ちょこの昭和探索

Twitterで「ちょこの純喫茶巡り」をしていた者です。
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2022年6月6日に見つけた廃業喫茶店たち

2025-01-13 21:00:53 | 廃業喫茶店
コカ・コーラの看板がある喫茶店には弱い。ストリートビューで見ても、残念ながらかなり前に廃業されている様子だった。


その後東成区に移動し、行きたかった喫茶店に振られるも、同じ商店街の中で発見した廃喫茶ベラ。
ベラの書体がgood。

2022年6月6日撮影

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348 喫茶イセ 大阪⚫︎大阪 《閉業》

2025-01-13 20:22:41 | 🍭大阪府の喫茶店
まさかのイセのメモを書いたページ、水をこぼしてペンのインクが滲んでしまってほとんどの文字が読み取れなかったのだが、なんとか根性で読み取りました(笑)

マスターやママがたくさんお話ししてくださったのに…しかも閉業されてしまったし…

訪問当時、マスターは85歳、ママは80歳だったのだが、もうお若い!ひ孫さんもおられるそう!
1964年に「喫茶イセ」を創業されたのだが、その前は「伊勢寿司」というお寿司屋さんをされていたそうだ。

食事メニューはトーストのみ。
開業当時から食事は出しておらず、飲み物のみの提供なのだとか。
1964年から58年間このスタイルを守り続けているの、かっこいいな。
昔は近くに工場があったから大変賑わっていたそうだ。


店名の由来は、マスターのお父様がイセ出身だったのと、上に書いた通り、マスターが喫茶店を始める前にされていたお寿司屋さんの店名が「伊勢寿司」だったから。

喫茶学校に行ってコーヒーの作り方を学ばれたそうで、店内にはコーヒー豆が入ったボックスがあったのだが、まさかの単体で撮影しそびれるという大失態。

喫茶イセの内装の魅力は、いえろうのチューリップランプとこのコーヒー豆のボックスとカウンターの青色のタイル、コロンとしたちょっと小さめのブラウンのチェア。
いや、全部褒めてるやん!!!それくらい素敵な内装だったってことだ…。



天井に気になるポイントが。素敵な照明がついていたのかな…?

ミルクセーキを注文。またまた素敵なグラスだぁ…


…絵になるカウンターだなぁ


青いタイル✖️いえろうチューリップランプ🟰最高 
公式が完成いたしました。(一体いくつの公式が出来上がるんだよ!笑)
あぁ…

感無量…





ストリートビューで見てみると昔はテントがあったようだ。
外からチューリップランプの灯が窺えるのも素敵…。
イセの書体、秀逸。


余談だが、入店してしばらくはマスターしかおられなくて、会話が弾んできたころにマスターが奥さん(ママ)を呼ぶわ!とのことで、わざわざきてくださったママに感謝。

マッチもあったかなぁと言いつつ渡してくださった。裏面には伊勢寿司の文字が。

2022年6月6日訪問


※ちなみに、この前検索をかけたら、建物そのまま卵かけご飯屋さんになっていた。
そして、いえろうのチューリップランプは取り外されていた…。かなりリノベーションされたようだ。






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347 喫茶レストラン赤坂 大阪⚫︎大阪

2025-01-13 19:57:21 | 🍭大阪府の喫茶店
小雨が降ってきたので避難も兼ねて昼食に喫茶レストラン赤坂へ。

この建物全部赤坂さんのものだと思うとすごいなぁ…(感心)
ちなみに創業50年だそう。

昔ながらのオムライス、美味しくいただきました。
ちょっと全体的にアングルが良くない写真ばかりですみません…


赤い丸い取っ手のドア。しかもレストランに多いタイプの両開きですごく好み。






2022年6月6日訪問

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ふと思ったこと。

2025-01-13 19:02:01 | わたしの人生
大学進学で滋賀県にやってきたわけだが、もう驚くくらいに人身事故が多い。人身事故といってもここでは自殺を指す。

小学生の頃のわたしの「自殺」へのイメージは、なんでこんなことするのだろうか。迷惑だ、ただそれだけだった。これはわたしの小学生時代はあくまで幸せだったからなのだろう。そうでないとこんなに他人事のようなイメージは持たないはずだ。

しかしどうだ。中学生になって、「死にたい」と何度思ったことだろう。
その理由はだいたい察せると思うし、あえて書くようなことではないと思うから、書かない。
涙を流した数が数えきれない。両親に隠れて泣いたこともあった。中学校から帰ってきて夕方のリビングで。必ず両親のどちらかが帰ってくるまで泣きやむように。ゴミ箱に捨てた、涙を拭いたティッシュを隠すために上にいろいろ被せてカモフラージュさせたりしていたなぁ。
高校生になっても「死にたい」と思わなくなることはなくなった。ただ、回数は減ったかな。その理由もあえて書かないでおく。

自殺の話とは関係ないのだが、高校三年生の大学受験期、苦しかった。家に帰りたくなくて、塾は夜10時まで開いているのだが、ほぼ毎日10時までいることにした。家に帰って母の作る夕食に文句をつける父親の姿を見たくなかったから。父親のあらゆる愚痴を聞きたくなかったから。だから、塾が閉まるまでいた。もちろん勉強はちゃんとした。たとえ集中力がきれそうになっても、きれても、家には帰りたくなかった。別に成績がのびなやんだことを今さら父親のことや(他にも様々な要因があった)があったからとか誰かのせいにするのは違うと思うから、もう今はそこまで思うことはない。
そういえば、塾にほぼ毎日10時までいた理由を両親にまだ話したことないなぁ…。勉強頑張ってるね!って言ってくれていたけど、本当は違ったんだよ。



「自殺」の話からかなり話が逸れてしまった。けれど、大学生になって、変わったことがあるんだ。

小学生の頃と一転、中学生から高校生までは、「自殺する人は、悩みを吐き出せず抱え込み思い悩んだ末、自殺をするにいたった。きっとすごくすごく優しいひとだったんだろうなぁ」と、「自殺」という行為を肯定したり、自殺者に共感したりしていた。


しかし、今はちがう。大学生になって、自分の気持ちも大切だけど、色々な人の気持ちを考えるようになった。とある講義がきっかけで。

自殺が起こるということは、同時にいわゆるはねられたご遺体を処理する人もいるということだ。
自殺をした人や自殺をしようと考えている人の中にその人たちの気持ちを考えたことがある人がどれくらいいるだろう?
なによりも運転士の気持ち。彼ら彼女らの中には幼い頃から「車掌さんになりたい」という想いで運転士になる夢を叶えた人もいるだろう。そんな人たちの運転中、目の前に人が飛び込んでくる。そしてはねる。こんなもの誰が耐えられるというのだろう。
はねられた後のご遺体。これを処理する方々もいる。彼らの精神的苦痛はおそらく我々の想像を絶するものだろう。
だから今は「自殺という行為」に全く肯定できない。

自殺する人は優しい人だったのかもしれない。でもそれは自殺するその時まで。地獄の日々、散々悩んで、苦しみもがいて。
だけど、生きている人もいるんだよ。あなたと同じ状況で。嫌なら全て投げ出してみれば、なんて綺麗事なのは共感する。
私だって中学生の頃からずっと生きづらい。それでも今生きている。たったひとつの趣味のために。


こんなことを書いたら批判されるかもしれないけれど書く。私のブログだから。
         「ほんとうにやさしいひとはしなない」

自殺の話はここまで。


話は変わって、この前YouTubeで、私の地元は和歌山県なのだが、紀南の田辺市の集落で暮らす「山奥ニート」の動画、大変見応えがあった。視聴してよかった。こんな暮らしもいいのかもしれないなぁ。

大切なのは勉強?ちがう。人との繋がりだ。19歳でようやく気づいた。どうしてこんなにも大切なことに今まで気づかなかったのだろう。
そうか、学校では教えてくれないからだ。




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