多くの人が参加された。会場は多くの人の熱気で外の雨が吹っ飛ぶようだった。「コリア閑話」の著書出版に駆けつけた人脈に驚いた。
著者は波佐場清さん。東方出版です。店頭でお買い求め下さい。1800円です。読み応えがあります。読みやすい著書で朝鮮半島のことが理解できます。よく知っている在日同胞の方々や日本人の名前も出てきます。
日本人なのにこんな足で歩いて取材されたことに感心しました。
分断国家という韓国と北朝鮮、まだまだ問題をかかえる韓国での取材活動も大変だったただろうと著書を見て察した。
私は在日韓国人、北朝鮮に対することは皆目といって知らない時に北朝鮮のことも足で稼いだ資料に私は驚いた。
夜のバーテイーなので私は会費のことより夜の外出に躊躇する。
それがその日、大阪の現場を終えてまた映画を上映する会場にいかなければならなかったので市内循環のバス停に近い喫茶店で食事をかき込んでいこうと思った。そしたら向こうから知人がやってきた。急いでいたので私は気がつかなかったが知人から声をかけて下さった。
「お元気ですか」といわれて「まあまあ」と答えた。
そして「あんたも大変やな。まだあの人とややこしいことでたいへんやな」と言われた。その意味がすぐ分かった。私の創設した会をのっとられてお金も使途不明のまま、まきあげられた。また慶州の知人にもものすごく迷惑をかけてしまったのか私が慶州の知人に電話するとケンもホロロに電話を切られてしまった。会はのっとっているのにいろんなところで私の名前を使っていることもわかっているが彼女と関わらないことでこの何年間過ごして私の心の闇がおちついた。
知人の言葉で察した。まだ彼女が奈良県内で迷惑三昧を繰り広げているののだろう。
ただ私は忙しかったのでこれから今日は忙しくて簡単に食事をかき込んでいくところと話した。名前を言わなかったが「出版パーテイー」にいくことも話して1日バタバタしているとも話した。
そしたら知人は言った。「あんた出版記念会がすきだから」と棘のある言葉を言ってさっと立ち去っていかれた。私よりずっとずっと年輩なのにこの言葉を言われた。
若いときは知人の出版記念会に何度か参加したことがあるのでよほど今もそんなふうに見えるのだろうか。
残念ながら近年は昼間だったら呼びかけられると参加もすることもあるが夜になると夜の外出が苦手でまして冬の夜は特に苦手なのである。
この知人はまだまだ私のことをよくしらない。
この人は38歳から5年間、奈良県内を走り回っていた雑誌記者時代のことしか知らない。それから幾年も重ねて韓国の人にもずいぶん助けてもらって今日の私のあることをしらない。そして日本人の多くの友人の支えもあって今日の私のあることも知っていない。
まだまだ自分の傘の下にいるようだとは思っているのだろう。
雑誌記者時代は在日韓国人でありながら民族のつきあいは親戚だけで民族とかかわりが大嫌いだった。帰化をしょうと思っていたくらいだった。
しかし天の神様はそうさせなかった。私に日本と民族の葛藤を与えて私を民族を選択するように仕向けてくれた。
ここから私の民族のかかわりだが何も知らないことばかりで在日韓国人の新聞記者になりたての3年程度は失敗ばかりだった。それでも先輩たちは気長く私を見守り育てて下さった。話せば長いのでこんな話は知人には言っていなかった。
日本の戦時中に教育を受けた世代、心のどこかで朝鮮人という蔑視があるのだろうか。配下でたてていればご機嫌かもしれないが私はもうそんな年でもない。民族と向き合うことは日本人とも同等に意見のできる立場にいることも知ってもらいたい。いつまでも何も知らない雑誌記者時代ではない。
朝鮮半島の南北問題、雑誌記者時代は知識もなくて何も語れなかった。在日韓国人の記者になって北朝鮮のことはもっと語れなかった。政治問題はタブーだった。現在は社会情勢も変わって少し語れるようになった。それでも南北問題は声を大にして語ることはできない。
立場上、話せないことがたくさんある。
残念ながら飛び跳ねていた私ははるから遠くになった。
今はやれる範囲で活動をしている。
そんなことで今昔の私がある。
今は静かに淡々と自分のやるべきことをして静かに過ごしている。
先日の出版記念会で私の92年から95年のことを知っておられる人がおられた。
猛烈に駆けずり回った在日韓国人の日刊紙の記者時代を覚えておられた。
62歳になったので現場を若い人にもある程度譲って私は適当に現場に入っていると話したら「いや。62歳はまだまだ若い。まだまだがんばれる」と言って下さった。
こうした多くの人に支えられて助けられて今日まで現場の仕事が続けることができた。
韓国はうわべだけのぞいて観光気分で交流事業をしている人たちには裏のことがわからないだろう。いろんな辛いこともたくさんあった。これをのりこえないと前にすすまない。そう思ってふんばってきた。やっと今地に足をつけることができる。ここまでのプロセスは知人は知らないだろう。知ってもらわなくてもいいが韓国だけでなく在日同胞の間にも立派に社会活動をしておられる人が多くおられる。残念ながら閉鎖的な奈良市内では在日同胞の名前が日本社会の中から浮上してこないのが残念である。
一瞬活動してもすぐに消えていく、利用されるだけ利用されている部分が見える。そんなとき日本人女性の表裏を見る思いだ。
今日は1日、自宅で過ごすことができる。
忙しくて昨日は新聞もよめなかった。これから読むことにしよう。
著者は波佐場清さん。東方出版です。店頭でお買い求め下さい。1800円です。読み応えがあります。読みやすい著書で朝鮮半島のことが理解できます。よく知っている在日同胞の方々や日本人の名前も出てきます。
日本人なのにこんな足で歩いて取材されたことに感心しました。
分断国家という韓国と北朝鮮、まだまだ問題をかかえる韓国での取材活動も大変だったただろうと著書を見て察した。
私は在日韓国人、北朝鮮に対することは皆目といって知らない時に北朝鮮のことも足で稼いだ資料に私は驚いた。
夜のバーテイーなので私は会費のことより夜の外出に躊躇する。
それがその日、大阪の現場を終えてまた映画を上映する会場にいかなければならなかったので市内循環のバス停に近い喫茶店で食事をかき込んでいこうと思った。そしたら向こうから知人がやってきた。急いでいたので私は気がつかなかったが知人から声をかけて下さった。
「お元気ですか」といわれて「まあまあ」と答えた。
そして「あんたも大変やな。まだあの人とややこしいことでたいへんやな」と言われた。その意味がすぐ分かった。私の創設した会をのっとられてお金も使途不明のまま、まきあげられた。また慶州の知人にもものすごく迷惑をかけてしまったのか私が慶州の知人に電話するとケンもホロロに電話を切られてしまった。会はのっとっているのにいろんなところで私の名前を使っていることもわかっているが彼女と関わらないことでこの何年間過ごして私の心の闇がおちついた。
知人の言葉で察した。まだ彼女が奈良県内で迷惑三昧を繰り広げているののだろう。
ただ私は忙しかったのでこれから今日は忙しくて簡単に食事をかき込んでいくところと話した。名前を言わなかったが「出版パーテイー」にいくことも話して1日バタバタしているとも話した。
そしたら知人は言った。「あんた出版記念会がすきだから」と棘のある言葉を言ってさっと立ち去っていかれた。私よりずっとずっと年輩なのにこの言葉を言われた。
若いときは知人の出版記念会に何度か参加したことがあるのでよほど今もそんなふうに見えるのだろうか。
残念ながら近年は昼間だったら呼びかけられると参加もすることもあるが夜になると夜の外出が苦手でまして冬の夜は特に苦手なのである。
この知人はまだまだ私のことをよくしらない。
この人は38歳から5年間、奈良県内を走り回っていた雑誌記者時代のことしか知らない。それから幾年も重ねて韓国の人にもずいぶん助けてもらって今日の私のあることをしらない。そして日本人の多くの友人の支えもあって今日の私のあることも知っていない。
まだまだ自分の傘の下にいるようだとは思っているのだろう。
雑誌記者時代は在日韓国人でありながら民族のつきあいは親戚だけで民族とかかわりが大嫌いだった。帰化をしょうと思っていたくらいだった。
しかし天の神様はそうさせなかった。私に日本と民族の葛藤を与えて私を民族を選択するように仕向けてくれた。
ここから私の民族のかかわりだが何も知らないことばかりで在日韓国人の新聞記者になりたての3年程度は失敗ばかりだった。それでも先輩たちは気長く私を見守り育てて下さった。話せば長いのでこんな話は知人には言っていなかった。
日本の戦時中に教育を受けた世代、心のどこかで朝鮮人という蔑視があるのだろうか。配下でたてていればご機嫌かもしれないが私はもうそんな年でもない。民族と向き合うことは日本人とも同等に意見のできる立場にいることも知ってもらいたい。いつまでも何も知らない雑誌記者時代ではない。
朝鮮半島の南北問題、雑誌記者時代は知識もなくて何も語れなかった。在日韓国人の記者になって北朝鮮のことはもっと語れなかった。政治問題はタブーだった。現在は社会情勢も変わって少し語れるようになった。それでも南北問題は声を大にして語ることはできない。
立場上、話せないことがたくさんある。
残念ながら飛び跳ねていた私ははるから遠くになった。
今はやれる範囲で活動をしている。
そんなことで今昔の私がある。
今は静かに淡々と自分のやるべきことをして静かに過ごしている。
先日の出版記念会で私の92年から95年のことを知っておられる人がおられた。
猛烈に駆けずり回った在日韓国人の日刊紙の記者時代を覚えておられた。
62歳になったので現場を若い人にもある程度譲って私は適当に現場に入っていると話したら「いや。62歳はまだまだ若い。まだまだがんばれる」と言って下さった。
こうした多くの人に支えられて助けられて今日まで現場の仕事が続けることができた。
韓国はうわべだけのぞいて観光気分で交流事業をしている人たちには裏のことがわからないだろう。いろんな辛いこともたくさんあった。これをのりこえないと前にすすまない。そう思ってふんばってきた。やっと今地に足をつけることができる。ここまでのプロセスは知人は知らないだろう。知ってもらわなくてもいいが韓国だけでなく在日同胞の間にも立派に社会活動をしておられる人が多くおられる。残念ながら閉鎖的な奈良市内では在日同胞の名前が日本社会の中から浮上してこないのが残念である。
一瞬活動してもすぐに消えていく、利用されるだけ利用されている部分が見える。そんなとき日本人女性の表裏を見る思いだ。
今日は1日、自宅で過ごすことができる。
忙しくて昨日は新聞もよめなかった。これから読むことにしよう。
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