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悲しみの城からの脱出

親からの呪縛から自分を解放するためのブログ

父親の友人関係に思うこと ー 非常識な友人たち ー

2024-12-28 14:30:00 | 過去のこと・気付き(家族)

父親のことは、ほとんど思い出す

ことはなくなった。

母親が他界後、遺影を破り捨て、

位牌も粉々に砕いてゴミに出した。

死んだ後まで、虐待親の顔なんて

見たくない。

 

 

たまに、父親の友人関係が、

父親の言動や行動に影響を与えてた

と感じることが多くなった。

いつも、飲みに行ってる飲み屋の

夫婦や一番の親友という人の

行動が最悪だった。

 

 

まず、飲み屋の女将は家族で新聞の

営業所と牛乳配達もやっていた。

毎月、うちに集金に来ていたが、

昼前にやってきては、うちに

上がり込み、昼食を母親にねだる。

長いときは、昼前に来て3時くらい

まで居座ることもあった。

 

 

夫婦で飲み屋をやっていたが、

彼女の夫は前歯がなかった。

所謂、【クレクレ家族】。

 

 

話の内容も下品。

娘の話を、たまたま、耳にした時、

食事も子供のことを考えて作って

いなかったようだった。

父親が、この家族の在り方を

参考にしていたと考えると、

腑に落ちることが多い。

 

 

高校進学の頃、中学を卒業

したら働けと言われた。

私にはやりたい仕事があり、

高校に行かない選択はなかった。

 

 

当時、父親が言っていたのは、

学歴があっても、女は結婚相手が

蕎麦屋の後継ぎに嫁いだら意味がない、

だから、中卒で働けと言われた。

恐らく、飲み屋の夫婦と話したことを

真に受けたのだろう。

子供の人生を、一体、何だと

思っているんだ!!と、

言いたくなった。

 

 

もう一人の親友だと言ってた趣味友。

建設関係の自営業者で、かなり、

羽振りはいい人だったらしい。

だが、不倫に依存する人だった。

 

 

父親が自慢げに話をしていた。

元奥さんとの間に男の子がいた

にも関わらず、中国人女性との間に

子供ができた。

それを理由に離婚した。

再婚後も不倫がやめられ

なかったのだろう。

 

 

夜中の2時ごろ、奥さんから、

よく電話がかかってきていた。

不倫のアリバイ作りに、

うちの家族が利用された。

 

 

 

家族に対して無責任な男性だ。

それを父親は見習ったのだ。

それまで以上に、家族を顧みなく

なっていった。

 

 

家族のことを考えてなかった

証拠として、父親の他界後、

保険は全て解約されており、

母親のための対策は、何も

されてなかった。

 

 

 

母親を自宅に閉じ込め、経済DVを

した挙句のこの状況に呆れた。

父親の友人関係を見てると、

やはり、付き合う相手は、きちんと

選ばなければならないと思える。

正直、人間性を全く尊敬

できない人たちだ。

 

 

父親は、一国一城の主になる

ことにこだわっていた。

だから、自営業者の彼らを

ロールモデルにし、彼らの

家族への扱いまで見習った。

正直、バカとしか思えない。

尊敬したいと思えるところが

全くない父親だった。

 

 

 

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