはしないと思うけど(^◇^;)

あの「黒い影」は何かの区切り、禊のようなものだったのか…f^_^;


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こんな私の日常と並行して、

この間娘は転職に伴う引越し体制で忙しい日々。

息子はお気楽◯◯旅行。


…そんな感じで、はや10月です( ̄▽ ̄;)

 

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この間、朝作るお弁当だけが、

私の唯一まともな「調理品」で、

夕飯は買って来たお惣菜多し。

実家での母との食事も、

二人ともこのごろ量が食べられず、

母と好みも合いにくく、

普段おひとり様では料理自体が妙に下手になった気がして、

お見せするほどの画像はありませんf^_^;


久しぶりに作った「しその実」の佃煮はこの季節の覚え書きに。

病身の叔母が採って下処理してくれたしその実、有り難くいただきます(^^)



そして、この日はそれを乗っけたTKG👍




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9月第2週〜第3週の覚え書き(その4)弾丸讃岐うどん

2024-09-29 06:23:00 | 日記2024
9/18(水)。

娘滞在最後の日。

前夜まで特に予定を決めていなかったけれど、
朝娘と、

「行く?」、
「行っちゃう!?」

と話して、
いきなり「行く」ことになりました。

娘はその日の夜、夜行バスに乗ることが決まっているのに、
わざわざ香川まで、
弾丸讃岐うどんのドライブに!

(転勤したらそうそう行けなくなるからね。)

  〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜

お山の高速f^_^;



お天気は良い。

せっかくなので、行ったことのない山の中のうどん屋さんを目指しました。

あっという間に香川に入る。
(ある意味、というか実際問題、実家に帰るより近い(^◇^;))

が、
いざ目指すお店の最寄りのインターで高速を降りようとしたところ、
その出口が「ETC車専用」になっていることを知る。

ええーーっ( ̄▽ ̄;)

ETCカード、
めったに使わないので、
この頃母を連れて移動してくれている妹についこの前貸したところ。

ETCカードでないと出入りできないインターが住んでいる地域にもありますが、
自分にはあまり用のないところなので忘れていた。
(そのインターは途中からその仕組みに変わりました。使う人には不便極まりないのに、その意味って??)

住んでいる地域にもあるということは、他県でもある可能性があることに、
ついぞ思い至らなかったよぅ…(⌒-⌒; )

 
仕方がないので
そこを通り越した、
一番近いところで降りることにしました。

引き返すのもナンなので、
涙を呑んで目指すうどん屋さんも急遽変更。


善通寺まで来ました。



ここだと、讃岐うどんのランキングやテレビの常連の超有名店があるので、
それを頼みに。

ところが、検索している途中で、
その店がその日に限って定休日なのを知る( ̄▽ ̄;)

娘が運転していて、助手席で検索しているのは私なので、
検索は若者みたいにチャッチャとは行かない…(⌒-⌒; )

ここで腹を決めた私たちです。

うどん県に来たのだから、
どこのうどん屋さんに入っても、味は一定以上のはずだ。

(これまでの経験で期待と違ったのは、これまたテレビ常連の、某「変わり種」のうどんを出す店だけ。)

そう、ここは周辺で、
通りがかりに見つけた初めてのお店に敢えて入ってみよう!

そして目に入ったのがここ↓



いかにも地元に根差した気取らなさそうなセルフ店。

郡家店(読めないf^_^;)と書いてあるのは、
他にも何店かあるチェーン店なんだろうか。



中は普通f^_^;



地元の人が朝うどんしに来たり、
この時はもうお昼に近かったので、
近くにお勤めの人たちが次々入って来るという感じです。

カウンターの中で仕事しているおじちゃんとおばちゃん(ご夫婦?)、
特におばちゃんの掛け声が感じ良い。

私、定番きつねうどんで、
娘、定番釜玉。


お出汁を一口すすっただけで、
やっぱこれはいりこの効いた讃岐うどん。
飛び込みで正解です(^^)v

こだわりの卵を使っているお店とかで、
娘の釜玉は特にコクがあって美味しかったです。



失礼ながら、
これまでだったら、近くを通ってもわざわざは入らなかったかもしれないお店。

でもさすが讃岐だ✨

  〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜

せっかく善通寺まで来たのなら、
行くべきはやっぱりここでしょ。

第七十五番札所、善通寺。
弘法大師(空海)御生誕の地。







ここには、以前妹、娘の3人で来たことがあります。
ということは、あれは宇高連絡船の廃止直前、最後に乗りに来た時だっけかf^_^;

今回インターの都合で(?)ここにまた来ることになったのは、
目下のうちの懸案事項のひとつ、
家に伝わる100年以上前の「納経帳」にまつわるご先祖のお導きもあるやもf^_^;

ということで、
「先祖供養」と「ぼけ封じ」(差し当たって母とY叔母が差し迫っているf^_^;)の蝋燭を奉納させていただきました。



…は良いが、
立てるところを完全に間違っているのに後から気づき↓



境内を周った後の帰り際に本来の蝋燭立て(ガラスケース)にシレッと移動(^◇^;)

境内の水路にはギンヤンマが飛び交っていたり、
サギがいたりして平和です^_^





  〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜

一杯うどんを食べたらもう入らない私たち。
大好きな坂出の「中村うどん」さんも近かったけれど続けて行くことにはならず、
後はショッピングモールで娘とまったり。

思いの外早く、家まで帰って来ましたf^_^;

夜行バスの出発に合わせて、
家で軽く最後の晩餐。



作る気はなく(笑)、
娘の選んだスーパーのお惣菜。

  

前回?娘と行った「1時間しか営業していない」坂出の「日の出製麺所」。

その時激混みで買えなかったそこのだし醤油をサービスエリアでたまたま見つけて買って来たので、
それを使ったTKG少しずつ。



夜8時、
娘を駅に送って、
ここ何年かでは一番長かった娘の帰省は終わり〜。



こんな「普通」な時間こそが貴重なのだと、
私もしみじみ思う年〜!?(^◇^;)

  〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜

これでやっと、
「9月第2週〜第3週の覚え書き」は終わりです。

長々と読んでくださった方、
ありがとうございますm(_ _)m


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9月第2週〜第3週の覚え書き(その3)やっておくこと、食べておくものetc.

2024-09-26 20:41:00 | 日記2024
母たちとのドライブ翌日の9/15(日)

娘はリモートでできる新生活の準備等。

しばらくまともに買い物にも出かけていないので、夕飯は家にあるもので久々(一見)まともに?

確か娘が好きだった、
と思ってここぞとばかり解凍したバナメイエビは小さかったけれどエビチリに。



あり合わせ野菜の八宝菜。
これにも何となく普段より多めのえびを入れたのですが↓



夕飯後に娘が「なんか痒い」と言い出したので思い出す:

娘はえびアレルギーだった( ̄▽ ̄;)

まあ、本人も忘れているくらい軽度f^_^;

原因は、大学時代くらいに、

「好きすぎて食べ過ぎた」

ことだと思われる…。

他に、これだけが冷凍でないフレッシュ材料のジャーマンポテト。




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9/16(月)

敬老の日で祝日。

は、あまり関係なく、
この日はY叔母、従姉妹のY姉に会うことになっていました。

有閑マダムのY姉は、
年中息子のいる東京や日本各地を旅行三昧で、
東京には行くたびに娘とも会ってくれたりしているのですが、
今度は娘の転勤先がそれより遠い。

(それでも、「私、紅葉の時には遊びに行くからねっ🩷」と、家族も行けないこの秋にも、既に行く気満々f^_^;)

  〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜

この日の外食先も、
選びに選びました。

たくさん食べられない後期高齢者2人と私、
それに唯一「若者」カテゴリーの娘だったので。

結局某チェーンの和風ファミレスに落ち着いたのですが、
シニア受けする訳はわかる気が。

少しずついろいろ食べられ、
かつ取り分けやすいお膳ものが多い、
グループで長居しやすいetc.。

私とY叔母がいただいたのはお蕎麦と天ぷらの御膳↓



が、
私もY叔母も、お残しするのには抵抗あるから、
お蕎麦は密かに半分くらいお持ち帰りでした(⌒-⌒; )

  〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜

その日の夕飯は、
娘の用事でショッピングモールに行く必要を兼ねて、近くの「くら寿司」へ〜。



毎度贅沢ですねf^_^;
でも回るお寿司屋さんの良いところは、
何と言っても
「好きなだけ自分のペースで食べられる」ところで、
小食にはピッタリ。

ただ、母とあまり来ないのは、
母が生魚嫌いだから!
(せっかくお寿司に来て、焼き物、炙り物ばかりもね(⌒-⌒; ))


実はここでも娘と「締めのラーメン」やってみました!

画像はないけど、
お寿司屋さんらしく、
魚介のお出汁が効いた美味しいラーメンでした。

これまでお味噌汁など取っていた代わりに、
こういうパターンも良いかもしれない。

それから、ここで娘と乾杯したノンアルコールビール、
「アサヒスーパードライZEROα」 
というのが👍

ノンアルビールは、人工的な味がして飲めなかった私ですが(つまりは結局アルコールに…(^◇^;))、
これなら飲めるかも!

そう思って後日何店かのお店を探しましたが見つかりません。
ネットで調べると、
どうもこれ(「α」が付くのがミソ)はくら寿司さん限定!?



残念〜!
これで私の中性脂肪値は下がらないヽ(;▽;)ノ

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9/17(火)

お弁当を作り置いて、
私普通の出勤。

おかずを作り過ぎて、
全体の味濃すぎ〜。



久しぶりに娘のお弁当箱を出して来たけど、
これでまたしばらくは、
ここに二つ同時にお弁当が並ぶことはないでしょうf^_^;

  〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜

仕事から帰宅後、
この日が今年の仲秋の名月(月齢的には1日前)で、
県内各所で観月会のような催しがあることを知る。

そもそも出遅れたのと、
雲が多くて実際に月が見られるかどうかはわからないお天気だったので、
夕飯だけ調達して(←作る気ない)家から見ようということになりました。

この日の夕ご飯↓



お決まり過ぎる月見バーガー、



そしてこれは、「せっかくグルメ」にも3回くらい登場した、
有名鳥料理店の「酢だれ定食」↓



セット物の一部のみのテイクアウトなので、これだけだとショボく見えますが、
まあ転勤前には食べておくべき、
地元の味の一つでありましょう。


  〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜

この晩、月は時々雲から顔を出しました。

ブログで皆さんが上げているような、

月の表面までしっかり見える画像

が撮りたい!

と娘に詰め寄ったら(笑)、
雲の切れ間に外に出て撮って来てくれました↓



そう、私の求めていたのはコレよヽ(;▽;)ノ


私のスマホではいつも通りこれが精一杯でした↓



月に掛かっている横線は、
ちょうど飛行機が横切ったところで、
見ようによってはこれもまずまず?

これが一眼で撮れたら言うことなかったかも。

  〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜❇︎〜

娘との最後の一日は、「その4」に続く。

(たぶんf^_^;)


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