福岡県医療用ウィッグ(かつら)を作る再現美容師chikaブログ

美容師のわたし…シングルマザーのわたし…乳ガンだったわたし…更年期障害と闘ったわたし…素直な想いを綴り伝えたい

☆子供達への想い☆

2011-03-11 21:41:28 | ひとり言
来週の金曜日は、長女の小学校の卒業式です

私達家族が福岡県で暮らす決意が固まった時期に… 日帰りで一人福岡県へ行きました。

『亜未が安心できる中学校をお母さん観てくるし学斗と仲良く待っててや』

一人日帰りの旅…何回したかなぁ?

地域性を観て、地域で暮らす人達と触れ合い、聴き込み調査

中学校を訪問しました。 教頭先生はとても親切な方で私の質問事項に快く応じて下さいました。
そして、各小学校の特色が書いた用紙を下さいました。

図画工作に力を入れている小学校を知りました。
その小学校には…数年前の夏休みに3人で伺いました。校内に飾られた数多くの作品に学斗は興奮していましたね。

私が選んだ中学校は、CLUB活動が盛んな中学校でした。校内に飾られてあったCLUB活動の優勝トロフィーや賞状が多過ぎて…棚からはみ出ていました。学校行事にも親が熱心に参加していて、素敵な学校だなと喜び感動しました。

今年1月末には、中学校校区内で、住居を探してもらいました。

学斗の小学校は…どの小学校になるんだろうと…内心ドキドキしましたが…奇跡は起こるもんだなぁ~…
学斗の希望する図画工作の盛んな小学校でした。

二人は…お友達と離れるのはちょっと寂しいけど早く福岡県に行きたいなめっちゃ楽しみやねん

と言っています。

二人も私と同じように…
新たな門出を楽しみにしています

亜未&学斗…今を楽しもうね

そしてもっとしあわせになろうね



☆心と心のコミュニケーション☆

2011-03-11 20:55:57 | サロンワーク
今日もご来店頂いたお客様から…心温まるメッセージカードや贈り物を頂きました。
そのメッセージの多くには『心』と言う文字がたくさん綴られていました。

私の目指していたサロンワークは、心と心のコミュニケーションを大切にする事から…お望みをより叶えていく事でした。

スタッフへの引き継ぎや、カルテへの必要事項は、細かく記載無事済ませました。

私自身も、過去旅立ったスタッフ達からたくさんのお客様を引き続き、今がありました。
色んな要望を伺い、力不足と感じたら、次回こそは、必ず真の笑顔を頂こうと、コツコツの毎日が…気がつけば18年間も勤務していました。
京都に暮らしていても、京都の事は知らない事ばかりだなって感じたのは、エピテーゼ協会活動の出張した時に気づきました。
ほとんど、暮らしている地域辺りの往復していた一途な想いは、最後の日まで、大切にしたいと思っています。
ガンと闘っていた時に辛くなれば、バスに乗車し、ジュールドゥのサロン前を通りその光景を見つめていました。
可愛いスタッフ達とお客様の素敵な空間にふたたび戻りたいと強く願い、リハビリしていた頃が懐かしく蘇ります。

明日からの週末もスタッフ達と一緒にたくさんのお客様のご来店を心待ちしています

心と心のコミュニケーションをこれからも学んでいきたいです

皆さん本当にありがとう


☆独立への道☆

2011-03-10 23:16:49 | サロンワーク

独立への道…

シングルでガンを患った大きなリスクは、色んな困難が待ち受けていました
独立開業するには、融資が必要でした。

『そんなリスクがある方は独立は無理じゃないの?』
『前代未聞です。やめた方がいいのでは?』

『今の地位を捨ててまで危ない橋を渡るのは…子供達が不幸になるのでは?』
略反対意見が多い中…

子供達と両親は『前向きに頑張れ
と笑顔でエールをくれました。

シングルでガンを患ったら独立は無理で融資が受けれないのかなぁ

地道に貯めた独立資金も闘病生活時に、随分遣っていて…

ヤル気だけで弱みだらけの私でした。

独立をした先輩や後輩達のサロンに来店して色んな調査を開始し、苦手なパソコン操作から連夜、情報収集しました。

『とにかくやるだけやってみよう
あかんかったら又考えたらいいやん

批判を受けても、シングルとガンを患った事は、消す事はできないから…前向きにやるしかないやん

批判するなら、独立できる道を知恵を知りたかった。


☆カレンダーを見て…☆

2011-03-10 20:56:20 | ひとり言

バタバタする毎日で…曜日はわかっていても、日にちがわかっていない私

カレンダーとにらめっこ
『えっ…来週の月曜日を抜いたら、後9日しかないんや』

まだまだ実感がなく…
携帯電話に福岡県からの着信履歴を見ると…


『私は引っ越しするんやったな』

引っ越し準備は、まったくできておらず…

退職後でしないと駄目な事柄を書いたメモ帳が山積みになってます

まなと君のリコーダーレッスンもしなきゃな

エーデルワイスの曲に一歩進歩です

『お母さん…早くドラえもんの映画行きたいなぁ』

自宅に帰宅後は…

『お母さんお母さんお母さん


そんな慌ただしい日々が、母親として幸せだと感じています


今夜の画像は…まなと自身とまなとの自画像~版画です

☆両親の願い☆

2011-03-09 20:48:28 | 協会活動・病気
セカンドオピニオンを受診後に、両親に相談をしました。年老いた両親の事を想うと、このまま関西にいた方がいいのかと…
長い期間悩みました。

父親は、迷いなく『関西で独立はするなよお前達が自立して幸せになるんやったら、どこで暮らしてもいいぞ一人っ子だから親をみないとあかんからって、自分の夢をあきらめたり、やりたい事ができない人生はあかんやろ…四十代の十年間は本気で基盤を作って五十代から発揮してみろよ人に喜んでもらえるようにとにかく一生懸命頑張れ二人の子供達を頼む』

両親が昔から望んでいた事は…

自立と幸せ


その決断から…会社へ退職理由を伝えたのは今から2年前の春でした。


☆初めて訪れた九州旅行☆

2011-03-08 22:46:13 | 協会活動・病気
私達家族が初めて訪れた九州旅行…フェリーから撮影した海と夕日画像

2008年の夏、抗がん剤治療の副作用の脱毛から、ウィッグをようやく手放し…ベリーショートの私だった

福岡県西区付近にある小戸公園には、ヨットハーバーとサッカーグランドと公園がありました。
釣りを楽しむお年寄りの方と海を観ながら、他愛ない会話を交しました。

小戸公園で二人がサッカーをしていると、私は心地よい海風と波の音に酔い…芝生の上で昼寝をしてしまいました。そんな呑気な私の姿を見た二人は笑っていました

『自然がいっぱいあるこんな場所で暮らせたらいいなぁ』
初めての九州旅行を終え、フェリーの上から海を眺めながらそんな会話をした記憶があります。

セカンドオピニオンを受診したのは、その後2009年2月16日でした

その夏休みもふたたび…九州旅行を決行しました。 この時には既に、長女の中学校と長男の小学校に見学に伺いました

私達が心癒された場所が、4月から暮らす場所になるなんて、当時は叶わないだろう遠い夢だった。


☆昨夜は…☆

2011-03-08 20:56:31 | ひとり言

お客様からのメッセージカードを読んで泣きました
ガンと闘っていた時も、お客様からのメッセージカードや御手紙を読んで泣きました

涙の恩返しは…いつまでも今と変わらない元気・笑顔で美容師として歩んでいく事なんだなって感じています。

サロンにたどり着けば…その感情は一切忘れて、目の前のお客様に集中する美容師の私


私の為に涙を流してくれたたくさんのお客様…ほんとにありがとう

退職の話をしてから、何度もサロンにご来店して下さるお客様


『今日で…最後やね』


『まだ来るで…次はどこも切る所がないから…トリートメントしてもらおうかな』

美容師として幸せな事は、いつまでも髪の毛を触らせて頂ける事だと純粋に有難く感じています


明日も笑顔で再会しましょう

今夜の画像は…お客様からの贈り物


☆最後の着付け指導☆

2011-03-07 21:24:00 | サロンワーク

今日は合同着付けレッスンに参加してきました。

今回は、現在着付けトレーニングしている六年生もスタイリストメンバーに加わっての合同着付けレッスンでした。

テーマは『袴』

タイムを測って、自主トレの成果をお披露目です
個々の受けた注意点を二回目には、意識的に行い納得のいくメンバー、悔しく残念そうな姿からも、来月は頑張りますと伝えてくれるメンバーもたくさんいました
最後にお太鼓の変わり結びの展示と着付けにおける注意点と今年度の課題を、伝えさせて頂く貴重な時間を先輩方から与えて頂き、本当に有難く感じました。

スタッフを見送る時に、たくさんの受講メンバーから『着付けがスキになりました』『これからもっと上達できるように頑張ります』『苦手だった着付けが楽しいと思えるようになりました』

かわいいスタッフ達の笑顔と情熱は…私は忘れへんからね
みんな本間にありがとう指導させて頂き本当にありがとう

感謝感激の1日でした

☆関西を旅立つ理由☆

2011-03-07 07:27:59 | 協会活動・病気
近隣出店は大好きな会社とのより良い関係が継続できないと感じました。
過去に旅立った後輩や先輩方々のサロンも近隣には既にたくさん存在していましたし…正直、居場所を確保する環境ではない状態でした…時として大切な仲間を敵にしてしまうと考えると私の性格上、大きなストレスを背負うと感じ、関西以外で、ガンに強い病院が所在地で環境の良い場所を探す事に決めたのは、美容師完全復帰を果たした頃から、ネット検索より情報収集しました。
そして、主治医に先行きの相談をしてセカンドオピニオンの病院を決めました。主治医は『その病院なら僕は安心できます。セカンドオピニオンを受診してすべてを聞いて来なさい。自身の体と子供達を守る為にも前向きに行動ですよ!』
主治医から強く背を押してもらいセカンドオピニオンを九州がんセンター病院に私は受診しました。

☆ふたたび…独立を決めた時期☆

2011-03-05 21:12:37 | 協会活動・病気

私が25歳の時に、独立したいと夢を描きました
その時に必要である全ての事柄を無我夢中に打ち込みました。
でも…結婚して家庭を持ち子供を産み育て、母親としての幸せも望みました。 その仕事と家庭の両立の厳しさと比例して…子供達の存在はとても大きく、頑張る源で今も変わらずです。シングルになっても、独立はあきらめずにいましたが強気の私もこのガンを患った時は、独立は白紙に戻そうと決め…先ずは、普通の生活ができるようにリハビリと社会復帰の事だけを日々考えました。
告知を受けたその12月に、美容師完全復帰をしました。そして、闘病当時に決めていた同じ病気の女性に力になりたいと思っていた事を明確に決めた頃に、エピテーゼ協会と必然的な出逢いから、再現美容師の資格を取得しました。
その活動を始めてから…『私達のような患者であっても気兼ねなく楽しみに心癒されるサロンを作ってもらいたい』そんな声をたくさん頂きました。
美容を通じて社会貢献ができるように…体調経過も良好…ふたたび独立しようと決めたのは患者さん達の、たくさんのエールからでした。