つれづれ日記

チェリスト秋津のつれづれな日記です。

道(その5)

2010年04月25日 14時56分07秒 | Weblog
前回よりつづく

「悲劇」

桐朋学園大学の二年生の時に、毎日コンクールに出たら第2位になったが、そのあとは結構天狗になっていた。

大学3年4年と進むうち演奏する機会も段々増え、桐朋学園オーケストラでドボルザ ークのコンチェルトを弾かせてもらったり、東京女子大オーケストラでもハイドンのコンチェルトを弾いた。

しかし、大学4年の時だったか、巨匠のシュタルケルさんが学校で公開レッスンをされると聞いてすかさず受けたが、その時に弾いた曲が悪かったのと、あることにより僕の予定は大きく変わったのだ。

弾いた曲はシューベルト「アルペジオーネ・ソナタ」だった。意気揚々とその場にあがった僕だったが、その場に何と堤剛、岩崎洸さんのご面々のお顔があったのだ。これには、ちょっと舞い上がってしまった。

「ヤバ! こりゃあ気合入れて弾かないと、男がすたる」と思ったかどうか…。

まあ、普段の自分の演奏をすれば良かったのに、二倍も三倍も上手に弾かなくては! と思ったところが、そもそもの間違いだった。

何だか、どう弾きたいとかじゃなくて、「上手に!」 しか頭になかった。

1楽章を弾いたところで、シュタルケル先生に英語で何か言われた。
通訳の方もその言葉を正しく翻訳出来なかったらしく、会場に向けて助けを求められた。会場の堤先生がお答えになった。

その言葉は「悲観主義者」ということだった。彼はどうして電話ボックスの中で弾いているような感じで弾くんだ? と言われたのを覚えているが、その頃には僕は既に自分を失っていた。

このレッテルは、これ以後、僕のなかでなかなか拭い去ることの出来ないこととなる。

つづく

ご質問にお答えします

2010年04月16日 00時29分19秒 | Weblog
読者の皆様

質問にお答えしましょう。

まず「親鸞さまにであう集い」のお話の続きはどうしたのか?というご指摘でしたが、ご指摘の通り、完全に完結していないのです。

僕の中でも、朗読の役者さんたちに、本番のあと、どのように感じられたかをお聞きしたかったのです。そのことが聞こえてきたら、続編をお話できると思ってましたので。(気長に待っていて下さいますか?)

こんなとこですが、よろしいでしょうか?


もうひとつありました。
連載もの「道」の4回目の文中の「土台無理」の意味ですね。

そういえば、「秋津くんは何だかやりにくい生徒さんだったわね。終始うつ向き加減で、返事もハキハキしないし!」なんて、おっしゃってましたが、土台無理だったんです。悪しからずご理解下さいましたでしょうか?

土台無理? 要するに、照れてしまって先生の顔が見れなかっただけじゃなく、「心そこにあらず」で、レッスンにならなかったわけです。
確か、美人な先生やボインな先生が好きだったような記憶がありますから。
小学生の割に、ませてたんでしょうかねえ?

これでいかがでしょう?


では、意味不明のことなど、今後もどうぞご質問ください。
出来るだけ早く、回答させていただきますので。


秋津 智承



かえってきたアイツ

2010年04月15日 02時59分28秒 | Weblog
そうなんですよ!

結構前からアマガエルの鳴き声が近くで聞こえるので、ひょっとして帰ってきたりして???  と、去年家にしていた場所を覗くも、未だ発見できずにいたのです。

が、しかし先日またしても「ケーッ、ケッケッケ」と大きな音で鳴くので目を凝らしてベランダのほうを見てみたのだが見つからず、諦めついでにもう一方の金具を覗いてみたら、いました、いました。 



去年のアイツかどうかは定かではないけれど、もう勝手にそういうことにしちゃいました。

「おかえり」 今年も、元気で頑張れよ!


春を感じて

2010年04月07日 09時00分06秒 | Weblog
読者のみなさん

とうとう、春がやってきたようです。

先日、あるお店のお使いの時、軒の下辺りにツバメの糞を見つけました。
えーっ、まだ寒いから冗談じゃないの?
と、思ってましたが、町をすいーっと軽やかに通り抜けた達人を見つけ、「あ、やっぱりホントだったんだ!」と。

まだまだありますよ。定番から新しいのまで。



これは、僕の住んでる町の誇りにしているレストランの自慢の桜



これは、先日嫁さんの実家の裏で見つけた花にらの群生です。

綺麗でしょう?

では、また。

道(その4)

2010年04月05日 08時56分00秒 | Weblog
前回より続く


その毎週見てもらう先生ですが、斎藤先生のお弟子さん達がローテーションを組んで毎週違う先生が見る、というとてもユニークな指導方法でした。

そういえば、子供心に優しい先生と厳しい先生の振り分けをしてました。

今日はラッキーとか、やれやれとか。
しかし、僕は結構ませてたんでしょうか。女の先生が来られると、目が合わせられないというか、特にボインな先生の時は、固まってしまってました。

その…、腕を取って「こういう風にするの」とそのとき、先生のポニョポニョのところに僕の腕が当たっちゃったりしたら、もう大変なことに…。失礼しました!
実はその後、その先生達にお会いした際にこの話をしたことがありますが、どうやらその当時も当代随一な巨乳で有名な先生だったのだそうで、目立っておられたのは事実なようでした。
そういえば、「秋津くんは何だかやりにくい生徒さんだったわね。終始うつ向き加減で、返事もハキハキしないし!」なんて、おっしゃってましたが、土台無理だったんです。悪しからずご理解下さいましたでしょうか?

つづく

道(その3)

2010年04月03日 19時52分42秒 | Weblog
前回は親父について話しましたが、今回は子供時代についてあれこれ。

子供のときは、桐朋学園大学付属「子供のための音楽教室」広島分室というところで、チェロのレッスンがありました。

毎週日曜日に広島市内のとある「床屋さん」がレッスン会場でした。

その床屋さんこそ、かの有名な山崎伸子さんのご実家なのです。

そこを借りていたわけなので、最初の頃は山崎さんに何度かお会いしたことがありますが、彼女はとても優秀な方で、当初からその類い稀な才能を斎藤先生に見いだされ、小学5/6年生の時、東京に出て行かれました。

詳しいことは割愛させて頂きますが、凄いことですよね。

山崎さんは自宅でレッスンだったので、まず一番最初にレッスンを受け、その日の一番最後にもう一度見てもらうまでに、指摘されたことをマスターしていて、曲が上がるわけです。要するに周りのみんなの倍のスピードで進んでいくので、チェロ弾きなら誰もが知っているシュレイダーというエチュードがありますが、これを小学生のうちにあっという間にやり終えた方で、僕にとっては、遠いところにいる、手の届かないひとでしたね。

では、また続きは今度!