私は、ずっと、ネグレクト
(育児放棄)されていた。
だが、周囲からは全く
そんな風に見られてなかった。
碧音自身、虐待を受けていた
ことは自覚してたが、ネグレクトを
受けたヤングケアラーだと
知ったのは、つい、最近だ。
実は、妹は幼稚園の頃、
大きな病気で1年半、
入院していた。
当時、碧音は小学生。
転校したばかりの学校に馴染めず、
いじめられていたが、帰宅しても
母親は病院の付き添いでいない。
当然、いじめられてる相談も
できないままだった。
食事するときの空気も最悪だ。
妹の病状が深刻だったらしく、
お通夜のような雰囲気の中で
食べる食事は、当時の碧音に
とって拷問でしかなかった。
学校もあり、妹の見舞いに
行くこともない。
なので、なぜ、こんなに暗い
雰囲気なのか全く理解
できないままでの生活。
当時の両親にとっての優先事項は、
妹であって、碧音は全く眼中に
なかった。
それは、学校でも同じで全く担任に
気遣ってもらえてない。
なぜ、分かったかというと、当時の
通知表のコメント欄を見て理解した。
転校したばかりの最初のコメントには…
仕事をやらせてたら
早くできた
この一言だけ。
クラスに馴染めてるかどうか
全く気にかけていない担任。
家庭でも学校でも全く
顧みて貰えてない状態だ。
結局、妹の病状は悪化、
担当医に匙を投げられ、
自宅に帰された。
1年半もの間、妹との
接触の無かった碧音からすると、
妹は【家族】という意識が
全くなくなっていた。
以前、いた人が戻ってきた
こんな感覚しかなかった。
両親は、妹は気遣うが、碧音は、
全く気遣われない生活が続く。
結局、通院を続けた結果、
妹は健康になった。
(初めての症例となったらしい)
だが、長期入院で見舞いにも
行かなかった碧音にとって、
両親も妹も、正直、どうでもいい
存在になっていた。
碧音の中には【どうせ、自分の
ためには何もしてくれない人たち】
であり、実際、そういう人たちだ。
特に、両親は全く頼りにならない。
だから、相談しようという気持ちに
すらならなかった。
だから、何でも自分で解決しようと
頑張っていた。
でも、子供にできることなど、
たかが知れている。
だが、妹は違う。
病院にいて、周りに気遣って
くれる大人がいた。
だから、両親に相談する
ことが多く、両親もまじめに
相談に乗っていた。
碧音は、その頃には、すでに、
完全に心を閉じていた。
当時の両親にとって、碧音は、
健康優良児で心配しなくていい
存在であり、熱を出すと
なんで、熱なんか出すんだ
と不機嫌になっていた。
今なら、子供なら、いつ、
熱を出してもおかしくないと
理解できるが、当時は、妹は
熱を出しても大きな病気をしてた
から仕方ないけど、健康優良児の
碧音が熱を出す許せないという
雰囲気だった。
風邪などで食欲がないときに
出される食事は、なぜか、
野菜炒めや油物など、大人でも
体調不良の時に口にできない
ものばかりを出され、食べないと
熱を出したお前が悪い
と怒鳴られていた。
当然、病院に行くこともない。
妹が大きな病気になったのも、
症状が大したことないと、
病院にすぐに行かず、放置して
深刻化したのが原因。
つまり、子供の健康状態を守る
という姿勢が全くなかった。
以前、虐待親の思考 という
ブログにも書いたが、両親には
健康に対する認識が、かなり、
ズレた人たちだった。
そして、両親が他界するまで、
この姉妹間差別は続いた。
今、妹とは疎遠にしている。
そのせいか、今は、とても、
快適な生活ができている。