不登校の話をして思い出した。
結果的には大丈夫だったので記憶が薄れていたのだが
*:._.:*~*:._.:*~*:._.:*~*:._.:*~*:._.:*
中学2年の終わり頃から中学3年の夏休み頃まで
不登校だった長男。
最初の頃、いじめにあっているんじゃないかと心配したが
彼はサッカー部でその顧問と合わなくて
いきなり学校に行かなくなったのだ。
どうやら朝練に出られないことを怒られるのが嫌だったみたいである。
情けないにも程があるが
怒られるのが嫌なら朝練に行けばいいものを
朝早く起きられなくて朝練に行けない
すると顧問に怒られる。
怒られたくないから学校に行かない。
という悪循環。
なんでこんなに情けないかね?と思うが
学校に行かないことが
彼の精一杯の防御策だったのであろう。
怒って無理矢理 学校に行かせるのは簡単だが
(実際は無理だが)
がんじがらめにして逃げ場を失ったら
この子はどうなるのだろう?という不安もあり
子どもに甘いあたしは
家庭という逃げ場を取り上げられなかった。
『部活を辞めさせます』と学校に言おうか?と
子どもに言っても
『言わなくていい』と言われれば
それ以上は口出しできない。
こんな中学校の部活ごときに
この子の人生を棒に振ったら大変である。
『もう部活なんてやらなくていいから。』と言うと
『部活を辞めても体育の授業で会うから嫌だ』と言われ
テコとして動かない子どもに
ほとほと困り果てていた。
親と違って?おとなしいタイプの息子。
周りは別に気にしない(気にしてると思うが)
我が道を行くタイプ。
ダテにおとなしい訳じゃない。
自分の気持ちを押し殺しているわけだから
ある意味 強くて頑固なのである。
感情的に叱る時もあれば
子どもというより一人前の大人として
淡々と話すときもあった。
子どももそれなりに分かっていると思うが
朝になると学校に行かないのである。
なにを言っても変わらない。
もうこれは本人の意思に任せるしかない。
だけど出席日数が足りないと高校受験が危うくなる。
親のほうもジレンマと戦う日々。
でももうほったらかすしか手が無かった。
ただ…学校は休んでも塾は絶対に休ませないから。というと
塾には通っていたから
学校に行かないのは顧問と合わないだけだったのだろう。
ほったらかすしかなかった日々が続き
サッカー部3年生が引退となった。
この頃からだったか
2学期からだったか
ようやく学校に登校するようになってくれた。
部活を引退すれば 単純に部活に出なくていいわけだから
顧問に怒られることもなくなるのである。
たったこれだけのために不登校になった子ども。
確か夏休みの三者面談で
『2学期からのがんばりで高校受験は大丈夫ですよ』ということで
普通の生活を取り戻し県立高校に合格することが出来た。
結果的に帳消しとなったから良かったのだが
これが中学浪人でもなった日にゃ~
この子の人生が狂っていたに違いない。
もっともこれはあたしから見ていることであって
本人の気持ちは本人にしか分からない。
ホントに顧問と合わなくて不登校になったのか
サッカー部が引退になったから登校し始めたのか
このままじゃいけないと思ったから登校し始めたのかは
本人しか知らないことである。
不登校の生徒に対してあまり積極的でなかった担任。
初めての受験生を担任した先生は
きっといっぱいいっぱいだったのであろう。
子どもにとって逆に構われない状況が良かったのかもしれないし
先生に全部お任せする気はないけれど
親としてはなんとも頼りなかった先生であった。
こんな苦労をして育てた子ども。
成人してもあいからず我が道を行く。
基本的にほったらかしにしているあたしも
結局はめんどくさいことから逃げているのかもしれないな。
結果的には大丈夫だったので記憶が薄れていたのだが
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中学2年の終わり頃から中学3年の夏休み頃まで
不登校だった長男。
最初の頃、いじめにあっているんじゃないかと心配したが
彼はサッカー部でその顧問と合わなくて
いきなり学校に行かなくなったのだ。
どうやら朝練に出られないことを怒られるのが嫌だったみたいである。
情けないにも程があるが
怒られるのが嫌なら朝練に行けばいいものを
朝早く起きられなくて朝練に行けない
すると顧問に怒られる。
怒られたくないから学校に行かない。
という悪循環。
なんでこんなに情けないかね?と思うが
学校に行かないことが
彼の精一杯の防御策だったのであろう。
怒って無理矢理 学校に行かせるのは簡単だが
(実際は無理だが)
がんじがらめにして逃げ場を失ったら
この子はどうなるのだろう?という不安もあり
子どもに甘いあたしは
家庭という逃げ場を取り上げられなかった。
『部活を辞めさせます』と学校に言おうか?と
子どもに言っても
『言わなくていい』と言われれば
それ以上は口出しできない。
こんな中学校の部活ごときに
この子の人生を棒に振ったら大変である。
『もう部活なんてやらなくていいから。』と言うと
『部活を辞めても体育の授業で会うから嫌だ』と言われ
テコとして動かない子どもに
ほとほと困り果てていた。
親と違って?おとなしいタイプの息子。
周りは別に気にしない(気にしてると思うが)
我が道を行くタイプ。
ダテにおとなしい訳じゃない。
自分の気持ちを押し殺しているわけだから
ある意味 強くて頑固なのである。
感情的に叱る時もあれば
子どもというより一人前の大人として
淡々と話すときもあった。
子どももそれなりに分かっていると思うが
朝になると学校に行かないのである。
なにを言っても変わらない。
もうこれは本人の意思に任せるしかない。
だけど出席日数が足りないと高校受験が危うくなる。
親のほうもジレンマと戦う日々。
でももうほったらかすしか手が無かった。
ただ…学校は休んでも塾は絶対に休ませないから。というと
塾には通っていたから
学校に行かないのは顧問と合わないだけだったのだろう。
ほったらかすしかなかった日々が続き
サッカー部3年生が引退となった。
この頃からだったか
2学期からだったか
ようやく学校に登校するようになってくれた。
部活を引退すれば 単純に部活に出なくていいわけだから
顧問に怒られることもなくなるのである。
たったこれだけのために不登校になった子ども。
確か夏休みの三者面談で
『2学期からのがんばりで高校受験は大丈夫ですよ』ということで
普通の生活を取り戻し県立高校に合格することが出来た。
結果的に帳消しとなったから良かったのだが
これが中学浪人でもなった日にゃ~
この子の人生が狂っていたに違いない。
もっともこれはあたしから見ていることであって
本人の気持ちは本人にしか分からない。
ホントに顧問と合わなくて不登校になったのか
サッカー部が引退になったから登校し始めたのか
このままじゃいけないと思ったから登校し始めたのかは
本人しか知らないことである。
不登校の生徒に対してあまり積極的でなかった担任。
初めての受験生を担任した先生は
きっといっぱいいっぱいだったのであろう。
子どもにとって逆に構われない状況が良かったのかもしれないし
先生に全部お任せする気はないけれど
親としてはなんとも頼りなかった先生であった。
こんな苦労をして育てた子ども。
成人してもあいからず我が道を行く。
基本的にほったらかしにしているあたしも
結局はめんどくさいことから逃げているのかもしれないな。