本日は『産經新聞』「産経歌壇」で入選があった。せっかくなので入選作を紹介しておきましょう。
☆セクハラかモラハラなのかカスハラか腹のふくるる心地の多し
(「産経歌壇」/『産經新聞』2024年7月25日/小島ゆかり選)。
※注「おぼしきこといはぬは腹ふくるるわざなれば」(『徒然草』第十九段)。
今回は選者の添削が入った。自分の提出した原句の第五句は「心地多かり」だった。選者の小島先生は、形容詞カリ系列連用形「─(し)かり」での終止を嫌われるかただったか。実のところ、自分もそれを嫌う。とくに俳句で多く、高浜虚子が「春の山屍をうめて空しかり」などと詠んだのを先例としてか、「─(し)かり」終止の句は実に多く詠まれている。
しかし、これは文語文法としては破格の用法。文語形容詞の「─(し)かり」は通常「─(し)かりけり」「─(し)かりき」などと、下に「けり」「き」などの助動詞を接続させるときに用いる形であって、下に何も接続させない「─(し)かり」での終止はない。
ただ、唯一例外があって、文語形容詞「多し」だけは、「多かり」の終止形用法が平安朝時代の作品から数多くある。これは、もともとカリ系列が「─(し)くあり」が縮約してできたことに由来する。
☆セクハラかモラハラなのかカスハラか腹のふくるる心地の多し
(「産経歌壇」/『産經新聞』2024年7月25日/小島ゆかり選)。
※注「おぼしきこといはぬは腹ふくるるわざなれば」(『徒然草』第十九段)。
今回は選者の添削が入った。自分の提出した原句の第五句は「心地多かり」だった。選者の小島先生は、形容詞カリ系列連用形「─(し)かり」での終止を嫌われるかただったか。実のところ、自分もそれを嫌う。とくに俳句で多く、高浜虚子が「春の山屍をうめて空しかり」などと詠んだのを先例としてか、「─(し)かり」終止の句は実に多く詠まれている。
しかし、これは文語文法としては破格の用法。文語形容詞の「─(し)かり」は通常「─(し)かりけり」「─(し)かりき」などと、下に「けり」「き」などの助動詞を接続させるときに用いる形であって、下に何も接続させない「─(し)かり」での終止はない。
ただ、唯一例外があって、文語形容詞「多し」だけは、「多かり」の終止形用法が平安朝時代の作品から数多くある。これは、もともとカリ系列が「─(し)くあり」が縮約してできたことに由来する。
つまり、「たくさんある」という意味での「多くあり」が縮約されて「多かり」の終止形が成立し、数多くの用例がある。だから、「多かり」の終止形使用は破格にならないのだがなあと思ったが、『源氏物語』にも精通している小島先生がそれを知らぬわけはあるまい。添削の理由はもっと違うところにあったのだろうか。
ちなみに、今回添削された「心地の多し」だが、これだと、格助詞「の」が主格として用いられた形である。格助詞「の」の主格は基本的に連体修飾節で用いられるので、もし文語文法に即した形にするなら、「心地の多き」であるほうがよいのだが。そうすると、詠嘆的に「心地の多き(ことよ)」という意味の、連体修飾節を意味する準体法として文語文法にかなう表現となる。
□本日落語一席。
◆桂三四郎「那須与一 名誉の扇の的」(寄席チャンネル『夢 寄席』)。
東京なかのZEROホール、平成31(2019)年4月6日(桂三四郎「十五周年記念独演会」)。