担当になった医師から
入院の説明や
今後の治療に関する
おおまかな説明を聞いた
父の側に行き
耳元で話を伝えると
うんうんとうなずいた
まだ熱も高く
ひどい咳をしながらでも
何故かいつもより
会話をしたがる父が
背中をさするワタシに
「が、我慢して、ここにおらにゃっいけんのんかーっ」
そう言うので
「我慢しちゃいけんよ」
ついそう言ってしまうだけで
連れては帰れない
「せ、背中を揉んでくれ」
「あ、足がダルいから揉んでくれ」
ワタシはそれに応えながら
母のことを思い出していた
ワタシの母は
周りのために
自分を犠牲にしても構わないという
謙虚すぎる女性
それに加えて
我慢強すぎる人でもあった
長い入退院を繰り返しても
何度も大きな手術をしても
生きているだけでありがたいといい
家族が元気なら
私1人ぐらい病気がちでもいい
そんなふうに言う
母の気持ちが理解できなかった
母とショッピングをしたり
旅行に行ったり
元気になってくれたら
楽しめるのに....と
辛い痛みを我慢しながら
このぐらい大丈夫よと強がる母が
かわいそうにと思いながら
悔しかった
それが
最後の入院の時
付き添ったワタシへ
母が最後に言ったのは
「何にも悪い事してないのに、なんで私ばっかりこんな辛い思いをするんかね.....」
そして
「おかあさんのせいで、Sちゃんまで疲れさせてごめんね....今日はもうええよ、お帰り」
消えてしまいそうな
か細い声を振り絞って言う
そんな母に涙をみせないように
目に溜まった涙が溢れ落ちないように
にーーって
変なつくり笑顔をして
ワタシは母に
「また明日くるけえね」
と自宅へ帰った
翌朝方早くに
父へ病院から
母の意識がなくなったと
電話がかかった
ワタシは
何で帰宅したのだろうかと
ずっと側にいてあげなかったことが
悔やまれて
今もずっと悔いたままだ
ただ
母は最後は
本音を言ったと思う
ずっと
ずーっと本当は悔しくて
苦しくて、辛すぎたのだ
だから
ワタシは母が身をもって
教えてくれたのだと
我慢をし続けず
強がらず
痛いときは
痛いといえる自分でいようと
決めている
それに
母と反対に
父はそういうタイプだった
8月31日
夜が明けて
朝になり
ワタシは父の側から離れなかった
つづく