誕生日というとお祝いの
イメージを持つ人が多いだろう。
だが、碧音は違う。
棺桶に入るのが近づいた日
これが誕生日へのイメージだ。
なぜ、こんなイメージになったのか。
それは、母親から誕生日プレゼントが
ない理由を聞いたときの話が原因だ。
誕生日なんて
棺桶に入る日が
1年近づいただけなのに
何が、そんなにめでたいんだ?
子供だった碧音は、それをそのまま
信じてしまい、それを何十年も
刷り込みとして思い込んでいた。
だから、自宅で誕生日会をやった
こともなければ、両親に祝って
もらったこともない。
当然、誕生日プレゼントもない。
これは想像だが、誕生日プレゼントを
買う余裕がなかったのだろう。
母親が、無理やり考えた理由
だったのかもしれない。
だが、子供にそんなことは関係ない。
親の言うことは絶対だと信じる子供は、
どれだけバカげた嘘でも信じてしまう。
幼稚園や学校で誕生日会をされると、
碧音だけ居心地が悪かった。
それは、誕生日は死ぬ日が近づいた
だけだと考えていたため、純粋に、
自分の生まれた日をお祝いする気に
なれなかったからだ。
子供は、親の言うことは間違って
ないと、根拠なく、信じてしまう。
どんなにバカげた嘘だったとしてもだ。
そのバカげた嘘のせいで誤学習をして
しまい、何十年もの間、碧音は、
自分の誕生日は忌むべきものと
誤った考えを持ってしまっていた。
両親にしては、さぞ、楽だっただろう。
誕生日のたびに出費は抑えられ、
子供に文句を言われることもない。
でも、自分が生まれてきた日が
【死に近づいた忌むべき日】と
誤学習した碧音は、自分自身が、
産まれたこと自体を慶ぶ機会を
完全に失った。
その影響は、今でも続いている。
今は、自分が生まれた日を喜ぶ
まではできないまでも、誕生日
プレゼントを買ったり、何かを
体験する日にしているが、子供の頃、
感じていた居心地の悪さは健在だ。
ちなみに、碧音が、両親の誕生日を
祝ったことは一度もない。
死に近づいただけと教えたのだ。
当然のことである。