大江健三郎さんが、3月3日に他界されたと知らされた。お昼のワイドショーで、『広島G7にやってくる各国の首相に大江さんの「ヒロシマ・ノート」を読ませるべきだ。』とロシアのプーチン大統領が、ウクライナに核を使用することをほのめかすニュースにコメントを求められたA評論家が声を上げた。「G7」、「核」、広島の原爆、、、、「黒い雨」井伏鱒二。私は、大江さんの「ヒロシマ・ノート」を知らなかった。図書館へ貸出し申し込み予約3番目、4週間待った。
私が小学校高学年の夏、原水爆禁止世界大会の「原爆反対」のハチマキを頭に巻、拡声器で大声を上げながら広島へ向かうデモ隊の姿。その姿が一つではなく、共産と社会党と何か他にもあるのか、時には二・三っの集団がぶつかり合う激しいデモが、行われているのをテレビニュースで見ている。この日が過ぎるとその騒ぎはあっという間にいつもの生活に戻るお祭りと感じていた。「ヒロシマ・ノート」は、私がお祭りと感じていた頃の事を大江さんの目で書かれた書物だった。読み始めるとあの時の騒ぎが沸きあがってくる。原爆投下から20年。「ヒロシマ・ノート」が纏められた昭和40年は、直接被爆した人達がまだ生存していて、放射能という病原菌が、体内で目覚ると『原爆病院でお約束通り、一年後に死ぬ。』事を覚悟しながらも普通に生活を送ることに一生懸命な20代の広島の人。結婚をして健康な子供を産むことを祈る妊産婦。ケロイドを「恥」と家の奥に潜む娘。戦争が終わってもその遺産を引き受けて、拡声器を片手に行列に加わる事も無く、お祭りの輪の外で立っている人。あの時、理解できなかった騒ぎを順序だてて並べると、確かに、冷静にその騒ぎを見つめる普通の生活を望む広島人の姿や、それを理解していてもなお、この騒ぎに乗って『被爆者の保護を優先しなければならない』と声を上げる広島の人の姿を知ることが出来た。
2023年。プーチン大統領は、核兵器をチラつかせながら自国の有利を保持しようとしている。これは昭和40年の拡声器を片手に「反対・反対」と騒ぎ立てていたデモに似ていないか。
今年も原水爆禁止大会は、内外の来賓が平和公園広場に集まり核廃絶の「平和宣言」をして、過去1年間の被爆関係で死亡した広島の人達の名前を原爆記念碑の中に収める儀式になるのだろうか。
原爆が投下されて80年に近ずく、「今後75年は、草木が生えない。」と言わせた核開発は「平和利用」と身近になって、普通に日常を過ごしたい広島の人達の事など終わった事と振り向かないのだろうか。
私が小学校高学年の夏、原水爆禁止世界大会の「原爆反対」のハチマキを頭に巻、拡声器で大声を上げながら広島へ向かうデモ隊の姿。その姿が一つではなく、共産と社会党と何か他にもあるのか、時には二・三っの集団がぶつかり合う激しいデモが、行われているのをテレビニュースで見ている。この日が過ぎるとその騒ぎはあっという間にいつもの生活に戻るお祭りと感じていた。「ヒロシマ・ノート」は、私がお祭りと感じていた頃の事を大江さんの目で書かれた書物だった。読み始めるとあの時の騒ぎが沸きあがってくる。原爆投下から20年。「ヒロシマ・ノート」が纏められた昭和40年は、直接被爆した人達がまだ生存していて、放射能という病原菌が、体内で目覚ると『原爆病院でお約束通り、一年後に死ぬ。』事を覚悟しながらも普通に生活を送ることに一生懸命な20代の広島の人。結婚をして健康な子供を産むことを祈る妊産婦。ケロイドを「恥」と家の奥に潜む娘。戦争が終わってもその遺産を引き受けて、拡声器を片手に行列に加わる事も無く、お祭りの輪の外で立っている人。あの時、理解できなかった騒ぎを順序だてて並べると、確かに、冷静にその騒ぎを見つめる普通の生活を望む広島人の姿や、それを理解していてもなお、この騒ぎに乗って『被爆者の保護を優先しなければならない』と声を上げる広島の人の姿を知ることが出来た。
2023年。プーチン大統領は、核兵器をチラつかせながら自国の有利を保持しようとしている。これは昭和40年の拡声器を片手に「反対・反対」と騒ぎ立てていたデモに似ていないか。
今年も原水爆禁止大会は、内外の来賓が平和公園広場に集まり核廃絶の「平和宣言」をして、過去1年間の被爆関係で死亡した広島の人達の名前を原爆記念碑の中に収める儀式になるのだろうか。
原爆が投下されて80年に近ずく、「今後75年は、草木が生えない。」と言わせた核開発は「平和利用」と身近になって、普通に日常を過ごしたい広島の人達の事など終わった事と振り向かないのだろうか。
コメント欄に投稿してみましたよ。。。
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役にたった~応援までにトータルすると6人もいるんですね。
こう言う人達と縁がつながると良いですね。