スロバキアに帰ってきた。
日本帰国の第一目的、妹の結婚式はとても素晴らしかった。
挙げ膳、据膳で特に母には負担が大きく、3週間は長く私たちが帰ってむしろホッとしているくらいだろうが、私にとっては用事を済ませ、友人に会い、マルツェルとネラを満足させ、家族とも過ごしたい。3週間の帰国は短すぎた。
スロバキアに帰ってからはイチゴの最後の収穫にギリギリ間に合い(ピークは6月末から7月)、そしてサクランボはまさに収穫シーズン、グリーンピースにルッコラ、サラダ菜、コールラビ、義両親が庭の収穫物で迎えてくれた。
この時期、イチゴもサクランボもとにかく食べられるだけ食べまくる。新鮮なものが食べられるのは1年に1度のことだから。
食べきれないものはジャムにしたり、コンポートにしたり、冷凍したりするがもうこれは摘み立てとは比較のしようがない。今はイチゴは食べきり、サクランボを毎日食べているのだが、このサクランボ、かなりの確率で虫が入っている。
初めは気になって仕方なかったのだが、イチイチ虫の入ったサクランボを避けていると食べれるものがない。マルツェルに聞くと、虫ごと食べても何も起こらないと。仕方ないので、今はもう見ぬふり、気付かぬふり。考えないようにして一口で食べている。
しかし、そう考えると、店で売られているサクランボ(サクランボに限らないが)にはそれだけの農薬が使われているのだろう。
今回の日本滞在中、マルツェルの希望で北鎌倉の円覚寺へ座禅に行ってきた。
座禅にはまだ日本にいた頃数回行ったことがあった。円覚寺にも一度行ったことがある。
(以前は住職の話が座禅の前にあり、これがまた良かったのだが、今回は若い僧に代わりそれがなくなっていたのが少し残念だった。それでもこうして無料で初心者にも公開されているのはありがたい。)
その頃は仕事も結構忙しく、終電で帰ることも度々あった。それでいて毎週水曜日(ノー残業デー)は皇居ラン(その後必ず一杯)、週末は4時に起きて同僚とトレイルランニング、友人と登山。睡眠は毎日3~5時間(マルツェルの生活スタイルに合わせて毎日8時間たっぷり寝ている今では考えられない)アクティブな生活を送っていた。そんな時、座禅にいくことは心をリセットするかのようでとても気持ちが良かった。
座禅において何が一番難しいって、何も考えないことだ。何も考えず、呼吸に集中することが一番重要だと僧侶は言う。組んだ足の痛みに堪えるのは二の次だと。(だから足の組み方にはこだわらず、自分にとって安定の良い姿勢で座れば良いのだそう)
初めの数分は自分の呼吸を数えていられる。その内他人の呼吸が気になったり、挙句の果てには何も考えないというのは難しいことだと考えている。教えられた通り、別のことを考えていることに気付いたら、そこでまた呼吸を数える作業に戻る。けれどもまた何かを考えている。たったの15分、30分を全くもって集中し通すことができなかったが、それでも開け放たれた窓から心地よい風が流れ、外ではあれほど強かった日差しも和らぎむしろ薄暗い程の室内で日常の雑多な時を忘れる(忘れようと努める)のはやはり気持ちの良いことだった。1時間ほどの座禅会を終えて外に出ると、とても清清しかった。
今回が座禅初体験のマルツェルに感想を聞くと、やはり何も考えないようにすることの難しさを語っていた。そしてこれは定期的にするからこそ意味がある。自分はそう行くことはできないがまた行きたいと。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます