それでも何か気になるのでもう1度袋の中を点検していると今回の鞄の作りは雑な縫い方になっている。雑な縫い方を後悔していると夫は「今度はいい布を買って来て作ったらええやんか」と言う。
こんなことばにまた手作り鞄を作ろうと思ってしまう。
そしてまた夫はお金の胸算用している。
「それ売れるから商売にしてもいい。今は手作りの鞄が流行っている。世界のブランドより1つしかないブランドに目をいく時代になっている」という。
私はまたのりに乗って「そうやな。有限会社でもつくろうか」言ってしまった。
けれどまたすぐに「商売にする気がない。売っている鞄が何回買ってもポケットが少ないのでしかたないから自分でつくったやから」と言った。
本当に本音は気に入る鞄がないからこんなことになった。
昨年のおお掃除の時も鞄も10幾つ捨てた。
それでもまだ手元に鞄が数個残っている。それでもお出かけ用の鞄としては使えても仕事の鞄、私の仕事には不満だらけの鞄である。
今回の麻布で作った鞄にたくさん参考になるところがあった。
1つ勉強になった。こうした麻布は袋縫いをして糸のほつれを防ぐがそうしないときは布の端に少し破れた時にアイロンをあてて当て布をする布を買って来て(100円均一で売っている)すると糸の解れがないと気がついた。はしミシンをかけて普通処理していくが私の作成は全部手縫いである。小さな電動ミシンは厚手の布にはミシンが走らない。糸が飛んでしまう。昔の足踏みミシンはおよその物が縫えたのに置き場所がなくなって捨ててしまった。惜しい。本当に惜しいことをしてしまった。
まさか年をとって糸と針をもつとは思っていなかった。書くことにだけ集中していると思ったが年を重ねてくると布や糸に触りたくなってきてテレビをそのまま見ている時間がもったいなくなってきた。
今回の鞄は中が少し雑なところが多かったので補正してなんとか私の納得いくものになった。
昨日は地方紙の講演会、奈良県出身の女性代議士、黙って静かに聴くことができた。会場の雰囲気をみて人の心をすばやく捉えられるところは機敏のよさ、頭の回転の速さを感じた。
以前、街頭演説をきいたときはまだまだ社会の底辺を知らないと痛感して私の心は後ずさりした。
そして地方参政権獲得運動で国会審議が後1歩で通過するというとき自民党の中から猛烈な反対者が出てきた。言いだしっぺがそのときの奈良県出身のベテラン代議士と一緒になって在日外国人の参政権付与に猛反対の論議をした。
それから在日同胞の間ではその部分を通してまだまだ政治的に不勉強と考えて韓国・本国の人たちは女性代議士のフアンの人も多くいたが在日同胞は異論
を唱えた。そして在日外国人の参政権付与に反対した人の1人であるということた゜と説明すると本国の韓国人は黙ってしまった。
女性代議士については私の中にはまだまだ当時のイメージがあった。
それから10幾年になった。
女性代議士も年を重ねて幾多の困難を乗り越えてこられたのだろう。
ずいぶんと成長された姿があった。
会場には様々な職業の方が参加しておられる。
その雰囲気をいち早く読み取って自分のしている仕事の現況をわかり易く解説、安倍総理のいう「イノベーション」の言葉の解説、そして少子化対策でさすが現代物議をかもし出している柳沢大臣のことには一切ふれずに4月から始まるだろう。「こんにちは赤ちゃん」運動、赤ちゃんを出産された家に1人1人の地域の関係者が訪問して子育てについての話など聞き一連の事件解決策の1つともいえる取り組みが行なわれるという。
また子どもの放課後を利用した学校支援対策の話もされた。
奈良県については奈良県先端技術大学がある土地柄の生かし方、奈良に残る文化資産の有効な生かし方などが説明された。
話にどんどん吸い込まれていった。
私はこの会場で外国人問題について論議しようとは思わないので地方紙の講演会の講師としてはよかった。
この後少し懇親会に残られた。大臣とあってSPの警護がすごい。会場の会員の中に先輩、後輩という間柄もおられて話しが盛り上っているようだった。
この会場では私は記者の肩書きがあってもその他大勢の1人として参加している。また先輩や同僚たちと久しぶりに会うので私の静かな息抜きになっている。ここでは自分をださないようにして静かに参加している。
雑誌記者時代にお世話になった人たちとも会うので私の息抜の場所である。
30分ほどして会場から出て行かれた。
私は口の中に食べ物が入っていて失礼だと思いながら代議士を見送った。
ただ淡々と在日同胞の中で記事を追いかけている私、たぶん私のことは何も知らないだろうと思っている。
私の側を通る時軽く会釈をしておかれた。
そんな代議士を見送りながら右派であっても日本に住む在日外国人の問題に逃げないで何をすればいいのか今後は勉強して在日韓国・朝鮮人、いわゆる在日コリアンの人たちからも「支援をしていこう」という声がでるようなさらなる大物になって対応してもらいたいものだと思った。
私は在日コリアン問題にはさておいて代議士の大衆の心のとらえ方の上手さと講演の上手さにまた違う角度から代議士を見ることができた
そして会場に参加していた人たちが言っていた。
「1度選挙に落ちられ。それから人間性が大きくなった。落選を機会に変わられた。有権者は敵・味方とはっきりしている」と話しておられた。
以前、私が女性代議士の書き込みをネットでしたときに私の掲載記事に2000件以上に及ぶバッシングをあった。奈良県橿原市出身、県立高校の出身、まわりは同級生や先輩、後輩たちが多いのだろう。代議士でない顔をしっておられるのだろう。そうしたフアンの多いことに気がついた。
さらに成長して今度は在日コリアンの積み残されている問題についても勉強して在日コリアンの人たちの言葉に耳を傾けてほしいと会場から退場される背中に私はそう思っていた。
いつかまたどこかでお会いできるときがあるだろう。
周りには代議士に対して「好き」「嫌い」というはっきりしているという。
それならぜひ「好き」になってもらう人が1人でも多くおられることを願っている。
在日コリアンの10人のうち8・5から9人が日本人との婚姻をしている。日本人の家族も出来ていく。
私の息子も日本人の嫁さんである。10年のキャンバス恋愛をして結婚した。双方の家族は国際結婚を受け入れた。
孫はダブルの血が入っている。在日コリアンの中でも選挙権をもつ家族も増えている。日本人も国際結婚によって在日コリアンの現状を知っていく。それなら在日コリアンの問題について真摯に取り組んでくれる代議士の話に耳を傾けていく。影で隠れた有権者、在日コリアンの問題に触れていく人に関心を持って投票する有権者がいることを知って頂きたい。
今後の成長をみている。
そんなことでいつもの例会は12時開始だが昨日は12時半からだった。会合が閉会したのが3時前、テレビをみる時間がなくなった。奈良の町をうろうろして買い物を済ませて自宅にもどった。
昨日のテレビ欄「昭和歌謡大全集」の項目がなかった。たしかNHKのある番組で司会者が話していたが私の聞き間違いだったのだろうか。
それにしても会場で懇親会が始まったのは2時前、テレビ番組があったとしてもそれは無理だった。
こんなことばにまた手作り鞄を作ろうと思ってしまう。
そしてまた夫はお金の胸算用している。
「それ売れるから商売にしてもいい。今は手作りの鞄が流行っている。世界のブランドより1つしかないブランドに目をいく時代になっている」という。
私はまたのりに乗って「そうやな。有限会社でもつくろうか」言ってしまった。
けれどまたすぐに「商売にする気がない。売っている鞄が何回買ってもポケットが少ないのでしかたないから自分でつくったやから」と言った。
本当に本音は気に入る鞄がないからこんなことになった。
昨年のおお掃除の時も鞄も10幾つ捨てた。
それでもまだ手元に鞄が数個残っている。それでもお出かけ用の鞄としては使えても仕事の鞄、私の仕事には不満だらけの鞄である。
今回の麻布で作った鞄にたくさん参考になるところがあった。
1つ勉強になった。こうした麻布は袋縫いをして糸のほつれを防ぐがそうしないときは布の端に少し破れた時にアイロンをあてて当て布をする布を買って来て(100円均一で売っている)すると糸の解れがないと気がついた。はしミシンをかけて普通処理していくが私の作成は全部手縫いである。小さな電動ミシンは厚手の布にはミシンが走らない。糸が飛んでしまう。昔の足踏みミシンはおよその物が縫えたのに置き場所がなくなって捨ててしまった。惜しい。本当に惜しいことをしてしまった。
まさか年をとって糸と針をもつとは思っていなかった。書くことにだけ集中していると思ったが年を重ねてくると布や糸に触りたくなってきてテレビをそのまま見ている時間がもったいなくなってきた。
今回の鞄は中が少し雑なところが多かったので補正してなんとか私の納得いくものになった。
昨日は地方紙の講演会、奈良県出身の女性代議士、黙って静かに聴くことができた。会場の雰囲気をみて人の心をすばやく捉えられるところは機敏のよさ、頭の回転の速さを感じた。
以前、街頭演説をきいたときはまだまだ社会の底辺を知らないと痛感して私の心は後ずさりした。
そして地方参政権獲得運動で国会審議が後1歩で通過するというとき自民党の中から猛烈な反対者が出てきた。言いだしっぺがそのときの奈良県出身のベテラン代議士と一緒になって在日外国人の参政権付与に猛反対の論議をした。
それから在日同胞の間ではその部分を通してまだまだ政治的に不勉強と考えて韓国・本国の人たちは女性代議士のフアンの人も多くいたが在日同胞は異論
を唱えた。そして在日外国人の参政権付与に反対した人の1人であるということた゜と説明すると本国の韓国人は黙ってしまった。
女性代議士については私の中にはまだまだ当時のイメージがあった。
それから10幾年になった。
女性代議士も年を重ねて幾多の困難を乗り越えてこられたのだろう。
ずいぶんと成長された姿があった。
会場には様々な職業の方が参加しておられる。
その雰囲気をいち早く読み取って自分のしている仕事の現況をわかり易く解説、安倍総理のいう「イノベーション」の言葉の解説、そして少子化対策でさすが現代物議をかもし出している柳沢大臣のことには一切ふれずに4月から始まるだろう。「こんにちは赤ちゃん」運動、赤ちゃんを出産された家に1人1人の地域の関係者が訪問して子育てについての話など聞き一連の事件解決策の1つともいえる取り組みが行なわれるという。
また子どもの放課後を利用した学校支援対策の話もされた。
奈良県については奈良県先端技術大学がある土地柄の生かし方、奈良に残る文化資産の有効な生かし方などが説明された。
話にどんどん吸い込まれていった。
私はこの会場で外国人問題について論議しようとは思わないので地方紙の講演会の講師としてはよかった。
この後少し懇親会に残られた。大臣とあってSPの警護がすごい。会場の会員の中に先輩、後輩という間柄もおられて話しが盛り上っているようだった。
この会場では私は記者の肩書きがあってもその他大勢の1人として参加している。また先輩や同僚たちと久しぶりに会うので私の静かな息抜きになっている。ここでは自分をださないようにして静かに参加している。
雑誌記者時代にお世話になった人たちとも会うので私の息抜の場所である。
30分ほどして会場から出て行かれた。
私は口の中に食べ物が入っていて失礼だと思いながら代議士を見送った。
ただ淡々と在日同胞の中で記事を追いかけている私、たぶん私のことは何も知らないだろうと思っている。
私の側を通る時軽く会釈をしておかれた。
そんな代議士を見送りながら右派であっても日本に住む在日外国人の問題に逃げないで何をすればいいのか今後は勉強して在日韓国・朝鮮人、いわゆる在日コリアンの人たちからも「支援をしていこう」という声がでるようなさらなる大物になって対応してもらいたいものだと思った。
私は在日コリアン問題にはさておいて代議士の大衆の心のとらえ方の上手さと講演の上手さにまた違う角度から代議士を見ることができた
そして会場に参加していた人たちが言っていた。
「1度選挙に落ちられ。それから人間性が大きくなった。落選を機会に変わられた。有権者は敵・味方とはっきりしている」と話しておられた。
以前、私が女性代議士の書き込みをネットでしたときに私の掲載記事に2000件以上に及ぶバッシングをあった。奈良県橿原市出身、県立高校の出身、まわりは同級生や先輩、後輩たちが多いのだろう。代議士でない顔をしっておられるのだろう。そうしたフアンの多いことに気がついた。
さらに成長して今度は在日コリアンの積み残されている問題についても勉強して在日コリアンの人たちの言葉に耳を傾けてほしいと会場から退場される背中に私はそう思っていた。
いつかまたどこかでお会いできるときがあるだろう。
周りには代議士に対して「好き」「嫌い」というはっきりしているという。
それならぜひ「好き」になってもらう人が1人でも多くおられることを願っている。
在日コリアンの10人のうち8・5から9人が日本人との婚姻をしている。日本人の家族も出来ていく。
私の息子も日本人の嫁さんである。10年のキャンバス恋愛をして結婚した。双方の家族は国際結婚を受け入れた。
孫はダブルの血が入っている。在日コリアンの中でも選挙権をもつ家族も増えている。日本人も国際結婚によって在日コリアンの現状を知っていく。それなら在日コリアンの問題について真摯に取り組んでくれる代議士の話に耳を傾けていく。影で隠れた有権者、在日コリアンの問題に触れていく人に関心を持って投票する有権者がいることを知って頂きたい。
今後の成長をみている。
そんなことでいつもの例会は12時開始だが昨日は12時半からだった。会合が閉会したのが3時前、テレビをみる時間がなくなった。奈良の町をうろうろして買い物を済ませて自宅にもどった。
昨日のテレビ欄「昭和歌謡大全集」の項目がなかった。たしかNHKのある番組で司会者が話していたが私の聞き間違いだったのだろうか。
それにしても会場で懇親会が始まったのは2時前、テレビ番組があったとしてもそれは無理だった。
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