子どもの頃から私は彼岸花の赤い色が好きだった。独特の赤色、朱色なのだろうか。私が小学校何年か忘れたが絵の具がだんだんなくなってきて絵の具のある色で指につけて彼岸花のような花を描いた。ただ絵の具がなくなってきて搾り出して指で塗りつけたのだ。
この絵は絵の具の色がない苦肉の策、子ども心にそうしただけだった。
それがこの絵はいいといって教室の後ろに貼ってもらったことがあった。
油絵は見るのが好きだが自分で油絵を描こうとするとふと子どもの時を思い出して色鉛筆で風景画を書いている。
絵の具で書こうとしても水彩になってしまう。
そんなことで彼岸花の咲くころになるとそんなことを思い出してしまう。
そしてまたある日のことだった。
赤い彼岸花を取って家に持って帰ると父はこれは家で飾る花ではないと言った。不吉な花だとも言っていた。
大人になってその意味がわかってきた。アクの強いこの花は田んぼの稲がネズミたちなどに荒らされないようにあぜ道に植えられていることがわかった。
彼岸花は緑の稲が実る田んぼのあぜ道の傍らに咲く。その色合いのコントラストが美しい。
秋の景色として1つの「美」でもある。
電車に乗って車窓から彼岸花の咲く田んぼを見るのが秋の楽しみの1つである。
「まんじゅしゃげ」とも言われる花
日本の言葉では彼岸花のほうがよく合う。
彼岸を境にして咲く花に先祖を思い親のことを思い出す。
彼岸花は生け花に使われることも少ないだろう。
やはり彼岸花は自然の中の景色、緑色の青々とした田んぼのあぜ道に咲いているのが一番美しい。
1度は車窓からでなくて田んぼの中のあぜ道を歩いて直接匂いにふれて朱色の花を見たいものである。街のど真ん中で暮らしているとなかなかそんな体験ができない。
デジカメで1度はとりたい花と田んぼの構図である。
この絵は絵の具の色がない苦肉の策、子ども心にそうしただけだった。
それがこの絵はいいといって教室の後ろに貼ってもらったことがあった。
油絵は見るのが好きだが自分で油絵を描こうとするとふと子どもの時を思い出して色鉛筆で風景画を書いている。
絵の具で書こうとしても水彩になってしまう。
そんなことで彼岸花の咲くころになるとそんなことを思い出してしまう。
そしてまたある日のことだった。
赤い彼岸花を取って家に持って帰ると父はこれは家で飾る花ではないと言った。不吉な花だとも言っていた。
大人になってその意味がわかってきた。アクの強いこの花は田んぼの稲がネズミたちなどに荒らされないようにあぜ道に植えられていることがわかった。
彼岸花は緑の稲が実る田んぼのあぜ道の傍らに咲く。その色合いのコントラストが美しい。
秋の景色として1つの「美」でもある。
電車に乗って車窓から彼岸花の咲く田んぼを見るのが秋の楽しみの1つである。
「まんじゅしゃげ」とも言われる花
日本の言葉では彼岸花のほうがよく合う。
彼岸を境にして咲く花に先祖を思い親のことを思い出す。
彼岸花は生け花に使われることも少ないだろう。
やはり彼岸花は自然の中の景色、緑色の青々とした田んぼのあぜ道に咲いているのが一番美しい。
1度は車窓からでなくて田んぼの中のあぜ道を歩いて直接匂いにふれて朱色の花を見たいものである。街のど真ん中で暮らしているとなかなかそんな体験ができない。
デジカメで1度はとりたい花と田んぼの構図である。
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