気ままに一筆

心に引っかかった居心地が悪い出来事や、心の隅で湧き上がってくる日本の風習への思いを感じるままにつぶやいています。

叔母のいた時・青春

2023-06-22 19:53:00 | 日記
 昭和22年第一次ベビーブーム団塊の世代に生まれ42歳で他界した叔母がいる。叔母は中学卒業後、銀座に本店を構える洋菓子店のレストラン部に就職した。この頃の銀座は、戦後の経済成長期を迎え、今まで知ることが出来なかった海外の文化(ジャズ、映画etc)珍しい食べ物。マネキンが映画スターの洋服を着て、9階建てガラス張りの円筒形のビルからポーズを取って笑いかけている。
 第60代内閣総理大臣・池田隼人が「国民所得倍増計画」を宣言し、昭和39年にアジアで初めての東京オリンピック開催が決まり、日本全体が未来は明るいと感じた銀座のど真ん中を叔母は生きていた。
 1958(昭和33)年に日劇で『ウエスタンカー二バル』が始まってアメリカのジャズ、ロックンロール、カントリーを紙テープに埋もれ舞台に仰向けに這うようにギターを弾きながら歌い続ける今までにない歌謡ショー。歌手も若く今までのスターとは違う身近な存在と、10代の叔母はかなり熱狂的に彼らと交友をしていたようだ。叔母は、「ミッキーカーティス、平尾昌晃、山下敬二郎、スリーフアンキーズ、森山かよ子、尾藤イサオ、、、。『舞台の上で声がかれるまで力を入れて唄ったので、今日は高音が出ないから舞台の下でハンディマイクで高音の部分になったらキャーキャー騒いで』とアルバイトを頼まれた。結構いいアルバイトになった」と笑った。テレビから流れている白黒の『ウエスタンカーニバル』のニュースフイルムが、まだ、性能の良い音響機器やカラオケも無かった時代に体力だけで熱く熱く舞台で弾けているアーティストに叔母の話は、スマホもSNSの情報も無い時代だったが今SNSで見られるどんな動画や噂話より、キラキラ輝いたいる。
 









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