スロバキア、タトラ山脈の麓より

スロバキア人の夫と2人の娘と私の生活
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障害のある人が受け入れられる社会

2022-06-11 | スロバキア2022
3度めのブラチスラバ出社の帰りは仕事が予定より早く終わったので事前に購入していた切符をキャンセルして1時間15分到着の早くなるICという快速電車にしたのは良いものの、子連れ専用車両で6人がけの個室に幼稚園児が5ー6人いる席を割り当てられてしまいました。1分と座っていられず、ブラチスラバを出てから1時間半、もうすでに300回は足を踏まれているけれど、私の子供たちも色んな人たちに見守られてきた、「我慢我慢」と耐え、やっとその一行が降りたときの安堵感と言ったら。月1回の出社も楽ではありません。

さて、今回ブラチスラバ滞在中に大学の同級生の訃報をニュースで目にしました。車イスの彼女は障害者たちが地域に受け入れらて生活できるよう、尽力していたようです。色々な問題に取り組んでいたようですが、私にとって最も身近に感じたのは障害者に特別学級や施設という選択肢を促している社会だと指摘していたことです。

ここに書いても良いものかとても悩むのですが私には身体的障害のある友人がいます。書いてもいいか悩むというのは、彼女を障害者と区分したくないから、障害のある友人と表現することに抵抗があるからです。でもあえて彼女のことにふれてみたいと思います。彼女は私に大きな気付きをもたらしてくれたから。

彼女と親しくなって気付いたこと、それは「障害は障害ではなくて個性」だということ、そして「できないことは、それはその人にとってただ苦手なものである」ということです。

手足の不自由な彼女は熱いお茶の入ったカップをテーブルに持って行くのは苦手です。だから代わりに私が持ってあげます。でこぼこ道を歩くのも苦手なので躓かないよう腕を組んであげます。でも逆に彼女はスロバキア語の苦手な私の代わりに電話をかけてくれたりします。PCが得意な人と裁縫が得意ながいるように、だれでも得意なことと、苦手なことがあって、苦手なことに出くわしたら、誰かに助けてもらい、得意なことがあれば手を差し出してあげる、そうやって一緒に生活しているんですよね。彼女と接して障害を持つ人は決して特別じゃない、自分と同じで何か得意なことと、不得意なことがあり、困ったことがあればお互い相談し、何時間もお茶を飲みながらおしゃべりしては笑い、ごく普通の友人だということを知りました。

でも彼女に出会うまでそんな単純なことに気付かなかったんです。なぜなら学校には特別学級があり、社会には施設があり、身近な場所で障害のある人たちと一緒に生活したことがほとんどなかったから。
その亡くなった同級生の言うように、地域社会は「特別学級の方が体制が整っていますから」と言い隔離する選択肢を迫っています。そして私たちは一緒に生活し、身近に接していないから障害のある人たちは特別な存在で一緒に生活するのは難しい、あるいは無理だと思い込んでしまいます。でも私が友人に出会ったように普通に障害を持つ人と友達になっていたら、それほど特別な存在ではないということに気付けるはずです。そして施設に隔離するのではなく、「苦手なこと」に手をかしてあげれば、障害があっても自立した生活をしたり、得意な分野を生かした仕事に就けるはずです。同級生の取り組んだ活動、これからも受け継がれ、障害者が地域社会に溶け込み、生活できるようになりますように。

ブラチスラバから帰ってきたら、夫がケーキを焼いて待っていてくれました。




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